第4話『会場開場』

 東京国際展示ホールはとても大きな建物だ。なので、駅を出てすぐにホールを見ることができる。コアマのときくらいしか来ないので、個人的には国際展示ホールのシンボルとも言える逆三角形部分を生で見るとコアマに来たのだと実感する。


「うわあっ、まだ8時過ぎなのに、もうこんなに人がいるなんて!」


 結衣は目を輝かせながら、普段よりも高い声でそう言う。そんな反応が可愛くて、微笑ましい。


「いい反応ね、結衣ちゃん。コアマは世界最大級の同人誌即売会だからね。20万人くらい来場する日もあるの。私達のように、目当てのものを買うために早く来る人も多いのよ。始発電車で来る人もいるわ」

「そうなんですね!」

「俺も芹花姉さんと初めて来たときは、今の結衣みたいに人の多さに驚いたなぁ」

「あたしもだよ、ゆう君」

「私も驚いた。あと、アニメや漫画、ラノベ、ゲームが好きな人がこんなにもいるんだって感動もしたよ」


 胡桃や福王寺先生も同じようなことを思ったんだ。人の多さを目の当たりにして何か思うことは、コアマに初めて参加する人にとっての通過儀礼なのかもしれない。

 周りを見ると、俺達のように学生や若い世代もいれば、俺達の親世代と思われる人も見受けられる。アニメや漫画、ラノベ、ゲームは日本の代表的な文化の一つだし、コアマも何十年も前から定期的に開催されている。なので、参加者の年齢層が幅広いのだろう。

 俺達はコアマのスタッフさん達の指示に従って歩き、待機列の最後尾に並んだ。


「コアマが始まる午前10時までここで待つよ」

「はい。10時までということは、あと2時間弱ですか。悠真君達がいますからあっという間でしょうね」

「そうだね、結衣ちゃん。あと、あたしは企業ブースの列で長い時間待つだろうと思って、音楽プレイヤーやラノベも持ってきたよ」

「そうなんだ。私も持ってきた。悠真君に列に並ぶときの時間潰しにいいからって」

「個人的にだけど、音楽を聴いたり、ラノベを読んだりすると時間が早く過ぎていくからな。もちろん、姉さんと一緒のときは雑談もしたけど」

「低田君の言うこと分かる。私もそういったことで列に並んでいるときの時間を潰してた」


 みんな、自分なりの時間潰しの方法を編み出しているんだな。目的のサークルの本や企業ブースのグッズによっては、待つことがメインのときもあるから。


「あと、近年のコアマでは低変人様の音楽を聴くこともあるよ! リラックスもできるの!」


 低変人本人と一緒だからか、テンション高めに言う福王寺先生。とってもいい笑顔で俺を見つめてくる。そんな先生に胡桃が「あたしもあります」と笑顔で同意する。

 福王寺先生が「低変人」の名を口にしたからか、近くに並んでいる人の何人かがこちらを見てくる。ただ、チラッと見るだけだったり、俺達と目が合うとすぐに視線を逸らしたりする人が多い。先生は低変人を様付けしていたし、せいぜい先生が低変人の熱狂的ファンであると思われたくらいだろう。

 そういえば、動画のコメント欄に「イベントの待ち時間に聴きました」という旨のコメントを見ることがある。もしかしたら、ここにいる大勢の人達の中に、低変人の曲を聴いて開場を待っている人がいるのかもしれない。

 それから、俺達は4人で漫画やラノベ、アニメのことで雑談しながら、開場までの時間を過ごしていく。また、この間に福王寺先生に買ってほしいリストのことや、買い物後の待ち合わせ場所についての確認もしておいた。

 晴れているので、待っている間に段々と気温が上がってくる。水分補給をしたり、たまに雲で太陽が隠れたりしたので、3人とも辛そうにはしていなかった。結衣は帽子を被り、胡桃はパーカーのフードを被って日除けもしていたし。

 また、芹花姉さんからLIMEでメッセージがあり、姉さんは友人と一緒にサークル入場券を使ってスムーズに開場に入れたそうだ。

 結衣達と話したおかげもあって、時間の進みは早い。また、開場時間が近づくと、リストバンド型の青い入場証を腕に付ける。


『午前10時になりました! ただいまより、コミックアニメマーケット2日目のスタートです!』


 拡声器越しでコアマの男性スタッフさんがそう言い、その場にいた人みんなが拍手を送る。もちろん、俺達も。

 それから少しして、俺達の並ぶ待機列はゆっくりと動き出す。2時間弱も同じ場所にとどまっていたので、動き出した瞬間はちょっと感動した。

 さあ、コアマの始まりだ!

 コアマ運営による順路案内やスタッフさんの指示に従い、俺達は会場の入り口に向かって歩いていく。

 俺達の前にたくさんの人が並んでいるので、少し時間が経ってから会場の東京国際展示ホールの敷地に入ることができた。


「ようやく会場に入れたね! 朝早く出発したし、待機列では2時間くらい待ったから達成感があるよ」

「結衣のその気持ち分かるなぁ」

「たくさん待ったから、会場に入れるだけで嬉しくなっちゃうよね、結衣ちゃん」

「そうだね、胡桃ちゃん!」


 結衣と胡桃は楽しそうに笑い合っている。まさか、自分の恋人とネットで繋がっている友人が笑い合う光景をコアマの会場で見られるとは。胸にこみ上げてくるものがあるな。


「開場後……特に正午以降に来れば、待つことなく会場に入れるんだけどね。でも、その時間帯だと、欲しい本やグッズによっては売り切れている確率がかなり高くて。欲しいものを買える確率を少しでも高くするために、早く来る人が多いのよ。先生も何回か始発で来たことあるわ」

「なるほどです」


 そう言って一度頷く結衣。

 あと、福王寺先生は始発で会場前まで来たことがあるのか。自分は一度も経験がないからそのことに凄いと感じる。

 ただ、中には前日の夜から並んで徹夜する人もいる。しかし、それは運営から禁止されている行為だ。イベントは運営から示されたルールに従った上で参加しないとな。


『東館は進行方向左側、西館は右側になります! 企業ブースは右側です!』


 と、コアマの女性スタッフさんが拡声器を使ってアナウンスしてくれる。スタッフさんの横には、東館と西館の方向を示す案内板が設置されている。どちらの方にも多くの人が歩いているな。

 俺と結衣が購入を担当する本を頒布するサークルは全て東館にある。だから、企業ブースに行く胡桃とはここで一旦お別れになるのか。


「ここから一旦、胡桃は別行動になるのかな」

「そうだね、ゆう君」

「福王寺先生が行くサークルはどちらの建物にあるんですか? それとも両方あります?」

「東館のホールだけよ」

「そうですか。じゃあ、西館に行くのは胡桃だけか」


 また後で会うことになっているけど、これまで3時間以上一緒にいた人が離れるのはちょっと寂しいな。


「胡桃は自分の目当てのキャラソンCDがあるし、買えるように祈っているよ。あと、体調には気をつけて。これからも晴れて暑くなるから、熱中症には特に」

「頑張ってね、胡桃ちゃん!」

「頑張って! あと、私が頼んだグッズの代理購入もよろしくお願いします!」

「分かりました!」

「じゃあ、さっき話したように、買い物が終わったら会議棟の1階にあるフードコートの前で待ち合わせしましょう。何か連絡するときは、基本的にLIMEの4人のグループトークで。また後でね、胡桃ちゃん」


 そう言うと、福王寺先生は右手を拳にした状態で胡桃に差し出す。そんな先生は勇ましい笑顔をしていて。

 胡桃はニッコリと笑うと、福王寺先生のように右手を拳の状態にして、先生の右手とグータッチした。

 俺と結衣も福王寺先生の真似をして、拳にした右手を胡桃に差し出し、グータッチ。漫画やアニメでグータッチのシーンを観たことはあるけど、実際には全然やったことがないので新鮮だ。あと、お互いに健闘を祈るって感じがしていい。

 胡桃と別れて、俺は結衣と福王寺先生と一緒に東館に入り、サークルが配置されているホールに向かって歩く。

 東館に入ってから、人の密度が急に高くなる。西館へ向かう人も多かったんだけどな。多くの人による移動の流れもあるし、油断していると、結衣とはぐれてしまうかもしれない。今繋いでいる結衣の手を強く握り直した。


『走らないでくださーい!』


 男性のスタッフさんがそう声かけしている。ぶつかったり、転んだりしないようにするためだろう。この声かけもあって、走る人は見当たらない。とても欲しいものがあるのか、かなりの速度で早歩きする人はいるけど。

 順路を通っていき、俺達3人は東館のホールの入口前まで辿り着いた。


「左右に出入口がいくつもありますね」

「どれもホールの出入口よ。この向こうで、多くのサークルが本やグッズを頒布しているわ。向かって右側が1番ホールから3番ホール。左側が4番ホールから6番ホールね。番号としては3ホールずつだけど、それぞれが1つの空間になっているわ」

「へえ、そうなんですね! 悠真君、最初に行くサークルは『ばらのはなたば』だよね」

「そうだよ」


 俺は持っているバッグから、サークルの配置図が印刷された紙を取り出す。この紙には福王寺先生が買ってきてほしいサークル名と配置番号、配置場所を書き込んでいる。ちなみに、目当てのサークルは全部で6つあり、優先順に①から⑥まで番号が振られている。


「『ばらのはなたば』の配置番号は……東6・し-17だな。6番ホールの壁側に配置されてる。だから、6番ホールの入口から入ろう」

「分かった!」

「私の一番の目当ては2番ホールにある壁サークルだから、2人とはここで一旦お別れね。2人とも代理購入よろしくお願いします。晴れて暑くなってきているから、体調には気をつけてね。特に初参加の結衣ちゃんは」

「分かりました! 先生も目当ての本が買えるように頑張ってください!」

「応援しています」

「ありがとう! じゃあ、また後でね!」


 さっきの胡桃のときのように、俺と結衣は福王寺先生とグータッチをして別れた。あとで先生に喜んでもらえるように、目当てのものを一つでも多く買えるように頑張ろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る