第16話『生意気小娘タイフーン』

 ――ふうん。低田、ここでバイトしてるんだ。


 その声を聞いた瞬間、体がビクついた。全身に悪寒が走り、胃がキリキリし始める。


「前に胡桃と一緒に来たときには見かけなかったのに。まさか、低田がここでバイトしているとは思わなかったわ。アンタなんかを雇うなんて、ムーンバックスの品も随分と下がったんじゃない?」


 ふふっ、とウェーブのかかった茶髪の女子が笑う。一昨日の高橋なんて可愛いと思えるくらいの嘲笑だ。彼女を見ていると、中学のときのことを思い出し、息苦しくなる。彼女の後ろに立っている3人の女子達もクスクスと笑っている。

 正直、かなり腹立たしいけど、今はムーンバックスの店員としてここにいる。冷静になって接客しよう。


「……いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」

「ねえ、低田。今日は胡桃がいなくて残念だったね。漫画とかラノベとか買うためにここでバイトしてるの?」

「……ご注文を」

「店員なんだから、客からの質問にちゃんと答えなさいよ!」


 バンッ! と茶髪の女子はカウンターを強く叩く。そのことで店内にいるお客様のほとんどがこちらを向いた。もちろん、高嶺さんや福王寺先生も。

 茶髪の女子の横暴な態度にますます腹が立つ。それでも、店員として冷静に対応することが、この女子に対しては一番いいだろう。


「自分が当店のお客様であるならば、店員に対して節度ある態度を取った上で、何か注文をしてもらわないと。今のあなたは店員に向かって悪態をつき、店内の雰囲気を悪くするただのクレーマーです」

「低田があたしの質問に答えたら、こういう態度は取らないんだよ!」

「うちの低田とどのような関係なのかは知りませんが、そのようなことを言うのは止めていただけますか? 低田はもちろんのこと、お客様や他の店員に迷惑です」


 真剣な様子で中野先輩はそう言ってくれる。そのことで気持ちが救われた気がした。

 しかし、茶髪の女子は中野先輩の方を見ると「ふっ」と笑って、


「背も胸もあたしより小さいお子様は黙っててくれる?」

「はぁ?」


 中野先輩は物凄く鋭い目つきで、茶髪の女子を睨み付ける。バイト中に失敗して叱られたことは何度もあるけど、こんなに怒ることはない。身体的なことを言われてしまったからだろうか。かなり恐いぞ。

 ただ、お子様と見下しただけあってか、茶髪の女子は怒った中野先輩を目の前にしても嘲笑したままだ。


「ねえ、そこの茶髪の子」


 気付けば、高嶺さんがカウンターの前までやってきていて、茶髪の女子の肩をしっかりと掴んでいた。結衣は落ち着いた笑みを浮かべていて。近くで福王寺先生が真剣な様子で見ている。


「……誰?」

「あなたとは違って、ムーンバックスのお客さんだよ」


 高嶺さんがそう答えると、茶髪の女子はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。


「単なる客のくせに首突っ込まないでくれる? あなたってそういう性格? それとも、この低田っていう店員が好きだからいいところを見せようとか?」


 茶髪の女子のそんな煽りにも動じる様子もなく、高嶺さんは余裕のある笑みを見せる。


「そうだよ。私はこちらの店員であり、クラスメイトでもある低田悠真君のことが大好き。ただ、告白してフラれちゃったから、今は彼を惚れさせようとしているところなの。だから……大好きな人と大好きなお店を馬鹿にされるのは心底許せないんだよね」


 笑みは絶やさないものの、高嶺さんはとても低い声でそう言う。一昨日の高橋のときとは比べものにならないくらいに怒っているな。

 ただ、茶髪の女子も高嶺さんに向かってふてぶてしく笑う。


「あなたに許されなくても別にいいんだけど? ていうか、こんな奴のことが好きだとか。ぱっと見凄く美人なのに、一気に汚れて見えてきたよ」

「あなたにどう思われても別にいいよ。悠真君が私を素敵だと思ってくれればいい。あと、背は私より小さいし、胸も小さそうだね。お子様は黙っていてくれるかな?」

「何を偉そ――」

「お客様……ではないですね。ついさっき入店された4名様」


 すると、大垣店長が落ち着いた笑みを浮かべながらこちらにやってくる。


「高嶺ちゃんが相手している間に呼んできたの。簡単に事情は説明しておいた」


 中野先輩が俺にそう耳打ちをしてくる。高嶺さんが出てきてからは高嶺さんのことばかり注目していたので、全然気付かなかった。


「私、店長の大垣と申します。うちの店員から聞きましたが、低田は当店の店員として働いていけると判断し採用しました。新人であり、ミスをしてしまうことはありますが、仕事の覚えも早く、よくやってくれています。ですので、当店の品が随分と下がったと言われるのは心外ですね」


 店長がそう言ってくれると気持ちが温かくなるな。


「これ以上、店員やお客様に暴言を吐くのであれば、警察へ通報いたしますよ。あなた達はまだ学生さんでしょうから、通っている学校にも連絡します。当然、ムーンバックスには出禁です。ただし、ここで低田や中野、黒髪のお客様に謝罪をすれば、出禁のみで済みますが」


 大垣店長は真剣な様子で茶髪の女子達にそう言う。

 すると、茶髪の女子は「ちっ」と舌打ちして、高嶺さんに掴まれた肩を振り解く。そして、俺達の方を向いて、


「警察は嫌だからね。はい、ごめんなさいね。……こんな店、二度と来ない」


 そんな捨て台詞を吐いて、取り巻きの女子達と一緒に後にした。


「千佳ちゃん、あの子達の写真撮れた?」

「はい、スマホでバッチリ撮りました」

「ありがとう。彼女達は他店にも出禁ということにしましょう。あとで他のスタッフや店に伝えておかなくちゃ。……皆さま、ご迷惑をおかけしました。引き続き、当店でおくつろぎくださいませ」


 大垣店長が店内にいるお客様に謝罪し、深く頭を下げる。中野先輩に背中をポンと叩かれたので、俺達も頭を下げた。


「低田君。千佳ちゃん。休憩に入って。今日はまだ休憩していないし、あんなことがあったから普段よりも長めに休憩してきなさい。勝手口から出て外の空気を吸うのもいいし」

「……分かりました。じゃあ、たまには外で休憩しようか、悠真」

「そうですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」


 俺は中野先輩と一緒に休憩に入ることに。あの女が絡んできたからか、普段とは違ってかなりの疲れが襲ってくる。

 スタッフルームでホットコーヒーを淹れ、中野先輩と一緒に勝手口から外に出る。さっきのこともあってか、凄く開放的で、空気がとても美味しく感じた。


「……何か疲れたね、悠真。とりあえず、ここまでお疲れ様」

「はい。お疲れ様です」


 俺はマグカップを中野先輩の持つマグカップに軽く当て、ホットコーヒーを一口飲む。


「あぁ、美味しいです」

「美味しいね。コーヒーの苦味と温かさが心身共に染み渡るよ」

「ははっ、分かります」


 大好きなコーヒーのおかげで少しずつ疲れが取れていく。

 ――プルルッ。

 スマホを確認すると、LIMEで福王寺先生から2件、高嶺さんから1件メッセージが届いていた。時刻からして、高嶺さんのメッセージが届いてから鳴ったようだ。まずは先生のメッセージを見よう。


『低変人様のシロップとミルク……』


 ……何なんだ、このメッセージは。教師としてあるまじき内容だな。そういえば、高嶺さんがジョークを言ったときにゴクリとしていたっけ。中身は高嶺さんに似ているのかもしれない。スルーして、次のメッセージを見よう。


『何なのあの子達。何かあったら、遠慮なく私に言ってね! 低変人様!』


 今度は担任教師としての真面目さや優しさがとても伝わってきた。このメッセージについて感謝の旨の返信をした。

 次に高嶺さんのメッセージだ。


『勝手口を出たところで休憩してる?』


 という内容だった。さっきの店長と中野先輩の会話を聞いて、勝手口を出たところで休憩しているんじゃないかと思ったのか。その通りだと高嶺さんに返信をした。


「悠真君!」

「早いな」


 返信をしてから10秒くらいで、高嶺さんが姿を現したぞ。高嶺さんは笑顔で手を振り、こちらにやってくる。


「悠真君と……中野先輩でしたっけ? バイトお疲れ様です」

「ありがとう、高嶺結衣ちゃん。あたしは2年の中野千佳。よろしくね。高嶺ちゃん、南金井中学出身だよね。中学でも高嶺の花って言われたし」

「はい、南金井中学出身です。中野先輩も?」

「そうだよ。まあ、あたしは普通の生徒だから、知らなくても仕方ないと思うけど」

「名前は存じ上げなかったですけど、お店で千佳先輩の姿を見たとき、高校に入る前から見たことあるなぁって思っていたんです。そう思う理由がやっと分かりました」

「ははっ、そっか。あと、さっきはありがとね。かっこよかったよ」

「いえいえ! 好きな人が変な女に絡まれていたので、いてもたってもいられなくなって」


 さっきのこともあり、同じ中学出身なのも分かってか、高嶺さんと中野先輩はすぐに仲のいい雰囲気に。2人はスマホを取り出して、連絡先を交換する。


「これでOKですね。縦の繋がりがまたできて嬉しいです」

「良かったな。そういえば、高嶺さん。荷物は?」

「杏樹先生に見てもらってる。ところで、さっきの女の子達……特にあのウェーブのかかった茶髪の子。いったい、悠真君とどんな関わりがあるの?」

「あたしも気になってた。あの生意気小娘」


 生意気「小」娘と称するところからして、中野先輩はあの女子に『お子様』と侮辱されたことを根に持っていると伺える。


「あの茶髪の女子は将野美玲しょうのみれいといって、俺の中学時代のクラスメイトだったんです。中学2年の1年間だけだったんですけど。俺、小さい頃から馬鹿にされてきましたけど、あの1年間は将野さんに馬鹿にされることが多かったですね。彼女は当時のクラスカーストでトップでしたし、さっきみたいに取り巻きを何人も従えてました。一緒にいた女子達は知らないですね。中学校ですれ違ったかもしれませんけど」

「なるほどね……」

「きっと、仲間がいないと威張れないんだろうねっ! あの小娘は!」


 中野先輩はそう言うと、不機嫌そうな様子でコーヒーをゴクゴク飲む。まだ湯気がしっかりと立っているのによく飲めるな。凄い。将野さんへの怒りの影響だろうか。


「俺にとって、将野さんは今までの中で五本指に入るほどに嫌な人なので、彼女の姿を見た瞬間、息が詰まりました。駅前の喫茶店ですから、バイトをしようって決めたときに覚悟はしていたんですけど。ただ、中野先輩や高嶺さんがフォローしてくれて嬉しかったですし、心強かったです。さっきはありがとうございました」


 中野先輩と高嶺さんに向かって頭を下げる。この2人と大垣店長がいなかったらどうなっていたことか。あとで、店長にもお礼を言わないと。


「そうは言うけど、悠真も堂々としていたよ。可愛い後輩が絡まれているんだから助けるのは当然だって。教育係でもあるんだし。途中からは個人的にムカついたのもあったけど」

「私も同じような感じですね。大好きな悠真君がゲスな女に絡まれていましたから」


 中野先輩はムッとした様子で、高嶺さんは優しげな笑みを浮かべてそう言ってくれた。高嶺さんに至っては俺の頭を撫でてくれるほど。ただ、2人の様子とは反比例し、高嶺さんの方がとてもキツいことを言っている。

 高嶺さんも肝が据わっていると思う。さっきもそうだし、一昨日の高橋にも自分の考えを堂々と言っていた。普段から高嶺の花として注目を浴びていたり、大勢の前で何度も告白されたりしているからだろうか。


「これからも、あの女が絡んできたら私が助けるからね!」

「出禁になったけど、またお店に来るかもしれないし。バイト中はあたしに任せなさい」

「……ありがとうございます」


 お礼を言うと、高嶺さんと中野先輩から頭を撫でられる。俺のことを助けると言ってくれる人が2人もいるなんて。俺は幸せ者だと思う。

 20分ほど休憩をして、俺と中野先輩は仕事に再開する。バイトが終わる午後7時まで、特に大きなトラブルもなかったのであった。

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