第3話『ゆいちゃん』

「待ちなさい、結衣!」


 穏やかな夕食の時間の中、事件は突然起こった。

 なんと! 結衣が裕子さんのカシスオレンジカクテルを呑んでしまっているではありませんか!

 結衣のグラスと裕子さんのグラスが似ているから間違えたのかも。アイスティーの入った結衣のグラス……真ん中あたりに置いてあるし。その近くには、うっすら丸く水滴が付いている。きっと、そこに裕子さんのグラスが置かれていたのだろう。あと、結衣って基本的にはしっかりしているけど、たまにドジをすることがあるよなぁ。

 味で別の人の飲み物だと気付いたのか、一口呑んだところで、結衣は慌てて裕子さんにグラスを渡した。


「ごめん、お母さん。うっかり呑んじゃった」

「そういうことは誰にでもあるわ。気を付けなさいね。ところで、体調は大丈夫? そこまで強くないけど、アルコールが入っているから」

「体がポカポカしてきただけだよ。あと、お酒って苦いイメージがあったけど、お母さんのカクテルって甘酸っぱくて美味しいんだね~」

「カシスオレンジだからね。美味しいからって、20歳になるまで呑んじゃダメよ」

「分かってるよぉ~」


 そう言う結衣はさっそく酔っ払い始めているように見える。本当に分かっているのか?


「母さんのカクテルを呑む姿を見たら、大人になった結衣とお酒を呑むのがより楽しみになったぞ。娘達と酒を呑むのは、父さんの夢の一つだからな」


 トレビア~ン、と卓哉さんはご機嫌な様子で赤ワインを一口呑む。この様子だと、卓哉さんは結構酔っ払っていそうだ。

 そういえば、父さんもこれまでに何度か「家族4人でお酒を呑みたいなぁ」って言っていたな。お酒好きな人が親になると、子供と一緒にお酒を呑みたいと思うのが普通なのだろうか。


「お姉ちゃん。顔、さっきよりも赤くなってる」

「ほえっ? そうかなぁ?」


 普段以上に可愛らしい声を漏らす結衣。そんな結衣の顔は、柚月ちゃんの指摘通り、さっきよりも赤くなっていた。結衣は両手で自分の頬を触る。


「確かに頬が熱くなってるぅ。全身がポカポカしてきたぁ。これもお母さんのカクテルのせいかなぁ? あと、のど渇いてきたよぉ~」

「アルコールが入ったせいね。結衣、とりあえずお水を飲みなさい」


 はい、と裕子さんは水がたっぷり入ったコップを結衣に渡す。結衣はコップの水をゴクゴク飲んでいく。


「あぁ。美味しい! お水ってこんなに美味しかったんだぁ!」


 今の言葉が本当だと証明するかのように、満面の笑みを浮かべる結衣。


「悠真君は知ってたぁ?」

「……し、知ってるよ。これからの季節は特に美味しく感じるよな」

「そうだね! 悠真君は物知りさんで偉いですねぇ」


 よしよし、と結衣は俺の頭を優しく撫でてくれる。俺に向けてくれるやんわりとした笑顔がとても可愛らしい。あと、結衣の吐息からお酒の匂いがする。

 裕子さんのカクテルを間違えて呑んでしまったせいで、結衣は酔っ払ってしまったようだ。体質なのか、未成年でアルコールに慣れていないだけなのか、一口呑んだだけでここまで酔っ払ってしまうとは。

 結衣は酔っ払うと表情や声が普段よりも柔らかくなるんだな。だからか、幼い雰囲気に。


「えへへっ、こんなに素敵な人とお付き合いできて、お泊まりに来てくれて、手作りハンバーグを美味しいって言ってくれて、結衣はとっても幸せなんですよぉ」


 結衣は俺の右腕をぎゅっと抱きしめ、頭をすりすりとさせてくる。お酒が回っているからか、普段よりも彼女から伝わってくる熱が強いな。

 あと、酔っ払うと自分のことを名前で呼ぶようになるのか。それもグッとくるポイントだ。


「悠真きゅん……ううっ、噛んじゃったよぉ」


 そう言って本人は恥ずかしそうにしているけど、俺は結構可愛いと思う。恥ずかしそうにしている結衣も可愛らしいので、今は何も言わないでおこう。


「ゆ、悠真君はどう? 幸せかな? 悠真君も幸せだと結衣も嬉しいなぁ」


 上目遣いで見つめてくるのは反則ではなかろうか。ちゃんと答えないといけないな。


「……し、幸せだよ。とっても」


 2人きりならまだしも、結衣のご家族全員から視線が集まった状態で言うと凄く恥ずかしい。御両親も柚月ちゃんも、優しい笑みを浮かべながら俺達を見てくれているからいいけれどさ。俺も体がかなり熱くなってきたな。


「良かったぁ! 結衣、もっと幸せになったよ!」


 結衣は俺の頬に何度もキスをしてくる。そのことに恥ずかしい気持ちが膨らんでいくばかり。


「いやぁ、結衣がここまで幸せと思える人に巡り会って、恋人として付き合うようになって本当に良かった。これからも結衣をよろしく頼むよ」

「は、はい。こちらこそ。結衣さんを幸せにします。結衣さんと幸せになります」

「末永くお幸せに! お姉ちゃん! 悠真さん!」

「ふふっ、そう言いたい気持ちは分かるけど、もうすぐ2人が結婚するように聞こえるわ、柚月。それにしても、結衣と低田君の仲睦まじい姿を見ると、私達が付き合い始めたときのことを思い出すわね、お父さん」

「2人のように、僕らも高校に入学したときに出会ったからね」

「そうねぇ。だから、もう30年近く前になるのねぇ」


 卓哉さんと裕子さんはそう言って笑い合うと、互いのグラスを軽く当てて、それぞれお酒を飲み干した。今のお二人のように、何十年経っても、結衣と笑いながら思い出を語り合える関係でありたいな。


「お姉ちゃんと悠真さんだけじゃなくて、お父さんとお母さんも、高校に入学したときに運命の出会いを果たしたんだよね。素敵だなぁ。あたしも高校に進学したら、そういう出会いが待っているのかな」


 目を輝かせながらそう言う柚月ちゃん。両親や姉が同じ時期に運命の出会いを経験していたら、自分にもあるんじゃないかと期待するよな。


「柚月は可愛くていい子だから、きっとあると思うよぉ。少なくとも、大切な親友とは巡り会えるよぉ。結衣も胡桃ちゃんっていう子と部活で出会えたし」

「そうだね!」


 胡桃という親友と高校で出会えた……か。同じ中学出身であり、ネット上では2年以上たくさん話してきた友人として、とても嬉しい言葉だ。

 結衣は俺の腕から離れ、フォークとナイフで自分のハンバーグを一口分切り分ける。


「悠真君、結衣がハンバーグを食べさせてあげる! はい、あ~ん」

「あ、あ~ん」


 俺は結衣にハンバーグを食べさせてもらう。このハンバーグは本当にジューシーで美味しいな。噛むと肉汁が溢れ出てきて。ハンバーグにかかっているデミグラスソースとよく合うし。


「美味しいよ。結衣に食べさせてもらったからか。凄く美味しく思えるよ」

「えへへっ、良かった」


 そう言うと、結衣は頭を俺の方に差し出してくる。ご褒美に頭を撫でてほしいのかな。

 結衣の頭を優しく撫でると、嬉しいのか結衣はニッコリと笑って、俺に顔を近づけてくる。そして、


「お風呂を入った後、私っていうデザートを食べてね」


 耳元でそう囁いてきたのだ。

 お風呂に入った後という言葉もあって、今の一言がどういう意味なのかすぐに分かった。結衣からこういうことを言われるのは初めてだ。お酒で酔っ払っているからかな。

 柚月ちゃん達の様子を見ていると、みんな穏やかに笑っているので、今の結衣の言葉は聞こえなかったようだ。

 至近距離で結衣と見つめ合い、一度頷く。すると、結衣は頬の赤みを強くし、ゆっくりと頷いてくれた。


「ねえねえ、お姉ちゃん。今、悠真さんに何を話したの?」

「ふふっ、それは悠真君との秘密だよぉ。だからこそ、悠真君に耳打ちをしたんだからぁ。悠真君も……話しちゃダメだぞ」


 そう言って、右手の人差し指を自分の唇に当てる結衣。俺のことを見て左眼でウインクするところにキュンとくる。


「まあ、お姉ちゃんがそう言うなら、悠真さんにも訊かないでおくよ。何となく想像もできるしね」


 柚月ちゃんは俺達に明るい笑顔を見せてくれる。中学生なのに、何となくでも想像できてしまうのか。まあ、結衣の妹だもんな。

 柚月ちゃんに結衣とのことを想像されていると思うとドキドキしてくる。俺はアイスコーヒーをゴクゴクと飲む。


「結衣。お礼に俺からもハンバーグを食べさせてあげるよ」

「やったぁ!」

「はい、あーん」


 一口サイズに切り分け、デミグラスソースをたっぷりと付けたハンバーグを結衣に食べさせる。


「う~ん、美味しい! 最高だね!」


 ご満悦の様子の結衣はサムズアップ。そんな結衣の笑顔は最高だった。

 結衣が間違えてお酒を呑んでしまう事態もあったけど、そのおかげで普段とは違う結衣と接することができた。とても楽しい夕食になったのであった。

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