第5話『コアマ』

 6番ホールの入口から、ホールの中に入っていく。

 ホールの中には数え切れないほどの参加者がいる。どこもかしこも人。何度参加しても、この光景には圧倒される。


「おっ、いい感じのイラストだ」

「どうぞ見ていってください~」


「この本一冊ください」

「ありがとうございます! 500円です!」


 近くに配置されているサークルから、そういった会話が聞こえてくる。こういう会話を聞くと、同人誌即売会に来ていると実感できる。

 きっと、芹花姉さんは今ごろ『みやび様は告られたい』に出てくるキャラクターのコスプレをして、友達のサークルの売り子さんとして接客しているのだろう。ちなみに、姉さんの友達のサークルは西館のホールに配置されている。


「うわあっ、凄いね……!」


 初参加の結衣は目を輝かせながら、ホールに広がっている光景を見渡している。その姿は小さな子供のようで可愛らしい。


「写真や動画では見たことあるけど、実際にこの場に立つと凄いって分かるよ。参加者はもちろんだけど、サークルの数も本当に多いね」

「世界最大級の同人誌即売会だからな。ただ、全体で見てもこのホールはほんの一部なんだよな。福王寺先生が行った方のホールや西館にもサークルは配置されているし。昨日もたくさんのサークルが来て、きっと明日も明後日もたくさん来るんだろう」

「そっか。さすがは世界最大級」

「だな。さあ、『ばらのはなたば』へ行こうか」

「うんっ!」


 結衣と俺は配置マップの紙を頼りに、サークル『ばらのはなたば』が配置されているスペースへと向かう。

 福王寺先生から、このサークルでは『鬼刈剣』という少年漫画の新刊BL同人誌と、新刊オリジナル本のセットを買ってほしいと頼まれている。会場限定のコピー本が付き、新刊イラストがプリントされた紙の手提げに入れて渡してくれるらしい。

 ホールを歩いていると……自作のイラストポスターを貼ったり、頒布する本の見本誌をスタンドに飾ったりするサークルが多いな。それもあり、結衣は「あのサークルのイラスト可愛い」とか「かっこよく描かれてる」と興奮しながら周りを見ていた。


「『ばらのはなたば』……あった」


 無事に『ばらのはなたば』のスペースの近くに辿り着いた。さすがは壁側に配置されるだけあって人気があるな。数人のスタッフで接客している。

 また、このサークルのスタッフは全員、バラの花を想起させる赤いTシャツを着ている。シャツに可愛いフォントでサークル名がプリントされている。

 スペースの近くにいるスタッフシャツを着た女性に、待機列の最後尾はどこかと尋ねると、サークルスペースの横から外に出たところにあるという。最後尾にはサークル名とサークル番号が描かれたプラカードを持った人がいるとのこと。

 スタッフの女性にお礼を言い、俺達はサークルスペースの横にある出入口から外に出る。

 外に出ると、晴れているから結構暑いな。色々なサークルの待機列ができているけど、暑そうにしている人が多い。周りを見渡してみると、


「悠真君! あったよ!」


 結衣が指さす先をよーく見ると……『東6 し-17 ばらのはなたば 最後尾』と描かれたプラカードが見えた。よく見つけられたな、結衣は。さすがは両目の視力が1.5あるだけのことはある。

 俺達は待機列の横を歩いていく。……BL本を取り扱うサークルだからだろうか。並んでいる人は女性の方が圧倒的に多い。

 最後尾まで到着し、並ぶ際に、


「並ぶので、プラカード持ちます」

「ありがとうございます」


 それまで最後尾に並んでいた黒髪のショートヘアの女性から、最後尾のプラカードを受け取り、俺達は一番後ろに並ぶ。また、このサークルの待機列は2列で並ぶ形なので、結衣と隣同士で。

 俺は最後尾のプラカードを掲げる。


「こうやって、列の最後に並ぶ人がリレー方式で最後尾のプラカードを持つサークルが多いんだ」

「そうなんだね。じゃあ、次の人が来るまでは悠真君が持つんだね」

「うん。ただ、このサークルは壁サークル……人気の高いサークルだから、きっとこの役目もすぐに終わるんじゃないかな」

「あたし、代わります!」


 後ろからそう言われたので振り返ると、そこには黒髪セミロングの女性と、茶髪のショートボブの女性が。俺はありがとうございます、と言って俺の後ろに立っている黒髪の女性に最後尾プラカードを手渡した。

 ほらね、と結衣に耳打ちすると、結衣はニコッと笑って頷いてくれた。


「ここからはただただ待つ時間なんだね」

「そうだな。気分が悪くなったり、お手洗いに行きたくなったりしたら遠慮なく言って」

「うん、分かった。経験者の恋人が隣にいると安心だよ」

「そう言ってくれて嬉しいな」


 結衣の様子を見ていくのはもちろんのこと、俺自身も気をつけていかないと。屋外で直射日光を浴びているから。そんなことを考えながら、俺は持参したスポーツドリンクを一口飲んだ。

 結衣をチラッと見ると、彼女もスポーツドリンクを一口飲んでいる。首筋に汗が流れているし、スポーツ少女にも見えて。野球帽のようなキャップを被っているので、野球やソフトボールをしている結衣が頭に思い浮かぶ。……結衣なら、どのポジションでも大活躍しそうだ。

 このサークルの新刊の一つが『鬼刈剣』の同人誌なのもあり、俺達は『鬼刈剣』の話をしながら待機列での時間を過ごす。たまに、俺が持ってきた扇子でお互いを扇ぎながら。そのおかげで、晴れて暑いけど辛さは感じない。また、


「新刊2作はそれぞれ1人1冊。新刊セットは1セットまでとなっておりまーす!」


 と、スタッフの方がたまにアナウンスしてくれる。きっと、多くの人に新刊を買ってほしい意向があるからだろう。

 時折、待機列が前に進んでいく。ただ、さっき俺達が外に出てきた出入口まではまだまだ遠い。


「本当に長い列だね」

「それだけ人気があるってことだな」

「そうだね。前方を見ると気が遠くなりそうだけど、悠真君と一緒だから並んでいられそう。それに、胡桃ちゃんと杏樹先生も長い列に並んでいるだろうし」

「福王寺先生は一番の目当てが壁サークルって言っていたからな。胡桃も目当てのキャラソンCDを売っている企業は人気のある会社だし。2人とも、今は長い待機列に並んでいる確率が高そうだ」

「そっか。私も頑張らないと」


 ふんす、と鼻を鳴らす結衣。確かに、胡桃と福王寺先生も並んでいると思うと、俺も並ぶのを頑張ろうって思えるな。一番の頑張りの源は結衣だけど。

 それからも、『鬼刈剣』や『みやび様に告られたい。』の話をしながら、待機列の時間を過ごす。また、スタッフさんによる新刊完売の悲報は今のところはない。

 並んでいる中、結衣はバッグからレモン味の塩タブレットを口にする。


「そのタブレット、本当に気に入っているんだな。旅行のときにも持ってきていたし」

「うん! 味もいいし、物販バイトのときに悠真君が差し入れてくれたのもあって、凄く気に入ってる」

「そっか。嬉しいなぁ」

「ふふっ。あと、姫奈ちゃんと物販バイトしたり、旅行では海で遊んだりしたから、炎天下の中で並んでいても大丈夫だよ」

「暑さが体に慣れたんだろうな。俺も2人の物販バイトで並んだし、海で遊んだから今までのコアマに比べると楽だな。何よりも結衣も一緒だから」

「……悠真くぅん……」


 とっても甘い声でそう言うと、結衣は俺の右腕を嬉しそうに抱きしめて、頭をスリスリさせてくる。外だから結構暑いけど、結衣から伝わる温もりは本当に心地いい。

 それからも俺達は待機列を並び続ける。

 途中、俺も結衣も1度ずつ、お手洗いに行くために列を離れた。2人一緒に並んでいると、こういうところでもメリットがあるなぁと思う。1人で並んでいると、列を離れるとまた最後尾に並ばないといけないからと結構我慢したこともあって。

 1時間以上並んで、ようやく俺達はホールの中に戻ってきた。サークルスペースも見え、ようやくここまで来たという気持ちになる。ただ、同時に新刊完売の報は来てしまうのかどうか不安にもなって。

 不安と緊張を胸に抱きつつ、待機列に並び続け……完売したというアナウンスを聞くことがないまま、ついに俺達の番になった。


「いらっしゃいませ~」


 俺は結衣と目を合わせて、一度頷き合う。結衣がコアマ初体験なので、彼女に注文してもらうことに。


「新刊2冊セットが欲しいのですが、またありますか?」

「はい、まだありますよ。新刊セットは1セットまでになります」

「分かりました。では、新刊セットを1つください」

「ありがとうございます。1000円になります」

「はいっ」


 結衣はとても嬉しそうな様子で財布から1000円札を取り出し、女性のスタッフさんに渡した。

 スタッフさんは新刊2冊と特典コピー本を特製の紙の手提げに入れて、笑顔で結衣に渡してくれた。手提げを受け取った結衣はさらに嬉しそうで。その姿を見て、俺も嬉しくなると同時に、無事に買えてほっとした気持ちに。

 他の人の邪魔にならないように、俺達は『ばらのはなたば』のサークルスペースから少し離れる。


「買えたね、悠真君! 杏樹先生の代わりに買ったけど、凄く嬉しいよ! 長い時間並んだからかな」

「俺も嬉しいよ。この嬉しさがたまらなくて、長時間並んでも買おうって思えるんだ」

「その気持ち分かる! サークルの列だけじゃなくて、会場前でも2時間近く待ったもんね。物販バイトのときに接客したお客さん達もきっとこういう気持ちだったんだろうな。あと、自分達の番が近づく度に、完売しちゃわないかどうかドキドキしたよ」

「俺も思った。だから、買えてほっとしてる」

「そうだね。……杏樹先生に報告のメッセージを送るよ」

「それがいいな」


 結衣はスマホを取り出して、LIMEの俺達4人のグループトークに『ばらのはなたば』の新刊セットが買えたとメッセージを送る。すると、


『おおっ! ありがとう! 感謝感謝! 私も一番目当てのサークルの同人誌買えたわ!』


 すぐに福王寺先生からそんなメッセージと、バンザイする白猫のイラストスタンプが届いた。先生がとても喜んでいる姿が容易に想像できる。

 そんなことを考えていると、胡桃からもメッセージが。


『あたしもついさっき、ソンプリのキャラソンCDを2枚購入できました! 並んでいる途中から、購入制限が2枚になって。1枚にならないか心配しましたけど、何とか購入できました』


 胡桃も自分の目当てでもあるキャラソンCDを購入できたか。向こうは途中から購入制限がかかったんだ。そんな中で2枚買えたんだから、喜びもひとしおじゃないだろうか。胡桃に対しても、先生は『感謝感謝!』とお礼のメッセージを送っていた。

 俺と結衣も胡桃に『買えて良かったね』とメッセージを送った。


「みんないい滑り出しだね、悠真君」

「そうだな。この調子で俺達も残りの同人誌を買っていこう」

「うんっ!」

「じゃあ、次のサークルは……『白い庭園』っていうサークルか。配置番号は東5 ぱ-39だな」

「そっか! じゃあ、行こう!」


 俺は結衣に手を引かれる形で歩き出す。

 それからも福王寺先生のために、俺達は東館のホールの中を歩き廻るのであった。

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