エピローグ『姫の笑みは万人に通ずる』
6月21日、金曜日。
今日も朝から雨がシトシトと降っており、空気は肌寒い。なので、今日も俺は長袖のワイシャツにベストという服装にしている。
ただ、今日はたまに風が強く吹くことがある。そのときはかなり寒い。昨日の胡桃や中野先輩のように、カーディガンを着れば良かったかな。歩いていく中で体が温まっていくけど、今日は風による寒さが勝る。
いつも通り、1人で登校して1年2組の教室に向かうと、既に登校していた結衣にぎゅっと抱きしめられる。今日も元気で大変よろしい。俺が頭を撫でると、結衣は「えへへっ」と笑って、俺の胸に頭をスリスリしてくる。そんな様子をすぐ近くから胡桃と伊集院さんに見られて。本当にいつも通りだ。安心する。
ちなみに、結衣達の服装は昨日と同じ。長袖のブラウスを着る結衣と胡桃は大丈夫だろうけど、半袖の伊集院さんは大丈夫なのか?
「伊集院さん。今日は昨日よりも風が強く吹くときがあるけど、半袖のブラウスとベストで寒くなかった?」
「全然平気なのですよ。昨日、結衣が言ったように、体を動かすとすぐに温かくなる体質なのです。ですから、今日くらいの寒さであれば大丈夫なのです」
「それなら良かった」
「姫奈ちゃん、今日も歩いているときに『涼しくてちょうどいいのです~』って、気持ち良さそうに言っていたもん。逆に私、この服装でちょっと寒いと思ったから、途中から姫奈ちゃんと相合い傘したよ。触れたのは手だけだけど、凄く温かくて」
「昨日、お見舞いに行ったときに姫奈ちゃんと寄り添ったけど凄く温かったよ」
「結衣達に温もりを提供できて、あたしも満足なのですよ」
ふふっ、と伊集院さんは言葉通りの満足そうな笑みを浮かべる。
「低田君。試しにあたしの手を触ってみますか?」
「いいのか? 結衣達が温かくて気持ちいいって言うから、正直、どのくらい温かいのか気にはなっているけど」
「あたしはかまわないのですよ」
「手なら触っていいよ、悠真君」
「……では、お言葉に甘えて」
俺は自分の席に荷物を置いて、伊集院さんの右手をそっと握る。
「……みんなの言う通りだ。凄く温かい」
「でしょう?」
どうして結衣がドヤ顔になるのか。
結衣の手よりもかなり強い温もりで。ただ、ずっと触れていても大丈夫な優しさも感じられて。だから、結衣は寒い時期になると、伊集院さんのことをたくさん抱きしめるんだなと思った。もちろん、温もりから感じる優しさは結衣もいい勝負だけど。
気付けば、頬が緩んでいるのが分かった。
目の前には、ちょっと頬を赤くし俺をチラチラと見る伊集院さんがいた。
「親友の彼氏でも、自分の手を握られて、微笑まれると何だか照れてしまうのです」
「そうか。……ありがとう、いい温もりだった」
俺が伊集院さんの手を離すと、結衣がすぐに後ろから伊集院さんを抱きしめる。
「照れるって言うだけあって、いつも以上に体が温かいね」
「ううっ、指摘しないでほしいのです。さらに照れて体が熱くなってしまうのです」
「……おっ、どんどん温かくなってる」
「……まったく、結衣ったら」
そう言う伊集院さんはいつもの可愛い笑顔になっている。結衣と顔を向け、「ふふっ」と笑い合った。さすがは親友といったところか。
その後、結衣と交代する形で胡桃が伊集院さんのことを抱きしめる。
「……とっても温かい。昨日の放課後よりも温かいかも」
「結衣と低田君のおかげで温まっていますからね。あと、胡桃は……柔らかさが凄いのです。背中からはっきり伝わってくるのです。気持ちいいのですよ」
「そ、そう? ゆう君の前で言われるとちょっと恥ずかしい」
「……あら。柔らかさだけでなく温もりも伝わってきたのです」
「もう……」
それでも、胡桃と伊集院さんは微笑み合っている。
中学のときも胡桃は教室で笑顔を見せることはあったけど、今の方が素敵な笑顔を見せてくれることが多い。きっと、金井高校に入学して、結衣と伊集院さんという人と出会えたからだろう。あとは、俺に好きだと告白してくれたからかな。
「それにしても、早く先生の姿を見たいのです」
「学校に行くってメッセージをくれたけどね。あたしは隣のクラスだから、先生が早めにここに来てくれると嬉しいな」
「早く来てってメッセージを出してみようか?」
などと、女子3人で楽しげに話している。
今朝、学校に行く直前、グループトークに福王寺先生から、
『みんなのおかげで元気になったよ! だから、今日は学校に行くね。本当にありがとう。あと、低変人様が買ってくれた桃のゼリー、とっても美味しかったわ! 近いうちに、お見舞いのお礼をさせてね』
というメッセージが送られてきたのだ。先生が元気になったのだと分かって安心し、嬉しい気持ちになる。ただ、実際にこの教室で先生の姿を見ないと安心しきれない部分もあって。だから、俺も先生の姿を早く見たい。
そんなことを考えていると、廊下からザワザワと声が聞こえてくる。もしかして。
「みんな、おはよう。朝礼のチャイムが鳴るまでは自由にしていいわよ」
教室前方の扉から、ロングスカートにカーディガン姿の福王寺先生が教室の中に入ってきた。いつもの通り、クールで落ち着いた様子だ。顔色も良さそうなので、きっと大丈夫だろう。
「あっ、杏樹先生だ!」
「ちゃんと来ましたね!」
「朝礼前に杏樹先生の姿を見られて嬉しいな」
教室で福王寺先生の姿を見られて、結衣も伊集院さんも胡桃も嬉しそうだ。先生は俺達の方に視線を向けるとふっ、と微笑んで小さく手を振った。
昨日は体調を崩して欠勤したこともあってか、女子中心に多くの生徒が福王寺先生の周りに集まる。
「先生、元気になったんですね!」
「良かったぁ、今週中にまた会えて」
「梅雨になってから寒い日が続きますから、温かくしないとダメですよ!」
「オレ、今日からまた数学の勉強頑張れそうッス!」
「先生の顔を見ないと1日が始まらねぇもん!」
生徒達は風邪が治って、再び学校に来られるようになった福王寺先生に次々と温かな言葉をかけていく。そのことにクールモードの先生も徐々に頬が赤くなり、ついには、
「もう、たった1日休んだだけなのに。でも……ありがとう。嬉しいわ」
素のモードになったのではないかと思わせる柔らかな笑みを浮かべ、優しい声色でお礼の言葉を言った。
学校では見せない姿だからか、教室の中が静まり返る。そして、
『可愛いー!』
男女問わず大盛り上がり。だからなのか、福王寺先生は苦笑い。
あと、みんなの声が教室の外にも聞こえたからか、廊下から先生のことを見てくる生徒が何人もいる。
「ふふっ、先生ったら。戸惑っているのです」
「こんなにも多くの生徒から『かわいい』って言われると、照れくささを越えて戸惑っちゃうのかもね」
「結衣ちゃんの言う通りかも。あたし達の前だと、ああいった柔らかな笑顔を普通に見せてくれるのにね。恥ずかしがり屋さんなのかな?」
「前に聞いた話だと、教師としてしっかりするためや、生徒達に舐められないために、学校ではクールに振る舞うように心がけているらしい」
「なるほどね」
ただ、今の可愛らしい笑顔で、生徒職員問わず、学校関係者からの福王寺先生の人気が更に増すのは確実だろう。生徒達に舐められることにはならないんじゃないだろうか。もしかしたら、『クールビューティー』『数学姫』に続く新たな異名が出るかもしれない。
クラスメイト中心に「可愛い」とたくさん言われているからか、福王寺先生の笑顔が段々と照れくさそうなものに変わってきた。可愛いな。
「ふふっ、照れくさそうなのです。学校で見る笑顔もいいなと思えるのです」
「もっと見たいよね」
「あたしのクラスは授業だけの関わりだけど、可愛い笑顔を見せてくれると嬉しいな」
結衣達の言う通りだと思う。福王寺先生は素敵な笑顔の持ち主だから。
少しでもいいので、これからは学校でも福王寺先生の柔らかな笑顔を見られるといいなと思うのであった。
特別編3 おわり
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