第55話『夢だと分かっているけれど。』

「痛ぇ……」


 5月27日、月曜日。

 目を覚まして最初に感じたのはガンガンと響く頭痛。その後、全身に寒気が走る。額や胸元を触ってみると……普段と比べてかなり熱い。これは完全に、


「風邪引いちゃったなぁ……けほっ」


 ううっ、喉の調子も悪い。

 昨日、新曲を作り終わったときに頭が痛かった。あのときは既に風邪の引き始めだったのかもしれない。

 土曜は夜遅くまで作業していたし、昨日は朝から夕方までバイトがあったので、疲れが溜まってしまったのだろう。先週は高校最初の定期試験もあったし。

 ベッドから出て、ゆっくりと立ち上がってみると……か、体が重い。

 何とかして1階のリビングへ行き、ソファーに横になりながら熱を測る。


「さ、39度4分か……」

「今日は学校を休みなさい、悠真。あと、今日ってバイトはあるのか?」

「……ない。明日はあるけど……」

「私、今日は大学休むっ! お姉ちゃんが看病するからね、ユウちゃん!」

「今日はパートないし、お母さんが看病するから大丈夫よ。だから、芹花はちゃんと大学に行きなさい」

「……うん」


 芹花姉さん、物凄く心配そうにしている。昔は俺が体調を崩すと「学校休む!」と駄々をこねることもあったので、その頃に比べれば成長している。


「悠真、9時過ぎに病院に行こうか。それまではとりあえず寝ていなさい。学校にはお母さんが連絡しておくから」

「……分かった。ありがとう」


 一応、俺からもLIMEで福王寺先生にメッセージを送っておくか。あと、高嶺さん達にも休むって連絡しておこう。

 芹花姉さんに肩を貸してもらって、俺は自分の部屋に戻った。ベッドで横になると、少しは体が楽になるな。

 高嶺さん達との高校生5人のグループトークと福王寺先生にそれぞれ、


『風邪引きました。39度4分でした。なので、今日は学校を休みます』


 というメッセージを送った。とりあえず、今日はバイトがないからこれで大丈夫だな。

 ――プルルッ。プルルッ。

 7時半くらいだからか、さすがにみんな起きているんだな。続々と『お大事に』という旨のメッセージが届いた。今まで、風邪を引いてもこういう経験はなかったので、気持ちが少し安らいだ。



 午前9時過ぎになり、近所にあるかかりつけの病院に行き、今の症状や低変人のことを隠しながらここ数日の話をすると、


「これは立派な風邪だねぇ。きっと、高校初めての中間試験や、バイトを頑張り過ぎちゃって疲れが溜まったんだろうねぇ。それなのに、試験明けにたーくさん遊んだり、夜遅くまで起きたりしたから、体調を崩しちゃったんだろうねぇ。薬を出すから、ゆっくりと休みなさいねぇ。お腹は壊していないようだけど、消化のいいものを中心に食べなさいねぇ」


 と、院長のおばあさん先生に診断された。

 家に帰り、茶碗半分くらいの母親の作った玉子粥を食べる。体調悪いとお粥でも一口が重く感じるな。

 処方された薬を飲んで、俺はふとんを被った。体が凄く熱いけど、薬のおかげか眠気が襲ってきて、割と早く眠りにつくのであった。




 気付けば、目の前には懐かしい建物がある。

 俺が卒園した金井幼稚園だ。

 幼稚園に通っていた頃は園舎も、今いる園庭もとても広く思えた。ただ、高校生になった今だと園舎も園庭も小さく感じるな。

 というか、病院から家に帰ってすぐに寝たのに、卒園した幼稚園の園庭にいるってことは、


「きっと、夢なんだろうな」


 どうしてこんな夢を見ているのか分からないけど、懐かしい気分になれる夢っていいもんだな。

 服装は病院に行ったときのワイシャツ姿だけど、なぜか黄色のエプロンを身につけていた。そういえば、この黄色いエプロン……幼稚園の先生が身につけていたような気がする。


「ゆーませんせー!」

「あそぼーよー! おにいちゃーん!」


 どこか聞き覚えのある2人の可愛らしい女の子の声が聞こえた瞬間、前後から抱きつかれたのが分かった。

 見下ろすと、そこには――。


「……高嶺さんじゃないか」


 前にアルバムを見せてもらったから分かる。今、俺を正面から抱きしめている女の子は幼稚園くらいの頃の高嶺さんだ。ただし、着ている服はここ金井幼稚園の園児服。


「……本当に夢なんだな」


 高嶺さんの言葉からして、俺は金井幼稚園の先生で、高嶺さんは園児ってことか。風邪のせいで変な夢を見てしまっているな。


「たかねさん? せんせーはわたしのことを『結衣ちゃん』っていうよ?」

「そ、そうなんだ。……ゆ、結衣ちゃん」


 俺がそう呼ぶと、幼い高嶺さんはニッコリ笑う。実際の幼稚園の頃の高嶺さんも可愛らしいだろうと思えるほどの魅力的な笑顔だ。あと、夢でも、幼い高嶺さんが相手でも、普段とは違う呼び方をすると照れくさいな

 後ろから抱きしめた子を確認するために振り返ると、そこには――。


「芹花姉さんじゃないか」

「わたしはおねえさんじゃなくていもうと! おにいちゃんボケてるの?」

「……その姿じゃ年下が普通だな。ちょっとボケてた」


 小さい頃は芹花姉さんのおもちゃのように扱われたときもあったから、姉さんの兄貴になりたいと思ったこともあった。それが夢に反映されているのだろうか。


「まったく。ゆいもせりかも、いきなりだきついたらあぶないですよ」

「そうだね、ひなちゃん」


 気付けば、幼い伊集院さんが腕を組み、真面目な表情をしながら高嶺さんと芹花姉さんに注意していた。その横には幼い柚月ちゃんもいる。

 以前、試験勉強で伊集院さんの家に行ったときにアルバムを見せてもらったな。実際も伊集院さんは幼稚園の頃から敬語で話していたのかも。可愛いな。


「胡桃。結衣ちゃん達や悠真先生を誘ってみようか」

「う、うん」


 園舎の近くで、俺と同じく黄色いエプロンを身につけた杏さんと、園児服姿の幼い華頂さんが一緒にいた。杏さんは幼くならずに、俺と一緒に先生をやっているのか。

 幼い華頂さんは早足で俺達のところへやってくる。アルバムを見たときにも思ったけど、幼稚園の頃の華頂さん可愛いなぁ。


「みんな。ゆうませんせい。なかでいっしょにおままごとしよう?」

「いいよ! くるみちゃん! ゆーませんせーもやろうよ!」

「あ、ああ……分かったよ」

「わたしもやるー!」

「ゆづきも!」

「いいですね。あたしもなかまにいれてください」

「……うん!」


 みんながやると返事したからか、幼い華頂さんはとても嬉しそうな笑みを浮かべた。

 俺は幼い高嶺さんと芹花姉さんに手を引かれながら、園舎の中へと入っていく。


「あっ、おかえりー」


 中に入ると、そこには絵本を読んでいる幼い中野先輩の姿が。先輩についても同じく、試験期間中に先輩の家へ行ったときにアルバムを見せてもらったな。


「ち、ちかちゃんもおままごとやりますか?」

「やるよ! かちょうちゃん!」


 幼い中野先輩は絵本を本棚に戻して俺達のところにやってくる。現実でも、中野先輩って幼い頃から女子には苗字にちゃん付けなのかな。

 俺は幼い高嶺さん達に囲まれることに。


「くるみちゃん。ゆーませんせーがおとうさんやくがいいかな?」

「そうだね」

「じゃあ、つぎは……ゆーませんせーのおよめさんをきめよう! やりたいひとはてをあげて!」

『はーい!』


 幼い高嶺さん達はみんな手を挙げる。特に高嶺さんと芹花姉さんは興奮気味に手を挙げていた。伊集院さんと中野先輩、柚月ちゃんも元気よく挙げる中、おままごとを誘った華頂さんが控え目な様子で手を挙げるのが可愛らしかった。


「わたしおよめさんやりたい!」

「わたしもおにーちゃんのおよめさんになる!」

「あ、あたしもやりたい……ひえっ」


 高嶺さんと芹花姉さんは互いに睨み合って、頬を膨らませている。そんな2人が恐いのか華頂さんは両眼に涙を浮かべている。


「こーら、喧嘩は止めなさい。止めないと、本当のお嫁さんの私がやっちゃうよ」


 とても聞き覚えのある声でそう言われた直後、左腕に優しい温もりととても柔らかい感触が。そちらの方に向くと、そこには俺や杏さんと同じように黄色いエプロン姿の福王寺先生がいた。俺と目が合うと、先生は俺と2人きりのときに見せる可愛らしい笑みを浮かべる。


「福王寺先生は夢でも先生をやっているんですね。ここは幼稚園ですけど」

「もう、悠真君ったら。私は幼稚園の先生しかやったことないよ」

「……俺のこと、下の名前で呼ぶんですね。あと、一つ気になることがあるんですけど」

「何かな、悠真君」

「……本当のお嫁さんってどういうことですか?」

「もうっ。私達は今年に入ってすぐに結婚したじゃない。悠真君だって、左手の薬指に同じ結婚指輪を嵌めているでしょう?」


 ふふっ、と福王寺先生は楽しげに笑って、左手を見せてくる。確かに、薬指には銀色のシンプルなデザインの指輪を嵌めてある。

 自分の左手を見てみると……先生の言う通り、薬指には同じデザインの指輪が嵌められていた。いくら体調を崩したからとはいえ、こんな夢を見るなんて。現実の先生も可愛いと思うことがあるからその影響なのか。


「悠真君。結婚したことを思い出すためにも、キスしてあげる」

「えっ! ちょ、ちょっと待ってください!」

「やだ。キスしたい。キスするもん」


 目を瞑った福王寺先生は俺の顔にゆっくりと近づけてくる。

 逃げようとするけど、福王寺先生には左腕をしっかり抱きしめられ、幼い高嶺さん達に体を押さえられてしまっている。夢だと分かっているけれど、先生とキスするのは避けたいんだ!

 福王寺先生の顔しか見えなくなった瞬間、視界が白んでいった。

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