特別編5

前編

特別編5




 6月26日、水曜日。

 今日は朝から快晴だ。梅雨入りしているので、梅雨の中休みとも言える。昨日まで雨が降っており、明日の午後からしばらく雨が降り続く予報なので、その印象が強い。

 今日の最高気温は32度。今年一番の暑さになっている。ただ、ここ何日かは雨が降りジメジメしていた。だから、そんな日々に比べればまだマシだ。梅雨が明けてもこのくらいの気候であってほしい。


「ゆう君。物理基礎の課題で分からないところがあるの。教えてくれるかな? 力のつり合いの問題なんだけど」

「分かった。ちょっとプリントを見せて」


「結衣。英語表現の問題で教えてほしいところがあるのですが」

「うん、いいよ。どの問題かな」

「どれどれ。課題が一段落したから、あたしも見てあげるよ」

「ありがとうございます、結衣、千佳先輩。心強いのです」


 放課後。

 俺・低田悠真ひくたゆうまは恋人の高嶺結衣たかねゆい、友人の華頂胡桃かちょうくるみ、クラスメイトの伊集院姫奈いじゅういんひなさん、学校とバイトの先輩の中野千佳なかのちか先輩と一緒に、俺の部屋で課題や来週実施される期末試験対策の勉強をしている。今のように、時には教え合い、助け合いながら。それもあってか、みんな捗っているようだ。

 俺の部屋にあるローテーブルだけでなく、芹花せりか姉さんの部屋にあるローテーブルも使っており、俺から時計回りに胡桃、中野先輩、伊集院さん、結衣という並びで座っている。

 ちなみに、結衣とは隣同士。芹花姉さんの部屋にあるローテーブルもあるから広々と使えるけど、伊集院さんに教えるときを除いて、結衣は俺のすぐ側に座っている。たまにボディータッチをするときもあって。部屋の中はエアコンで涼しくなっているので、結衣の温もりが心地良く感じる。だから、勉強中にされても嫌だとは思わない。


「それで、これが答えになるんだ」

「ああ、なるほどね! 理解できたよ。ゆう君は本当に教え方が上手だよね。凄く分かりやすいよ」

「そう言ってくれて嬉しいな。ただ、ちゃんと教えられるのは、どこが分からないのか胡桃が俺にしっかり伝えてくれるからだよ。それに、今の問題の場合は、問題を解くために必要な基礎を理解していたのが大きい」

「そう言われると、何だか照れちゃうな」


 えへへっ、と胡桃は照れ笑い。

 質問する人の持っている知識量によっては、丁寧に紐解いて教えなければならない場合もある。そうなると、自ずと時間がかかってしまうと思っている。それは小学生の頃の経験があるからだ。

 小学生のとき、苦手な教科の宿題を芹花姉さんに何度も助けてもらっていた。

 ただ、あるとき、普段の授業の内容が理解できていなかったために、宿題が終わるまで何時間もかかったのだ。それでも、芹花姉さんはずっと側にいてくれて。終わったときには「ちゃんとできたね!」と姉さんは褒めてくれた。

 その一件があってからは、分からない問題に出くわしたら、少しの間考えてみる。それでも分からなかったら、何が分からないのかはっきりさせて、誰かに質問するようにしている。とにかく、分からないことをそのまま放っておかないように心がけている。


「分からないところがあったら、遠慮なく聞いてくれ」

「うん、ありがとね、ゆう君」

「あと、力学の問題は、問題文を読んでまずは図を描くといいよ。そうすれば解きやすくなるから。俺はいつもそうしてる」

「そうなんだ。確かに、図を描いてもらったからとても分かりやすかったよ。この後の問題も、まずは図を描いて解いてみるね」

「それがいいと思う。頑張って」


 俺がそう言うと、胡桃は首肯して物理基礎の課題の続きをしていく。問題を解くコツを教えたからか、やる気に満ちた様子だ。


「ううっ、胡桃ちゃん羨ましい」


 結衣のそんな声が聞こえたので、結衣の方に顔を向けてみると……彼女は今の言葉が本心であると示すように、羨ましそうな様子で俺のことを見ていた。

 質問されると、その人のことに集中するし、教えやすいように物理的な距離も近くなる。実際、今の胡桃についてもそうだった。物理について俺に教えてもらい、悩みを解決した胡桃を羨ましく思えたのだろう。


「私も悠真君に何か訊こうかな。でも、悠真君に訊かないと分からないところはないし……悠真君、私、何も助けてほしいことがないよ! どうすればいいかな? ……あっ、これが立派な疑問になってるね。どうすればいいですか!」


 結衣はそう言うと、元気良く右手を挙げてくる。

 勉強の疑問がないことが疑問か。哲学的な雰囲気の疑問だ。下手すると沼にハマってしまいそうだ。分からないふりをして質問すればいい気がするけど、それだと結衣は嫌なのかも。


「胡桃を羨ましく思う気持ちは分かる。ただ、誰かに訊かないと分からない内容がないのは凄いことだと思うぞ。むしろ、結衣には俺が訊くことの方が多いし」

「悠真君……」

「ただ、さっき胡桃にも言ったように、分からない内容があったら、いつでも俺に訊いてきてくれ。そのときは、結衣が分かるように俺もできるだけ協力する」

「うん!」


 いつも以上に可愛らしい笑顔を浮かべ、結衣は頷いてくれる。今の俺の言葉がよほど嬉しかったのか、結衣は俺の背後に行き、後ろからぎゅっと抱きしめ、頬にキスしてきた。それを胡桃と伊集院さん、中野先輩にちゃんと見られてしまう。ちょっと照れくさい。

 背中から結衣の温もりと柔らかさを存分に感じる。甘い匂いもほんのりと感じられるし。そのことで、今日の疲れが少しずつ取れていく。


「……結衣。抱きしめてくれるところで申し訳ないんだけど、今解いている古文の問題が難しくてさ。結衣に訊いてもいいかな?」


 ゆっくりと背後に振り向いて、結衣のことを見る。

 結衣と目が合った瞬間、彼女はニッコリとして頷き、


「もちろん!」


 そう返事をしてくれる。そのことに安心感を覚えた。

 結衣は俺への抱擁を解いて、自分の座っているクッションへと戻る。

 俺にピッタリとくっつきながら、結衣による古典の問題の解説が始まる。今回も分かりやすく教えてくれるなぁ。あと、さっき、背後から抱きしめられたこともあってか、このくらいの密着ぐらいなら、あまり気にせずに解説を聞ける。


「だから、こういう現代語訳になるんだよ」

「おぉ、そういうことか。理解できたよ。ありがとう」

「いえいえ」


 結衣と2人きりだったらお礼にキスするけど、今は胡桃達が近くにいるからそれは恥ずかしい。なので、今は頭を優しく撫でる。


「ねえ、悠真。この家に来るノラ猫っていたりするの?」

「あたしも同じことを低田君に訊こうと思っていたのです。さっきから何度も猫の鳴き声が聞こえるのですから」

「そうだったんですか。小さい頃からノラ猫は来ますよ。今来る茶トラのノラ猫は1年くらい前からでしょうか。その猫はうちの敷地に入ったり、うちの家族の姿を見たりするとよく鳴くんです。声が大きいので、窓を閉めていても今のように静かにしていれば聞こえることもあるんですよ。窓を少し開けて、耳を澄ましてみましょう」


 勉強机の近くにある窓を少し開け、俺達は耳を澄ますことに。蒸し暑いのは嫌なので、早く鳴き声が聞こえてほしい。


「にゃー。にゃーおー」


 俺の願いが届いたのか、すぐに猫の可愛い鳴き声が聞こえてきた。この鳴き声には聞き覚えがある。


「この鳴き声だよ!」

「これなのです!」

「この鳴き声はうちに来るノラ猫のものですね」

「そうなんだ。可愛い鳴き声だね! 悠真君!」

「そうだね、結衣ちゃん!」


 4人ともちょっと興奮した様子になっている。ただ、伊集院さんと中野先輩は鳴き声の正体が分かったから。結衣と胡桃は猫好きで、猫の鳴き声が聞こえたから興奮しているんじゃないかと思われる。


「そういえば、この前、結衣と胡桃と一緒に猫カフェに行ったとき、うちに来るノラ猫の話をしたよな」

「あぁ、そうだったね! 触ってみたいって言ったね」

「言っていた気がする」


 俺の記憶通りだったか。

 普段、3~4日に一度来る。ただ、来る時間帯はまちまち。梅雨入りしてからは雨が降る日が多いので、最近は来る頻度が低くなっていた。それもあって、今日になって初めて結衣がいるときにノラ猫が来る形になったのだ。


「じゃあ、休憩がてらノラ猫に会いましょうか。母と姉はそのノラ猫が来るようになってすぐに触れましたし、4人ならすぐに触れるんじゃないかと思います。伊集院さんと中野先輩って猫は好きですか?」

「猫は好きなのですよ! あたしも家の近くにいるノラ猫さんに触りますし」

「あたしは犬派だけど、猫も普通に好きだよ」

「そうですか。では、みんなで1階のリビングに行きましょう」

『はーい!』


 これから猫に戯れられるのが楽しみなのか、4人は声を揃えて元気良く返事する。まったく、とても可愛い恋人と友人2人とバイトの先輩だよ。

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