第3話
◇◆◇
……………【2nd reconstruction】開始。
半不定概念【神秘】のインストールを開始。
…
……………
…………………成功。
続いて【神秘】の分化を開始。
…
……………
…………………成功。
人の扱う【神秘】を【ギフト】と規定。
その他の【神秘】を【奇跡】と規定。
◇◆◇………《day2》
先輩の家でアルバイトをする事が決まった翌日、大学の授業がないために昼頃までベッドの上で過ごした俺はようやくいつも通りに筋トレをやって、適当に着替えを済ませて家を出た。
「腹減った」
今日は久しぶりに歯医者に行く予定であるために、まだ何も腹に入れていない。
時計の針がてっぺんに届くまではまだ1時間ほどあるし、歯医者で歯石をとってもらってなんやかんやしている内にちょうど良い時間になるだろう。
そう考えての判断だったのだが…
「あれ? またサボりか?」
目的の歯医者「
俺が幼い頃から通っているこの歯医者は俺の家から徒歩15分ほどの位置にあり、最寄りの駅からは西に進んだところに店というか病院を構えている。
俺としては家からそこそこ近く、医者の腕は確かなためにこれからも俺の歯の健康を保ってもらいたいのだが、最寄り駅周辺では最も人気がない、所謂落ち目の歯医者だった。
「おーい。
俺はそう言いながら無用心に鍵のかかっていない正面のドアを開け、電気の点いていない院内を奥に進む。
一歯科医は歯医者のスペースと歯科医師であり現院長でもある
「って、また二日酔いですか?」
「あァ? 乙女の寝室にいきなり入って来といてその言い草はなんだァ…頭痛い」
「ここ寝室じゃなくてリビングなんですけど」
「うるせェなぁ…水持って来てくれ」
サラサラな金髪をソファーに広げ、ヒョウ柄の派手な下着姿のまま頭を抱える八葉さんが酒臭いリビングに入って来た俺に指示を飛ばす。
リビングにはビールや酎ハイの空き缶は見当たらないため、外で飲んで帰って来てそのままソファーに倒れこんだのだろう。
ここに来るまでに脱け殻の様に服が脱ぎ捨てられていたのがその証拠だ。
「アサリの味噌汁でも作りますか?」
「ああ。買い置きがあったはずだから頼む」
「了解でーす」
どこからどう見ても少し昔のヤンキーにしか見えない八葉さんがあの調子では、俺の歯石を取り除いてもらうのはどうにも厳しそうだ。
予約もしていないので何も文句は言えないのだが、定休日でもないのに家業を休むのはいかがなものかと思う。
俺はそんな事を考えながらリビングに繋がっているキッチンに入り、電気ケルトに水を注ぎながら八葉さんに話しかけた。
「今日はバイトの人来ないんですか?」
「ああ。今朝まで一緒に飲んでたからどうせ来ないだろ」
「そんなんだから客が減るんだよ」
「あァ!? いっつつ ……」
「二日酔いなんですから大声出さない方が良いですよ」
「ちっ、爺ちゃんに歯を抜かれてビャンビャン泣いてた子供が一丁前な事言いやがって」
「俺ももうすぐ二十歳ですよ。もう子供じゃないです。はい、水」
「そうか…確かお前は私の八つ下だったから、もうそんな歳か」
感慨深げな顔でボリボリと頭をかきながら八葉さんがそう言う。
現在28歳独身の八葉さんは八葉さんのお爺さんからこの歯科医院を引き継いで働いている。
俺が幼い頃にここを切り盛りしていたお爺さんは八葉さんとは違って穏やかで優しそうな好々爺だったのだが、2代目の院長がどこぞのヤンキーに変わってからはこの歯科医院の経営は傾いていた。
それでも腕だけは確かで先代の頃からのお客さんのおかげでなんとか保っている様だが、それでも年々客の数は減っているらしい。
「お前、誕生日いつだっけ?」
「元日ですよ。覚えやすいんですから忘れないでくださいよ」
「逆に覚え辛いんだよ。しかしそうか…あと2ヶ月ちょいか」
「な、何すかその目…」
八葉さんが良い悪巧みを思いついた様な顔をしている。
夜々先輩とは少し別方面の嫌な笑みだな。
「お前、バイトしてたっけ?」
「昨日新しいバイトが決まりました」
「ちっ、何にもしてなかった私の介護させようと思ったのに」
「介護? 八葉さんそんな歳じゃないでしょう?」
「お前が20歳になれば一緒に酒もタバコも出来るし、もっと遅くまで遊べるだろうが」
「朝まで遊んどいて何言ってるんすか。それに俺は徹夜で飲み明かしたりとかしたくないです」
「はぁ? こんな美人なお姉さんと夜の街で遊んで金までもらえるんだぞ? お前アホか」
「俺、清楚な方が好みなんですよ。八葉さんが髪の毛染めなくなったら考えても良いですよ」
「分かってねぇなぁ。清楚な見た目の女は大抵中身は真っ黒だぞ。だからあいつらは髪が黒いんだ」
なるほど、八葉さんの言うことも一理ある。
確かに中身真っ黒の夜々先輩の髪の毛は闇を映した様に漆黒だ。
「ん? それじゃあ八葉さんの中身って金色なんすか?」
「そりゃあそうだろ。昨日もパチンコで金をスッて帰れなくなってたおっさんに金かしてやったからな。私はいつだってゴールデンよ!」
「うわぁ…スゲェバカっぽい」
「んだとゴラァ!! いっつぅぅ」
「あぁ、はいはい。今味噌汁持って来ますから大人しくしててください。それとそろそろ服着てください」
「なんだ? 私のセクシーな体を見て興奮しちゃうのか?」
「貧乳のくせに偉そうっすね」
「おいコラ! 誰が貧乳だ誰が! 頭がっ……」
「アホなんすか」
そんな事を言いつつ沸騰したお湯をインスタントの味噌汁に注いで箸と共に八葉さんに渡すと、「ありがとな」と言って味噌汁をすすり始めた。
俺はその間に放置されていた八葉さんの服を洗濯カゴに入れ、酒臭い部屋の窓を開けて換気をする。
「寒みぃよ」
「服着たら良いでしょう」
「今食事中なんだよ。クローゼットにホットテックが入ってるから持って来てくれ」
「下は?」
「もうすぐシャワー浴びるからダルい」
「もう少し慎みを覚えてください」
「ふぁいふぁい。あぁぁ〜沁み渡るわ〜」
目を細めてアサリの味噌汁をすする八葉さんをよそにクローゼットから科学の力ですごくあったかいと評判の黒いインナーを取り出して八葉さんの元へ持って行った。
ちょうど味噌汁を堪能しきった八葉さんはまたもや「ありがとな」と礼を言い、Vネックの黒いシャツに袖を通す。
「それで、お前何しに来たんだ?」
「久しぶりに歯石をとってもらおうかと」
「歯石なんて取らなくても死なねぇだろ。バカかお前?」
「あんた歯医者だろうが」
「おっとそうだった。お前の歯を無駄に綺麗にする金で酒を飲んでるんだった」
「俺が払った金、酒になってるんすね」
「そんな事ないぞ? これにもなってる」
「これってタバコじゃないですか。なんかもう…最悪だ」
「まぁそう言うなって、私はこれが無くちゃ生きていけないんだからな」
そう言って八葉さんが箱から一本のタバコを取り出し無造作に咥え、いつもの様に火をつけるのかと思ったその時、俺は信じられないものを見た。
「今、どうやって火をつけたんですか?」
「どうって普通に?」
普通に?
普通にタバコに火をつけるってのはライターとかマッチを使ってするものだろう。
断じて指先から炎を出してするものではないはずだ。
「手品ですか?」
「は? 何がだ?」
「何がって、普通指から火なんて出ないでしょう」
「あ? 今まで何回かお前の前でも見せた事があるだろ。私は出せるんだよ。ほら」
そう言って八葉さんが開いた手の平の上には丸い火の玉が浮かんでいた。
俺はその非科学的な光景が信じられず、何か仕掛けでもあるのではないかと無意識に手を伸ばす。
だが…
「火傷するぞバカ」
八葉さんはそう言って火の玉を握り消した。
なんだ今の光景は。
とてもじゃないが、現実のものとは思えない。
考えられるとすれば手品かマジックの類だが、八葉さんは歯医者の仕事以外ではかなり不器用で手品なんて出来ないタイプの人間だ。
それにこの人が嘘をつくところなんて今まで見た事もないし……もしかして超能力者だったのか?
そんな事を考えながら伸ばしていた手をそのままに呆然としていたその時、当の八葉さんにいきなりその手を掴まれた。
「おいお前、この手の墨どうした?」
「え? あぁ…昨日起きたらありました」
「マジかよお前! 超カッコ良いじゃん! スゲェ! こんなカッコいいの始めて見たわ!」
「そうっすか? 大学の先輩にはクソダサいって言われたんですけど」
「あぁ? こんなにカッコ良いのに、そいつセンスねぇな」
「そんな事は無いと思いますけど、ありがとうございます」
「いやぁ、お前ただのアホなガキだと思ってたけど、いつの間にか男になってたんだな。危うく惚れかけたわ」
「はぁ? たかが刺青でですか?」
「たかがじゃねぇよバカ。いやぁ、スゲェなぁ。マジでかっけぇ」
「な、なんなんすか。そんなに羨ましいなら自分も入れたら良いでしょう」
「いやいや。こんなにカッコ良いの入れるとかおこがましいわ」
「さいでっか」
俺の左手の甲にある紋様は俺の意思とは関係なく突然現れたものであるため、どうにも喜び辛い。
例えるならそう、狙ってもいないのになんとなくティッシュを丸めて投げたらたまたまゴミ箱に入った感覚だろうか。
ともかく、褒められても面映ゆいだけであんまり嬉しくないのだ。
「って、そうじゃなくて、さっきの炎どうやってやったんですか? 超能力ですか?」
「超能力って言えばそうかもしれねぇけど、どっちかっていうと神秘じゃないか?」
「はぁ?」
八葉さんの口から神秘とか、そんなメルヘンチックな言葉が出て来るとは思わなかった。
家にあった御守りの中身を引っ張り出して小銭入れにする様な罰当たりな女が神秘……似合わねぇ。
「おい、真剣に答えてやったのにその顔はなんだ」
「だって神秘って…八葉さんに似合わなすぎる」
「んな事言ってもほとんどのやつが神秘って言うんだから仕方ねぇだろ。確か英語ではギフトとか言ったか?」
「え? その言い方だと八葉さん以外にも超能力者がいるみたいに聞こえるんですけど…」
「あァ? 何を当たり前の事を言ってんだお前? そりゃあいるに決まってるだろ」
「いるってどのぐらい?」
「どのぐらいったって知らねぇけど、すぐそこのスーパーのレジ打ちの婆さんもそうだし、駅前の携帯屋のクミもそうだろ? 後はそこのセブンの店長もそうだな」
「そ、そんなにいるんすか。この街イかれてんのかよ」
「何がイかれてるだ。今時神秘を扱えるやつなんて珍しくもねぇよ。なんだっけ…あぁ…ヨーチーボーンだったか? あいつらも神秘を使って金儲けしてんだろ」
「え? 何その秘密結社的存在、怖い」
「秘密結社じゃねぇよ。あれだあれ、ネットに動画を流して金を稼ぐやつ」
「もしかしてユーチューバーですか?」
「あぁ、そう。それだそれ。あいつらマシュマロを凍らせて食べるだけで金貰えるんだろ? すげぇよなぁ…」
八葉さんのユーチューバーに対しての印象がいささか偏りすぎている気もするが、超能力者は一定数いてユーチューバーとかもやってんのか………。
いやいやいや。危うく納得しかけたが訳が分からない。
俺はユーチューバーが好きでそこそこ見てるけど、今まで超能力を使って動画を撮っているやつなんて見たことがない。
「八葉さん。俺、頭がおかしいかもです」
「知ってるよ。普通の奴は人の家に勝手に入って美人で下着姿のお姉さんの世話を焼いたりしねぇよ」
「そうじゃなくて俺、超能力者の存在を今日初めて知りました」
「はぁ? 確かお前の母親も神秘を使えるだろ。何言ってんだお前?」
「ま、マジかよ。ちょっと電話しても良いですか?」
「好きにしろ。私は風呂入って来る」
欠伸をしながら風呂に向かう八葉さんを他所に、俺は母さんに電話をかける。
今頃海外のどこにいるかは分からないが、俺から電話をしたらいつでも出てくれるし応答してくれる筈だ。
端末でSNSを開き発信を押すとコール音が鳴り始める。
自分でもよく分からない感情でただ焦燥感を感じながら母さんが出るのを待っていると、コール音が鳴り止んで聞き慣れた声が聞こえてきた。
「もしもしぃ? だれぇ?」
「母さん! 俺だ、俺!」
「お金に困ってるんですかぁ?」
「違う! オレオレ詐偽じゃなくて真昼! あんたの息子の真昼だ!」
「あぁ〜、まーくんかぁ。どうしたの? まーくんから電話して来るなんて珍しいねぇ」
寝ぼけているのか、ただでさえ長い言葉尻がいつもより間延びしている気がする。
地球の反対側にでもいるのかもしれない。
「母さんって、超能力者だったのか!?」
「超能力? 何それぇ?」
「今八葉さんのとこにいるんだけど、母さんが神秘を使えるとかなんとか…」
「あぁ〜。神秘ねぇ。母さん未来が見えるよぉ〜」
「は? それって未来予知か? 一度見た未来は変えられない系のあれか?」
「えー? 未来は変えられるよぉ〜。えぇっとねぇ、ちょっと高性能な占い的な感じ?」
「………………訳分からん」
「えぇ〜。久し振りに電話してくれたのに用ってそれだけぇ?」
「あ、ああ。夜遅くに電話して悪かったな」
「んーん。そうだ、2、3週間後に日本に戻るから、一緒に遊ぼうねぇ」
「はいはい。それじゃあな」
「うん。あ、まーくんの彼女さんに会うの楽しみにしてるねー」
「は? 彼女なんていないぞ?」
「えぇ? でも、私そのうち赤い髪の美人さんと会う予定なんだけど…」
「そんな派手な髪の人知らねぇよ。じゃあな、もう切るぞ」
「うん。おやすみー」
「はいはい。おやすみなさい」
相変わらずマイペースな母さんの声を聞いて少しだけ安心感を得つつ、電話を切る。
母さんも神秘が使えると言っていた。
いくらなんでも八葉さんと母さんが手を組んで俺をからかっているとは考えられないし、これはもうそういうものと捉えるしかないかもしれない。
「この世界には超能力--神秘がある?」
俺がおかしくなったのか、世界が変わったのかはわからないが、事実この世界には神秘という超常的な概念が存在して、誰もが当然のものとして受け入れている。
しかしふと冷静になって考えてみれば、俺の日常の一部に神秘なんてものが加わったところで何も困る事はない気がする。
つい今しがた端末でユーチューバーを調べてみたら神秘を使って撮ったのだろう動画が数多く出て来たし、神秘はエンターテイメントの一部として俺の生活に彩りを与えてくれそうな気さえしてきた。
ちょっとリアリティの強い手品--そのぐらいの印象だ。
「おい真昼! タオル持って来てくれ! 用意するの忘れてた!」
「はいはーい。ちょっと待ってくださいねー」
何人かの歳上の女性に良い様に使われる。
残念なことに俺の日常は神秘なんてものが追加されたところで何も変わらない様だった。
◇◆
八葉さんのところで散々を世話を焼いて1時間ちょい、部屋の掃除や洗濯をしたお駄賃として昼飯を奢ってもらえる事となった。
俺としては元気になったのなら歯石を掘り出して欲しいのだが、肝心の八葉さんが今日は気分が乗らないからやりたくないらしい。
そういう訳で俺は八葉さんと駅前を適当にブラついていた。
「タバコって美味しいんですか?」
「なんだ? お前未成年なんだから欲しがってもやらないぞ」
「別に吸いたいんじゃなくて気になっただけです」
「まぁ、美味いと言えば美味いけど、不味いと言えば不味いな」
「それどっちなんすか」
「吸う様になれば分かるだろ。牛丼で良いよな?」
「あ、どもっす」
ちょうど通りがかった牛丼屋に入り、食券機の前で腕を組む八葉さんの横に並ぶ。
「牛丼なんて久し振りだなぁ。真昼は何にする?」
「それじゃあキムチ牛丼の特盛りで」
「私もそれでいっか」
「ゴチっす」
「おう」
八葉さんがそう言って紙幣を食券機に入れる。
俺は三白眼気味で切れ長な八葉さんの横顔を眺めつつ、食券が出て来るのを待っていた。
「そういえば、昨日新しいバイトが決まったって言ってたけど、どんなバイトなんだ?」
「大学の先輩の家の掃除と料理です」
「それ、本当にバイトなのか?」
「いらっしゃいませー。キムチ牛丼特盛り二つですねー」
「おう、よろしくな」
「お願いします。はい、雇用契約書も書きましたし」
店員さんに食券を渡しつつ席に座り、昨日あった事の顛末を語る。
八葉さんは適当に相槌を打ちつつ、水の入ったコップを傾けて俺の話を聞いていた。
「ふーん。それで、その先輩ってどんなやつなんだ?」
「黒髪で意地悪な美人さんですよ。趣味はセクハラとパワハラです」
「へぇ、それってあんな感じか?」
「そうそう。ちょうどあのぐらいの髪の長さで………すみません、ちょっとトイレに行って来ますね」
「おう、ちゃんとケツは拭くんだぞー」
八葉さんの下品な返答を聞きつつ、カウンターの向かい側に座る美人すぎる女性の視線から逃れようとトイレに行こうとしたその時、男女共用のトイレから表情筋の死んだメイドが出て来た。
メイドさんが牛丼屋の便所から出てくるとこなんて初めて見たわ。
違和感ありすぎるだろ。
「おや、伏見様ではありませんか。昼食ですか?」
「えぇ、まぁ。そうですね。芦屋さんもですか?」
「はい。お嬢様が今日は牛丼を食べたい気分だとおっしゃったので」
「そ、そうっすか」
「そうっす」
芦屋さんが手を拭いたのであろうハンカチを丁寧に畳んでポケットにしまいながら頷く。
これは何というか、あれだ。
前門の狼後門の虎だ。
目の前の狼は何を考えているのか分からないし、昨日の朝はワニさんだった虎さんは背中に本当に刺さっているんじゃないかと思えるほどの鋭い視線を飛ばしてくる。
だから俺は何も言わずに自分の席に戻り、何も言わずに座った。
「どうした? すかしっぺだったのか?」
「いや、なんかトイレの前にメイドさんがいまして…」
「メイド? あぁ、芦屋か。調子はどうだ?」
「これは
「知り合いなんですか?」
「昔ちょっとな」
「そうっすか」
「そうっす」
なんで芦屋さんが返事をするんだ。
それとなんでそこでドヤ顔なんだ。
「お前こそなんで芦屋と知り合いなんだ? こいつは碌でなしだから付き合わない方が良いぞ」
「芦屋さんはさっき話してた先輩の家のメイドさんなんです」
「あぁ、なるほどな。つまりそっちのクソ美人なお嬢ちゃんが真昼の先輩で芦屋の上司なのか」
「ええ。初めまして夜桜叉夜と言います。親しみを込めて夜々とでも呼んでください。それで一さんと言ったかしら?」
「ああ。一八葉だ。
一八葉を18葉に書き換えて、十八葉で十八番か。
俺の周りの人はニックネームにこだわりを持つ人が多いのか?
「なんですか? 芦屋めに何かご用っすか?」
「いや、なんでもないです」
………。
どうやらそうでもないみたいだ。
「それにしてもこんなところで会うなんて奇遇ね」
「そうですね」
「あら、黒髪で意地悪で美人でセクハラとパワハラが趣味な伏見くんの先輩であるところの私が話しかけてあげたのに、元気がないじゃない」
「す、すみませんでした」
「何も謝る事ないわ。ねぇ? ふ・し・みくん?」
「なんだ? お前、夜桜叉夜に弱みでも握られてるのか?」
「えぇ、まぁ」
夜叉先輩に握られている弱みなど挙げればキリが無いが、一番大きい物はおよそ一年前の大学生になって初めてのクリスマスイブのアレだろう。
そう…あれは確か人生で初めてのホワイトクリスマスの夜だった。
「去年のクリスマスにエロ本とエログッズを爆買いする伏見くんをたまたま私が見つけちゃったのよね」
「たった今回想に入ろうとしてたんですから暴露しないでくださいよ!」
「回想と言ってもバイトの帰り道になんとなく人肌恋しくなって貯金をはたいてエロ本を買い漁っただけでしょう?」
「お前そんな事してたのか? だっせぇ」
「煩いですよ! 俺だって一端の男なんですからそういう日だってありますよ!」
「五月蝿いのはお前だ。ほら、お姉さんがせっかく牛丼奢ってやったんだから遠慮せずに食えよ」
「…すみません、ありがとうございます」
「伏見くんって泣くほど牛丼が好きなのね。初めて知ったわ」
「ぢぐじょう」
久し振りに食べた牛丼の味は悲しみで喉が詰まり、涙で視界が霞んでどんな味だかよく分からなかった。
やっぱり神秘なんてものがあっても俺の日常は変わらないんんだな。
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