第17話 贈り主を探せ(前編)
澄みきった冷たい空気の合間から昼下がりの陽光がレンガで出来た花壇を照らしだす。
「……月ノ下先輩。どうしたんですか。急に来てくれだなんて。それにずいぶん人がいますが」
相変わらず暗い顔をした小宮くんが校舎の渡り廊下から姿を現した。
翌日の放課後である。
僕は小宮くんに声をかけて校舎裏に足を運んでもらったのだ。ただしこの場には僕だけではなく更に何人もの人物がいた。中神さん、明彦と星原の三人である。
僕はまず、彼を呼び出した目的を告げる。
「実は君がもらったチョコレートについて、もう一度探してみようと思うんだよ。君と一緒に」
「……もう一度」
小宮くんは戸惑いを見せながらも僕の言葉を反芻した。
僕の傍にいた明彦が元気づけるように彼に頷いて見せる。
「ああ、まだすべての可能性を当たったわけじゃあないだろ? 悪あがきは最後までしてみるもんだ。違うか?」
「それはそうかもしれませんが。……どうして中神もいるんだ?」
中神さんは明彦の後ろに遠慮がちに隠れていたが、小宮くんの問いに少し力の入った緊張した声音で答える。
「わ、私も小宮くんがチョコレートが無くなったことを気にしているのを見て、何か手伝えればと思って」
「そっか。それは、ありがとうな。……それで、そちらの方はどなたなんです?」
小宮くんは僕の隣に立っているもう一人の人物、色白で小柄な少女に目をやる。
「初めまして。……月ノ下くんと同じクラスの星原咲夜よ。今日は無くなったチョコレートを探すのを手伝いに来たの」
「そうでしたか。僕のためにわざわざすみません」
小宮くんはかしこまって、自分よりも小さな先輩女子に頭を下げる。
実は、星原と明彦にはすでにチョコレートを持っていったのが中神さんであることは話してある。元々、他の男子に渡すはずだったチョコレートが小宮くんのロッカーに入ってしまっていたことも。
しかし、僕らは直接的に中神さんが彼のチョコを回収したことを教えるわけにはいかない。あくまでも彼自身に気づかせなくてはいけないのである。
中神さんも「探すのを手伝う」というのは建前で、実際は「彼自身が独力で中神さんのことに気がついてくれるか」を見届けるためにこの場に来ていたのだった。
だが、既に小宮くんの中には「以前に一度、羽村さんを助けたことがある」「髪にウェーブのかかった女子がC組の教室から出てきたところを目撃した」「最後にA組に入って行ったのは羽村さん」という印象深い事実が組み合わさって、羽村さんがチョコレートを渡したはずという「虚像のストーリー」が出来上がってしまっている。
それを一度壊して小宮くんに「実はチョコレートの贈り主は中神さんだった」という結論を出してもらいたいところだが、昨日まで同じように羽村さんがチョコレートを渡したんじゃないかという立場だった僕が急に違う意見を出すのは不自然だ。
そこで彼の考えを誘導してもらうために星原にも協力してもらうことにしたわけである。
星原は髪をかきあげながら後輩に優しく声をかける。
「小宮くん?」
「は、はい」
「あなたは天然パーマの女の子……羽村さんが直前に教室から出てくるのを見たと言っていたそうだけれど、その子があなたのロッカーにチョコレートを入れたとは限らないんじゃない?」
「え? どういうことですか?」
「例えば遠目に後姿を見ただけでは髪形を正確には判断できないでしょう。それに、やろうと思えば他の女の子がチョコを入れることもできるはずだわ。あなたが音楽室に一度行った後、忘れ物を取りに戻るまでの間に周りの目を盗んでこっそり入れれば良いだけなのだから」
小宮くんは星原の言葉に首をかしげる。
「それはそうかもしれないですが、それじゃあ誰が入れたのかわからないじゃあないですか」
「大丈夫。……落ち着いて状況を整理すれば必ず手掛かりが見つかるはずだわ。まずあなたのクラス、一年C組の教室に行ってみましょう」
「はあ」
小宮くんが本校舎に足を向けたところで星原が振り返って目配せをする。僕らもそれに応えて一年の教室へ歩き始めた。
「小宮くん。あなたは一昨日、この教室の自分のロッカーでチョコを見つけて、後で中を確認するつもりで廊下に出た。そしてその直前にC組から出てきてA組の教室に行く女の子の後姿を見たということよね?」
星原は本校舎の一階廊下の真ん中で立ち止まり、僕らの方を振り返り見ながら奥の方を指さした。
訊かれた小宮くんは「はい。その通りですが」と頷き返す。
「じゃあ、ほら今からC組の教室から中神さんが出てくるから見ていて」
「え?」
星原の言葉に答えるように中神さんが一度C組の教室に入り、数秒後に扉を開けて廊下の奥に走っていった。その髪型は緩くウェーブがかかって走るたびに風に吹かれるカーテンのように微かに揺れる。
「ね? 後ろ姿だけでは個人を特定するのは意外と難しいでしょう? 普段、髪を結い上げている女の子が髪を下ろせばパーマがかかって見えることだってある。人間の印象なんてあてにならないんじゃない?」
「ほ、本当だ」
星原はまず、小宮くんの中にある「あの時見たのは羽村さん」というイメージを消すことで「他の女の子が渡したんじゃないか」という発想に誘導しようとしているようだ。
「だから一度先入観を取り払って、素直に自分に日頃から親しくしてくれている女の子を候補として考えてみたらどう?」
「僕に日頃から親しくしてくれている女の子……」
廊下から走って戻ってきた中神さんは小宮くんがどう答えるのかと固唾を飲んで見守っている。
「そ、そうか。僕にチョコレートをくれたのは、な……」
星原がうんうんと満足そうに首を縦に振る。
「……何かと僕のことをからかってくる、昭島だったのか!」
中神さんが顔をひきつらせ、星原ががっくりと肩を落とした。
「考えてみれば羽村さんだけじゃなく昭島もA組だったじゃないか。いつも僕をいじってくるのは『好きな相手についちょっかいを出してしまう』というアレだったんですね。最後にA組に入ってきたと証言したのは昭島だけれど、本当は自分が最後に戻っていったのに嘘をついたということか。そう言われてみると、僕が見た髪形もパーマじゃなくて長い髪が揺れていただけのような気がしてきた。これで全部つじつまが合います」
ううむ。自分の中の印象からそういうふうに記憶を作り出してしまったか。
「そうすると、チョコレートを回収したのは僕を日常的に友達として扱っているから急に照れくさくなったということかもしれませんね」
横で聞いていた明彦が「いやあ、お前それは流石に」と珍しく真面目な声で止めに入ろうとした。
その時。僕らの背後からはきはきとした女の子の声がかけられる。
「さっきから廊下で誰か騒いでいると思ったら、小宮じゃない。どうしたの?」
そこに立っていたのは件の昭島さん自身である。手にカバンを持っているところからして、どうやら帰る準備をしようとしていたようだ。
小宮くんはきりっとした表情で彼女に近づいていく。
「なあ、昭島。この数か月遠回りしてきたけど、僕らの関係をはっきりさせる時が来ているんじゃないか」
「何の話?」
「ここまできて隠すことはないさ。チョコレートを渡したのは昭島だったん」
「ありえないから」
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