第8話『退治してくれたお礼』

 福王寺先生が冷たい飲み物を出してくれることになり、結衣と俺は再び先生の部屋の中に入る。

 初めて来た場所だから、適当にくつろいでいてと言われると、どこに座ればいいのか分からなくなる。クッションがいくつもあればそこに座るけど、ここにはベッドの側に1つしかないし。福王寺先生はそのクッションに座って、ベッドに寄り掛かることが多いのかな。

 どこに座ろうか視線を動かしていると、ベランダに干してある福王寺先生の下着が再び視界に入ってくる。


「福王寺先生。陽差しが眩しいので、カーテンを閉めてもいいですか?」

「いいよ~」

「ありがとうございます」


 俺は素早く部屋のカーテンを閉める。これで、先生の下着を見てしまうことはないだろう。窓を背にしてテーブルの側に座った。

 結衣はクッションを動かして、俺の左斜め前に座った。俺を見ると「ふふっ」と笑い、


「悠真君らしいな」


 とても小さな声でそう言う。俺がカーテンを閉めた本当の理由に気付いたのかもしれない。ただ、結衣はそれ以上何も言わなかった。

 改めて部屋の中を見てみると……結構広いな。俺の部屋と同じくらいだろうか。一人暮らしならゆったりと過ごせそうだ。いつか、結衣と同棲するときはこういう部屋に住むのかな。結衣と2人なら、このくらい広さでも暮らしていけそう。

 大きなテレビの横には、仕事用と思われるテーブルに肘掛け付きの椅子が。テーブルの上には数学の教科書、ノートパソコン、ファイルなどが置かれている。

 本棚には漫画やラノベ、小説が綺麗に収納されている。ちょっと遠いから、どんなタイトルの作品があるかまでは分からない。あとで見させてもらおうかな。

 テレビ台に飾られているミニフィギュア、男性キャラと女性キャラ合わせて8体置かれている。福王寺先生が特に好きなキャラクターなのだろうか。程良いヲタ部屋って感じがする。俺の部屋はポスターを貼ったり、フィギュアを飾ったりはしていないから参考にするか。


「2人とも、お待たせ」


 マグカップを乗せたお盆を持った福王寺先生が部屋に入ってきた。俺と結衣の前にマグカップを置き、先生はテーブルを挟んで俺と向かい合うようにして座る。


「いただこうか、悠真君」

「そうだな。いただきます」

「いただきます!」


 俺はアイスコーヒー、結衣はアイスティーを一口飲む。

 今日は暑いから、冷たい飲み物がとても美味しいな。福王寺先生の好みなのか、それとも俺の好みを知っているのか結構苦めだ。

 そんなことを思いながら福王寺先生を見ると、彼女はアイスティーを飲んでいた。飲んだ後に微笑む姿はまさに大人の女性。ノースリーブのシャツという服装もあって、艶やかさも感じられる。結衣に負けず劣らずの綺麗な人だと思う。


「冷たくて美味しいです!」

「コーヒーも美味しいです。苦味が強くて俺好みですね。ありがとうございます」

「2人にそう言ってもらえて良かったわ。あと、低変人様は私と同じで、苦味が強いのが好みなんだね。嬉しいな」


 言葉通りの嬉しそうな笑みを見せる福王寺先生。ここが先生のプライベート空間で、ラフな格好をしているから、担任教師というよりも、20代半ばの綺麗な女性にしか見えなくて。恋人がすぐ側にいるのに、キュンとなってしまった。


「わ、私もいつかはブラックコーヒーを飲めるようになるからねっ!」


 俺を見つめながら意気込んで言う結衣。そんな彼女の目がちょっと鋭い。福王寺先生に対抗心を燃やしているのだろうか。

 砂糖やミルクが入っているコーヒーなら結衣は美味しそうに飲むので、そう遠くないうちに、彼女と一緒にブラックコーヒーを楽しめるときが来るだろう。


「そのときを楽しみにしてるよ」


 結衣の頭を撫でると、結衣はやんわりとした笑みを見せてくれた。


「低変人様。どんなお礼をしてほしいか決まった?」

「このブラックコーヒーで十分ですよ。涼しい部屋でゆっくりさせてもらっていますし」

「遠慮しなくていいんだよ? 低変人様はまだ高校生だし。お礼をする私は社会人だし。本当に何でも……いいんだよ?」


 どうして、福王寺先生は艶っぽくそう言って、うっとりとした様子で俺を見つめてくるのか。それにしても可愛いな、この人。


「結衣ちゃんも、お礼してほしいことがあれば遠慮なく言ってね。一緒にクモを怖がってくれて気持ちが軽くなったし」

「ふふっ。まあ、一人で怖がるよりも、誰かと一緒に怖がる方がまだいいですよね。共感してくれる人がいるっていいですもんね。そうですね……もうお昼時ですし、先生の作ったお昼ご飯が食べてみたいです! どうかな、悠真君」

「いい案だな。じゃあ、それを俺達からのお願いにしようか。元々はエオンでお昼ご飯を食べるつもりだったんですけどね」


 ただ、結衣と一緒にエオンで食事をすることは、これからもたくさんあるだろうけど、福王寺先生の家で先生の作ったご飯を食べる機会はあまりないと思う。あと、昼飯代も浮くし。


「分かった。じゃあ、2人にお昼ご飯を作ってあげるね。ふふっ、低変人様に手料理を食べてもらえるなんて嬉しいわ。冷蔵庫とかを確認して、何を作れるか確認してくるね」


 そう言って、福王寺先生は部屋を出ていく。今ある食材で俺達にお昼ご飯を作ってくれるのか。何だか、料理のできそうな感じがしてくるな。


「……結衣。福王寺先生って料理って上手なのか? スイーツ部の顧問だけど」

「スイーツ作りは得意だね。部活動中に、お手本でスイーツを作ってくれるときがあるけど、見た目も味もとても上手で」

「おおっ、さすがは顧問だな」

「料理の方も……確か、得意だと思う。前、部活の先輩が話してくれたんだけど、家庭科の先生が急病で休んだことがあったんだって。その日は偶然にも調理実習で。それで、更にそのコマは杏樹先生の授業がなかったから、緊急で調理実習を担当したの」

「そんなことがあったのか」


 そういえば、中学のとき、先生が病気で休んだから、別の先生がプリントを持ってきてくれて、その先生が監督する中で自習になったことは何度かあった。

 それにしても、突然、調理実習を任せられてしまうとは。ただ、材料が学校に届いているから、調理実習を中止して、教室で自習にするわけにはいかなかったのかな。


「ただ、杏樹先生は快く引き受けて、実習では自分もお手本で作りながら生徒に教えて。それが分かりやすくて好評だったんだってさ」

「それは凄い話だな。それなら料理は上手だろうな」

「えへへっ、低変人様に褒められちゃった」


 気付けば、福王寺先生が部屋に戻ってきており、デレデレとした様子で俺達のことを見ていた。きっと、その調理実習の際も生徒達から絶賛されただろうけど、今のようにデレデレはしなかったと思われる。学校では常にクールモードだから。


「懐かしい話ね。一昨年と去年に1回ずつ、家庭科の先生の代わりに調理実習を担当したの。その話を2年生や3年生の子から聞いたのね」

「はい、部活の先輩方から聞きました」

「やっぱり。ふふっ、今年もそんなことがあるのかしらね。もしあるなら、うちのクラスを担当したいなぁ。それで、低変人様や結衣ちゃん達に食べてもらうの。胡桃ちゃんのクラスもいいなぁ」


 楽しげに話す福王寺先生。もし、そんなことがあったら、先生は凄く気合いを入れて料理をしそうだ。その姿が容易に思い浮かべられる。


「そうだ。冷蔵庫とかを確認したら、ナポリタンなら作れるよ」

「ナポリタンですか! いいですね! 悠真君はどうかな?」

「ナポリタン、俺も好きですよ」

「良かった。じゃあ、ちょっと早めだけれど、これからナポリタンと生野菜のサラダを作るね」

「私も手伝いますよ。サラダも作るんですし、3人分ですから」

「ありがとう、結衣ちゃん」

「俺も手伝いましょうか?」

「低変人様はゆっくりしていて。クモを退治した功労者だから。それに、うちのキッチンだと、3人以上だとキツいし」

「……そういうことでしたら、分かりました」


 今回は福王寺先生のお気持ちに甘えさせてもらおう。


「うん! でも、その気持ちは凄く嬉しいよ。お昼ご飯ができるまでゆっくりしててね。本棚にある本を読んでもいいからね」


 そして、福王寺先生と結衣は昼食作りに取りかかる。その際、先生は青いエプロン、結衣は桃色のエプロンを身につける。可愛いなと思って彼女達を見ていたら、写真を撮ってもいいと結衣に言われたので、スマホでエプロン姿の2人を撮影した。

 ――プルルッ。

 そのバイブ音と共に、LIMEで伊集院さんから、


『クモ退治の状況はどうなのでしょうか?』


 というメッセージが6人のグループトークに届いた。親友とその恋人が、大嫌いな虫退治をしに行っているから、どんな状況か気になったのだろうか。


『無事にクモ退治できたよ』


 そんなメッセージを送信すると、すぐに『既読1』と表示され、伊集院さんから良かったという旨のメッセージが届いた。

 また、その直後に胡桃からも同様のメッセージが。事の始まりが福王寺先生からのSOSメッセージだったので、みんな気になっていたのかな。

 本棚を見てみると……俺の好きなラブコメ漫画やラノベ、美少女4コマ漫画だけではなく、少女漫画やBL漫画、ティーンズラブ漫画もあるな。あと、大人気の『鬼刈剣』の原作漫画もある。結衣や胡桃、芹花姉さんと趣味が合いそうだ。

 一番下の段は画集が置かれているな。あと、やけに薄い冊子もあるけど、映画のパンフレットかな? 透明なブックカバーがかけられている。試しに手に取ってみると、


「……同人誌か」


 表紙には、ワイシャツのボタンを全部外した美形の男性2人が見つめ合う様子が描かれている。その2人は、国民的推理漫画に出てくる人気キャラクター。しっかり『成人向』の表示が。おそらく、原作漫画にはない恋愛的な絡みが、かなり刺激的に描かれているのだろう。先生はそういう内容も好きなのかと想いつつ、そっと本棚に戻しておいた。


「おっ、『ひまわりと綾瀬さん。』もある」


 先月、結衣と胡桃と劇場まで観に行ったアニメ作品の原作漫画だ。青春ガールズラブストーリーでとても面白い。ちなみに、観に行った日に福王寺先生と劇場で会った。

 俺はアイスコーヒーを飲みながら、『ひまわりと綾瀬さん。』の第1巻を読む。

 アニメ化された内容もあるので、3人で観に行ったときのことを思い出すなぁ。あの日は楽しかった。結衣と2人でデートしたいけど、たまには胡桃や伊集院さん達と、みんなで楽しく遊びたいな。


「低変人様! お昼ご飯のナポリタンができたよ!」

「生野菜のサラダもできました!」


 漫画に読むのに集中していたからか、気付けば食欲をそそられるいい匂いがしていた。福王寺先生と結衣により、テーブルにはナポリタンと生野菜のサラダが置かれる。


「美味しそうですね」


 ナポリタンの具材はピーマンに玉ねぎ、マッシュルームにウィンナー。定番だな。生野菜のサラダはキャベツの千切りにきゅうり、トマトか。とても健康的なお昼ご飯だと思う。

 俺は『ひまわりと綾瀬さん。』の第1巻を本棚に戻した。劇場アニメを観たから、今までよりも物語に浸ることができたな。


「2人とも、今日は家に来てくれてありがとう。特に低変人様はクモ退治をしてくれて。心を込めてナポリタンを作りました! では、いただきます!」

『いただきます!』


 まずはメインのナポリタンを食べるか。

 ナポリタンに入っている具材を一通り食べられるようにスパゲティを巻き、口の中に入れる。


「……とても美味しいです」


 料理が上手なだけあってとても美味しい。あと、心を込めて作ったと言われたからか、とても味わい深く感じる。ナポリタンは母さんや芹花姉さんが何度も作ってくれたけど、どのナポリタンよりも美味しい。


「ホントだね! 杏樹先生、とても美味しいです!」

「2人にそう言ってもらえて良かった。……うん、美味しくできてる」


 嬉しそうな様子でナポリタンを食べている福王寺先生はとても可愛らしい。

 結衣が作ってくれた生野菜のサラダもいただくか。テーブルの上には、ドレッシングが3種類置かれている。その中の……和風ドレッシングにしよう。


「……うん、サラダも美味しい」

「野菜を切っただけだけど、美味しいって言ってもらえて嬉しいな」

「……結衣がお昼ご飯を作ってほしいって言ってくれたおかげだよ。ありがとう」


 俺が結衣の頭を優しく撫でると、結衣はとても嬉しそうな笑顔を見せてくれる。


「今の2人を見てると、私が2人の同棲している家に遊びに来た気分になるよ。いつか、そんな日が来るだろうけど。いい光景を間近で見させてもらったわ」


 福王寺先生のそんな言葉に、結衣は照れくさそうに笑い、俺をチラチラと見てくる。頬が熱くなっているので、きっと俺も結衣と同じような表情になっているのだろう。恋人や家族以外から『同棲』って言葉を聞くと、凄くドキドキする。

 食事をする直前まで、俺が『ひまわりと綾瀬さん。』を読んでいたこともあり、その作品の話題を中心に盛り上がったり、低変人の曲を聴いたりしながら、3人でお昼ご飯を食べるのであった。

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