第55話 もう、どうでもいい


 「やあ」


 「うん・・・・・」


 ターゲットの背中をブレードでつつきながら、小次郎はある墓の前に来ていた。その前には、桶を手にした香耶が制服に着替えて待っている。


 彼女なりに、服装を整えたのだろう。


 「お、お前は・・・・・」


 ターゲットは、目の前の墓と香耶とを交互に見つめた。


 「久しぶり、父さん。いえ、克己かつみさん」


 香耶は、男のほうを見ずに言った。悲しそうでいて、目に見えるほどの怒りが五体から湧きてたっている。


 「私が言いたいのは、一個だけ。母さんに謝って」


 「あ、謝れば許してくれるのか?」


 どこまでも自分のことしか考えていない克己という男に、小次郎は言い知れぬ苛立ちを覚えていたが、それを代弁するかのように香耶が口を開いた。


 「母さんは、あんたのせいで人生を狂わされた。私は覚えてる。あんたが、いったいどれだけの嘘を並べてたか」


 「違う! あれは彼女が!・・・・・・」


 「今更、あんたの言うことなんて信じるわけないでしょ」


 「・・・・・・・・」


 「正直あんたに会ったら、あんたが死にたくなるほど罵倒しようと思ってたんだけど、もうよくなってきちゃった」


 「ゆ、許してくれるのか?」


 「ん~、ていうか人間は蚊に刺されても、謝罪なんて要求しないでしょ? それと同じ」


 予想外の言葉にじばし茫然としていた克己は、いきなり墓の前に正座すると額を地面に擦り付けた。


 「すまなかった!」


 簡潔なその一言は、なぜか彼が言うと淡泊で、下手くそな役者が演じるドラマの1シーンようだった。


 「・・・・・・・だから、もういいって」


 先ほどまでの怒りの気迫はどこへやら。香耶に残っていたのは、生ごみを見つめるかのような視線だけだった。


 「え?・・・・・」


 「同感だな。これ以上、こんなもの見せられても困る」


 アスファルトで擦ったのか、額から血を流している克己は、彼の半分も生きていない少年と少女を間の抜けた表情で見上げた。


 「帰ろうか」


 「そうね。あんたも、もう帰っていいわ。さよなら」


 「ま、待ってくれ!」


 自分に背中を向けた2人に、克己は必死で声をかけた。


 (こ、こいつらは満足してない!。こ、ここでうまくやらなくてはっ! 私の人生が!)


 「い、いったい何がいけなかったのだろうか。教えてはくれないかな?」


 「私は、もういい。あんたみたいなクズにこだわってたのがバカみたいだし」


 (・・・・・・香耶、俺は君がうらやましいよ)


 すでに冷め切った表情の香耶に、小次郎は憧れの視線を送っていた。今でもなお、殺したかたきの記憶に縛られ続けている小次郎から見ると、香耶の割り切り方は雲の上の存在だった。


 「どうする?」


 香耶が、小次郎のほうに向きなおって聞いてきた。


 「・・・・本当に、もういいのか?」


 「うん。手伝ってもらって悪いけど、なんかもう、どうでもよくなっちゃった」


 小次郎は手のブレードを戻しながら穏やかな笑みを浮かべ、彼女を見つめ返していた。


 ※次回更新 7月3日 木曜日 0:00

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