第17話『常連のお姉さん』

『そっか。今日はバイト中にそんなことがあったんだ。大変だったね』


 バイトから帰り、夕食を食べ終わった後に俺はメッセンジャーを使って桐花さんとチャットしていた。

 事前に今日の午後はバイトがあると伝えていたためか、今日の桐花さんの第一声は『バイトお疲れ様』だった。そこから、将野さんとのことを含め、今日のバイトでの話をしたのだ。


『トラブルがあると、いつもより疲れそう。体調は大丈夫?』

『大丈夫です。バイトの先輩や店長、俺に告白した女の子のおかげで、精神的にも何とかなりました』

『そうだったんだ。助けてくれる人が近くに何人もいて良かったね』

『心強くて幸せすら感じました。もちろん、桐花さんとこうして話すと気持ちが落ち着いたり、疲れが取れたりします。ありがとうございます』


 曜日を問わず、夜にはこうして桐花さんとチャットする日が多いから。日常生活の一部と言ってもいいくらいだ。それをいつも通りにできるのは幸せだと思う。


『唐突にお礼を言われると照れちゃうな。私も低変人さんと話していると、一日の疲れが取れていくよ。だから、感謝してる。ありがとう。悩みとかあったら、遠慮なく言ってくれていいからね。チャットだから、たいした助言はできないかもしれないけど』

『ありがとうございます。桐花さんも俺に遠慮なく相談してくださいね』


 チャットだけでの繋がりだけど、桐花さんも俺にとっては心強い存在だ。一番付き合いの長い友人だから。

 明日は朝からバイトが入っているため、今夜は早めに眠るのであった。




 5月12日、日曜日。

 今日は朝9時からムーンバックスのバイト。もちろん、中野先輩も一緒だ。午後1時までシフトが入っている。

 昨日は目覚めたら高嶺さんがいたけど、今日はそんな展開にならなかった。突撃するなと叱った効果がさっそく現れたか。良かった良かった。

 ただ、今日はバイトの後に高嶺さんの家にお邪魔する予定だ。昨日、入浴後に高嶺さんからお誘いが来たので約束をした。高嶺さんの家や部屋に興味がないと言ったら嘘になるし、一度くらいは行ってもいいかと思ったのだ。

 また、高嶺さんの作ったお昼ご飯をいただくことになっている。これまでいただいた玉子焼きやたこさんウィンナーが美味しかったから期待している。


「悠真君、千佳先輩。今日も来ました!」


 午前10時過ぎ。

 今日も高嶺さんがムーンバックスに来店した。昨日とは違ってパンツスタイルだ。淡い水色のブラウスが爽やかで。美人でスタイルがいいからか、どんな服装でも様になる。


「いらっしゃいませ、高嶺さん」

「たくさん来てくれて嬉しいよ、高嶺ちゃん」

「このお店が大好きですからね。勉強や読書をするにもいいですし。悠真君や千佳先輩がバイトをしている姿を見ると元気が出ますから」

「そうか。あと、その服似合ってるな」

「ありがとう! 今日もアイスコーヒーのSサイズで。シロップ1つお願いできますか?」

「アイスコーヒーのSサイズで、シロップ1つですね。かしこまりました」


 今日はシロップだけを入れてコーヒーに挑戦するのか。ちなみに、昨日はシロップとミルクを入れたら結構美味しく飲めたとのこと。自分のペースでコーヒーを好きになっていければいいんじゃないかと思う。

 注文したアイスコーヒーを出すと、高嶺さんは昨日と同じように窓際のカウンター席へと向かった。高嶺さんに告白されてから、彼女の姿が見える中でバイトをするのが普通になったな。色々な意味で有り難い。

 その後も、俺は中野先輩や大垣店長などと一緒に仕事をしていく。昨日の将野さんの一件もあってか、今日はとても平和だなと思う。あと、接客していて思ったことがある。


「中野先輩。昨日と時間帯が違うからかもしれませんけど、今日はお持ち帰りのお客様が多い気がします。特にスイーツを……」

「今日は母の日だからね」

「……ああ、母の日でしたね」


 そういえば、今日は5月の第2日曜日だったか。すっかりと忘れていた。


「うちのスイーツは評判がいいからね。だから、プレゼントに買う人が多いんだ……って、去年の母の日のバイトで先輩から聞いたの。あたしも去年はそうしたんだ。今年もバイト後にスイーツを買って帰ろうかなって思ってる」

「いいですね」


 俺も母の日のプレゼントで何か買うか。ただ、バイトの後は高嶺さんの家に行くから、高嶺さんの家から帰る途中にでも。ここのスイーツをプレゼント候補にしておこう。

 それからも仕事を続け、正午を過ぎた頃。


「いらっしゃいませ……えっ」


 俺の目の前にいたのは、ベージュ色の縦セーター姿の華頂さん。そんな彼女の横には白いブラウス姿の、


「じょ、常連のお姉さん!」


 そう、赤紫色のポニーテールがトレードマークである常連のお姉さんが立っていたのだ! 思わず大きな声が出てしまった。そのことに華頂さんと常連のお姉さんがクスクスと笑っている。


「このカウンターで何度も会ったことがあるもんね、低田君。私のことを覚えていてくれて嬉しいな」

「髪の色も赤紫と珍しいですからね。それにしても、どうして俺の名前を……って、名札がつけていますから分かりますよね」

「ふふっ。あと、胡桃が中学のときに、隣の席になった低田君の話をしていたし」

「お、お姉ちゃん!」


 華頂さんは恥ずかしそうにそう言うと、右手で常連のお姉さんの口を押さえる。


「華頂さんのお姉さんなんですね」


 俺がそう問いかけると、お姉さんは首肯する。そんな彼女の口から華頂さんは手を離した。


「胡桃の姉の華頂杏かちょうあんずといいます。多摩中央大学経済学部経済学科に通う2年です。よろしくね、低田君」

「よろしくお願いします」


 杏さんから手を差し出されたので、俺は彼女と握手を交わした。

 髪が赤紫色という珍しい色なのに、華頂さんと繋がりのある人だと全然気付かなかったな。ほんわかとした華頂さんとは違って、杏さんはクールな雰囲気な方だからかな。ただ、こうして並んで立っていると2人とも美人だし、似ているところはいくつもあると分かる。


「悠真君! バイト中に女性と握手しているけど、何かあったの……って、胡桃ちゃん。こんにちは。それに、悠真君と握手している方、前にここに来たときにいたような。それに、前に胡桃ちゃんが見せてくれた写真の女性に似ているような……」


 慌ててカウンターにやってきた高嶺さんは、杏さんのことを凝視している。そんな彼女を目の前にして、華頂姉妹は上品に笑う。


「こんにちは、結衣ちゃん。こちら、姉の杏です」

「初めまして。華頂杏といいます」

「ああ、そうだった! 連休前の部活で、胡桃ちゃんからお姉さんの写真を見せてもらったのを思い出しました。初めまして、高嶺結衣といいます。胡桃ちゃんと同じスイーツ部に入っています。よろしくお願いします」

「よろしくね、結衣ちゃん」


 杏さんは俺から手を離して、高嶺さんと握手を交わす。


「胡桃ちゃんと杏さんもここでゆっくりと?」

「ううん。今日は母の日だから、プレゼントを買うためにコーヒー豆とスイーツを買いに来たの。お母さん、コーヒーもスイーツも大好きだから」

「そうなんだ。私も帰りにお母さんにスイーツを買おうかな」

「甘いもの好きならオススメだよ。ところで、結衣ちゃんはどうしてここに?」

「私はここでコーヒーを飲みながら宿題したり、漫画読んだりしてた。悠真君もバイトしているから、彼の姿も見たくて。悠真君はバイトが終わったら、私の家に来ることになっているの」

「……へ、へえ……そうなんだ。素敵な日曜日になりそうだね」


 と、華頂さんは優しげな笑顔でそう言った。ただ、その笑顔はどこかぎこちなく感じられた。


「お買い中だったね、ごめん。私は向こうに戻るね」

「気にしないで。結衣ちゃんとも話せて良かった。また明日ね」

「うん、また明日」


 高嶺さんは華頂さんに向かって手を振り、杏さんに軽く頭を下げると窓際のカウンター席へと戻っていった。


「胡桃は高校の部活で素敵な子と友達になったんだね。良かったね」

「うん!」


 ニッコリとした笑顔で頷く華頂さん。中学でクラスメイトになったときも、教室で今みたいな笑顔を見せることがあったっけ。そんな華頂さんに杏さんは優しい笑みを浮かべながら頭を撫でている。仲のいい姉妹なのだと分かる。


「……おっと。ここはカウンターだから、話ばかりしていないでお母さんへのプレゼントを買わないとね」

「そうだね。ごめん、低田君」

「いえいえ」


 それから、華頂さんと杏さんは一緒にメニューを見て、ブレンドコーヒーの豆とチーズケーキを4つお持ち帰りで注文した。午後に家族4人で食べるそうだ。


「お待たせしました。ブレンドコーヒーの豆とチーズケーキ4つになります」

「ありがとう」


 俺から紙袋を受け取った華頂さんは嬉しそうな様子だった。コーヒーとチーズケーキで、母の日の時間がより幸せなひとときになれば俺も嬉しいな。


「きっと、お母さんも喜ぶよ」

「そうだね! ひ、低田君。この後もバイト頑張ってね」

「ありがとう、華頂さん」


 華頂さんと杏さんは俺に向かって小さく手を振りながら、お店を後にした。


「あの常連のお姉さん……悠真の知り合いのお姉さんだったのね」

「ええ。珍しい髪の色も同じだったのに、全然気付きませんでした」

「あははっ、そういうこともあるよね。さあ、残り1時間を切ったから頑張ろう」

「はい」


 それからも、中野先輩達と一緒に仕事をしていく。

 常連のお姉さんの正体が判明するような衝撃的な出来事もなく、バイトが終わる午後1時まで平和な時間になったのであった。

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