休日

「ーーちゃん。おーーん」

「んっ」


意識が遠い。

声が聞こえるけれど、瞳がなかなか開かない。

心地よい揺れと、耳心地のよい声。微かに感じる吐息すら、眠りの底へと引きずろうとする。


「ーース、するーーよ」

「あ……ふぅ」


よく聞こえない。

そう口にしたいのに、声は言葉にならない。

疲れがとてつもなく溜まっている。このまま。もっと深い眠りに……


「ちゅ」

「なんだ!?」


唇に感じた柔らかい感触に慌てて目を開いた。

感じられたのは一瞬。なのに、唇にいつまでも感覚が残っている。


「えへへ。目、覚めた?」

「今、えっ? なに……を?」

「さぁ〜何でしょう」


ぴょんと俺の側から離れる。

いやいやいやいや。まさか、あれじゃないよな?

なんか「ちゅ」とか耳に入ってきたけど気のせいだよな?

誰か気のせいだと言ってくれ!!


「仕事はいいの?」

「今日は休みだから仕込みだけだよ」


気になるけれど、教えてくれる様子はない。ニコニコと笑いながらからかって居るように見えるので別の何かだと信じよう。信じさせてください!


現実逃避のために、スリープ状態になったパソコンを起こす。そこには、すでに完成した小説があった。

途中から記憶が無いから、「あああああああ」みたいな文章になっていないか不安ではあったが、どうやら書ききってから眠ったようだ。

妖精が書いている訳もないし、書き方が俺のものと同じだから寝ぼけながら書いたのだろう。スクロールしてみると、あちこちで変換のミスが目立つ。勢いのままに書いたのが丸わかりである。


「まあ、とりあえずはいいか」


彩乃に、初稿完成と連絡を入れて厨房へと移動。

いつもの時間よりも早いせいで、先輩はまだ来ていない。必要な仕込みをさっさと始める。

予約表を見て、胡麻豆腐の準備。白菜の支度。うどん粉を運び、細々としたやるべきことを一時間程で済ませる。


「なんでお兄ちゃん一人でやってるの?」

「さぁなんでだろうな」


別にやりたい訳ではないのだが、下がやらないのでやるしかないのである。先輩もやる事やっているし、いずれは代替わりしないといけないのだろうとは思っている。

思っているけれど、俺以上にやる気がない姿を見ていると積極的に誘う気にもなれない。

困るのはやらない自分とやらせない店なので特に気にしたことは無い。


「お兄ちゃんが辞めたら大変なんじゃない?」

「そんなことないぞ? 辞めたら辞めたで埋める人は居るからな。問題なんてないんだよ」


今は辞める気もないしな。

代わりだってたくさん居る。気にしたって仕方がない。


「それに、一応やるように言ってはいるんだぞ?」

「それで全部やったら意味ないよ〜」

「それもそうか」


仕事って難しいな。

まぁ暇な時期だから別にいいけどさ。


「おっ返信来てる。ミライの所に集合か」

「どこかに行くの?」

「遊びに行くんだよ。お土産持っていかないとな」


ミライの所に行くのも久しぶりである。

二週間くらい行ってないのではなかろうか……干やがって無ければいいけどな。


着替えて、小説のデータを携え外へと向かう。途中で先輩とすれ違ったのでやった内容を説明しておいた。

後輩にも、やらせろとのご達しを頂いたので連絡だけは入れておく。

来ないとは思うんだけどな。仕事にやる気感じないし。

それでもやらせるのが先輩の役目なのだろうか?


面倒だな。当人のやる気に任せるとしよう。


「ねぇ、お土産買わなくていいの?」

「ここじゃない。ここじゃない」


駅にある売り場を指差す七機だが、こんな所で買ったら高くつくから買わない。

電車を乗り継ぎ、目的の駅で降りる。


「んじゃスーパー寄っていくぞ」

「お土産って、出来合い買うんの? それなら、ファーストフードのほうが良くないかな。駅のは高いから買わないんでしょ?」

「作るんだよ」

「えっ?」


なぜか七機が固まっている。立ち止まっても誰の邪魔にもならないから別にいいけど、そんなに不思議なことだろうか?


「一応。俺は調理師だからな?」

「あーそうだったね。忘れてた」

「さっきまで仕込みしてたろうに……」


ポイポイと適当に材料をカゴに入れていく。値段と大きさと品質は見ればわりと分かるので後は何を作るかである。

携帯で調べたらレシピなんて大量にあるしな。何とかなるだろう。


「お兄ちゃんは調理嫌いなのかと思ってた」

「なんでだよ」


カゴの中を確認し、一通りの物を作れるだろうと確信を持ってレジに移動。財布の中身は……大丈夫だな。


「おやついるか?」

「いいの!」

「一つだけな」

「わ〜い」


見た目相応な動きでお菓子コーナーに突撃していく。そんな姿を見ていると少し安心してしまう自分が居る。もしかしたら、そう見せているだけなのかもしれない。


「お兄ちゃ〜ん。早く早く〜」


カゴを揺らしながら、七機の所へと急ぐ。

こんな休日も、悪くは無いな。

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