第5話 探索

 職員室は本校舎の一階にある。


 微かな冬の日差しが差しこむ廊下の上に四人分の足音が響く。


「しかし、どこの部屋の鍵だったのかしらね、それ」

「校舎のどこかに繋がる秘密の鍵か。ロマンがあるじゃん」

「……悪いな、荻久保。なぜか大所帯になってしまって」

「別にいいよお。人手があった方が良いかもしれないし?」


 荻久保から聞いた話を今朝がた星原に伝えたところ「それなら私も付いていくから」と興味を示したのだが、そこにたまたま居合わせたのが我が悪友の雲仙明彦うんぜんあきひこである。


 何に使われていたのかわからない謎の鍵というミステリアスな雰囲気が彼の好奇心もとい野次馬根性を刺激したらしく、昼休みにこうして荻久保にぞろぞろと付いていくことになったのだ。


 僕らが職員室の扉を開けると教師の姿はまばらだった。扉から広い部屋の中を見渡すと端の方の机に美術部顧問の大崎先生が座っているのが目に入る。


 荻久保が入り口の前で僕らの方を振り返る。


「それじゃあ、私が大崎先生に話を聞いてくるから。ちょっとここで待っていてくれるかな?もし、どこの鍵がわかったらそのまま借りてくるから」

「ああ。わかった」

「了解」

「……お任せするわ」 


 彼女は僕らの返事に頷くと「失礼します」と一声かけて大崎先生のところに近づいて行った。僕を含む三人は扉の影からそっと様子を窺う。


「大崎先生」

「あら? 荻久保さん。どうしたの?」


 黒縁の眼鏡をかけて長い髪を後ろで結んだ穏やかな雰囲気の妙齢の女性が荻久保の呼びかけに答える。


「あの、年末に美術室を部活動の一環で掃除していた時に、棚の下から鍵が見つかって一年の森下さんに聞きに来てもらったと思うんですが、あれってどこの鍵だったのか教えてもらうことはできますか?」

「……森下さんからは聞いてなかった?」

「うやむやになってしまっていて、今更本人から聞くのも気が引けるな、なんて……はは」


 荻久保は誤魔化し笑いをしながら、何とか話を聞き出す言い訳をしてみせる。


「あの鍵はね、美術部の倉庫の鍵だったのよね。ほら本校舎の階段の裏手に小さな扉があるでしょう。あそこ」

「倉庫。……ああ、先輩から聞いたことはあります。確か展示室のほかに美術部専用の倉庫があるって。あまり綺麗じゃなくて埃っぽいから、入りたがる人がいないとか。そう言えば私、入ったことありませんでした」


 大崎先生は「まあ。そうかもねえ」と眉をひそめながら話を続ける。


「元々、過去の卒業生が寄付した記念作品や備品とかが保管されているところなんだけど、何せ部員も少なくなっているでしょう? だからここ数年使う必要もなかったのよね」

「……確かに新入部員の確保には苦労してますが」と荻久保はため息をついた。

「あれ、それじゃあ鍵はその後どうなったんですか?」

「いや、実はね。だいぶ前に無くなったと思っていたから既に代わりの鍵は作ってあったの。だから森下さんが持ってきた鍵はもう必要ないから捨てておくように伝えたのだけれどね。『自分も参考に中を見たい』『もう少し貸してほしい』っていうからそのまま貸していたと思うわ」

「そうですか。……あの、ついでなんですけど、その美術室の倉庫の鍵を借りても良いですか?」

「あなたも先輩たちの作品に興味があるの? 勉強熱心ね」


 大崎先生はそう呟くと微笑んで「ちょっと待ってね」と立ちあがり、鍵の保管庫を開けて一本の鍵を持ってくる。


「はい、これ。返すときには私に声をかけてね」

「ありがとうございます!」


 元気よく礼を言った荻久保はくるりと僕らの方に振り返ると「上手くいったよ」と片目をつぶって見せた。





 

 そして数分後。


 僕らは本校舎の階段裏に雁首を揃えることとなった。


 職員室のさらに奥にある校舎の端の階段。その裏手に設置された金属の扉の前に僕ら四人は立ちつくす。


 普段は教室移動の時に通り過ぎるだけのなんてことのない場所であり、だからこそ身近過ぎてあまり気にかけていなかった。


「こんなところに美術部の倉庫があったんだな」と明彦が瞠目してみせる。

「私も先輩から一度話を聞いただけだから存在そのものをすっかり忘れていたよ……っと」


 荻久保が軽口をたたきながら、鍵をドアノブの穴に差し込んでガチリと音がするまで回した。


「……鍵は開いたね」

「やっぱり森下さんは倉庫の鍵を使用して、この中で何かをしていたのかしら」


 星原が扉を見つめて首をかしげる。


「それも開けて調べてみればはっきりするさ。……じゃあ、荻久保」


 僕の呼びかけに巻き毛の少女は「了解、それじゃあ開けるよお」と古びた金属製の扉に手をかけた。


 ギイッと低い音を立てて入り口が開かれる。


 黒々とした暗がりと古びた埃っぽい空気が扉の向こうから漂ってくる。


「……それじゃ、行こうか」


 言い出しっぺの僕が先導して入り、入り口近くの壁を探るとすぐに電灯のスイッチが見つかる。


 押してみると、一瞬だけ天井の蛍光灯が点滅して明かりがついた。それでようやく部屋の中の様子が明らかになる。


 そこは数メートル四方の密室だった。


 板張りの床に殺風景な薄い灰色の壁。


 倉庫使用についての注意書きのポスター。


 床には予備のものと思しきイーゼルや画板。


 棚に並べられた彫刻。


 梱包されて無造作に立てかけられた絵画のキャンバス。


 そんなものが雑多に置かれていて、顔も知らないかつての美術部の卒業生たちの学生生活の残滓をわずかながら感じさせる。


「ここが美術倉庫、か」


 何となく感銘を受けてそんな声が漏れた。


 僕に続いて星原たちも部屋の中に入り込む。「へえ」「こうなっていたのか」「わあ、こんな場所だったんだ」とそれぞれに感想を呟いていた。


「しかし森下さんがここに入りこんでいたのだとしたら、何をしていたんだろうな」

「そうね。何か痕跡は残っていないのかしら」


 僕の疑問に星原が応えた。


「例えば、だけどよ。ここに入り込んで何かを持ちだしたってことはないのか」


 明彦の推論を聞いて「一理あるかもしれない」と僕は思った。


 ひと月前に森下さんはここに入り込んだときに何かを壊してしまった。あるいは絵を破いてしまった。そこでそれをバレないうちに何とか修繕するなりしようとしてこっそり残っていた。


 可能性として検討する価値はありそうだ。


 そんな僕の想像をよそに星原が「持ち出した、ね」と呟く。


「でも仮にそうだとしても確認のしようがないんじゃない? ここに何が保管されていたかなんてわからないもの」


 星原が首をかしげたところで、一番後ろにいた荻久保が「あれ?」と振り返って何かに気が付いたように声を上げた。


「……ちょっと待って。ここに保管されていたものの目録があるみたいだよ?」


 荻久保が指さしていたのは入り口のすぐ隣の棚にあった紙のファイルだった。表紙には彼女が指摘したとおり「保管品目録」とある。


「なるほど。それじゃあこれと室内に保管されているものを比較すれば、無くなったものがあるかどうかわかるかもしれないな」

「そうだねえ。比べてみる?」


 荻久保が開いていたファイルの中を覗き込むと内容はこんな感じだ。


「平成五年度 保管 コンクール入賞作品 春の訪れ(油絵)」

「平成六年度 保管 佳作 安らぎのある風景(版画)」

「平成七年度 保管 卒業記念作品 生存への躍動(彫刻)」


 とまあ、こんな風に保管された年とタイトルと品目が羅列されていた。その数はざっと五十ほどはあるようだ。


「そうだな。一応調べてみるか」


 数として少なくはないが、限られた空間に整理されている物品の所在を確かめるだけだ。そんなに時間はかかるまい。


「他に手掛かりはなさそうだものね。……その辺りから取り掛かりましょうか」と星原も同意する。

「それじゃあ、上から読んでいくね。最初は油絵で平成二年度の作品。『閉塞感から逃れて』というタイトルなんだけど」

「ああ、この壁際にあるやつだな」


 荻久保がファイルに記載された品目を順番に読み上げていく。


 並行して僕ら三人は彼女が読み上げた作品に該当するものを目視で確認する。保管されている作品にはタイトルと品目が書かれたラベルが貼られているので、それを見れば目録と突き合わせることができるわけだ。


 油絵のキャンバスは引っ越しなどで使用する大きめのビニールシートで梱包されていて、ラベルもその上に貼られていた。


「油絵の保管ってこんなもので良いのか?」


 思わず疑問を口にする僕に隣の星原が肩をすくめて見せる。


「そりゃあ、プロや巨匠の美術品だったら専用のケースに入れて空調の良い倉庫に入れておくでしょうけど、学生作品だものね。あまり手間は掛けられないってことでしょう」


 絵画はサイズごとに整理されて縦置きで並べられている。その中でもひときわスペースを取っている列が僕の目を引いた。


「それにしても、こっちに並べられている特大サイズの絵は何なんだ」

「あまり見ないサイズの規格だわ。何かしら」


 首をかしげている星原に荻久保が答える。


「それは、多分共作企画の作品じゃあないかな」

「共作?」

「うん。うちの部の文化祭向けのイベントでね。普通に書いてもつまらないから、二人で二枚のキャンバスにそれぞれつなげると一枚の絵になる大作をつくるというやつ。といっても作風を合わせるのも大変だし、ここ数年は廃れていたらしいけれど」

「なるほど」


 そんなやりとりをしながらも、五分もかからずに照合は半ばくらいまで進んでいった。……しかし。


「それで次の作品は絵画で平成十五年度の『山野の新春』とかいうタイトルなんだけど」

「……? 見つからないぞ?」


 僕は室内のめぼしい場所を探したが、荻久保が読み上げた作品に合致しそうなものは見当たらなかった。


「あれ? そう? それじゃあ次は十六年度の『庭園の新春』」


「それもないわ」と星原が答える。


「え。それじゃあこれは? 十七年度の『林道の新春』」


「見当たらないな」と別の場所を当たっていた明彦が返事をする。


「どういうことかな。ここまでスムーズに来たのに」


 荻久保がぼやくように呟いた。


「その三作……何だかタイトルが似ているみたいだな」


 僕の疑問に荻久保は軽く髪をかき上げながら返事をする。


「ああ、どうやら同じ人が描いた連作みたいなんだよ。……でもどうしてないんだろ」


 まさか、森下さんが持ち出したというのだろうか。


 しかし、いくら何でも三枚もの絵画を持ち出すのは苦労するだろうし置く場所にもその後運ぶのにも困る気がする。


「とりあえず先に他の作品を照合してみたらどうかしら」


 星原が服に着いたほこりを払い落としながら提案した。


「……そうだねえ。それじゃあ次は十九年度の卒業制作で」


 その後、荻久保が作品の目録を再度読み上げ始めた。しかしそれ以降は不思議と目録に書かれていた作品はすぐに確認することができた。


 そして数分後。


「これが最後。平成二十八年度、油絵作品『静謐さの形』」


 荻久保がタイトルを言う途中辺りで、明彦が「見つけた」と返事をする。


 一仕事を終えた彼女は「ハーッ」とため息をついた。


「少しかかったけれど、例の三枚を除けば確認はできたね」

「だとすると、森下さんはその三枚を持ち出したってことになるのかな」


 僕が首をひねっていると、その疑問に答えるように星原が口を開く。


「……いいえ、その三枚も見つかったわ」

「え? 本当か?」

「ええ。ほら、一番隅の列の奥に隠されるように三枚の絵が置かれていたの。消去法で考えてあれじゃない?」


 確かに彼女の指摘したとおり、三枚だけ他の作品とは分けるように隅に置かれていた絵画があるようだ。僕は彼女の言葉を受けて、近づいてその絵画を確認した。


「本当だ。あれ? ……梱包が少しほどけている」

「へえ? せっかくだから見てみましょうか」

「どんな絵なの?」


 興味を引かれたらしい星原と荻久保は僕が引っ張り出した三枚の絵を覗き込む。


 そのキャンバスにそれぞれ描かれていたのは動物の絵だった。

 

 一枚目は「羊」。

 

 二枚目は「猿」。

 

 三枚目は「鶏」。


 それぞれ松や日の出、雪景色などを背景に動物が描かれている。どことなく縁起の良さそうなおめでたそうな画風だった。


「ああ。なるほどね。新春というタイトルからしてもしかしてと思ったけれど。これは新年の慶びをこめて書いた干支の絵だったのね」


 星原が納得したように呟いて、その隣で荻久保も頷いてみせる。


「それで三枚の連作を描いたんだね。学校に在学している三年の間に一年に一枚ずつ年始の祝いを兼ねて干支の絵をかき上げたということかな」


「いや。ちょっと待ってくれ」と僕は口を挟む。


「それじゃあ、結局何もなくなっていないことになる。森下さんは一体何をしていたんだ?」


 保管物の目録に書かれていたものは全て確認できた。ということは、この美術部の倉庫から何かを持ちだしていたとかこの倉庫で何かを破損させたという推論は外れたことになる。


 彼女がここでしていたことは何なのか。話は振出しに戻ってしまった。


 僕がそう思いかけたときだった。


「おい。この辺の壁、何かおかしくないか」


 明彦が奥の壁を指さしながら首をひねっていた。

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