第75話『恋人宣言』

 午後8時過ぎ。

 バイト先から帰り、夕食を食べ終わった俺は、ホットコーヒーの入ったマグカップを持って自分の部屋へ戻った。パソコンの電源を点け、パソコンチェアに腰を下ろし、コーヒーを一口飲む。


「今日は桐花さんと話せるかな……」


 コーヒーの苦味が、口の中にじわじわと広がっていく。

 メッセンジャーで話したのは一昨日の夜が最後。

 それから、桐花さんの正体が胡桃であると分かり、胡桃からの告白を振って、俺は結衣と付き合うことになった。昨晩は結衣が泊まりに来ていたのもあり、パソコンの電源すら入れなかった。

 パソコンが起動したので、俺はメッセンジャーのアイコンを『ログイン中』の状態にする。桐花さんのアイコンを確認すると、彼女も『ログイン中』になっていた。


『あっ、低変人さんがログイン中になった。バイトお疲れ様。千佳先輩と一緒に頑張っていたね』


 何かメッセージを送ろうとした矢先、桐花さんからそんなメッセージが送られてきた。そのことに今までと変わらない安心感を覚え、コーヒーをもう一口飲む。

 あと、一度のメッセージに自分のネット上の名前と、リアルで交流のある先輩の名前があるのが不思議に思えて。これも、お互いに正体を明かしたからなのだろう。そう思い、笑い声を漏らした。


『ありがとうございます、桐花さん。あと、昨日はネットでは話せなくてすみません。結衣が泊まりに来ていまして』


 ただ、ムーンバックスにいるときに結衣が話題に出したのか、バイト終わりにスマホを確認したら、胡桃、伊集院さん、福王寺先生から『昨日は結衣ととても楽しい時間を過ごしたんだね』という旨のメッセージが送られていた。


『気にしないで。昨日は桐花として低変人さんに会って大事なことを話せたし。2人と別れた後、土曜日だしどっちかの家で泊まりそうだよねって姫奈ちゃんと話してたの。あと、今日はムーンバックスで、昨日の夜のことを結衣ちゃんが話してくれたよ』

『バイト中に、俺にメッセージをくれましたよね』

『うん。昨日の夜は……と、とってもラブラブな時間を過ごしたんだね! 結衣ちゃんの話を聞いて凄くドキドキしちゃった。結衣ちゃんが話しているとき、姫奈ちゃんと杏樹先生がかなり興味津々な様子だったよ』


 結衣は3人にどこまで話したんだろう? ラブラブという文言があることからして、一緒にお風呂に入った話やベッドの中での話をしたのかもしれない。周りにお客様もいたから、言葉を選びながら話したとは思うけど。

 あと、伊集院さんはいいとして、福王寺先生は昨日の夜の話に興味津々だったのか。教師がそれでいいのかと思ってしまうけど、先生らしいと納得できてしまう自分もいる。

 結衣にお店にいたときのことを訊いてみるか。


『気になったんだけど、ムーンバックスにいるとき、胡桃達に昨日のことをどこまで話したのかな?』


 LIMEで結衣にそんなメッセージを送った。

 すると、結衣も自由な時間なのか、すぐに『既読』マークがついて、


『お風呂に入ったことや、その後の寝るまでの話をしたよ。ベッドの中でのことも。もちろん、周りに人もいたし、私にだって話したら恥ずかしいことはあるから、内容と言葉選びには気を付けた! 姫奈ちゃんと杏樹先生が色々と訊くから、結構恥ずかしいときもあったよ』


 という返信が来た。相変わらず、短時間で長文の返信をしてくる。凄いな。

 桐花さんの『とってもラブラブな時間』という言葉もあるし、どうやら、最後までしたと話したようだな。まったく。伊集院さんと福王寺先生の質問にも答えていたから、結衣は照れくさそうにしていたのかもしれない。結衣には『分かった』と返信をしておいた。


『低変人さん?』

『すみません、気になることがあって、結衣とメッセージをしてました。昨日の夜は……結衣と忘れられない時間を過ごしました』

『良かったね。いつまでも仲良くね。何かあったら、遠慮なく相談していいから』

『ありがとうございます』


 相談できる人がいるのは心強いな。恋人として付き合うのは結衣が初めてだし、彼女は結衣の親友でもあるから。


『ねえ、低変人さん。明日からは一緒に学校に行くのは止めない? 結衣ちゃんと恋人として付き合うことになったから。お昼ご飯は、もし今まで通り4人で食べるなら一緒に食べたいかな』

『登校については分かりました。別々に行きましょう。お昼ご飯については……ちょっと待ってくださいね。結衣に訊いてみます』


 俺はスマホを手に取り、


『明日から、学校でのお昼ご飯はどうする? 俺達は付き合うことになったけど、これまで通りに4人で食べる?』


 LIMEで結衣にそんなメッセージを送った。俺も結衣の考えを知りたい。

 先ほどと同じく、メッセージを送信してすぐに『既読』とマークが付き、


『もちろん! みんなと食べる方が楽しいから!』


 そんな返信がすぐに来た。それを見てほっと胸を撫で下ろした。


『みんなで食べる方が楽しいと結衣が言ってます。俺も同じ気持ちです。なので、明日からも一緒に4人でお昼ご飯を食べましょう』

『分かった!』


 その文面からして、桐花さんは今、嬉しそうな笑顔を浮かべていそうだなと思った。

 日々を過ごしていれば、結衣と俺の関係のように変わるものもある。それでも、変わらない時間があるのは嬉しいな。それまで楽しいと思っていた時間なら尚更に。


『あっ、お姉ちゃんにお風呂空いたって言われた。じゃあ、また明日ね、低変人さん。今までこういう別れの挨拶がなかったから、変な感じだけど』

『ははっ、そうですね。では、また明日、学校で会いましょう』


 その後、桐花さんのアイコンが『ログアウト』の状態になったので、今日の会話はこれにて終了。

 それから、入浴しているときを除いて、寝るまでの間、思い浮かんだメロディーを、ギターで録音し続けるのであった。




 6月3日、月曜日。

 今日からまた一週間の学校生活が始まる。

 校則により、今日から9月末まで制服は夏服となる。スラックスは黒地なのは変わらず冬服よりも通気性のいい生地に。ネクタイも黒地なのは冬服と変わらないけど、ストライプの色が赤から青に変わる。また、ワイシャツやブラウスは夏服期間中のみ半袖の着用がOKとなる。今日は晴れて昼間は暑くなる予報なので、さっそく半袖のワイシャツを着ている。

 また、女子の夏服は、スカートは黒地に白や灰色のチェック柄というデザインは変わらず通気性のいい生地になる。リボンはネクタイと同じく、黒地でストライプの色が赤から青に変わる。芹花姉さんが前年度まで在学生だったので知っている。結衣の夏服姿がどんな感じか楽しみだな。

 また、自分の部屋で忘れ物がないかどうかチェックしていると、結衣から、


『悠真君の夏服姿、どんな感じか楽しみだよ!』


 とメッセージをもらった。結衣も俺の夏服姿を楽しみにしてくれているのか。そのことに嬉しい気持ちになりつつ、


『俺も結衣の夏服姿が楽しみだよ』


 と返信した。

 忘れものがないことを確認し、俺は自分の部屋を出る。キッチンで弁当と水筒をスクールバッグに入れて家を出発する。その際、


「いってきます」

「いってらっしゃい、ユウちゃん!」


 芹花姉さんが玄関で見送ってくれた。1限から講義があるが、授業が始まるのが高校よりもゆっくりなため、姉さんは俺よりも遅く出発する。

 普段なら月曜日は鬱屈で、学校への足取りも重く感じる。けど、学校の教室に恋人の結衣がいて、一緒に授業を受けると思うと月曜日も悪くないと思える。

 昨晩、メッセンジャーで別々に行こうと話したから、近所の公園には胡桃の姿はなかった。そのことにちょっと寂しさを感じた。学校や駅まで胡桃と一緒に歩いた時間は楽しかったな。

 これまでの日々を思い返していたからか、あっという間に校舎が見え始める。周りには夏服に身を包んだ金井高校の生徒の姿がちらほらと。


「悠真君!」


 正面の方から、俺の名前を呼ぶ結衣の声が聞こえたので見てみると、俺に手を大きく振ってくる結衣が校門の側に立っていた。結衣の隣には伊集院さんもおり、結衣ほどではないが俺に手を振ってくれる。

 結衣達はもちろん夏服を着ており、結衣は半袖のブラウスにベスト、伊集院さんは長袖のブラウスを着ている。


「結衣、伊集院さん、おはよう」

「おはよう、悠真君!」

「おはようございます、低田君」

「今日はどうしたんだ? いつもは結衣と伊集院さんとは教室で会うのに。その前に、結衣が誰かに告白されて振る場面を校門近くから見るけどさ。ここで俺を待ってくれているのは嬉しいけど」

「夏服姿を早く見せたかったからね。……似合ってるかな?」


 そう言って、結衣はその場でクルッと一回転。そのことで、結衣の甘い匂いがふんわりと香ってきた。


「とても似合っているよ、結衣。伊集院さんも」

「ありがとう、悠真君! 悠真君も夏服似合ってるよ!」

「親友の彼氏に褒められるのは嬉しいものですね」

「さあ、行こう! 悠真君! 姫奈ちゃん!」

「ああ」


 結衣から手を握られ、俺は結衣と伊集院さんと一緒に校門を通る。

 そういえば、結衣と伊集院さんとこうして一緒に登校するのは、これが初めてかもしれない。だからか、周りにいる多くの生徒から視線が集まる。

 結衣と付き合い始めたし、これからはこの形で登校するのが普通になるのだろうか。そう思ったときだった。


「高嶺結衣さん! 君に話が……あれ?」


 第2教室棟の昇降口前で、茶髪のイケメン男子生徒が結衣に話しかける。しかし、俺と手を繋いでいる姿を見てか、男子生徒は目を見開いている。

 気付けば、男女問わず、多くの生徒が俺達を囲むようにして立っていた。これが今まで結衣や伊集院さんが見てきた光景なのか。


「……あなた、私に好きだと告白するつもりですか?」

「そ、そうだけど……」

「そうですか。ごめんなさい、お断りします。ただし、その理由は今までとは違います。今日も多くの生徒さんがいますから、ここで宣言します! 私はずっと好意を抱き続け、告白もしたこちらの彼・低田悠真君と、一昨日から恋人として付き合うことになりました! 悠真君、大好きだよ!」


 結衣は笑顔でそう宣言すると、俺を抱きしめてキスをしてきた。


『えええっ!』


 キスした直後に、周りからそんな絶叫が聞こえてきた。中には悲鳴のような声も聞こえてきた。

 もしかしたら、普段と違って校門前で俺を待ってくれていたのは、夏服姿を見せたいだけじゃなくて、今日も誰かに告白されると予想し、その場を利用して俺と付き合い始めたことを発表したかったからかもしれない。俺も一緒にいる場で宣言し、キスをすれば、その事実がより広がりやすくなるだろうし。そうなれば、今後は告白されることはほとんどなくなるだろう。すぐにそう推理できたけど、キスするのをたくさんの人に見られるのは恥ずかしい。

 唇を離すと、そこには赤くなった顔に笑みを浮かべた結衣がいた。


「学校でするキスもいいね、悠真君」

「そ、そうだな。というか、いきなりされてビックリしたよ」

「ふふっ、ごめんね。……というわけで、私は心身共に彼のものなのです! それは未来永劫変わりません! このことを知って、嫉妬心や恨みで彼を傷つけることをしたら、私は絶対に許しませんから。以上、よろしくお願いしますね!」


 結衣がそう言うと、俺達を見る生徒達のほとんどが拍手を贈る。中には『高嶺さん、おめでとう!』と言う生徒もいて。さすがは高嶺の花と言われるほどの人気者だなと思った。

 ちなみに、『2人とも仲良くね!』といった言葉はあったけど、『低田君、おめでとう!』という俺に対する祝福のメッセージは全然なかった。

 やがて、俺達の周りにいる生徒達が散り始めていく。ただ、その中で、


「みんなおはよう。あと、結衣ちゃんの恋人宣言とキスはさすがだったね」


 胡桃だけは俺達のところにやってきた。胡桃は2人とは違い、長袖のブラウスにカーディガンを着ている。ただ、登校している間に暑くなったのか、両腕の袖を捲り、七分袖のようになっている。


「ありがとう、胡桃ちゃん。悠真君と付き合うことになったし、こうして宣言すれば告白してくる人も減るかなって。悠真君に何かしないように釘を刺したかったし。それにしても、胡桃ちゃん、夏服姿似合ってるね!」

「結衣の言う通りなのです」

「ありがとう。爽やかな陽気だから、長袖にカーディガンを着たんだけど、歩いているうちに暑くなってきて、ちょっと捲っちゃった。みんなも似合ってるね。ゆう君はあたしの夏服姿はどうかな?」

「似合ってるよ。ベストもいいけど、カーディガンもいいな」

「ありがとう、ゆう君」 


 柔和な笑みを浮かべる胡桃。先週末、特に土曜日は色々あったけど、胡桃らしい笑顔を見られて安心した。


「カーディガンも好きなんだね。覚えておこうっと。さあ、私達も教室へ行こうか!」


 持ち前の明るい笑顔でそう言うと、結衣は俺の手を引いてくれる。

 たくさんの生徒達の前で堂々と恋人宣言をし、キスまでして。胡桃が言ったようにさすがだと思うし、本当に凄い女の子と付き合っているのだと実感したのであった。



 そして、今週も学校生活が始まる。

 先週までと違うのは、季節が夏になり、制服が夏服に変わったこと。クラスメイトの1人と恋人になったこと。だからか、新しい時間が流れ始めた気がする。これをいい機会に勉強もバイトも作曲活動も、そして、結衣との交際も頑張っていこう。

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