放課後対話篇4
雪世 明楽
イラストの盗用とミームの功罪
第1話 「前句付」と後輩の相談
木枯らしが寒々しい音を立てて窓の外を吹き抜ける。
遠くの山も寂しげな茶色に染まっていた。
冬休みが明けて数日といったところである。まだまだ春が訪れるのは先のようだ。
「私、正月はあまり好きではないのよね」
僕がいつものようにソファーに座って参考書をめくっていると、隣の少女はそんな風につぶやいた。
ブレザーの制服を着こなし、つややかな黒髪を肩のところで切りそろえ、白い肌に黒目がちの瞳。彼女は
僕、
少し前からは彼女と一緒に出掛けるくらいには近しい人間関係を築くに至り、友人以上と言ってもいい関係である。
「そりゃ意外だな。お汁粉とか黒豆みたいに甘いものを食べる機会もあるし、学校や仕事を休めるのは誰でも嬉しいものかと思っていたよ」
彼女は僕の言葉に「そりゃ、甘いものは好きだし休めるのは嬉しいけれどね」と苦笑いして「ただ普段とは違う、年始の挨拶だとか慌ただしい雰囲気が漂っているでしょう。自分のペースを保ちたい私としてはあの空気に合わせて『一年の始まり』を有難がらないといけないのが時々疲れるの」と少しけだるそうに返した。
「確かに年末年始は夏休みと違って休むにはやることが多い気もするな。大掃除だとか年賀状の準備だとか」
「ええ。それなりに大事なことだとは思うけれど。つまりはここで一区切りなんだと世間一般で確認する行事に自分の気持ちはお構いなしに巻き込まれるのがちょっと嫌なのかも」
周りに流されることを潔しとしない彼女らしい言である。
「いいんじゃないか? この世の人間が皆一様に正月を有難がるのもおかしいし、心の中で面倒くさがる人間がいたってさ」
僕の寸評に彼女も「ふん」と鼻を鳴らして笑いかえす。
「『正月はあの世とこの世の一里塚、めでたくもありめでたくもなし』ってね」
「へえ。面白い言い回しだな」と僕は感心する。
世間の人は一年の初めをおめでたがるが実はその度に死に向かって近づいている、という達観した境地を端的に表現していて味がある。
しかし、彼女はそんな僕の反応に少し困ったように眉をしかめた。
「いや、別に私が考えたものではなくて一休宗純の狂歌が元ネタなの……」
「え? そうなのか」
どうやら自分の創作でないものを褒められて複雑な面持ちになったらしい。
「そう言えば、その『なんとかでありなんとかでなし』という言い回しどこかで聞いたな。……確か『盗人を捕らえてみれば我が子なり、切りたくもあり切りたくもなし』だっけ」
「ああ。確か室町時代の連歌ね。何でも『前句付』といって、下の句をお題にして洒落の効いた上の句を考える遊びが当時流行ったそうよ」
「一種の大喜利みたいなものか」
「そんなところね。今、月ノ下くんが言ったものでいうと『十五夜の月に邪魔する松の枝。切りたくもあり、切りたくもなし』みたいなのがあったかな」
「へえ。じゃあ、さっきの星原が引用した狂歌もその前句付の遊びから派生したもので、一人の発想で生まれたものじゃないのかもしれないな」
誰かが考えた遊びに乗っかって他の誰かがお題を考えて、更に他の誰かが名句を作る。やがてはそれが広まり、時代を超えて残っていく。なんだか不思議な話だ。
僕がそんな感慨に浸っていた時だ。
「……お邪魔するよお」
一人の少女が部屋の扉を開けた。
緩めの巻き毛を伸ばした優しげな顔立ちの少女。同じクラスの
ただ彼女がここに来ることは今までなかったので、僕は内心驚いていた。
「あら、荻久保さん。どうしたの?」
星原にとっても予想外だったようで、目を見開きながらも応対する。
「いや、相談したいことがあってね。どこにいるのか虹村さんに訊いたらここだって言うから」
「……相談したいこと?」
「うん、美術部の後輩がちょっと困っていてね。……入ってきて」
彼女の呼びかけに答えて廊下から二人の少女が姿を現した。
一人は髪を首筋の辺りで切りそろえてヘアピンで前髪を留めている活発そうな少女。
もう一人は長い髪を背中まで伸ばした、陰のある雰囲気の少女。
「はじめまして! 一年A組の
「……い、一年A組の
菊川さんははきはきとした声で、対照的に森下さんが気遅れ気味に挨拶をする。
挨拶を終えたところで菊川さんが首をかしげながら荻久保をみやる。
「あの、この人たちが頼りになるという荻久保先輩のご友人なんですか?」
「そうだよ? 何もしていないのになぜかトラブルが寄ってきて片っ端から解決する羽目になる名探偵症候群みたいな人だよ」
「人をそんな特異体質みたいに言わないでくれ」
名探偵症候群ってなんだ。架空の病名を作らないでほしい。
「まあ、でも間違ってもいないでしょ? とにかくさ、ちょっと今日はこの二人の話を聞いてあげてくれないかな。月ノ下くんたちなら何かいい知恵が出るかな、と思ってね」
「一体何があったの?」と星原が興味を持ったのか、水を向ける。
「何でも、同じクラスの子に森下さんが描いたイラストをパクられちゃったんだって」
「そうなんですよ!」と菊川さんが隣で身を乗り出しながら憤慨してみせる。
「玲美のイラストを見て『もっと描いてほしい』っていうから、気のいい玲美が描いてあげたら、それを勝手にSNSのスタンプにして売り出したりしてお金儲けを始めたんです」
菊川さんは身振り手振りを交えて、情感たっぷりに事情を説明する。
大まかに話をまとめるとこういう事だ。
森下さんは美術部で活動している時とは別にイラストを自分で描いていて、クラスの親しい友人などにも見せていた。しかし一か月ほど前に、それが
本来ならそんな注文に従う義理はないところだが、森下さんは断ることができず言われた通りにイラストを描いて相手に渡してしまう。しかしそれからしばらくして森下さんの描いたイラストがSNSのスタンプとしてクラス内のグループで出回っていることがわかった。
その後、大島が森下さんのイラストを勝手に商用として売っていることが判明し、森下さんはそんな使い方をしないでほしいと止めさせようとした。しかし大島は「もらったイラストを私がどう使おうと勝手なはずだ」と突っぱねたのだという。
「それで困っている玲美を見て、あたしも頭に来まして『他人の親切で作ってもらったものを本人の意思を無視して金儲けに利用して恥ずかしくないのか』って言ってやったんです」
菊川さんは、気弱だけれど才能のある親友がいいように利用されるのを見て我慢がならなかったようだ。
「それでどうなったの?」と星原が話の続きを促した。
「あたしの言いぶりに五月蠅そうな顔をしましたけどね。……イラストの商業利用を一度はやめたんです」
「一度は?」と僕が確認する。
「はい」
何でも大島は菊川さんに言われてスタンプの売買はやめたものの、その後また売り始めたのだそうだ。当然菊川さんは文句を言いに行ったのだが……。
「二回目に売り出したときは、イラストが微妙にアレンジされていたんです。問いただしたら『これは自分のオリジナルのイラストだ。自分で描いたんだから文句を言われる筋合いはない』って開き直ったんですよ」
「問題のイラストがどんなものなのか、見せてもらってもいいかな」
「あ、はい。……玲美。良いよね?」
「え。う、うん」
森下さんは少し困ったような顔をしながらも、おずおずと携帯電話を操作して「私が描いたイラストです」と僕らに画像を見せた。
「あら。可愛い」
「へえ。上手いなあ」
そこに映し出されたのは生きている姿を切り取ったような愛くるしい子犬のイラストだった。しかし描かれている線そのものはシンプルで、それにもかかわらず魅力的なのは構図とデザインが優れていればこそだろう。
「いや大したものだよ。なるほどね、こういうのをスタンプにしたら売れるのもわかる気がする」
「そ、そうですか」
森下さんはあまり褒められ慣れていないのだろうか、僕の賞賛にぎこちない笑みを返した。一方で菊川さんが携帯電話を操作して別のイラストを表示して見せる。
「ちなみにこれが、大島が自分が描いたとして売り出しているイラストです」
「ああ。これは、……そっくりだな」
「本当だわ。完全にトレースみたいね」
そう。菊川さんが見せたイラストはどう見ても森下さんのイラストを写したとしか思えないものだった。但し体やしっぽに斑を入れたり、リボンやスカーフを巻かせたりして微妙にアレンジはしてある。
「ふうん。申し訳程度に差を付け加えて、自分で描いたものだと主張しているわけだ」
僕は呆れたように声を漏らした。一方で星原は少し考え込むような表情になる。
「ねえ。森下さん」
「はい?」
「疑うわけではないのだけれど、一応これをあなたが描いたという証拠になるものってある?」
その言葉に横にいた菊川さんが眉を吊り上げる。
「ちょっと、玲美が嘘をついているっていうんですか?」
特に悪気はなかったのであろう星原の疑問だったが、菊川さんとしては不愉快に感じられたようだ。危うくその場の空気が険悪になりかけた、その時。
「待ちなよ。菊川さん」と荻久保がとりなすように間に割って入る。
「あくまで星原さんたちは第三者なんだよ? あなたたちだけの言い分を聞いて判断するにしても、信用できるだけの根拠を求めるのは仕方がないよ」
「う、……それは」
菊川さんが言葉に詰まったところで「わかりました」と森下さんが頷く。
「これが下書きです」
そう言って森下さんはデッサンのようなラフな線で描かれたイラストをいくつか見せた。さっきのイラストのベースデザインのようだ。
「なるほどね」
星原は画像を見て納得したように小さく呟いた。
確かにこの子犬のキャラクターイラストを描いたのは森下さん自身のようだ。
「それじゃあ、つまりこういう事? その大島という生徒が森下さんのイラストを、正しくは森下さんの作風を盗用したイラストを使うのを止めさせたいけど、方法はあるか、と」
「そういう事です」
「……そうなんです」
荻久保と菊川さんがそれぞれ頷き返した。
「わかったよ。じゃあとりあえず僕がその大島という女子に一度事情を聴いて、止める気があるのか、尋ねてみようか」
「ええ? でも、そんな正攻法でわかってもらえるとは思えませんが」
「仮にそうでも、まずは話を聞いてみないと。それで相手の対応が変わらないようなら何らかのからめ手を考えてみるよ」
「……わかりました」
ここで荻久保が後輩二人の肩をポンと叩く。
「それじゃ、とりあえずの方針が決まったところで二人は部室に戻っていて。……私はもう少しこの二人に話があるから」
「はーい」
「それでは、よろしくお願いします」
一年生女子二人は軽く会釈して部屋を後にした。
荻久保は彼女たちがいなくなるのを確認してから「さて」と僕らに向き直る。
何だろう?
彼女は真面目な顔で僕らを見ながら「ちょっと座らせてもらってもいいかな? 実は今の話に関連して二人に相談したいことがあるんだよ」と切り出した。
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