エピローグ『予定外もいいものだ。』

 午後3時過ぎ。

 アルバムを見終わったので、結衣と俺は福王寺先生の家から帰ることに。


「低変人様と結衣ちゃんのおかげで、とても楽しい一日になったよ! クモ退治や、大好きな同人誌の朗読もしてくれたし! ありがとう!」

「こちらこそありがとうございます! お昼ご飯を食べたり、同人誌を朗読したり、アルバムを見たりして楽しい時間になりました! 悠真君はどうだった?」

「俺も楽しかったよ。お昼ご飯も美味しかったし。福王寺先生、今日はありがとうございました」


 まさか、福王寺先生の家で過ごすとは思わなかったな。ただ、たまにはこういった予定外の時間を過ごすのもいいものだ。


「杏樹先生、また遊びに来てもいいですか?」

「もちろん! いつでも来ていいよ! いつかは姫奈ちゃんや胡桃ちゃん、千佳ちゃん達とも一緒に来てね」

「はいっ! ……ところで、杏樹先生。明日は悠真君と千佳先輩がバイトなので、午前中にムーンバックスに行く予定なんです。先生もどうですか? 姫奈ちゃんと胡桃ちゃんも一緒ですけど」

「行く行く! 特に予定もないし」

「分かりました! では、武蔵金井駅の改札前で待ち合わせしましょう」

「ご来店お待ちしております」


 バイト中ではないけど、ムーンバックスの店員らしくそう言うと、結衣と福王寺先生は朗らかな笑顔を見せてくれた。結衣達が来てくれるなら、明日のバイトも頑張れそうだ。


「じゃあ、また明日だね」

「はい! また明日です!」

「また明日、ムーンバックスで会いましょう」


 福王寺先生に手を振り、結衣と俺は『メゾン・ド・カナイ』を後にした。俺の荷物が結衣の部屋に置いてあるので、結衣と一緒に彼女の家に向かって歩く。

 朝からよく晴れているから、福王寺先生の家に来たときよりも暑いな。空気も蒸しているし。梅雨が明けたら、これが普通になるんだよな。どうか猛暑にはならないでほしい。それでも、結衣の手から伝わる温もりは全く嫌だと思わない。


「まさか、杏樹先生の家であんなに楽しい時間が過ごせたなんてね。そういう意味では、あの巨大グモに感謝かも」

「そうだな」


 そういえば、福王寺先生の家に行ったきっかけは、先生の大嫌いなクモを退治するためだったな。あれから数時間ほどしか経っていないのか。もっと長い時間、先生の家にお邪魔していた気がする。初めて行った場所だったからだろうか。


「特に同人誌を朗読したのが楽しかったな!」

「……結衣はノリノリだったもんな。一緒に読んでくれる人が結衣じゃなかったら、普通に読めなかったかもしれない」

「ふふっ、そっか。褒め言葉として受け取っておくよ」


 ご機嫌な様子で腕を抱きしめてくる結衣。

 今回は朗読だけだったけど、いずれ『朗読を録音させて! いつでも耳から同人誌を楽しみたいの!』とか言ってきそうな気がする。あの人ならやりかねない。


「そういえば、今回のお泊まりも楽しかったね!」

「そうだな。これからも定期的にお泊まりしようか」

「いいね! 夏休み中には何度かお泊まりしたいなぁ。旅行とかも行きたいね。……それで、いつかは同棲したいね。先生の家に行ってその気持ちが強くなった。2人で住むには、先生の家の間取りだと狭いかもしれないけど」

「そうだな。……そんな未来が来るように一緒に頑張ろうな」

「うん!」


 お昼ご飯を食べたときも言っていたけど、俺達が同棲したら福王寺先生が遊びに来るんだろうな。そのときはきっと、俺達に朗読してほしい本を持参して。

 結衣と話しながら歩いたから、あっという間に結衣の家が見えてきた。結衣の家を見ると、帰ってきたんだなぁと強く思えるのであった。




『こんにちは、低変人さん』

『こんにちは、桐花さん。バイトお疲れ様です』

『ありがとう!』


 夕方、自宅に帰ってきた俺は、桐花さんとメッセンジャーでさっそくチャットを始める。休日だと明るいうちからチャットをすることがあるので、いつもの時間に戻ったなぁ……と実感する。

 桐花さんの正体が胡桃であると知ってから2週間。画面の向こう側に胡桃がいると分かった上でチャットすることにも、ようやく慣れてきた。


『結衣ちゃんのお家でのお泊まりは楽しかった? 確か、昨日の夕ご飯には大好きなハンバーグを作ってくれたんだよね?』

『楽しかったですよ。手作りハンバーグは最高でした』

『良かったね! 結衣ちゃんと一緒にハンバーグを幸せそうに食べている様子が目に浮かぶなぁ。お弁当に入っているハンバーグを食べているときも幸せそうだから』

『ははっ、そうですか。照れちゃいますね』


 大好物だからか、お弁当にはたまにハンバーグが入っている。高校生になっても、好物が弁当に入っていると嬉しいものだ。きっと、その気持ちが顔に出ていたのだろう。


『ただ、夕飯のときに、結衣が間違えてお母様のカクテルを一口呑んじゃって』

『えええっ! 大丈夫だった?』

『体調は大丈夫でした。ただ、少しの間でしたが、酔っ払いましたね。普段以上に声や表情が柔らかくなって、より甘えん坊になりました。あと、自分のことを『結衣』って呼んでました』

『それは可愛い酔い方だね! 実際に見てみたかったなぁ』


 もし、胡桃のいる場で酔っ払ったら、結衣はどうなるだろう。胡桃のことを可愛いと言いまくって、抱きしめたり、頬にキスしたりしそうだ。

 あと、胡桃が酔っ払ったらどう変わるんだろう。結衣のように普段以上に柔らかくなるのかな。それとも、すぐに眠くなるのか。はたまた、性格が変わるのか。それは20歳になってからのお楽しみにしておこう。


『あと、今日は杏樹先生の家に行ったんだよね。あたしはクモが平気だから、バイトさえなければ一緒に行ったんだけど。グループトークの結衣ちゃんのメッセージだと、すぐにクモ退治できたんだって?』

『ええ。部屋に入ったらすぐに見つけたので、殺虫剤で退治しました』

『なるほどね。キュンキュンしたって結衣ちゃん言っていたから、その場面も見てみたかったな。きっと、あたしもキュンキュンしちゃうんだろうね』


 そのメッセージ見て、ちょっとキュンとなりました。

 ただ、クモが平気な胡桃がクモ退治する様子も見てみたかったな。普段とは違うかっこいい胡桃の姿が見られそうな気がする。


『お礼にお昼ご飯を作ってもらったり、BL同人誌を朗読したり、アルバムを見せてもらったりと先生の家で楽しい時間を過ごしました。本当はお昼にエオンで食事をして、ショッピングする予定だったんですけどね』

『そうだったんだ。予定外でも楽しい時間になって良かったね。でも、そういうことってたまにあるよね。あと……BL同人誌の朗読が気になるけど、明日は結衣ちゃん達と会うし、そのときに詳しく聞こうかな。杏樹先生も来るし』

『……それがいいと思いますよ』


 興奮しすぎて、周りのお客さんに迷惑を掛けないといいけれど。特に福王寺先生。

 きっと、明日……結衣達がムーンバックスで話す話題は、俺が結衣の家に泊まったときのことと、結衣と俺が福王寺先生の家へ遊びに行ったときのことになるだろう。4人の笑った顔が容易に想像できるのであった。




 6月16日、日曜日。

 昨日とは打って変わって、今日は朝からシトシトと雨が降っている。気温も20度以下で肌寒く感じるほどだった。こういった梅雨の時期の寒い気候を梅雨寒と言うらしい。

 今日は朝から昼過ぎまで中野先輩と一緒にバイトの予定だ。

 バイトを始める前に中野先輩から、一昨日と昨日のことを訊かれたので、何があったのか軽く説明すると、


「色々とあったんだね。楽しい時間を過ごせて良かったじゃない。それにしても、杏樹先生って学校とは違って、可愛くて面白い先生だね。あと、クモ退治とBL同人誌の朗読お疲れ様」


 中野先輩はそう言ってくれた。BL同人誌を朗読したことも話したけど、まさかそのことまで労われるとは思わなかった。だから、ちょっと嬉しかった。

 普段よりも気分がいい中でバイトを始める。

 日曜日だからか、雨が降っているにも関わらず、続々とお客様が来店される。ただ、肌寒い気候なので、いつもと違って温かい飲み物を注文するお客様が多い。

 バイトを始めてから小一時間経ったとき、


「来ました! 悠真君! 千佳先輩!」


 結衣と胡桃、伊集院さん、福王寺先生が来店する。恋人や友人、担任の先生だからかもしれないけど、彼女達が来たことで店内がより明るくなった気がした。4人とも美女だから、男女問わず彼女達を見るお客様が多い。


「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりでしょうか」

「はいっ! 4人です!」


 そう言ったときの結衣の明るい笑顔を見て、溜まり始めた今日のバイトの疲れが一気になくなった感じがする。結衣が愛おしくも感じて。

 4人はそれぞれドリンクとスイーツを注文。注文されたメニューを俺が出すと、カウンターから見えやすいテーブル席に座った。

 たまに4人の方を見ると、彼女達は楽しそうにお喋りをしている。たまに、結衣や福王寺先生中心に盛り上がるときもあって。BL同人誌朗読の話をしているのかな。

 そんな中、4人が俺と中野先輩に小さく手を振ってくれることも。そのことに癒され、元気をもらいながら、俺は先輩と一緒にバイトに勤しむのであった。




特別編 おわり

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