集団意志と荒らし書き込み
第21話 集合的無意識
穏やかな陽光が窓から差し込んで、ソファーに横たわる少女を包み込んでいた。
整った顔立ちの上には微かに乱れた前髪がかかり、ブレザーの前が開けられているので白いブラウスに包まれた胸がかすかに呼吸に合わせて上下しているのがわかる。
安らかな表情で目を閉じて身を横たえているその姿は、まさに一幅の絵のような風景で僕は思わず目を奪われる。
空気中に舞う埃さえ、光り輝いてどこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。
そっと近づいて隣のソファーに腰かけようとしたところで、僕の気配と衣擦れの音を感じ取ったのか彼女は小さく「う、……ん」と呻きながら目を開いた。
「ん……あれ? 私、眠っていた?」
「ああ」
僕と星原は定期的に図書館の隣の空き部屋で放課後に勉強会をしているのだが、今日はドアをノックしても返事がなくそっと扉を開けると先のような光景が目に入ってきたところである。
「やだ! 寝顔見られちゃったの?」
「そんな狼狽するほどのことか?」
「だって。私、自分の寝顔は見たことないもの」
「そりゃあ、自分の寝顔は自分では見られないものな」
誰かに自分が寝ているところを撮影してもらうようにお願いすれば別だが、そんなことは普通しないだろう。
「別に気にするようなことでもないんじゃないか」
「でももし、口を半開きにしてよだれを垂らしながら、薄目開けて眼球運動とかしていたらどうしようかと思って」
それはどんな美人でも興ざめかもしれない。
「安心しろよ。その……とてもかわいい寝顔だった。愛らしくて眠り姫みたいで」
「もう。月ノ下くん、褒めすぎよ」
「いや、僕にとっては一番可愛らしい女の子の寝顔だったよ。……女子の寝顔なんて星原のしか見たことないけど。もう起きている時より寝ているほうが可愛いと思うくらいさ」
「そこまでいくと褒めてないわ」
顔を赤らめかけた彼女は一転、不機嫌そうに眉をしかめた。
言葉選びを間違えたか。
失態を誤魔化そうと僕は話題を反らすことにする。
「それで、どんな夢を見ていたんだ?」
「……はっきりは覚えていないけれど、何かを食べる夢だった気がする」
「へえ。何かの話で食べる夢は欲求不満の表れだとか聞いたな。まあお腹がすいている時なら誰だってそういう夢を見るし、当てにはならないと思うけどな」
「ああ。夢占いというやつ」
星原は軽く自分の肩をもみながら、記憶を探るような表情で宙に目を向ける。
「ユングやフロイトとかの心理学者が夢には人の深層心理が形となって表れるという説を提唱したのが始まりだったかしら。……いわゆる集合的無意識ね」
「集合的無意識?」
「大雑把に言うと人間の心の奥底は実はみんな同じところにつながっているんじゃないか、という説よ」
僕は思わず首を傾げた。
「でも物理的な話をするなら人間の脳は別につながっているわけじゃないし、それぞれ個別に存在しているだろ。考えることだってみんなバラバラなんじゃないかな」
「表層意識としては確かに個人個人で皆考えることは違うけれど。……社会や人類全体で見た時にどんな人間にも共通する思考の原型になるものがあるんじゃないかという発想なの」
「どんな人間にも共通する思考?」
彼女は「例えばね」と前置きをして話を続ける。
「神話というのは世界各地に作られているでしょう。国や民族も違うのにどんなところでも神様が海と大地を作り、太陽を作り生き物が生まれるという創世神話があるわ。それにギリシャ神話のタイタンやキリスト教のゴリアテ、中国の盤古、日本のダイダラボッチみたいな巨人伝説は世界中に存在する。……どれも海で隔てられた遠い場所なのにね。巨大なウミヘビや龍のイメージもいたるところに伝えられている」
「なるほど。誰かが考えた一つの発想が広がっていったと考えるには無理があるわけか」
「ええ。だから人間には個人を超えて誰にでも共通するイメージが無意識の中に存在しているんじゃないかということなの。それでその無意識の領域が夢を見ている時に現れるのなら、夢の内容を判断することで、その人間の深層心理を判断できるんじゃないかという考え方ね」
学術的な理論は僕にはよく解らないが、言われてみると納得できる部分もある気がする。
水の音や波の音は多くの人に癒しの効果があるとしてヒーリングミュージックとして使われるが、あれは母親のおなかの中で羊水に浸かっていたころの感覚を本能で覚えているからだという話を聞いたことがある。
また創作の世界のブームでは「次はこういうものが流行るんじゃないか」と一人が考えると不思議なことに同時発生的に同じアイデアを思いつく人間が何人も現れる現象があるという。
つまり人間の思考パターンは個人差はあってもある程度決まっていて、一つの社会や環境に置かれた時に当然思考の材料として同じものを有しているために同じ発想をしてしまうということなのだろう。
いわゆる「国民性」とか「県民性」という概念のスケールを「人類」という種族のレベルまで大きくしたものと考えればいいかもしれない。
はた目にはバラバラに見えるものが実は根底では一つのものに繋がっている。世界とは案外そういうものなのだろうか。
僕が隣でそんな思考を巡らせていると、彼女は「うんっ」と小さく唸りながら猫のように両手を挙げて延びをして見せた。
「まだ少し眠気が残っているみたい。……昨日つい夜更かししたのがいけなかったかな」
ぼんやりとした目で呟く彼女に僕はため息をついた。
「缶コーヒーでも買ってこようか?」
「あら。奢ってくれるの?」
「たまには、ね」
「ありがとう。それじゃあ微糖入りのホットで」
「了解」
僕は立ち上がると、部屋の扉を開けて足を踏み出した。
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