第3話 押し問答
「そ、それじゃあお願いします」
「わかった。大丈夫だ。任せてくれ」
僕は森下さんに向かって自分の胸を叩いて見せる。
荻久保が彼女たちと相談に訪れてから一日後の本校舎の廊下である。
一年A組の教室の前で、僕は森下さんや菊川さんとたむろしていた。
「僕がその大島さんとかいう子にガツンと一言いってやるさ」
僕だってこの数か月、いくつものトラブルに遭遇してきたがそれを体一つでどうにかくぐり抜けてきた身である。
いわんや、相手はたかが下級生の女子一人だ。臆することなど何もない。
僕は堂々と教室の扉を開ける。
「大島さんはいるかな? 二年生の月ノ下というものだけれど、彼女に用があるんだ」
すぐ近くにいた男子生徒に声をかけると、僕に話しかけられた彼は教室の奥の方に向かって呼びかける。
「大島! 何だか知らないけど二年生がお前に用があるってよ」
「あたしに? 何の用?」
奥から姿を現した女子生徒の姿を見て僕は一瞬言葉を失った。
でっぷりとした体に長いまつげ。分厚い唇に髪を結いあげたその容姿は威圧感の塊のごとき有様だ。
「あんた誰ですか? 会ったことないですよね」
ほ、本当に下級生かな? どこぞの太ったおばちゃんが女子高生の制服着ているんじゃなくて。
まるでディズニーアニメに出てくる悪い魔女みたいだ。
一瞬気後れしそうになるが、言うべきことは言わなくてはなるまい。
「あのさ、君がイラストをメッセージアプリのスタンプとして売りだしているって聞いたんだけど」
「そうですけど? え。何、売ってほしいってこと?」
「いや、そういうのはやめるべきだと忠告しに来たんだ」
僕の言葉を聞いて彼女は不機嫌そうに目を細める。
「そんなこと言われる筋合いないんですけど」
「でも生徒間で継続的にお金のやり取りをするのは良くないだろう」
「あんたには関係ないし。何なんですか? 大体、誰だってジュース代を借りたりとか多少のお金のやり取りはしているでしょ?」
「そうはいっても学校の先生たちがそれを知ったらどう思うかな。校則でも金銭を稼ぐ行為については基本的に禁止されているはずだ」
「それってアルバイトとかで給料をもらう場合でしょ。あたしは、ただ自分でイラストを描いて、メッセージアプリのスタンプに販売登録しているだけ」
「それは……」
「誰か被害者でもいるっていうんですかあ? 誰も困ってなんかいないですよねえ」
大島はにやにやと口の端をいやらしく持ち上げる。
いかん、勢いこんで相手を説得しに来たというのに逆に論破されそうだ。
「だとしても、そのイラストは君がデザインしたものじゃあなくて、人のものをトレースしたんだろ?」
だが彼女は「はん」と鼻を鳴らして「これはあたしが描いたものです」と胸を張って言い切った。
「まあ、確かにあたしの友達からいくつかイラストを描いてもらったことはありますが、それにインスパイアされて自分で作った自分の作品。人にがたがた言われる筋合いなんてないんですけどお」
完全に開き直っている。
呆れながらも、僕が何か言いかけたとき彼女は追い打ちをかけるように「あれえ?」と僕を睨みつけた。
「そういえば。この間、菊川たちがあたしが自分のイラストを売っているのに文句言ってきたけど、もしかしてあの子たちに何か頼まれたとか」
ここで彼女たちに累が及ぶのはまずい。
「……いや、その子たちは関係ない。とにかく、あくまでも君はイラストを売るのを止めるつもりはない訳だ」
「当り前じゃあないですか」
「そうか。それじゃあその事が先生に知られたとしても文句はないよね」
「……ええ。校則違反なんてしてないですから」
僕は無言で背を向けた。周囲の生徒たちの好奇と不審が混じったような目線が僕に突き刺さる。唐突に自分たちの教室に入ってきて口論を始めた変な上級生、とでも思っているのだろう。
なんにせよ、今回の僕はまるで目的を達成することができなかった。
「全然駄目だったじゃないですか!」
「いや、あそこまで強硬な態度を取られるとはね」
菊川さんは大見栄を切って飛び込んでいった僕が何の成果もあげられずに廊下に戻ってきたのを見て、呆れたように不満の声を上げる。
僕は頭を掻きながら「たはは」と力なく笑って見せるしかない。
「……全く、荻久保先輩が頼りになるっていうから当てにしていたのに」
「まあ、待ってくれ。一応こうなることも予想して、次の手立ても考えてはあるんだ」
僕は両の手のひらを向けて菊川さんたちをなだめながら弁明する。
「次の手立て? 何です?」
「なにも難しいことじゃあない。先生にまず相談してみるってこと」
「え? でもさっきの話じゃあ、校則違反になるような話じゃないって」
「確かに厳密には校則違反にはならないかもしれないけど、グレーなところだと思うし森下さんの作品を真似て作ったものをみんなに売っていることに変わりはないだろう? 美術部顧問の大崎先生にでも相談すればきっと力になってくれるんじゃないかな」
「……待ってください」
さっきから沈黙していた森下さんがおずおずと、しかしはっきりと僕の言葉を遮った。
「何かな?」
「それは、…………止めてください」
「どうして?」
「そんな、先生まで巻き込むような大ごとにはしたくないんです」
あのおとなしい森下さんが強い拒絶の意志を示していた。また、それを聞いた菊川さんも同調するように相槌を打つ。
「そうですよ。そもそも生徒の間の問題ですし、ここで先生とかが首を突っ込んだらかえって収拾がつかなくなると思います」
「……ああ、そうか。それもそうだね」
確かに大人である教師が、森下さんと大島の個人的ないざこざを強引に解決しようとしたら森下さんのクラス内の立場が逆に悪くなる、ということはあるかもしれない。
「ならもう一つの手で行こう」
「え? 他にもあるんですか?」
「ああ。目には目を歯には歯を、さ。相手が勝手にイラストを販売しているんなら、森下さんがさらに新しいイラストも追加して付加価値を付けたものをより安く販売すればいい」
「ああ。なるほど」と菊川さんが感心してポンと手を打ってみせる。
「大島は森下さんが描いたものを基にしているんだから、これ以上新作は作れないはずだ。森下さんがオリジナルなんだから、もっと質が良くて新しい作品を描き上げることもできるだろ? そうしたらそっちの方が人気が出て、大島の方は売れなくなる。メリットが無くなればあの子だってもう販売はしなくなるということさ」
「……それもやりたくないです」
「え?」
森下さんは俯きながらそれでも「いやいや」をするように首を横に振った。
「私、別にお金儲けをするためにあのイラストを描いたわけじゃあないので」
「でも、あの大島って子が君のイラストを売り物にするのを止めるにはそれが一番いいと思うんだけど」
「そうだよ。玲美だって自分のイラストで勝手に金儲けされるなんて嫌でしょ? あたしは玲美のあのイラストすごく好きだもの。だからどうせ皆に知られて評価されるなら、玲美の作品として評価されてほしいし」
「安奈ちゃん。……気持ちは嬉しいけれど、私、そういうつもりじゃなかったから」
自分のイラストが評価されるのは嬉しいものと僕も思っていたが、どういう事なのだろう。
「月ノ下さん」と森下さんは僕に向き直る。
「いろいろお手を煩わせてすみませんでした。でも、どうにか他の方法を考えてもらえませんか」
「……ああ。わかったよ。じゃあもう少し時間をくれ」
僕は彼女の態度に不審な思いが湧き上がるのをこらえられなかったが、その場はただ彼女に合わせることにしたのだった。
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