第4話 謎を解く「鍵」

「なるほどね。それで相手を説得するには至らず、次善の策についても森下さん自身に反対されたという訳」


 目の前にいる彼女は相槌を打ちながら軽く黒髪をかき上げる。


「そういうことなんだ。しかしそうなると他の方法を考えないといけない。……単純に考えると、イラストを売る商売が成立しないようにすればいいと思うんだけれどな。流行っているものを終わらせる手段なんてなかなか思いつかなくてね」


 窓の外からは山林の稜線に沈みかけた夕日が部屋の中を照らし出す。


 さらに翌日の放課後。


 一年A組を訪れて大島を説得しようとしたものの失敗した僕は、どうにか他に手立てはないかと図書室の隣の空き部屋で星原に相談しに来たわけである。


 定位置のソファーにちょこんと腰かけた星原は、参考書を片手に僕の言葉に耳を傾けていた。


「私としても月ノ下くんの方針が最良だと思っていたけれど。……それにしても森下さんの行動は不自然なところがあるわ」

「……星原もそう思うか」

「ええ。そもそもイラストを使われたくないなら一番手っ取り早いのは先生に相談することなのよね。なのに、それをしようとしない。私たちのところに相談しに来たのも自主的に来たというより『菊川さんに言われて仕方なく来た』という印象があるの」


 彼女は胸の前で腕組しながら眉をしかめて見せる。


「僕も不自然に感じるところがいくつかある。一つには、イラストの盗用が発生した時期と彼女が美術部で遅く残るようになった時期が一致していること。どちらもだ」

「今回の盗用の話とその不自然な行動は関係している、と思う訳ね。他には?」

「美術部で居残りするといっているのに、作品を創っている様子はない。美術室にもいない。それなのに絵の具は減っているようだっていうあの荻久保の証言についてなんだけれどさ。それじゃあ、森下さんは『どこで』絵の具を使うような作業をしているのか、ってことになるだろう」


 星原は僕の言葉をかみしめるように目の前の一点を凝視して黙り込んでいたが、数秒後おもむろに口を開く。


「つまり彼女には何か人に知られたくないことがあって、それはあのイラストを広めたくないことにも繋がっている。だからこそ先生に介入されて話が大きくなるのを嫌がった。……そしてそのことと彼女が隠れてやっていることに関係があるのだとしたら、彼女が部活後に『どこに』行っていたのかを知る必要があるということね」

「ああ。そういうことになるな」


 状況分析に秀でている彼女は、僕の疑問を受けて即座に次の方針を導き出して見せた。


「となると、荻久保にもう一度話を聞く必要がありそうだ。……今日はまだ部活の最中かもしれないが、ほんの少し時間を割いてもらうかな」


 僕はソファーから立ちあがる。


「星原も来るか?」

「いえ。……二人で押しかけたら目立つかもしれないから、ここはあなたに任せるわ。森下さんも美術室にいるだろうし、露骨にかぎまわるのはよくないでしょう?」


 そう言いながら彼女は肩をすくめて見せた。






 美術室は実習棟という本校舎に隣り合った建物の一階にある。


 そういえば星原と関わるようになったきっかけの一件も美術室で起きたんだっけ、なんてことを考えながら実習棟に続く渡り廊下を歩く。


 一月もまだ半ばといったところで寒風が吹きすさんでいた。僕は冷たい空気から逃げ込むように急ぎ足で目の前の建物に入ると、美術室の扉に近づいた。どうやら部活動中のようだ。


 中の様子を窺うと、何人かの気配と人の声が聞こえる。


『それで、来月の展示イベントなんだけど……』

『スペースがそんなにないから、卒業生の作品はある程度しぼったほうがいいですね。特大サイズの絵画は避けましょう』

『でもコンクールで受賞したのは……』


 扉越しに漏れてくる内容からして、どうやら先日荻久保が話していた展示イベントとやらの打ち合わせをしているらしい。


「すみません。……お邪魔します」


 僕は、少し恐縮しながら美術室に入る。


 部屋の中にはイーゼルを立てて、絵筆を片手に持ちながら話し合う何人かの部員たちの姿があった。


 僕は目的の人物を探して声をかける。


「二年B組の月ノ下といいますが、同じクラスの荻久保に用事があって……」


 言い終わるより前に「あれ? 月ノ下くん」と緩いウェーブがかかった髪と穏やかな表情が特徴の少女が立ちあがって近づいてきた。


「やあ。荻久保」

「どうしたの? 月ノ下くんの方からくるなんて珍しい」


 絵の具で少し汚れているエプロンを付けた彼女は、少し驚いたような顔で僕を見つめる。


「あれえ? 荻久保さん。もしかして彼氏?」

「あはは。部長、違いますって。クラスメイトですよ」


 眼鏡をかけた人当たりの良さそうな雰囲気の男子生徒がからかうように声をかけた。あの人が部長らしい。


「すまない。ちょっと話が聞きたくて。……五分程度で済むと思うから」

「うん。わかった。……すみません、ちょっと休憩してきまあす!」


 荻久保は部員たちの方に振り返って声をかけると、僕と一緒に廊下に出てきた。





「……それで? 話っていうのは森下さんのことなの?」

「ああ。そうなんだ」


 盗み聞きするものもいないと思うが、念のため僕と荻久保は美術室から少し離れた実習棟の入り口の辺りまで移動して周囲に人がいないことを確認してから本題に入った。


 僕は昨日からの出来事について簡単に荻久保に説明する。


 森下さんと菊川さんの依頼を受けて大島という生徒にイラストの盗用と販売を止めるように持ちかけたが上手くいかなかったこと。


 そこで次善の策として「先生に相談すること」「森下さんもイラストを販売すること」を提案したがどういう訳か森下さんが拒否していること。


 何かしらの裏事情があるとしたら、森下さんが部活の後で居残って「美術室ではない何処か」で作業をしていることに関係している可能性があるんじゃないかということ。


「なるほど。……そういうわけ。確かに私が忘れ物を取りに戻った時、美術室の中には誰もいなかったし鍵もなかったよ。他の場所で何かの作業を隠れてしていたと考えた方が自然なのかもしれない。……でもねえ」


 ここで荻久保は悩まし気に眉をひそめる。


「うちの学校はそれなりに広いし、他の教室にしろ屋外にしろ、仮に森下さんが美術室以外の場所でわざわざ絵の具を使うような作業をしていたのだとして、そこを限定する方法なんて」


 そこまで言いかけて荻久保はぴたりと口をつぐんだ。


「どうした?」

「鍵」

「え?」

「……鍵だよ。カギ。何で忘れていたんだろう」

「何のことだ?」


 荻久保は顔を少し紅潮させた興奮した面持ちで僕を見つめ返す。


「思い出したんだよ。森下さんの様子がおかしくなる少し前に起こった出来事を」


 彼女は胸の前で両手の握り拳を小さく振りながら語り始める。






 およそ一月半ほど前。


 十二月の初旬で年末も差し迫ったある日、荻久保の所属する美術部では部長の指示で部室の大掃除をすることになったのだという。


 先輩たちが残した作品や部の備品などを整理しているさなか、一年生たちは美術室内の整理棚をずらして箒をかけようとしていた。すると一年生部員の一人が「あれ?」と小さく声を上げた。


 何事かと荻久保が目を向けると、森下さんが何か「小さな金属の塊」を棚の裏側から見つけて拾い上げたようだった。


 どうやら何かの鍵のようだ。


「これ、どこの鍵?」

「わかんないけど、普通に考えたら学校のどこかのやつだよね」

「だいぶ前に誰か落としたのか?」


 一年生部員たちは顔を見合わせてあれこれと話し始めた。


 彼らは念のためと思って美術室とその近くの部屋の扉を試してみたものの特にその鍵に合うものではなかったという。


 森下さんが部長に「どうしましょう」と相談したところ美術部長(あの先ほど見かけた眼鏡をかけた三年生男子だ)は「顧問の大崎先生に報告すればいいんじゃないか。どこの鍵かわかるかもしれない」と指示をした。


 その後、森下さんは鍵を持って職員室に向かうべく美術室を出て行った。






「……それから?」と僕は話の続きを促す。


「その後、話が飛んじゃってさ」

「は?」

「男子部員の一人が水が入ったバケツをひっくり返しちゃって、ちょっとした騒ぎになったの。その片付けでひと悶着しているところに森下さんが戻ってきたんだけど、その時には鍵のことをみんな忘れてしまって彼女にそのことを誰も聞いていなかったの」


 荻久保はやれやれと言いたげに肩をすくめて見せる。


「でも、考えてみるとその出来事の少し後からなんだよね。彼女の様子がおかしくなり始めたのは」

「その鍵は、どこの鍵なんだろう」


 僕は思わず顎に手を当てながら唸ってしまう。


 忘れられていたどこの部屋のものかもわからない鍵。


 だがその鍵で開けられる部屋がこの校舎のどこかにあって、そこにこそ彼女が隠している何かが存在しているのだろうか。


「顧問の大崎先生に聞きに行ったのだとしたら、先生なら何か知っているかもね」

「なるほどな。……じゃあ荻久保」


 僕が向き直ると、彼女は頭を掻きながら「はいはい」と答える。


「一緒に大崎先生の所に行って話を聞いてほしいという訳だね。……ま、そもそも私の方から持ち掛けた話だからね。良いよ」

「話が早くて助かるよ」

「それじゃあ、明日の昼休みに一緒に行くとしましょうか」


 こうして僕は荻久保と一緒に鍵について調べることを約束して、その場で別れたのだった。

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