強者
「やぁああああ」
気の抜けたような掛け声とは裏腹に鋭い大剣の一撃が犬の肩を切り裂いた。
右目で様子を伺いながら、距離を取っていく。
「よく見たら名前があるな。ガルム、か?」
片眼鏡に集中すると浮かんだ名前は、恐らくあの犬の名前なのだろう。
平凡でどこにでも居るような敵の名前である。ただ、一般人が対峙した場合高い確率で殺されるような敵だ。油断していたら巨木のような腕で薙ぎ払われてしまうことだろう。
一定の距離を保つ。せめて、全身が視界に入る位置が好ましい。それも、七機の攻撃をした先が見える場所がベストだ。
必要なのは、どこにあるのか分からないコア。それさえ破壊してしまえばガルムは沈むはずだ。七機の言葉を信じればの話だけど、他に縋れるものはない。やれることを精一杯こなすとしよう。
「があああああ!」
「まけ、るかーーーー!」
咆哮に足が竦む。距離があっても届く恐怖。それを目前で受ける七機は大剣の腹を盾のようにして叫びを上げた。
震えているのが見て取れる。
震えながらも戦っている七機の力になれたらと思ってしまう。
「俺は、弱い」
何も出来ない。
こうして遠くで見ていることしか出来ない。震えることしか……出来ない。
「お兄ちゃん。ちゃんと見て!」
「おっおう」
細腕には似つかわしくない巨大な両手剣を駆使して、七機は戦う。身の丈よりは遥かに巨大な犬を相手に、決して怯まず挑み続ける。
俺の視界からもたらされる情報だけを頼りに、避けては切り裂き、避けて切り裂く。
血ではなく薄い黒煙が体の至る所から溢れるガルムが見つめるのは……七機では、ない。
「くっ」
俺だ。
凶悪な眼差しを向け、隙をついて飛びかかろうとしているのがよく分かる。
「があああ」
飛ぶ。
その未来が見えた。走馬灯のような記憶が頭の中を過った瞬間。
ほんの少し前。七機と出会う前まではいつも通りの時間が続いていたのだ。
命の危険なんかに怯えることはなく。死を目前にすることもなく。惰情な生活が続くだけの日常だったはずなのだ。
ああ。死ぬのか。
ふと、そう感じた。
まだ、ガルムは飛んでいないのだろう。だが、俺の目が飛んでいると捉えたのであれば、それは確定された未来のはずだ。
あの爪が振り下ろされる。大木のような腕が空気を薙いでいく。
まるで、スローモーションのような右目の映像。そのせいか、死を目前にしているのに変な冷静さがある。
やりたいことはたくさんあった。だけど、それをやったところで無意味なのだと決めつけて精神的に逃げ出した。そのせいか、人生に対して投げやりで仕事もただこなすだけの機械みたく行っていた。そのツケを払う時なのだろう。
「七機が生き残れたら、いいな」
自嘲しながら手を広げて、左目を開いた。
そこにあるはずの今を、見るために……
「なっ!」
「ま、だ!」
そこには、七機が居た。
ガルムの攻撃に対して、巨大な盾を創って対応している。
「お兄ちゃん。逃げて!」
「でっでも!」
「がああああああああ!」
振るわれる腕が、七機を盾ごと吹き飛ばす。
だが、七機もただでは吹き飛ばされるつもりがないようで、大剣を生成して吹き飛ばされながらガルムの目に向けて投げつけた。
悲痛な叫びをあげて転がるガルムを尻目に、俺は七機の方へと走る。
近くの建物に激突したところまでは見えていた。無事であるならば、抱えてでも逃げないといけない。少しでも距離を取らなければ、すぐにガルムの餌食にされてしまう。
「七機!」
「お兄、ちゃん」
瓦礫と化した壁から現れたのは、左腕を失った七機だ。血の一滴も流さず、ふらふらと歩いてくる。
着ていた服もボロボロで、服としての体裁をほとんど保ってはいない。下半身を辛うじて覆っている程度である。
「大丈夫なのか!」
細かい傷も無数にあり、あの攻防で付けられたのであろう切り傷もあった。血が流れていないせいで傷が嫌に目立つ。
「ごめんね。失敗しちゃった」
にゃははと、事も無げに笑みを作りながら右頬を掻いた。
そんな七機に対して、何もできない。こんなに傷ついている彼女を助ける方法がまるで思い付かない。
ガルムは立ち上がっている。
憤怒の表情を向けて、咆哮していた。
「行かなくちゃ」
「ダメ、だ」
横を通り抜けようとする七機の腕を掴んだ。
ここで送り出しても引き留めても、俺の未来は変わらない。
死。だけである。
それでも、満身創痍の七機を戦わせる訳にはいかない。勝てないと分かっているのだから、逃げるのが一番なのだ。
「にゃはは。僕のことを心配してくれるんだね。さっき出会ったばかりの、僕を……」
「悪いかよ」
「違うよ。嬉しいんだ。スッゴく嬉しい。だから、戦うんだよ」
にこりと微笑む顔には、傷が無くなっている。
目を見張って七機の体を見つめれば、そこにあったはずの傷が全て無くなり、取れていたはずの腕もついている。
「僕は
力強い笑みに、頷くことしか出来ない。
「分かったよ。付き合ってやる」
諦めていないその姿に、覚悟を決めた。
絶対強者であるガルムに勝利する。そのための全てを七機が持っているのならば、俺はその勝ち馬に乗るしかないだろう。
終わりを決めるのは、まだ早かったようだ!
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