第3話『会場に向かう電車の中で』
8月10日、土曜日。
今日は朝からよく晴れている。俺達が住む金井も、コアマの会場・東京国際展示ホールがある藍明も一日中よく晴れるそうだ。気温も33度まで上がる予報になっている。
福王寺先生から送られた買ってほしいリストの中には、壁サークルと言われる人気サークルの新刊もある。そういうサークルの場合、屋外で長い時間並ぶこともある。熱中症にならないように気をつけないと。一緒に行く結衣達のことも気に掛けないとな。特に結衣はコアマ初参加だし。
午前6時40分。
俺は家の近所の公園に来ている。胡桃とここで待ち合わせをすることになっているのだ。
欲しいものを変える確率を上げるために、朝早く会場へ向かう予定だ。そのため、午前7時に
ちなみに、芹花姉さんは後から、サークル参加する友達と一緒に会場に行くとのこと。
また、芹花姉さんに福王寺先生の話をし、午後に4人でサークルへ顔を出すと約束した。あと、姉さんには友達の分を含めて、昨日のうちにゼリー飲料を差し入れておいた。
さすがに、この時間だとあまり暑くない。たまに吹く柔らかな風が気持ち良く感じられるほどだ。
「ゆう君」
胡桃の声が聞こえたので入口の方を見ると、こちらに手を振ってくる胡桃の姿が。そんな胡桃はスラックスに半袖のパーカーという服装だ。
「おはよう、ゆう君」
「おはよう、胡桃。今日の服も似合ってるな」
「ありがとう。動きやすい服装にしたの。パーカーだから、並んでいる間にフードを被って日差し除けもできるし」
「そっか。さすがはコアマ経験者」
俺がそう言うのは、これまでに胡桃と何度かメッセンジャーでコアマに参加したことについて話したことがあるからだ。そのときは、胡桃が俺のネット上の友人の『
胡桃と一緒に、武蔵金井駅に向かって歩き始める。
「まさか、ゆう君と一緒にコアマに行くことになるなんて」
「俺も同じことを考えてた。本来は別々に行く予定だったもんな」
「うん。……ただ、これまで、メッセンジャーでコアマについて何度も話したことがあるから、ゆう君と一緒にコアマに行けるのは嬉しいよ」
「そっか。俺も……嬉しいよ。コアマのことを話したとき、桐花さんと一度行ってみたいと思ったことがあったから」
「……その言葉も嬉しいです」
えへへっ、と声に出して笑う胡桃。その姿はとても可愛くて。
中学時代の自分に、高1の夏休みに開催されるコアマでは、桐花さんと一緒に参加すると教えたらどんな反応をするだろうか。しかも、桐花さんの正体は胡桃だと。……信じない可能性が高そうだな。
胡桃とコアマのことを話しながら歩いたので、あっという間に武蔵金井駅に到着。
土曜日だけど早朝なので、改札前にいる結衣と福王寺先生の姿をすぐに見つけることができた。結衣はショートパンツに半袖のTシャツ、福王寺先生はレギンスパンツにノースリーブのブラウス姿だ。
また、結衣は日除け対策かキャップを被っている。シンプルな服装だし、キャップも野球帽っぽい形だから、いつもと違ってボーイッシュな雰囲気だ。
結衣と福王寺先生が一緒にいるのもあり、あの2人から結構なオーラを感じるな。駅構内にいる多くの人が2人に視線を向けている。
「結衣ちゃん! 杏樹先生!」
胡桃が大きな声で呼ぶと、結衣と福王寺先生は笑顔で手を振ってくれた。
「2人ともおはようございます!」
「おはようございます」
「悠真君、胡桃ちゃん、おはよう! 2人とも服似合ってるよ!」
「ありがとう。結衣も先生も似合ってますね。な、胡桃」
「そうだね、ゆう君」
「ありがとう!」
「快適さ重視で服を選んだけど、似合っているって言われると嬉しいな」
結衣だけでなく、福王寺先生も嬉しそうな笑顔を見せる。
結衣の発案により、お互いの今日の姿をスマホで撮影し合った。
「低田君と胡桃ちゃんも来たから、これで全員集合ね。みんな、今日はよろしくお願いします」
福王寺先生はそう挨拶すると、俺達に向かって軽く頭を下げる。
「杏樹先生のために頑張りますよ! ね、悠真君! 胡桃ちゃん!」
「そうだな、結衣」
「うん!」
「ありがとう! ただ、今日も暑くなるみたいだし、体調には気をつけて。あと、コアマにはたくさんの人が参加するし、もし買えなくても気にしないでいいからね。今まで、コアマで目当てのものが買えなかった経験は何度もしているし」
優しい笑顔を見せながらそう話す福王寺先生。俺も欲しい本やグッズが買えなかった経験があるから、先生の言うことはよく分かる。
福王寺先生が送ってきた買いたい本リストには、人気サークルによる新刊もある。全て買えたらラッキーに思うくらいがちょうどいいのかも。ただ、それを目標に頑張ろう。
その後、俺達3人はそれぞれ往復の交通費とコアマの入場料として3000円もらった。事前に調べた金額では、合わせて2000円ちょっとなんだけどな。それを先生に伝えると「買い物を代行してくれる謝礼込みで」と笑顔で言われた。なので、俺達は有り難く3000円受け取ることに。
俺達はNR東京中央線快速の上り列車に乗って、まずは乗換駅の
朝早い時間なので、電車の中は空いている。座席も4席連続で空いている場所が見つかり、俺、結衣、胡桃、福王寺先生の並びで座った。
電車の中は涼しいし、腕から感じる結衣の温もりも気持ちいいから、琴宿駅までの時間はすぐに過ぎそうだ。
「そういえば、結衣ちゃんは今日はコアマ初参加だと聞いているけど、低田君と胡桃ちゃんは参加したことあるんだっけ?」
「俺は何度もありますね。小学生のときは芹花姉さんと一緒で、中学生になってからは1人で来ることもありました。夏も冬も経験済みです」
「あたしは中学のときに姉と何回か。長時間並んだ経験もあります」
「そうなんだ。先生は中学の頃からのコアマにほとんど参加してて。1人のときもあれば、遥や雄大、友達と一緒に参加したこともあるわ。今日みたいに、買うものを分担することもあったよ」
そのときのことを懐かしんでいるのだろうか。福王寺先生はやんわりとした笑みを浮かべている。
福王寺先生は10年以上もコアマに参加しているのか。それを知ると、急に先生からベテランのオーラが出始めたように見える。
「悠真君がコアマ経験者なのは知っていましたけど、胡桃ちゃんと杏樹先生も結構な経験者なんですね。ネットで調べたら、夏のコアマはかなり過酷な日もあるそうですから、経験者が3人もいると本当に心強いです」
「夏のコアマの敵は暑さだからね。低田君はもちろんだけど、私や胡桃ちゃんにも遠慮なく頼ってね」
「杏樹先生の言う通りだね」
「ありがとうございます!」
「まあ、今日は俺がずっと側にいるから安心して。何かあったら遠慮なく言うんだよ」
「うんっ!」
明るく返事すると、結衣は俺の腕を抱きしめてきた。
今日は恋人として、そしてコアマ参加経験者として、初参加の結衣のことをちゃんと見ていかないと。
その後もコアマのことで話が盛り上がり、あっという間に琴宿駅に到着する。
琴宿駅に降りて、俺達はNR
東玉線の電車の中にはなぎさ線という路線との直通電車がある。その直通電車に乗ると、会場の最寄り駅である国際展示ホール駅まで乗り換えなしで行けるのだ。
ホームに行くと、キャラクターが印刷されたTシャツを着ている男性や、缶バッジを大量に付けたバッグを持つ女性など、漫画やアニメグッズを身に付けている人の姿がちらほらと。そういう人達は十中八九コアマ参加者だろう。
ホームに到着してから数分ほど。なぎさ線直通の電車がやってきた。
乗車すると、東京中央線のときとは違って、席は全て埋まっていた。なので、俺達は開いた扉の反対側の扉の近くで立つことに。
電車は時刻通りに発車する。
席には座れなかったけど、混んではいないし、結衣達と話しているので特に嫌な気持ちはない。
しかし、琴宿駅を出発してからおよそ10分後。
電車が
「大丈夫か? 結衣」
「うん、大丈夫だよ。むしろ、悠真君に壁ドンされた感じになってドキドキしてる」
結衣は楽しげな笑みでそう言ってくる。そんな彼女の笑顔はほんのり赤らんでいて。この状況を嫌がっていないようで良かった。
そういえば、小崎駅ってなぎさ線の始発駅だったな。東玉線はもちろんのこと他の路線の乗り入れもできるし。だから、多くの人が乗車してきたのかもしれない。今、乗車してきた人の多くは俺達のようにコアマに向かう人達だろう。
「胡桃ちゃん、大丈夫?」
「平気ですよ。先生も大丈夫でしたか? 後ろから押されて」
「大丈夫だよ。それに、胡桃ちゃんの胸がいいクッションになってる」
「ふふっ。あたしも先生の胸がいい感触だなって思ってて……」
「そうなのね。風邪を引いたときに胸の柔らかさを堪能したし、これでおっぱい返しできたかしら?」
「ふふっ、できてますよ」
胡桃と福王寺先生のそんな会話が聞こえたので、2人の方を見てみると……先生が胡桃を壁ドンする体勢になっていた。ただ、2人は笑い合っているし、この状況を嫌だとは思っていないようだ。
2人の会話に胸というワードが何度も出ており、おっぱい返しなんていう初耳ワードも出たので、その部分をチラッと見てしまう。……2人の大きな胸がいい感じで触れ合っている。
それから程なくして、電車は小崎駅を発車する。
発車した直後に結衣はキャップを外し、持っているトートバッグの中に入れた。この先、車内がさらに混んで、キャップのつばが俺に当たるかもしれないと考えたのだろうか。
「キャップを外した結衣も可愛いよ」
「ありがとう」
と言い、結衣は俺にキスしてきた。その際に、結衣の温もりと甘い匂いを感じられて。結衣のおかげで、車内が結構混んでいるのもいいなと思える。
それから程なくして、次の
結衣や胡桃がいる方とは反対側の扉が開く。
俺の記憶は見事に当たり、この駅でも多くの人が乗車してくる。後ろから押されて、結衣と体が密着する形に。そのことで、服越しに結衣の温もりや柔らかさがはっきりと伝わり、結衣の甘い匂いもさっきよりも強く香ってくる。
「結衣、大丈夫? 苦しくないか?」
「ちょっと圧を感じるけど、このくらいなら大丈夫。それに悠真君の温もりや匂いを感じられるから幸せ……」
うっとりとした様子で俺を見つめながらそう言ってくれる結衣。この状況でも幸せに浸れるとはさすがである。
俺に押されているにもかかわらず、結衣は俺の胸に頭を埋めてきた。もしかしたら、これをしたくて、さっきキャップを外したのかもしれない。
結衣の吐息の熱が服越しに伝わって気持ちがいいな。
「胡桃と福王寺先生は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、ゆう君」
「私も大丈夫。コアマに行くときの満員電車にも慣れているし。むしろ、胡桃ちゃんの温もりと胸の柔らかさが気持ちいいくらい。3人の匂いもいいし……この状況、結構気に入っているわ」
ふふっ、と福王寺先生は美しい笑顔を見せている。さすがは中学生の頃からコアマに参加し続けているだけのことはあるな。あと、胡桃の胸の柔らかさや、俺達3人の匂いがいいからこの状況がいいと思えるのは先生らしい。胡桃も恥ずかしがるどころか、むしろ嬉しそうにしているくらいだ。2人も大丈夫そうだな。
小井町駅を発車してからは、途中の駅で降りる人が全然おらず、かなり混雑している状況が続く。おそらく、この電車に乗っているほとんどの人の目的はコアマなのだろう。
『まもなく、国際展示ホール駅です。お出口は右側になります』
おっ、もうすぐ国際展示ホール駅に着くのか。混んだ状況から解放されるのは嬉しいけど、結衣と体を密着しているこの体勢が終わることに名残惜しさを感じる。
それからすぐに、俺達の乗る電車は国際展示ホール駅に到着する。遅延や運転見合わせもなく到着して一安心だ。
俺の推測は当たったようで、扉が開くと多くの人が降車する。
「さあ、私達も行くよ」
そう言う福王寺先生を先頭に、俺達4人も降車。
ホームにはかなりの人がいる。なので、エスカレーターに乗って駅構内に上がるにも少し時間がかかった。結衣は駅のこういった光景は見たことがないようで、「凄い人の多さだね」と驚いていた。
また、コアマの開催期間中なので、駅には漫画やアニメ、ラノベなどのポスターがたくさん貼られている。俺達は好きな作品のポスターを各々スマホで撮影した。個人的にこの人の多さと駅のポスターの多さを目の当たりにすると、コアマの最寄り駅に着いたのだと実感し、気持ちも上がってくる。
福王寺先生の指示で、お手洗いを済ませてから国際展示ホール駅を出るのであった。
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