第2話『恋人の家へ』
6月14日、金曜日。
恋人の家に泊まるという楽しみがあるからだろうか。あっという間にお泊まり当日がやってきた。金曜日だからか、時間の進み方がいつもより速く感じる。
朝からシトシトと降っていた雨も昼過ぎには止んだ。
スマホで見た天気予報によると、今日はもう雨が降る心配はなく、明日は晴天になるそう。お泊まりなので天気はあまり関係ないけど、雨が降らない方が個人的に嬉しい。
放課後になり、俺は
「悠真君、今日も来たよ!」
「来たのですよ、低田君」
俺に告白してから、結衣は俺がバイトしているときにはほとんど来店してくれる。今日のように、伊集院さんと一緒に来てくれることが多い。
「いらっしゃいませ。今日は店内じゃなくてお持ち帰りかな」
「うんっ! 悠真君のリクエストした夕飯の準備もしたいからね」
「あたしも今日はお家でコーヒーを飲みながら、漫画やアニメを楽しむつもりなのです」
「そうか。結衣、夕ご飯を楽しみにしているよ」
そう。今日の夕ご飯は俺がリクエストしたハンバーグ。
実は火曜日に結衣から「せっかく泊まりに来てくれるんだから、俺の好きな料理を作りたい」と言ってくれたのだ。なので、俺は大好物のハンバーグを希望した。
「うんっ! 悠真君、バイト頑張ってね!」
「頑張ってくださいね、低田君」
「ああ。2人ともありがとう」
結衣と伊集院さんはアイスコーヒーを買って、お店を後にした。
普段と違って、店内でゆっくりとしている結衣の姿はない。だけど、伊集院さんと一緒に来店してくれたし、お泊まりという楽しみが間近に迫っている。なので、今日のバイトも頑張れた。
「悠真。今日もお疲れ様」
「お疲れ様です、先輩」
「高嶺ちゃんとのお泊まり楽しんできなさいね」
「はい。楽しんできます」
午後7時過ぎ。
バイトを終え、中野先輩と別れた俺は一旦帰宅する。その際、結衣にバイトが終わったとメッセージを送った。
早く結衣の家に行けるように、荷物は昨日までに纏めておいた。なので、あとは制服から着替えるだけだ。
――コンコン。
「はい」
俺が返事をすると、芹花姉さんが部屋の中に入ってきた。俺がこれから結衣の家に泊まりに行くからか寂しそうだ。そういえば、小学校と中学校の修学旅行に行くときも、今みたいに元気なさそうだったな。姉さん自身が修学旅行に行くときも。
「ユウちゃん。みなさんに粗相のないように気を付けてね」
「分かったよ、芹花姉さん」
「……あと、明日の夜までには帰ってくるよね?」
「もちろんだよ。夕食の前までには帰ってくるから」
着替え終わったので、芹花姉さんの頭を優しく撫でる。すると、ようやく姉さんは笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、結衣の家に行ってくるよ」
「いってらっしゃい、ユウちゃん」
芹花姉さんに見送られながら、俺は結衣の家に向かって出発する。
最近はバイトもあるから、この時間に家に帰ることが多くなったけど、家を出発することは全然ない。行き先が結衣の家だからか、自然と高揚とした気持ちになる。
「あぁ、空気が爽やかだな」
日が暮れたのはもちろんのこと、雨が昼過ぎに止んだのもその一因かもしれない。穏やかに吹く風が涼しくて気持ちがいい。
バイトもあり駅の北側の夜道は歩き慣れてきたけれど、南側の方は初めてだ。結衣の家には何度も行っているけど、ちょっと緊張する。
それでも、無事に結衣の家に到着。そのことに安堵して、インターホンを押した。
『あっ、悠真君! 今すぐに行くね!』
元気な結衣の声を聞いて、学校やバイトの疲れがちょっと取れた気がする。
さっき言った通り、結衣はすぐに玄関から姿を現す。ノースリーブの襟付きブラウスに赤いエプロン姿が物凄く可愛らしい。俺と目が合うと、結衣はとても嬉しそうな笑みを浮かべ、
「いらっしゃい! そして、おかえりなさい!」
俺をぎゅっと抱きしめ、キスをしてくる。
あぁ、結衣からいい匂いがしてくるなぁ。夜になって涼しいから、結衣の温もりがとても心地よく感じる。
それにしても、「いらっしゃい」だけじゃなくて「おかえりなさい」と言ってくれるのが嬉しい。そんなことを思いながら、結衣の背中に手を回した。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」
いつかは結衣に言ってほしかった言葉をこのタイミングで言われるとは。ちょっと首を傾げるところが可愛らしい。もし、同棲し始めたら、定期的にこうやって出迎えられるのかなと思った。
「まずはご飯かな。バイトもしてお腹空いちゃったし。結衣の手作りハンバーグが楽しみでさ」
「分かった! お父さんと柚月も帰ってきたから、5人一緒に食べられるね!」
「それは嬉しいな」
結衣と交際する許可をもらったけど、御両親と食事をするのは緊張するな。
荷物を結衣の部屋に置いて、俺はキッチンへと向かう。
キッチンに行くと、既に結衣のお父様の
食卓には美味しそうな夕ご飯が。ハンバーグにコンソメ仕立ての野菜スープ。あとはバターロールが置かれている。
「悠真君はこの席に座って。洋風の夕食だから、飲み物はアイスコーヒーでいいかな?」
「うん」
俺は結衣の指定された席に座る。そこは卓哉さんの真正面の席だった。ちなみに、俺の左斜め前には柚月ちゃん、卓哉さんの隣に裕子さんが座っている。
「はい、悠真君。アイスコーヒーだよ」
「ありがとう」
結衣は俺の前にアイスコーヒーを置くと、俺の右隣の席に座った。
結衣と柚月ちゃんはアイスティー、卓哉さんは赤ワイン、裕子さんは赤透明の炭酸水か。あれは果実系のカクテルだろうか。うちの母親が似たようなものを前に呑んでいた。
「裕子さん、それは……」
「カシスオレンジカクテルよ。今日は低田君が泊まりに来てくれたからね」
ふふっ、と裕子さんは笑う。そう言ってくれると、普段とは違う時間を楽しんでくれていると分かって嬉しい。
「それじゃ、5人揃ったから夕食にするか。低田君、今日は家に来てくれてありがとう。さっきまでバイトがあったとか」
「はい。7時過ぎまでムーンバックスでバイトがありました。卓哉さんもお仕事お疲れ様でした」
「どうもありがとう。娘の彼氏に言われるのも嬉しいね。あと、うちに泊まることが決まってから、結衣はもちろんだけど、柚月も楽しみにしていたんだよ」
「そうだったんですね」
柚月ちゃんも楽しみにしてくれていたのか。柚月ちゃんの方を見ると、柚月ちゃんは俺に向かって可愛らしい笑顔を向けてくれる。
「今日は初めて低田君が泊まりに来てくれたんだし、乾杯するか。せっかくだから、結衣。乾杯の音頭をとってくれるかな」
「分かったよ、お父さん。……悠真君、今日は泊まりに来てくれてありがとう! 乾杯!」
『乾杯!』
高嶺家4人とグラスと軽く当てて、アイスコーヒーを一口飲む。今週の学校生活も終わり、バイトが終わってあまり時間が経っていないから、とても美味しく感じられる。
「悠真君。ご希望通り、ハンバーグを作ったよ!」
「ありがとう。ハンバーグが大好物の一つだからね。……とても美味しそうだ」
「デミグラスソースをかけてお召し上がりください」
「分かった。では、いただきます」
結衣だけじゃなく、柚月ちゃんや卓哉さん、裕子さんまでも俺に注目している。みんなこのハンバーグが俺の希望だと知っているのかな。
結衣の言う通り、ハンバーグにデミグラスソースをかける。そのことで、食欲がとてもそそられる匂いに。
フォークとナイフで一口サイズに切り分けたハンバーグを、口の中に入れる。
「美味しい……」
噛む度に熱い肉汁が口の中に広がっていって。デミグラスソースとの相性も抜群だ。大好物のハンバーグだから、幸せな気持ちも生まれてくる。
「凄く美味しいよ、結衣。作ってくれてありがとう」
「良かった。嬉しいのはもちろんだけど、安心もしたよ。好きな人の大好物の料理だから緊張しちゃって」
「そうだったのか。それだけ、俺のことを考えてくれたんだな。本当にありがとう、結衣」
「嬉しいです」
「良かったね、お姉ちゃん!」
「頑張っていたものね、結衣」
「結衣、良かったな。さあ、僕らも食べようか」
そして、俺達は5人で夕食を食べ始める。
ご家族の口にも合ったそうで、みんな結衣のお手製ハンバーグを絶賛。そのことに結衣はとても嬉しそうにしていた。
それから、平和な夕食の時間が流れていく。野菜スープもバターロールも美味しい。
俺の隣で夕食を美味しそうに食べている結衣の横顔はとても美しくて、可愛らしい。夕食後には一緒にお風呂に入って、結衣の部屋で一夜を明かせるなんて。明日は結衣と一緒にゆっくりと過ごす予定だし。本当に幸せだなぁ。
「待ちなさい、結衣!」
事件というのは突然起こるものだ。
裕子さんが結衣と叫ぶので、結衣の方に顔を向けると……何と、結衣が裕子さんのカシスオレンジカクテルを呑んでいたのだ!
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