第9話『イケメンボイス』

 福王寺先生と結衣が作ってくれたお昼ご飯はとても美味しかった。

 昼食を作ってくれたお礼に、俺が後片付けをする。その様子を福王寺先生がすぐ側で見守ってくれることに。

 ちなみに、結衣は本棚にある漫画を読んでいる。1つしかないクッションに座り、ベッドに寄り掛かる体勢で。たまに笑い声も聞こえてきて。リラックスしているなぁ。


「まさか、低変人様がうちのキッチンに立つときが来るなんて。夢のようだよっ!」

「大げさですね。キッチンには立っていますけど、やっているのは後片付けですよ。まあ、俺も担任の先生の家でお昼ご飯を作ってもらって、その後片付けをする日が来るとは思わなかったですけど」

「ふふっ。こうしてキッチンで低変人様の側に立っていると、ちょっとだけ……低変人様との同棲気分をお裾分けしてもらっている感じがする。お昼ご飯のときに、同棲している2人の家に遊びに来たみたいだって言ったからかな」

「そうですか。可愛いことを言いますね」


 一瞬でも、福王寺先生との同棲生活を想像してしまったことに罪悪感が。


「もう、可愛いだなんて……」


 えへへっ、と福王寺先生はニヤニヤして両頬に手を当てる。あと、ハーフアップに結んでいる先生の髪が左右に激しく揺れている。屋内だし、エアコンの風も弱いのに、どうしてそんな風に動くんだろう。まあ、可愛いので気にしないでおくか。


「そういえば、先生って料理がとても上手なんですね」

「ありがとう。今日みたいに休日や、平日も時間に余裕があるときは自炊しているの」

「そうなんですか。俺もそうでしたけど、小さい頃によくお手伝いをしていたんですか?」

「ええ。大きくなったら、私が夕食を作る日もあったわ。母もパートで夜まで帰ってこない日もあったし、弟と妹がいるから」

「弟さんと妹さんがいるんですね」

「うん。自慢の弟と妹だよ。そういえば、今年度になってから、家族のことは全然話してなかったね」


 結衣は知っているのかな。料理上手なことを先輩方が話してくれたから、弟さんと妹さんについても知っているかもしれない。


「先生の弟さんと妹さんって何をされているんですか?」

「弟は社会人。4月にIT系の企業に就職した新米よ。妹は大学に入学して、化学の勉強をしているの」

「そうなんですか。先生は数学教師ですし、理系きょうだいなんですね」

「そうね」


 そう言う福王寺先生の笑顔はとても落ち着いていて。まさに一番上のお姉さんって感じだ。芹花姉さんと重なる。

 福王寺先生の弟さんと妹さんか。どんな感じの方なんだろう。先生に似ているのか。それとも、全然違うのか。先生が学校でのクールモードと素の可愛らしいモードを上手に使い分けているから、全く想像ができない。


「ちなみに、私が布教した甲斐もあって、2人とも低変人様の曲は大好きよ。あっ、もちろん正体は話していないから安心してね」

「……色々とありがとうございます」


 やっぱり、弟さんと妹さんに布教していたか。福王寺先生、本当に低変人の曲を好きでいてくれているからな。

 ほんのちょっとしか話を聞かなかったけど、福王寺先生は弟さんと妹さんとは仲が良さそうだ。


「……よし、これで終わりですね」

「お疲れ様。低変人様はちゃんと後片付けできて偉いね」


 よしよし、と福王寺先生は俺の頭を優しく撫でてくれる。弟さんや妹さんを褒めるときもこうしていたのかな。

 それにしても、今の福王寺先生……とても可愛いな。それに、ノースリーブシャツを着ているから、胸の谷間や綺麗な腋が見えているし。こういう体勢だからかいい匂いもしてくるし。ドキドキしてきた。


「ど、どうも」


 俺は逃げるようにして結衣のいる部屋へ戻る。

 結衣は漫画を読んでいたけど、足音に気付いたのか俺の方を向いた。


「後片付け終わったんだね。お疲れ様」

「ありがとう。結衣は何の漫画を読んでいるんだ?」

「『僕の王子様はクラスメイト』っていうBL漫画の第1巻。絵が綺麗で、恋愛模様も爽やかで読みやすいよ。中学のとき、友達からオススメはされていたんだけど読んだことなくて」

「そのお友達、いいBLセンスだね! 私も定期的に読み返してるよ!」


 ハイテンションで話す福王寺先生。BLセンスって言葉は初めて聞いたな。先生は麦茶の入ったコップをテーブルに置く。

 結衣はもちろんのこと、胡桃や伊集院さん達もBL漫画はいくつも持っているから、福王寺先生と話が合いそうだ。あと、芹花姉さんは大学生になったから、さっき見つけた薄い本のような内容も話せるし。

 スマホを確認すると、6人のグループトークに複数のメッセージが送られていた。


『クモ退治できたんですね。良かった』


 という中野先輩のメッセージが。おそらく、映画を見終わってこのグループトークの会話を見たのだろう。そんな先輩のメッセージの後に、


『悠真君が鮮やかに退治しましたよ! 先生と一緒にキュンキュンしました!』


 という結衣のメッセージが送信されていた。いつも通りにクモ退治しただけだけど、恋人をキュンキュンさせられて良かった。


「ねえ、結衣ちゃん。前から思っていたんだけど、結衣ちゃんって綺麗な声をしているから、イケボを出せそうな気がするの!」


 イケボ……ああ、イケメンボイスのことか。

 福王寺先生の言うとおり、結衣の声は綺麗で魅力的な声だ。そういえば、以前、母さんに『私の義理のお母さんになることを願っている』と話したときの声は、とても低くてかっこよかったな。


「ちょっと出してみましょうか」


 あー、あー、と結衣は普段よりも低い声を出す。

 そして、スイッチが入ったのか、結衣はとても凜々しい様子となり、笑顔を浮かべながら福王寺先生の肩を抱く。


「杏樹先生の作ったナポリタン、とっても美味しかったですよ」

「……あ、ありがとう。予想以上にいいね、結衣ちゃん。あと、イケボ中はタメ口で話してくれない? そっちの方がよりキュンキュンできそう」

「……いいよ、杏樹。君の頼みなら」

「おおっ……!」


 頬をほんのりと赤くして、興奮した様子になる福王寺先生。どうやら、結衣のイケボは先生の好みにドストライクのようだ。

 それにしても、声だけじゃなくて表情までイケメンになるとは。結衣って本当に色々なことができる子だと思う。このイケボを活かした曲をいつか作ってみたいな。


「いい匂いだね、杏樹」

「あうっ……」

「可愛い声出しちゃって。家にいるときや、気心知れた人だけがいるときの杏樹はとても可愛いよね。学校でのクールな杏樹も素敵だけど。学校でも、可愛い一面をもっと出してもいいんじゃない?」

「あ、あわわっ……」

「あっ、でも……学校でクールな姿を見せているから、今の杏樹がとっても可愛く感じられるのかも。それに、クールに振る舞う杏樹も私は好きだからね。杏樹は本当に素敵な女性だよ。杏樹が担任で、部活の顧問で私は凄く幸せだよ」


 結衣は福王寺先生の頬にキスをする。

 さすがにキスまでされるとは思わなかったのか、キスされた瞬間に福王寺先生は頬を真っ赤にして結衣から離れ、ベッドに突っ伏す体勢に。


「うひょー! たまんねー!」


 最高だああっ! と叫びながら、福王寺先生は右手を拳にしてベッドを強く叩いている。イケボで甘い言葉を囁かれただけでなく、頬にキスされたんだ。先生がこんな反応をするのも納得かな。あと、こういう一面があるのを、弟さんや妹さんは知っているのだろうか。


「イケボになったら、つい気持ちが盛り上がっちゃって。キスもしちゃいました。ごめんね、悠真君。他の人にキスしちゃって」

「……まあ、相手が福王寺先生だし、キスした箇所が頬だから許す」

「ありがとう」


 もし、福王寺先生が結衣にキスしていたら色々とまずかったな。まあ、キスしたのが頬だけなら、2人の関係性も考慮して秘密にするけど。


「イケボの後だからか、結衣ちゃんの普通の声がとても可愛く思える」

「嬉しいですね。ちなみに、杏樹先生。イケボ中に話した言葉は本当ですから。本当に先生は素敵な方だと思います。高校で出会えて良かったですよ。ね、悠真君」

「ああ。いい先生だよな。低変人のことも応援してくれるし」

「……私も幸せよ。受け持ったクラスに、低変人様と色々とハイスペックな結衣ちゃんがいるなんて。姫奈ちゃんも可愛いし。部活では胡桃ちゃん。授業だけの関わりだけど、千佳ちゃんや芹花ちゃんも可愛いから」


 そう言うと、福王寺先生はテーブルに置かれた自分の麦茶を一気に飲み干した。


「あぁ、冷たくて美味しい。結衣ちゃんのイケボとキスでドキドキしちゃって、全身が熱くなっちゃったよ」

「ふふっ、気に入ってもらえて良かったです」


 結衣のイケメンボイスはなかなか魅力的だったな。

 ただ、このイケメンボイスを聞いて、福王寺先生が何か企まないどうか不安になってしまうのであった。

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