第59話『愛をこめてカステラを』

「ふああっ……」


 目を覚ますと、朝よりも部屋の中が明るくなっていた。カーテンの隙間から陽の光が入っているからかな。

 壁に掛かっている時計を見ると、今は正午過ぎか。数時間ほど眠っていたんだな。

 体を起こすと、熱っぽさや怠さはなくなっていた。だけど、喉や鼻の調子がまだ悪い。きっと、これは現実なのだろう。

 ナイトテーブルに置かれている体温計で体温を測ってみると、


「36度8分か」


 熱っぽさを感じないだけあって、37度よりも下になっていたか。ここまで良くなって一安心だ。このまま処方された薬を飲んで、ゆっくりと過ごしていれば、明日には学校へ行けるようになるだろう。

 体調が良くなってきたことを家族や高嶺さん達、福王寺先生にメッセージで伝えておいた。

 父さんは仕事、母さんはパート、芹花姉さんは大学でいないため、昼ご飯は自分で作った素うどんを食べた。昨日に比べて、食事もだいぶ美味しく感じられるように。

 体調も良くなってきたので、薬を飲んだ後は、録画していたけど観ていなかったアニメをベッドに横になりながら観る。結構な数が溜まっていたから、とても早く時間が過ぎたのであった。




 ――ピンポーン。


 午後6時20分。

 昼よりも喉や鼻の調子が良くなってきた中、家のインターホンが鳴る。10分ほど前に高嶺さん達から『今からお見舞いに行く』という旨のメッセージをもらったので、きっと高嶺さん達だろう。高嶺さんと華頂さん、伊集院さんだけではなく、バイト終わりの中野先輩も一緒に来るとのこと。

 モニターで来客を確認しようとベッドを降りたとき、部屋の外から賑やかな声が聞こえてきた。母さんが応対して、高嶺さん達が家の中に入ったのかな。

 ――コンコン。

 程なくして、部屋の扉からノック音が。


「どうぞ」

「悠真君! 今日もお見舞いに来たよ! 杏樹先生はどうしても今日中に終わらせなきゃいけない仕事が残っているから来られないって」

「お邪魔します、ゆう君。部活で作ったカステラを持ってきたよ」

「こんばんは、低田君」

「おっ、悠真。今日は起きていたね。顔色も良さそうで安心した」


 扉が開くと制服姿の高嶺さん、華頂さん、伊集院さん、中野先輩が部屋に入ってくる。4人の姿を見ると安心するし、気持ち的に元気になれる。


「悠真君、具合はどうかな? お昼に体調が良くなってきたってメッセージをくれたけど」

「処方された薬のおかげで、お昼よりも良くなったよ。みんな、お見舞いに来てくれてありがとう。嬉しいよ」

「悠真君……!」


 俺の名前を口にすると、高嶺さんはとても嬉しそうな様子で俺を抱きしめ、胸元に頭をスリスリしてくる。ほどよい感触に温もり、シャンプーの甘い匂いのせいで、熱がぶり返してしまいそうだ。

 あと、こうされると、高嶺さんと華頂さんが猫化した夢を思い出す。あの2人も可愛かったけど、現実には敵わないな。そんなことを思いながら、高嶺さんの頭を撫でた。


「悠真は変わらず高嶺ちゃんに愛されてるねぇ」

「結衣は低田君と一緒にいるときが一番元気ですね」

「そうだね、姫奈ちゃん。今日の部活動では、ゆう君のためにカステラを頑張って作るんだって張り切っていたよね」

「ですね。ただ、胡桃も結衣に負けないくらいに張り切っているように見えましたが」

「……せ、せっかく食べてもらうんだもん。美味しいカステラをゆう君に食べてほしいよ。だから、あたしも一緒に頑張ったの」


 頬を紅潮させて、俺のことをチラチラと見てくる華頂さんも可愛らしい。そんな華頂さんを中野先輩がニヤニヤしながら見ていた。


「朝に高嶺さんが部活で作ったカステラを持ってきてくれるって言っていたな。俺のために作ってくれてありがとう。お昼ご飯に素うどんを食べてから何も口に入れていないし、カステラの話を聞いたらお腹空いてきたよ」

「じゃあ、さっそく食べて。今日の部活で胡桃ちゃんと姫奈ちゃんと一緒に愛を込めて作ったから。私、何か飲み物を持ってくるよ。何がいい?」

「温かいブラックコーヒーで」

「了解!」


 敬礼のポーズを取ると、高嶺さんは張り切った様子で部屋を後にした。

 俺はベッドから降りて、一番近くにあるクッションに腰を下ろした。俺の左斜め前に華頂さん、テーブルを挟んだ正面には伊集院さん。中野先輩は伊集院さんの近くまでパソコンチェアを動かして座った。

 華頂さんはランチバッグからタッパーを取り出し、


「はい、ゆう君」


 と、タッパーの蓋を開ける。中には緑色のカステラが入っていた。香ってくる匂いからして、抹茶味のカステラだろうか。


「美味しそうだ。抹茶味かな」

「うんっ! 部長のアイデアで抹茶味も作ることになって。出来立てを部活中に食べたけど、とても美味しかったよ。あと、結衣ちゃんが普通のカステラを持ってきてくれているよ」

「そうなんだ。2種類あるのは嬉しいな」

「あと、あたしからも。今日はみんなでお見舞いに行くと決めていたので、旅行のお土産の温泉饅頭を。これからカステラを食べますから、あとで食べてほしいのです」

「ありがとう、伊集院さん」


 伊集院さんから温泉饅頭をもらい、それをナイトテーブルの上に置いておく。夕ご飯の後にでもいただこう。


「ブラックコーヒーとフォークを持ってきたよ~」


 フォークと湯気の立ったマグカップを持った高嶺さんが部屋の中に入ってくる。いつも飲んでいるコーヒーの香りがすると気持ちが落ち着くなぁ。

 高嶺さんは俺の目の前にコーヒーの入ったマグカップとフォークを置く。さっそくコーヒーを一口飲んでみる。


「……美味い。俺好みの濃さだ」

「ふふっ、良かった。……はい、カステラだよ」


 高嶺さんは俺の右斜め前にあるクッションに腰を下ろすと、俺の目の前にタッパーを置いた。蓋を開くと、そこにはプレーンカステラが。


「今日の部活動では、胡桃ちゃんのタッパーに入っている抹茶カステラと2種類作ったの」

「そうみたいだな。……抹茶カステラの方から食べていいか。どんな感じなのか興味がある」

「もちろんだよ、悠真君」

「ど、どうぞ、ゆう君」

「3人で作りましたので食べてみてほしいのです。あと、低田君にも届けるからか、杏樹先生があたし達の班だけたくさん味見をしていたのですよ」


 福王寺先生らしいな。


「……いただきます」


 フォークを使って一口サイズに切り分けた抹茶カステラを、俺は口の中に入れた。作ってあまり時間も経っていないからか、ふわふわしているけれど、しっとりもしているな。抹茶の味と香りが口の中に広がっていく。


「……美味しい。甘いけれど、抹茶の苦味も感じられて。抹茶カステラを食べたのは初めてだけど、これはいいな」

「良かった、悠真君にそう言ってもらえて」

「ほっとしたよ。ゆう君が甘いもの好きだって分かっていても、自分の作ったものを食べてもらうのって緊張する」

「ですね」

「……次はプレーンカステラをいただきます」


 抹茶カステラと同じく、フォークで一口分に切り分けて口の中に入れる。あぁ、ふんわりしっとりとしたカステラから優しい甘味が。華頂さんの言うように、甘いもの好きだから口元が緩んでしまうな。


「凄く美味しい」


 素直な感想を言うと、高嶺さん、華頂さん、伊集院さんは嬉しそうな様子になる。それだけ、心を込めてカステラを作ってくれたってことだろう。味見をした福王寺先生を含めて。高嶺さんの言葉を借りれば、愛を込めて……かな。


「3人とも、カステラを作ってくれてありがとう」


 後で、福王寺先生にもお礼のメッセージを送っておくか。


「みんな、悠真に美味しいって言ってもらえて良かったね。……そういえば、悠真。高嶺ちゃんから聞いたよ。昨日は悠真が先生で、あたし達や芹花さんや柚月ちゃんが園児になる夢を見たんだって?」

「ええ。みんなが幼児化したり、福王寺先生と結婚していたりして色々と凄かったです」

「幼児化は笑えたけど、福王寺先生と結婚したっていうのはちょっと頷けたけどね。悠真に可愛く微笑む姿を前に見たから」


 そういえば、前にバイトをしているときにそんな話をしたっけ。福王寺先生、最近は2人きりではない場所でも微笑むくらいのことはするようになったな。

 俺の夢の話を高嶺さんから聞いたのか、華頂さんも伊集院さんも楽しげな様子だ。ただ、高嶺さんだけはぎこちない笑みを見せていた。昨日、お見舞いのときに、先生が「結婚については正夢にしよっか?」と俺に言ったのを思い出したからだろうか。


「ねえ、悠真。今日も何か面白い夢は見なかったの?」

「午前中にぐっすり寝たので見ましたよ。実は……」


 俺は猫化した高嶺さんと華頂さんが登場した夢について話した。先週末に猫カフェに行ったことを絡めて。


「あははっ! 幼児化の次は猫化か!」

「低田君は土曜日に2人と一緒に猫カフェに行ったのですよね。猫耳カチューシャを付けたそうですし、その記憶が夢に反映されたのでしょうね。幼稚園の夢もそうですけど、是非眺めてみたかったのです」


 中野先輩と伊集院さんは楽しく笑っている。高嶺さんのことを撫でたり、2人に両手を使ってキャットフードを食べさせたりしたことも話したけど、引かれずに済んで良かった。


「悠真君に直にお腹を撫でてもらったり、手に乗せたキャットフードを食べたりするなんて。夢の中の私、なかなかやるじゃない。これは正夢にしたい! さすがに食べるのはキャットフードとは別のものにしたいけど」

「ううっ、夢の中でしかも猫化していたとはいえ、ゆう君の手に乗ったキャットフードを食べていたなんて……」


 高嶺さんは目を輝かせて興奮しており、高嶺さんとは対照的に華頂さんは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしている。それぞれ、俺のイメージ通りの反応で安心する。もし、逆の反応を示していたら、今は夢なんじゃないかと疑い始めるところだった。


「悠真君! 手にカステラ乗せて! 食べたいから」

「断る。それに、これはみんなが俺に作ってくれたカステラじゃないか。凄く美味しいから、誰にもあげたくないな」


 俺がそう言うと、元々顔を赤くしていた華頂さんだけでなく、高嶺さんと伊集院さんまで頬を赤くして俺を見てくる。


「今の悠真君の言葉、凄くキュンとなった」

「不覚にもかなりキュンときたのです」

「と、とても嬉しいよ。ゆう君」

「……素敵な言葉のお礼に、私の手の上に乗せたカステラを食べていいよ」

「それも断る」


 たとえ、これが夢でもそんなことはしたくないな。凄く恥ずかしいから。

 高嶺さんはつまらないと言いたげな表情を見せる。……むくれても食べないぞ。ちょっと可愛いけど。


「しょうがないね。じゃあ、フォークでカステラを食べさせてあげる! 悠真君は今日も病欠したんだし、夢の中でお腹を撫でてくれたお礼に!」

「そ、そういうことならあたしも。恥ずかしい内容だけど、夢の中であたしのお願いを聞いてくれたから」

「……じゃあ、食べさせてもらおうかな」


 そういった様子を伊集院さんと中野先輩に見られるのを含めて経験済みなので。

 それからすぐに、高嶺さんにプレーンカステラ、華頂さんに抹茶のカステラを食べさせてもらった。さっき、自分で食べたときよりも甘味が深まったように思える。カステラを食べさせてくれる高嶺さん達の優しさが詰まったからだと思っておこう。

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