裏4 変異

燃え盛るビルの中。私は熱さも感じずに平然と内部を進む。

亜美の話では、私が燃えることは無いそうで熱さを感じないのもなんらかの加護が働いているからだそうだ。よくは分からないが、元職場の行く末を特等席で観られるのだからありがたく受け入れておこう。


耳を澄ませば聞こえてくる。


聞き覚えのある声が、「助けてくれ」と私から全てを奪った元上司の声。「なんで、なんで僕が、熱い! 熱い!」と私の実績を奪い続けた元同僚の声。「いや、こんな所で死ぬなんて嫌!! なんで、なんで、逃げられないのよ。誰か! 誰か!」と多くに媚びを売り、直属の後輩となった彼女をイジメて追い出した女性の声。


悲しみと絶望に溢れた声が、色々なところで聞こえてくる。だけど、不思議と何も感じない。私の全てを奪った場所だ。高揚してもおかしくないはずなのに、心臓は高鳴ることがない。


首を傾げる。


ここでは気持ちが持ち上がらないのかと考えて社長室へ向かう。

近くでは火炎がありとあらゆる場所を舐めながら進んでいる。蛇のような動きで紙などの燃えやすい物を飲み込み、酸欠で倒れた人を焼いていく。

鼻に入ってくる刺激臭も、何故か気にならない。髪や肉。内蔵の焼ける臭いに吐き気がしておかしくないはずなのに、平静そのものだ。


スタスタと歩き、熱せられているドアノブを回す。


熱くない。あっ取れた。


ドアは焼けていたせいかそのまま前に倒れていく。その扉の下には、私に横領していたと宣言した人が涙を流しながら逃げようとしていた。その手は焼け爛れ、必死にドアノブを回して脱出しようと計っていた後が見える。


「誰だ。誰か居るのか!!」


彼には、私が見えていないようだ。

急に扉が倒れたので誰かが居ると判断したのだろう。瞳は虚空に向けられている。高級そうなスーツなのに、もはや原型もない。近くに燃えている上着が落ちているので、火が燃え移って脱いだのだろう。

逃げ場なんて無いのに、必死な事だ。


「わたしが悪かった。裏でやっていた多くのことをちゃんと公表して罰を受ける。だから、だから助けてくれ!!」


伸ばす手は明後日を向いている。

こんな人を社長にする為に頑張っていたのだと思えば気分が悪くなる。

蹴り飛ばそうかと考えたが、どうせ燃えて居なくなるのだ。私から奪った全てが無くなるのだから何をしようと怒りは冷めない。いや、私に怒りがあるのだろうか?


この炎が私の怒りなのだとしたら、ここに居る私は燃え滓なのだろう。


「そうか。そうだな」


私に残されたのは亜美だけだ。

あの子さえ無事なら、私の全てを投げうっても構わない。

さて、あの子はどうしているだろうか?

社長室を後にして外へと向かう。今頃、外は大騒ぎだろう。


「お父さん!」

「ああ。亜美。ただいま」


消防車や救急車。野次馬が集まり、辺りは騒然としている。

だが、平然と燃え盛るビルから出てきた私に視線は向かない。誰からも、認識されていないようだった。


これでは、死んでいるのと変わらない。もしかしたら、あの時……亜美に助けられる前に死んでいたのかもしれないと考えるほどだ。


「どうやら、回復したみたいだね」


透けていた亜美も元通り。絶望とやらは集まったようだ。

酷い会社ではあったが、私の役に立ったようである。これで精算するには恨みが強いはずなのに、清々しい気分の今はどうでも良く感じてしまう。


「これで、しばらくは持つから、お父さんもやらなくていいよ」

「何を言っているんですか?」


「えっ?」青ざめた表情で私を見つめる亜美。震える手を伸ばし、すり抜ける彼女に笑みを浮かべた。


「絶望が広がれば、きっとまた触れられる日が来るはずです。燃やすべき物も多いですから一気に燃やしてしまいましょう。そして……キレイなった世界でのんびりと暮らしましょう」

「お父、さん?」

「さぁ準備のために帰りますよ。明日は朝から忙しくなります」

「待って。お父さん! そんなこと、望んで……」


何かを言っているようですが、亜美が望まないはずがありません。亜美の幸せのために、私は私のするべきことをするのです。


「おっと」

「すいません」


トンっと、大学生くらいの青年とぶつかった。

火事の現場から離れたことで見えなくなっていた私が見えるようになったのでしょう。ぶつかったことに対して一礼するとその場を後にします。


さて、準備を開始しなければ……

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