さざ波寄せて、繰り返し。
枝垂
さざ波寄せて、繰り返し。
〈登場人物〉
・新河岸(しんがし) 武雄…三十代後半の男
・梅里 小豆…女子高生
・斑尾 光…二十代後半の男
・天海 叶…二十代前半の女
これらは全て、一人の役者が演じる。
舞台には四つの椅子。背もたれの無い箱でも、教室の椅子でもなんでも良い。
それらが、均等な間隔で横並びしている。
【1 新河岸武雄の場合】
・病院の一室
武雄、下手側の一番端の椅子に座っている。
武雄 もう永くない。
と、伝えられたときは安心したくらいだ。
こんな身体で社会復帰など望めるわけがない。当然と言えば当然だ。
会社を辞め、独り身なため遺産がどうとか、そういう面倒なことはなかった。
部屋の中も、片付けてから入院した。
親にも、詫びと礼を言ってきた。
自分が子どもだったら、生きることに希望を持てと言われるだろうが、お互い良い大人だ。わかってくれていた。
いろんなものを見たかった、いろんな所に行きたかった、いろんなものを食べたかった。残るは薄い欲だけ。
今更無理だということはよくわかっている。から、欲は出ても叶えたいとは思わない。
武雄、突然倒れ込む。
それと同時に、照明は薄暗くなる。
武雄 一つ、一つだけ。
すまない。
一人にして、すまない。
先に逝くことを許してくれ。
二度と顔を見せることは出来ない、会いに行くことも出来ない、父親を許してくれ。
生まれたお前の顔も、声も、性別も、今生きているのかもわからない。
無責任で、すまない。最期まで、無責任に、勝手に逝くことを、許してくれ。
暗転。
【2 梅里小豆の場合】
役者は暗転の間に、一つ上手側の椅子の上に立つ。
・学校の屋上
小豆、フェンス越しに空を見ている。
小豆 (下を向いて)わ。意外と高い。
スマホを取り出し写真を撮る。
小豆 撮って、どうすんだっての。
写真を消す。
それから、スマホの本体カバーを外し、メモリーカードを抜く。そして、投げ捨てる。
スマホを床に落とし、踏みつける。割れる画面。
再び、椅子に座る。
小豆 父親が、痴漢して捕まりました。
は?って感じ。
意味わかんなくない?
それが、昨日の夜。
しかも、自分からケーサツ行って、自首。
だっさ。
今日、学校行って、フツーに友達と喋ってた。笑ってた。
でもさ。
痴漢の父親いるってバレたらさ。
絶対、百パー、無視られるよね。
それか、笑われるよね。
今日まで、今さっきまで、授業終わってバイバイって言った友達がさ、明日から、いや、テレビ見て勘づいた瞬間からさ、
アタシのこと、友達だって、思えなくなるのかな。最低な親から生まれたヤツだって、見られるのかな。
小豆、椅子の上で小さく体育座りになる。
小豆 アタシ…なんにも悪くないじゃんね。
悪いのは全部父親なのに。
お母さんも多分、いや絶対、おんなじ気持ちだ。
いや、お母さんの方が苦しいよね。
結婚して数十年経ってるのに、痴漢、とか。
仲良い方だと思うし、多少ケンカはあったろうけど、それもまあ、夫婦ってもんでしょ。
けどお父さんはそうじゃなかった。
数十年経った、から、飽きたんだ。
ずっと一つのことを、一人の人を好きでいるのって、難しいと思う。
好きなバンドも俳優も、アイドルもすぐ変わるもん。
けど、それって、そういうんじゃなくない?
なんて表現すればいいのかわかんないけど、そういうレベル、テレビの中の人たちに向けるそれと、違う。
小豆、立ち上がり、再び柵に手をかけ下を見る。
小豆 …アタシさー、意外と頭いいのかも。相手が、なんかしてくる前に、友達に、真っ
向から裏切られる前に、死んじゃおうって。
だってさ、明日教室行ったらさ、絶対死にたくなる日々が続くじゃん。
そんなマイナスな気持ちになる前に、友達の、アタシいじめて楽しそうな顔見る前に。
死んだ方が、絶対、いい。
鞄を椅子の後ろから取り出し、その中から手紙を取り出す。
手紙を開く。
小豆 遺書。
お母さん、先立つ不幸をお許しください。
私は、臆病者でした。
お父さんが捕まって、それで、学校で友達になんか言われるのが怖かった。
まだなんも言われてないのに。
なんも、が、もしかしたら心配の言葉かもしれないのに。
どちらにせよ、自分が負い目を背負って生きていくことに変わりはありません。
一番死にたいのはお母さんだと思います。
愛した旦那が、女子高生に痴漢して捕まるなんて、最悪だと思います。
最近はえん罪なんてのもあるけど、お父さん自ら警察行ったんだから、それはほぼ無いと思う。
お母さんは、一人でも強く生きられると思います。芯のある人だから。
私は、怖がりです。だって、自分が悪いことしたわけじゃないのに、怖いんだもん。
今日は、普通に友達と喋りました。笑いました。
けど、後ろめたさが背中に貼り付いていて、苦しかったです。
勘の良い人なら、もう、今日のテレビとかでわかると思います。
私のお父さんが痴漢だって。
明日、悪意もなく、「アンタの父さん、痴漢したの?」って、聞かれると思います。
嘘ついても、いずれバレると思います。
それが、怖い。
今まで普通に話していた友達が、急に私を除け者にして、腫れ物みたいに扱って、変態の娘って、言う。
そんなの想像しただけで、怖い。
友達を信頼してないわけじゃない。
でも、お父さんのしたことは立派な犯罪だし、それに噂の力だってある。
だから、怖い。
お母さん、今まで育ててくれてありがとう。
美味しいご飯作ってくれてありがとう。
生んでくれて、ありがとう。
大事にしてくれた身体を今から殺します。
ごめんなさい。
謝っても、許されないと思います。
許さなくていいです。自分勝手な、親不孝な娘でごめんなさい。
今までありがとう。
あなたの娘、梅里小豆。
手紙を椅子の上に置く。
そして、意を決して、飛び、降りる。
と、同時に暗転。
【3 斑尾光の場合】
役者は暗転の間に、一つ上手側の椅子に座る。
・空き地
光、姿勢悪く座っている。
光 貴方はもう永くないでしょう。
だってさ。
あー面白い。
今まで散々薬ぶち込んで、苦しみと平常を繰り返させて、オモチャにしてきた奴らが、結果を見た途端。
掌返して「永くない」ってさ。
我々は最善を尽くしましたって?
バカバカしい。
医者の反対を押し切って退院し、実家に戻ることにした。やり残したことがあったんでね。
光 家を、燃やした。(笑う)
火って、綺麗なんだな。
いや、俺の嫌いなものを燃やしてくれたから、綺麗に見えるのかもしれない。
警察?捕まえてくれんなら喜んで捕まる。
もう死ぬんだ。やりたいこともやって、生きる希望なんてとっくに皆無!
死ぬ前ってこんなに冷静なんだな。
いや、冷静じゃないか。家、燃やしてんだ。
俺は、こうやって、生きた証を遺したんだ。
アンタは、息子に家を燃やされて、証を遺す間もなく死んでいく!
唯一の証である、一番のお気に入りだった俺も間もなく死んでいく!(笑う)
光 片親で苦労してきた?うるせえな、お前、何人とヤッたんだよ。
俺は、何人目の愛人の子どもなんだよ。
俺は、誰と血が繋がってんですか。
俺と同じ境遇のヤツはどんだけいるんですか。
俺の父親は、どこにいるんですか。
なんで俺だけアンタの元で育てられたんだよ。
アンタが中途半端なことするから、息子は放火魔になるし、愛人だってろくな奴いねえだろ。浮気、不倫は当然、痴漢して子どもを自殺未遂にまで追い込む、離婚、なんて、アンタ、どれだけの人生を壊してきたんだよ。
光 ホントは、家に帰ったら、普通に出迎えてくれるあったかい親がいたらなんて思っ
てたんだ。
アパートでも、ボロい団地でもいい。
顔も知らない愛人の金で買った家で、クソみてぇな母親と過ごすより、温かい親と、小さな家で暮らしたかった。
噂、って、凄いよな。
一回広がればそれこそ火のように、留まる所を知らない。俺に、あんな母親がいるってどこ行っても、すぐバレるんだ。
いつも、俺のすぐ隣には、陰口と噂がつきまとっていた。
よく考えたら、父親なんて探す必要ないよなぁ。
あんな母親に絆されて、避妊もせずにヤッて、ガキが出来た途端逃げた。
俺もしっかり、血継いでんな。クソみたいな親からちゃんとクソみたいな子ども生まれてる。笑えるねぇ!
疲れ果て、大の字に倒れる。
光 人を、信じてみたかった。
親に、誰かに、マトモに愛されたかった。
こんなの、あんまりだろ。
暗転。
【4 天海叶の場合】
役者は暗転の間に、一つ上手側の椅子に座る。
・病院の一室
叶、鞄を膝に置いて座っている。
叶 お母さん、リンゴ持ってきたけど、食べれる?
そっか。いやいや、いいよ。
あ、ちょっと寝てなって。
大丈夫って、どこからその自信がくるの。
もー、これ?(一つ隣の椅子からノートを取る)
…お母さんってさ、いつもノートになんか書いてるよね。何、それ?
あ、日記だったんだ。へー、マメだね。
引き出し?…うわ、全部同じノート!
これ全部日記なの?すご。
…え、でも、お母さんが書いたやつでしょ。
…じゃあ、持って帰るね。
照明変化。
・家
叶、荷物を床に置き、日記を開く、と、手紙が落ちる。
それを拾い、開く。
叶 遺書。
お母さん、先立つ不幸をお許しください。
…は?
しばらくノートをめくる。
叶 私のお母さんのお父さん、つまり、私の祖父は、痴漢をして捕まり、離婚した、ら
しい。
更にめくる。
叶 …更に、浮気までしていたことが発覚した。
ノートを閉じる。
叶 …なんで、なんでこんなの渡したの。
こんな、こんなの私が知るべきじゃないでしょ。
私に読む権利なんて、ない、でしょ。
日記を持ったまま家を出る。
すると、遠くの方で赤い、赤い夕陽が見えた。
叶 …いや、違う。あれは、火だ。
叶 燃えた、家が、遠くに見えた。
光る、火がきらきらと。
なんでだろう、知っている。
あれは、知っている。
知らない、のに、知っている。
何を、知っているのかわからない。
何を、知っているのかわからない。
薄ぼんやりと、見えた気がした。
火影に紛れて消えてしまいそうな人。
一瞬だけ、距離は遥か遠くなのに、目があった気がした。
顔もよく見えない、声も聞こえるわけない、でも、目が合って、でも、それだけだった。
知らない人、けど、何かで繋がってそうな、でもそれは、大したことない、けど大きなことで、…わからない。
日記をぎゅっと持ち、燃える家に向かって叫んだ。
叶 お母さん、私、この日記をずっと持っている。
貴女が生きた証は、私が生きる限り、遺し続ける!
走る。
そのまま退場。
遺書だけが、はらりと落ちる。
【5 さざ波寄せて、繰り返す。】
光、よろよろと出てくる。
舞台中央で腰をおろす。手には手紙。
・海辺
手紙を持っていない方の手を、波に浸す。
少しして、手を拭い、手紙を開く。
光 「先立つ不幸をお許しください。」
(一枚めくり)「貴女の娘、梅里小豆。」
…こんなの、いらねーよなぁ。
手紙をしまい、海に流そうとする。
と、後ろから声をかけられる。
光 へ?…あぁ、アンタの?
道のド真ん中に、随分激しいドラマ落としていくねぇ。(手紙を返す)
何、死にたいの。
…アンタじゃないの。じゃ、これもアンタのじゃないだろ。
…ああ、そう。随分変わった趣味してんな、娘にそんなモン渡すなんて。
もう用は済んだだろ。行けよ。
人が去ろうとする気配がする。
光 なに。まだなんかあんの。
…あぁどうも。
人は、光の元から立ち去る。
光 ありがとう、ねぇ。ありがとう、か。
……あーあ、死にたくねえなぁ。
波は、誰のことも気にせず押し寄せ、引いていく。
ゆっくり照明が落ちていく。
了
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