第2話 荻久保優香の疑問
荻久保は改まった表情で僕らに向き直る。
「荻久保さんからも?」
「今度は何だ?」
星原と僕はそれぞれ眉をひそめた。
「今、相談に来た森下さんなんだけどね。彼女、少し前から様子がおかしいんだ」
「おかしい? どういうことだ」
「何て言ったらいいのかな。……そう。一か月くらい前から部活で遅く残ることが多くなったんだよ」
「それって何か問題なのか?」
「いや、それ自体は問題じゃないよ。作品を創るのに熱中して、きりが良いところまで進めたくなるなんてことはあると思うしね。ただその割には新しい作品ができた様子もないんだよ」
星原も首を傾げつつ、荻久保に尋ねる。
「何か、内職的なことでもしているんじゃない? 美術部以外の活動としてイラストでも描いているとか」
「確かに彼女もあたしと同じでイラストを描く趣味はあるよ。でもね、この間観察したら『絵の具が減っていた』みたいなんだ」
「つまり、何か絵画作品を創っていることになるのね。それなのにその作品は見当たらない、と」
僕は話を聞いていてとりあえず思いついたことを口にしてみる。
「あれなんじゃあないか? たまたま人に見られたくない作風の絵を描いていて、失敗したからそのまま誰にも見せずに処分したとかさ」
「……まあ、そういう事もないとは言い切れないねえ。でもそれだけじゃないんだ」
「他にも何かあるのか?」
荻久保は考え込むように目をつぶりながら話を続ける。
「私ね。……少し前に部活を終えて帰ろうと思った後、美術室に忘れ物をしているのに気が付いて戻ってきたの。『森下さんがまだ一人残っていたから開いているよね』なんて思いながらさ」
「それで?」
「美術室に戻ったら誰もいなかったんだよねえ。結局職員室に自分で鍵を借りに行くことになったんだけれど」
「じゃあ、美術室で作業をすると言いつつ、実際には居残りもしていないということになるっていうのか?」
「いや、たまたまなのかもしれないよ? 偶然入れ違いになっただけで直前まで作業をしていたのかもしれない」
荻久保は眉をしかめつつ答えた。
確かに不自然かもしれない。
残ると言いながら、美術室には居ない。そのくせ絵の具は減っている。しかし何かの作品が完成した様子もない。
「私が余計な心配しているだけなのかもしれないし、今回の盗用の話とは直接関係ないかもしれないけれど、何かわかったら私にも教えてくれないかな。来月に、卒業生の作品も含めて展示イベントをすることになっていて、あまり変な問題が部内で起きてほしくないんだ」
「わかった。……まあとりあえずは彼女の悩みを解決するのが、第一だけどな」
「ありがとう。彼女たちの件も含めて解決したら駅前の喫茶店でケーキくらいおごるからさ。よろしくね」
荻久保は軽く頭を下げると部屋を出ていった。
再び二人きりに戻った部屋のなかで僕は星原と顔を見合わせる。
「どう思う?」
「……あえて良い方向に想像するなら、森下さんは『病気で苦しんでいる子供に希望を与えるために病院の窓から見える木に葉っぱの絵を描いてあげている』というのはどうかしら」
「O・ヘンリーの『最後の一葉』か」
確かに良い話だけれども。
「仮にそんなことをするにしても放課後に居残りをするように見せかける必要はないだろう」
「それもそうね。でも『居残りをしていると言いながら美術室にいない』『絵の具は減っている』『でも作品を創っている様子はない』となると……」
何かあるのだろうか。
「どこかで男子生徒と逢いびきをしているとか」
確かに「美術室にいないこと」と「作品を創っていないこと」の理由は説明がつく。
しかし。
「絵の具が減っている理由は?」
「……単なるカモフラージュじゃない? 実際、居残りをしているのに絵の具が減っていないのは不自然と思われるもの」
「それだったら、多少手抜きでも作品を完成させた方が言い訳も立つと思うんだが」
「それもそうね」と彼女は眉をしかめる。
「何にせよ、森下さんが何かしているんじゃないかってことについては、今のところ判断材料が少なすぎてなんとも言えないわ」
「そうだよな。じゃあその事はとりあえず置いといて彼女が大島とかいうクラスメイトに作品を盗用されたことをどう解決するか、だな」
星原は僕の言葉に「うーん」と小さく唸る
「聞いた限りでは、かなり自己中心的な人みたいだものね。さっき月ノ下くんが言ったみたいに正面から頼んだところで、考えを変えさせるのは難しいと思うのだけれど」
「それならそれで他にもやりようはあると思うんだ。例えば、先生に生徒間で金のやり取りがされていることを報告するというのはどうだろう」
彼女は難色を示すように、眉をひそめる。
「確かに、校則では一応そういうのは禁止されていたけれど。……それだけでは弱いんじゃない?」
「その時の次善の策も考えてはある」
「どんな?」
「オリジナルを考えたのは森下さんなんだろう。それなら新作を描いてもらって、大島が売っているメッセージスタンプよりも安価で販売するというのはどうかな。質が良くて安いものが出回れば大島の方は売れなくなってやめると思うんだ」
「……ああ。確かにそれなら上手くいきそうね」
彼女は口では僕の言葉を肯定しながらも、どこか釈然としないような様子で首をかしげる。
「何か気がかりなことでもあるか?」
「いや、あの森下さんって本当に使われるのを嫌がっているのかなって。荻久保さんの言っていたことも含めて、何か隠しごとをしているような気がして」
星原の言いぶりだと彼女には何か事情があって、その不確定要素がある限り本当の解決にはつながらないのではないか、ということなのだろうか。
「そうだとしても、現時点で出来ることは他にないからなあ。とりあえず僕の方針でやってみるさ。どんな結果になるにせよ、何か見えてくるものもあるかもしれないだろ?」
「……まあ、そうね。何もしないでいたところで事態が変わらないのは確かだわ」
あいまいな微笑を浮かべながら、彼女は小さく頷き返した。
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