第69話『あなたに惚れまして。』
午後2時半過ぎ。
華頂さんが予約していた時間よりもだいぶ早めだけど、俺達は喫茶店の入っているビルを出る。1時間ほどの滞在だったけど、華頂さんが桐花さんだと正体を明かしてくれたり、好きだと告白してくれたりしたから、もっと長い間いたように思えた。
「大切な時間になったよ、ゆう君」
「俺も華頂さんのおかげで、大切で忘れられない時間を過ごさせてもらったよ。ありがとう」
「いえいえ。あと、ゆう君さえ良ければ、あたしのことを名前で呼んでくれると嬉しいな。お母さんやお姉ちゃんのことは名前で呼ぶから、羨ましいって思っていたの。苗字呼びが一番しっくりくるならそのままでいいけど。名前の方が距離も近くなる気がして」
「そうか。中学のときに『華頂さん』って呼んでいたから、ずっと苗字で呼んでいたよ。じゃあ、名前で呼んでみるよ。……く、胡桃」
「……いい響きだね。好きだな」
とても嬉しそうな笑顔を見せる胡桃。
考えてみれば、高嶺さんや伊集院さん、中野先輩とか高校やバイト先で知り合った人は苗字で呼んで、ご家族は名前で呼んでいる。少なくとも、好きな人である高嶺さんのことは名前呼びできるようになりたい。
「ううっ……悠真君! 胡桃ちゃん! おめでとう!」
「うわっ!」
気付けば、涙を流した高嶺さんが俺達に向かって拍手を送っていた。その横には苦笑いしている伊集院さんの姿が。そのことにビックリし、つい大きな声が出てしまった。
夏になったからか、高嶺さんは半袖のブラウス姿、伊集院さんも半袖のVネックシャツ姿と涼しげな格好をしている。
「高嶺さんに伊集院さん……」
「昨日の夜に胡桃ちゃんから、悠真君に告白したいから2人きりの時間がほしいって言われて。複雑な気持ちになったけど、告白したい胡桃ちゃんの気持ちも分かるし、告白の機会を奪うのは嫌で。でも、2人のことが凄く気になって。だから、2人の後をついて行こうって決めたの。お昼頃から、悠真君の家の近くでずっと張り込んでいたんだ。2人が駅で会って、その後もついて行ったら、このビルに入っていってさ。ビルが見える場所で2人を待っていたら、エオンへ買い物に行く途中の姫奈ちゃんに会って」
高嶺さん……俺達の後をつけていたのか。高嶺さんの性格からしてそれは当然か。今まで全然気付かなかった。あと、1時間近く、ビルの入口が見えるところで、俺達を待っていてくれていたんだな。
「その際に、結衣から胡桃との話を聞いたのです。2人のいるところへ行こうとしたのですが、結衣に止められたのです。自分も2人きりの場所で告白したし、胡桃の告白の機会を奪いたくない。それはフェアではないと結衣が言ったので。ですから、あたしも一緒に待ちました。結衣は本当に優しい子なのですから……まったく」
伊集院さんはそう言うと小さくため息をついた。やはり、伊集院さんも高嶺さんがとても優しい人だと思うか。あと、俺達のいる場所に行こうとした気持ちも分かる。伊集院さんは親友だし、以前、俺に高嶺さんが幸せになってほしいと言っていたから。
「駅で2人が話している姿を見たとき、胡桃ちゃんが桐花さんだって知った。お見舞いで桐花さんの話をしたときの胡桃ちゃんの様子を見た時点で、胡桃ちゃんが桐花さんかもしれないとは思ったけどね」
高嶺さん、お見舞いのときにはもう感付いていたのか。今思えば、あのときの胡桃は普段と様子が違ったし、桐花さんと同じ曲を好きだったもんな。
「このビルに入っていったってことは、悠真君と胡桃ちゃんは個室のある喫茶店で話したんじゃないかな」
「ああ、その通りだよ」
「やはりそうなのでしたか。あの喫茶店、雰囲気がいいですからね」
いい雰囲気のお店だし、南口の近くにあるから、高嶺さんと伊集院さんもさっきまでいた喫茶店を知っていたか。
「あと、以前から、胡桃が低田君に好意を抱いているかもしれないと思っていたのです。胡桃、お昼休みは低田君の横でいつも楽しそうにお昼ご飯を食べていますし。それに、この前の部活でのカステラ作りも、低田君のために一生懸命でしたから」
「ビルから出てきたとき、胡桃ちゃんは嬉しそうな表情をしていたから、2人は付き合うことになったのかなって思ったの」
だから、高嶺さんは胡桃と俺が付き合うことのショックと祝う気持ちが混ざり、涙を流しながら拍手をしたのか。
「違うの、結衣ちゃん。嬉しそうに笑ったのは、あたしを下の名前で呼んでくれたことが嬉しくて。ゆう君と恋人になっていないよ。告白はしたけど……」
お店でのことを思い出しているのか、頬を真っ赤にしながら言う胡桃。
「告白はしたけど、恋人にはなっていないの……?」
ぱちくりした目で、高嶺さんは胡桃と俺を交互に見てくる。伊集院さんも目を見開いている。
「そうだよ。ゆう君に告白してフラれました。あと、結衣ちゃんがゆう君を好きだって知っているのに、自分のことばかり考えて、結衣ちゃんの気持ちを全然考えてなかった。昨日の夜、あんなメッセージを送ってごめんなさい。姫奈ちゃんも貴重な休日の時間をあたしのせいで潰しちゃってごめんなさい」
胡桃は真剣な様子でそう言うと、高嶺さんと伊集院さんに向かって頭を深く下げた。
少しの間、俺達4人の中で沈黙の時間が流れる。
「顔を上げてよ、胡桃ちゃん。さっきも言ったけど、好きな気持ちを伝えたいのは分かるし。きっと、学校や休日の悠真君と私の様子を見て焦ったんだよね。実際、あのメッセージをもらってから気持ちがモヤモヤして、昨日の夜はあまり眠れなかったけれどさ」
「……本当にごめんなさい」
胡桃はより深く頭を下げる。
「こうして謝れる胡桃ちゃんなら、同じようなことはもうしないって思ってる。昨日のことは許すよ。それに、胡桃ちゃんも悠真君を好きだって分かって、正直嬉しい気持ちもあるんだ。悠真君はとても素敵な人だもんね」
笑顔でそう言うと、高嶺さんは胡桃を抱きしめて頭を撫でる。本当に優しい子だな。これが、高嶺さんがとても人気がある理由の一つかもしれない。
「結衣が許したのですから、あたしからは何も言うつもりはありません。あたしも胡桃は悪い子ではないと分かっているのですよ。あと、どんな理由があっても、結衣と一緒にいる時間は無駄ではないのです」
伊集院さんはそう言うと口角を上げる。俺も伊集院さんと同じように、高嶺さんが許したならこれ以上何も言うつもりはない。
「……確認するけど、悠真君は胡桃ちゃんを振ったの?」
高嶺さんはそう言うと、胡桃への抱擁を解き、俺の目の前に立つ。高嶺さんの表情も目つきもとても真剣だ。
いい機会だ。ここでちゃんと本当のことを言って、俺の気持ちを伝えよう。
「ああ。胡桃が言った通り、告白されたけど振ったよ。高嶺さん」
「そうなんだね。あと、胡桃ちゃんのこと下の前で言うようになったんだね。私も下の名前で呼んでほしいよ。羨ましい……」
「分かったよ。……結衣」
俺は高嶺さん……結衣の両肩をしっかりと掴む。そのことで結衣は体をビクつかせるけど、頬がほんのりと赤くなる。
「あのお店で、俺は胡桃から自分が桐花だって正体を明かされて、好きだって告白された。その中で俺は結衣のことが一番好きだって分かったんだ。結衣は卑猥なことを言うし、スキンシップは激しいし、狸寝入りして俺の言葉を盗聴したりするよ。だけど、明るくて可愛らしい笑顔とか、優しいところとか、俺の曲を好きだって言ってくれるところとか、風邪を引いても寄り添ってくれるところとか。いいなって思えるところがたくさんあるんだ。俺はそんな結衣のことが大好きです」
結衣が好きだってことを話したら、全身が熱くなってきた。緊張もするし、心臓もバクバクするし。喫茶店で胡桃が告白してくれたとき、胡桃はこんな感じだったのかな。周りにいる人から見られている気がするけど……気にするな。
俺の言葉が届いたのか、結衣は今まで一番と言っていいほど顔が真っ赤に。
「本当に私が一番好きなの? じゃあ、私と恋人としてお付き合いしてくれるってこと?」
「本当に結衣が一番好きだよ。結衣の言葉を借りれば……結衣に惚れさせられたよ」
結衣に告白されて、俺を惚れさせてみせると言われたときは、結衣は何を言っているんだって思ったけど。見事に結衣の言う通りになったな。
でも、あの日に結衣が告白してくれたから、色々と状況が変化していって、今の俺がいるのだと思っている。本当に凄い子だよ。
ふふっ、と結衣はようやく笑顔を見せてくれる。
「私が告白したときに言ったね。悠真君を惚れさせてみせるって。覚えていてくれて嬉しい。そして、惚れてくれて……凄く嬉しいです。告白したときよりも、悠真君のことがもっともっと好きになってるよ」
「……嬉しいな。俺と恋人として付き合ってくれますか?」
「もちろんだよっ! 夢のようだよ。こうなる日をずっと待っていたから。これからは恋人としてよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしく」
俺は結衣をぎゅっと抱きしめる。とても温かくて、甘くて、柔らかくて……愛おしくて。きっと、結衣は俺に好意を抱いたときから、この瞬間をずっと待ち望み続けていたのだろう。
結衣と見つめ合うと、結衣は幸せそうな笑みを浮かべる。
「悠真君。付き合うことになったから、キスしてくれませんか? 私、今までキスしたことないから、悠真君からしてくれると嬉しいです」
「……分かった」
ゆっくりと目を閉じる結衣。キスを待つ結衣もとても可愛らしくて。
すぐ近くで胡桃と伊集院さんに見られている。だけど、不思議と緊張感はあまりなくて。俺は吸い込まれるようにして結衣にキスをした。
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