第16話 犯人発覚

 家庭科室の中からはオーブンの起動音やかすかな話し声が聞こえる。


 どうやらまだ料理部の部活の最中のようである。


 僕は実習棟の廊下で中の様子を伺いながらも、軽く戸を叩いて呼びかける。


「失礼します。部活動中にお邪魔して申し訳ないけど……」


 扉が開かれて、そばかす顔で眼鏡をかけた痩せぎすのとげとげしい雰囲気の少女が顔を出す。


「あれ。月ノ下じゃない。なに? 急に。今は忙しいんだけど」


 若干きつめの声音をぶつけてくるこの少女は、僕と同じ二年B組で料理部部長でもある立川節子である。


「立川、済まない。実は中神さんと話がしたくて、五分程度で済むから呼んでもらえるかな」

「いいけどさあ。まさか、うちの一年生に手を出すつもり?」

「……そんなことはしないから。ちょっと確認したいだけなんだ」


 立川は「あっそ」と興味なさげに呟くと、部屋の奥の方に振り返る。


「中神! 月ノ下が何かちょっと聞きたいことがあるんだって!」

「わ、私ですか。……わかりました」


 か細い声が聞こえて、大人しそうな少女がとてとてと足音を立てながら僕に近づいてくる。


「月ノ下さん。……話って?」

「ここじゃなんだから、廊下で」

「は、はい」


 制服の上にエプロンをした中神さんは小さく頷いて、家庭科室から出てきた。


「単刀直入に聞くけど。……もしかして小宮くんのチョコレートを持って行ったのは中神さんなのかな?」


 僕の言葉に中神さんは一瞬ぽかんとして口を開けてこちらを凝視する。


「あれ。違った?」

「いえ。その通りです。でも何で判ったんですか?」


 否定するかと思いきやあっさりと認めてくれた。


「小宮くんの話だと自分のロッカーにチョコレートが入っていたのを見つけた時には誰にも見られていなかったらしいんだ。そうするとチョコレートを持っていけるのは渡した本人だけ、僕は最初そう思い込んでいた」


 そして渡すことができたのは羽村さんだけだ、とも考えていた。


 しかし。


「だけど、昭島さんがさっき話していたじゃないか。昨日の部活で小宮くんがチョコレートをもらったことを話していたと。ということは同じ料理部員の人たちもロッカーの中に入っていたチョコレートの存在を知っていたことになる。……つまりは部活の最中に抜け出してチョコレートを持っていくことも可能だったというわけだ。そして小宮くんのロッカーの場所が判るのは同じ一年C組の中神さんしかいない。だからそう思ったんだけど、どうかな」


 中神さんは僕の言葉に小さくため息をつく。


「確かにそのとおりですね。……やっぱり持って行ったのが私だと小宮くんにバレるのも時間の問題でしょうか」

「いや料理部の皆を疑っている様子は今のところないから、僕が話さなければ気づかないと思うけれど。そもそも何でそんなことをしたんだ?」

「違うんですよ。私は別にチョコレートを盗んだんじゃあないんです。渡すべき相手に渡しただけで……」





 中神さんがしどろもどろになりながら説明した事情はこうだ。


 つい先週、彼女は中学時代からの友人である羽村さんに頼みごとをされた。それは「バレンタインのために手作りのチョコレートを作りたいのだけれど、指に怪我をしてしまったので手伝ってほしい」ということだった。


 特に断る理由はないし、困っている人を放っておけない心根の彼女は二つ返事で了解した。そして週末の休みの日に自分の家で一緒に彼女のためにチョコレートを作ってあげたのだった。


「それで、誰に渡すつもりなの?」


 自分の家のキッチンで出来上がったお菓子をラッピングしながら、興味本位で中神さんは羽村さんに尋ねてみた。


「あのね。カズちゃんと同じクラスの熊川くんっているでしょ? 実はこの前のクリスマスに誘われちゃって、それから付き合っているから。……まあこういうことするのもいいかな、なんて」


 その男子ならば同じクラスなので顔と名前は知っている。確か羽村さんと同じバレーボール部だ。中神さんは「なるほどね」と相槌を打った。


「でもさ。学校だと人目があるし、今度のバレンタインの放課後は練習試合で外に行くから渡す暇なさそうなんだよね。だからロッカーに入れておこうと思うんだけど。彼の教室のロッカーの場所が判らなくて。カズちゃん知っている?」


 中神さんは羽村さんの質問に「わかるよ。上から二番目で左から三番目の列だったと思う」と答えた。


「ありがとう! それじゃあ明日の休み時間の人がいなさそうなタイミングで入れておこうかな」


 羽村さんはそういってチョコレートの包みをカバンにしまい込んだ。






「ああ。指を骨折した羽村さんには手作りのチョコレートなんて無理だろうと思っていたけど、中神さんが手伝ったわけか。……そういえば中神さんと中学時代からの知り合いだと言っていたな。それで? その後は?」

「……その後が問題だったんです」


 数日後のバレンタインデーの当日。


 中神さんはいつものように家庭科室で料理部の活動にいそしんでいた。


 部室の中では拝島先輩と同級生である昭島さんが「誰かにチョコレートをあげたのか」「どんなチョコレートを買ったのか」というような会話で盛り上がっていた。


 そんな時、ふとした拍子に昭島さんがからかうようにこう言ったのだ。


「そういえばさあ。小宮は誰かからチョコレート貰えたの?」


 その言葉に彼はむっとしたように答えた。


「馬鹿にしないでくれよ。僕にだってチョコレートをくれる女子くらいいるさ」


 中神さんはその言葉に何故だかショックを受ける。


 小宮くんは自分にとって一番親しい男子生徒だ。その彼にチョコレートを渡すような相手がいたなんて全く気付かなかった。


「ええっ! 誰? だれなの。教えてよ」


 そんな中神さんの内心を知る由もない昭島さんは興味津々と言った様子で小宮くんに畳みかける。中神さんも料理の下ごしらえを黙々と進めつつ、あくまでも興味のないふりをしながら二人の会話に聞き耳を立てていた。


「……いや、実は誰からなのかはまだ確かめていないんだけど、教室のロッカーに入っていたんだ。『薄ピンク色の箱』に『赤いリボン』が付いていて、手作りみたいだった。気持ちがこもっているのは間違いないと思うから、後で中身をちゃんと確かめようと思って」

「へえ? 誰からなのかわからないの?」


 中神さんは小宮くんの言葉を聞いて思わず硬直した。


 ピンク色の箱に赤いリボン。それは自分が羽村さんと作ったチョコレートのラッピングと全く同じだ。「熊川くんに渡す」と言っていたはずだけれど、どうして小宮くんのロッカーに入っているのか。


 そこまで考えて、中神さんはある可能性に気が付いた。


 自分は熊川という男子のロッカーの場所を「上から二番目で左から三番目」と伝えたが、一年C組は他のクラスより人数が少し多いためロッカーが足りなくて、ロッカーの「天板の上」に私物を置いて使っているのだ。そのため中神さんとしては「ロッカーの上」も含めて「上から二番目」と伝えたつもりだったが、A組の羽村さんはそういう発想に至らずに普通に箱型の物入れの二段目を目的の場所だと思って入れたのではないか。


 そう言えば熊川くんの「一つ下の段」が小宮くんのロッカーだ。


 このままでは自分の言葉不足が原因で羽村さんは小宮くんにチョコレートを贈ったことになってしまう。何にせよ、自分のせいで渡すべき相手に届いていないのはまずい。


 焦った彼女はすぐさまトイレに行くふりをして家庭科室を抜け出し、小宮くんのロッカーに入っていたチョコレートを正しい相手のところに入れ直した、という訳だった。





「そういうことだったのか」


 やはり僕と小宮くんが目撃したのは羽村さんだったのだ。ロッカーの場所について「他所のクラスだから分からないんじゃないか」という明彦の指摘もこれで説明がつく。


 C組の人間、つまり中神さんに渡したい相手が使用しているロッカーを教えてもらったというわけだ。問題はその場所を間違えていたということだが。


 経緯をすべて説明した中神さんは困ったように目を伏せていた。


「とりあえず、本来の相手にチョコレートを渡したのは良いんですけど。小宮くんあれから雰囲気が暗くて……やっぱり男子にとってバレンタインでもらえるはずだったチョコレートがなくなるってショックなんでしょうか」

「まあ、今日の様子ではあまり元気はなかったけど。……部活ではどんな調子だった?」

「良くはわかりませんが。……チョコという単語を耳にするたびに叫びながら床をのたうち回っていました」

「大ショックを受けとるやんけ」


 一度与えられた幸福を取り上げられる絶望とはこれほどのものなのか。


 聞いていて涙が出てきそうだ。


「中神さんから事情を正直に話したらどうかな」

「でも、それじゃあ小宮くんにみんなの前で恥をかかせることになっちゃいますし。……落ち込むんじゃないかと」


 現時点でもこれ以上ないほど落ち込んでいるようだが。


「それじゃあ、中神さんからチョコレート渡せばいいじゃないか。君が羽村さんを手伝ったのならラッピングとかも同じようにできるだろ? 義理のつもりだったけど料理部のみんなの前で言いだしたから、つい恥ずかしくなって回収したとか言えばいい。要はもらえるはずだったチョコレートが消えたことに悩んでいるんだから」

「わ、私からですか……。でもアキとかは渡してないんですよ? 私からだけあげたら意味深に思われませんか」

「そんなに気にしなくてもいいと思うけど」


 そもそも何だってそんなに小宮くんのことを意識しているのだろう。


 自分のせいで落ち込ませる原因を作ってしまったから責任を感じているのはわかるが、それならば多少傷つける結果になっても謝るのが本来の筋だ。


 それが嫌なら義理でもチョコレートをあげれば、本人は納得するのに何を躊躇しているのか。


「あ、あのう聞いた話だと今のところ小宮くんはチョコレートを贈った本人が自分で持って行ったと考えているんですよね」

「うん」

「ふ、普通なら『この子がくれるんじゃないか』とか『この子がくれたらいいな』と思うような自分にとって親しく感じている女の子を贈り主の候補として考えますよね」

「まあ、そうかな」


 仮に貰いたくないような相手だったらそもそも確かめようとはしない、という考え方はあるだろう。


「じゃ、じゃあもしも小宮くんがチョコレートを持って行ったのが私だと思うようなら、つまりは『私からチョコレートをもらっても喜んでくれる』ということになりますか」


 顔を真っ赤にしながらも妙に力の入った表情で問いかける。


 若干強引な三段論法だなあ。


 確かに男子がチョコレートをもらえるとなれば、好ましい相手から贈られることを想像しがちだろうから間違っているとも言えないが。


 だが、要は中神さんは自分がチョコレートを渡したところで小宮くんは喜ばないんじゃないかというあたりを気にして、ためらっていたということか。


「そうだね。そういう事になると思うよ。……つまり中神さんとしては小宮くんがチョコレートを持っていった相手、つまり贈り主として自分を想定してくれるようなら、チョコレートを渡してもいいとそう考えているわけだね」

「は、はい」

「わかった。それじゃあこういうのはどうかな? 僕が明日、小宮くんと改めてチョコレートを持って行ったのが誰なのかを一緒に考えるように持ち掛ける。それで彼が中神さんだと気がつくようなら君からチョコレート渡してあげればいい。だから今日中にチョコレートを準備しておいてくれないかな」


 僕の言葉に「わかりました」と中神さんは納得したように頷いてみせた。

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