第15話『シロップとミルク』

 昼食を食べた後、俺は高嶺さんと一緒にバイト先である駅前のムーンバックスへ行く。昨日の放課後デートもあったからか、高嶺さんは恥ずかしがることなく手を繋いできた。まさか、高嶺さんと一緒にバイト先へ行く日が来るとは思わなかったな。

 従業員用の入口前に到着すると、高嶺さんは「頑張って」とぎゅっと抱きしめる。こんなことをするのは、俺に元気を与えたいのは本当だろうけど、これからバイトが始まって、しばらく抱きしめられなくなるからという理由もありそう。

 高嶺さんと別れ、俺は店内に。高嶺さんは俺に接客されたいという理由で、エオンに行ってから来店するそうだ。

 スタッフルームに行くと、そこには制服に着替えた中野先輩の姿が。


「おっ、悠真。ちゃんと来たね。偉いぞ」


 中野先輩は背伸びして、俺の頭を撫でてくる。笑顔なのはもちろんのこと、一生懸命になって背伸びをしているのも可愛らしい。


「こんにちは、中野先輩。すぐに着替えてきます」

「うん。……女子の匂いがするけど、もしかして高嶺ちゃん?」

「よ、よく分かりましたね。高嶺さんと一緒に入口の前まで来て。そのときに抱きしめられたんです。あと、今日は起きたら高嶺さんの姿があって。俺の知らない間に家の場所を調べていたそうで。朝から驚きましたよ」

「あははっ、そうなんだ。高嶺ちゃんのアプローチ凄いなぁ。度を越している気もするけど」

「……そう思ってくれる方が身近にいて安心します」


 ただ、高嶺さんには注意したし、今後は目覚めたら高嶺さんがいたという展開にはならないだろう。そうであってくれ。


「高嶺さんって、とても綺麗な黒髪の女の子のこと? 一昨日、悠真君と楽しく話している姿を見たから」


 女性のそんな声が聞こえ、背後から頭を撫でられる。それと同時に背中にとても柔らかな感触が。

 ゆっくりと振り返ると、そこにはムーンバックスの制服姿の女性がいた。おさげにまとめている茶髪が特徴的だ。


「店長まで頭を撫でないでくださいよ。恥ずかしいです」

「千佳ちゃんが撫でているのを見て、私も撫でたくなっちゃったの」


 ふふっ、と優しく笑って頭を撫で続ける。

 彼女の名前は大垣麻衣おおがきまい。ここムーンバックス武蔵金井店の店長だ。とても穏やかな方で笑みを絶やさない。中野先輩ほど直接的な関わりはないけど、バイト中は見守ってくれていて。心強く思っている。


「店長の言う通り、黒髪の子が高嶺さんです。今日も来店してくれる予定です」

「そうなのね。嬉しいわ。2人とも今日もよろしくね」

『はい!』


 それから俺はお店の制服に着替え、中野先輩と一緒にバイトを始める。これから数時間頑張ろう。

 土曜日の午後なのもあって、性別や年代を問わずお客様が来店してくる。

 バイトを始めてから20分ほどが経ったとき、


「次の方、どうぞ」

「約束通り来たよ! 悠真君!」


 高嶺さんが来店してきた。彼女は俺と目が合うと、ニッコリと笑って小さく手を振る。


「いらっしゃいませ、高嶺さん。店内で召し上がりですか?」

「はい」

「ご注文はいかがなさいますか?」

「アイスコーヒーのSで」

「アイスコーヒーのSサイズですね。シロップやミルクをお付けしますか?」

「ううん、今日はいらないよ。悠真君はブラックコーヒーが大好きだし、私も同じものを好きになりたいから。ブラックに挑戦してみるよ」


 昨日、タピオカコーヒーを飲んだときは辛そうだったけど。ただ、とても真剣な目つきで俺を見てくるので、彼女の意向通りにしよう。


「……かしこまりました。ただ、シロップやミルクがほしくなったときはいつでもお声がけください。280円になります」

「はーい」


 高嶺さんに代金を支払ってもらい、俺は彼女が注文したアイスコーヒーを用意する。


「記憶通りだった。彼女が高嶺さんね。とても可愛くて綺麗な子」


 気付けば、店長が俺の近くに来ており、ドリンクを作り始める。どうやらカフェラテのようだ。


「クラスメイトで友人です。学校には、彼女を高嶺の花って呼ぶ生徒もいて」

「高嶺さんだから高嶺の花か。なるほどね。その言葉が似合いそうな子ね」

「初めて聞いたとき俺も『上手いな!』って思いました」

「ふふっ」


 店長とそんなことを話しながらアイスコーヒーを作り、俺は高嶺さんの待つカウンターに戻る。


「お待たせしました。アイスコーヒーをどうぞ」

「ありがとう。ところで、悠真君って大人な女性が好みなの? あの人と楽しそうに喋っていたから」

「高嶺さんの話題だから盛り上がったんだ。ちなみに、彼女は店長だよ」

「そうなんだ。……私の話で盛り上がったならいいか。じゃあ、頑張ってね」

「ありがとう。ごゆっくり」


 高嶺さんはアイスコーヒーを乗せたトレイを持って、窓際のカウンター席へと向かう。空いている席の中で、ここにいる俺の様子を見やすいところに座るのが彼女らしい。

 その後も俺は接客を中心に仕事をしていく。

 視線を少し動かせば、高嶺さんの姿が見えるのはいいな。それだけで、普段よりも疲れを感じなくなるし。

 当の本人は宿題なのか、早めの試験対策なのか勉強に集中しているようだった。たまにアイスコーヒーを飲んでいるけど、苦いのか笑顔は見られない。ブラックを好きになるまではまだまだ遠そうだ。


「次の方、どうぞ……あっ、福王寺先生」

「こんにちは、低田君」


 目の前にはパンツルックの福王寺先生が。俺がバイトをしているのもあって、先生はたまにムーンバックスに来店してくれる。今は俺と2人きりではなく、近くに中野先輩がいるからかクールモードになっている。


「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」

「いえいえ。ここのドリンクやスイーツは美味しいから。それに、うちのクラスの生徒がバイトしているし、お店にお金を落としたいと思って」

「ありがとうございます。店内で召し上がりですか?」

「はい。アイスティーSサイズ1つに、チーズケーキ1つお願いします。シロップを1つください」

「アイスティーSサイズお1つに、チーズケーキお1つですね。ありがとうございます。630円になります」

「カードで払います」

「かしこまりました」


 福王寺先生に代金を支払ってもらい、俺は注文されたアイスティーとチーズケーキを用意する。


「杏樹先生来てくれたんだ。私服姿でも凛としていてかっこいいよね」

「……そうですね」


 確かに、今の福王寺先生はかっこいい。ただ、2人きりで話すときの素の彼女を知っていると、休日まであのクールさをよく表に出せると感心する。


「お待たせしました。アイスティーSサイズとチーズケーキになります」

「ありがとう。低田君も中野さんもバイト頑張ってね」

「ありがとうございます、杏樹先生」

「ありがとうございます。先生、ごゆっくり」


 福王寺先生は俺達に落ち着いた笑みを見せると、窓側のカウンター席の方へと向かう。だからか、先生は高嶺さんと遭遇。高嶺さんの隣の席が空いているので、福王寺先生はそこに座った。先生とここで会ったのが嬉しかったのか、高嶺さんは笑顔を浮かべていた。

 バイト中だから、俺が話題に上がる可能性は十分にあり得るだろう。ここは学校じゃないし、福王寺先生、クールなままでいられるのかな。

 仕事中に2人の様子をたまに確認する。基本的には高嶺さんが楽しそうに喋り、福王寺先生がアイスティーを飲みながら聞き役になっている感じだ。先生が高嶺さんにチーズケーキを食べさせる場面も。2人とも美女なので、周りにいるお客様の多くが彼女達のことを見ていた。



 知っている人が店内にいることもあり、時間はあっという間に過ぎていく。その中で、常連さんである赤紫色の髪のポニーテールの女性も来店された。今日はアイスコーヒーMサイズのお持ち帰りだった。

 夕方になり、お客様の数も落ち着いてきた。

 窓際のカウンター席に座っている高嶺さんと福王寺先生の様子を見てみると……あぁ、高嶺さんは未だにブラックコーヒーに苦戦しているようだ。


「先輩。高嶺さんにシロップとミルクを持っていってもいいですか? 彼女、ブラックだと辛そうなので」

「うん、いいよ。持っていってあげな」

「ありがとうございます」


 俺はシロップとミルクを1つずつ持って、高嶺さんのところへと向かう。


「高嶺さん」


 俺が声をかけると、高嶺さんと福王寺先生がこちらに向いてくる。


「どうしたの? 悠真君」

「何か用かしら」

「高嶺さんが無理してブラックコーヒーを飲んでいるように見えまして」

「私も同じことを思って訊いてみたら、低田君がブラックコーヒーが好きだから、自分も飲めるようになりたいって言っていたわ」

「俺も注文を受けた際に聞きました。でも、結構な時間が経ってもまだまだ残っているんで、シロップとミルクを持ってきたんだ」

「悠真君……」


 高嶺さんは頬をほんのりと赤くして、俺をチラチラと見てくる。


「もう、悠真君ったら。私のためにシロップとミルクを出してくれるなんて。杏樹先生がいるのに大胆なんだから」


 高嶺さんは赤くなった頬に両手を当てている。その様子で彼女の言わんとすることの見当がついた。まったく、高嶺さんは。昼食前に、俺の顔を自分の胸に埋めさせたからだろうか。あと、福王寺先生は真顔でゴクリとしないでください。


「お客様の場合、ブラックのままアイスコーヒーを頑張って飲みきってみるのがいいんじゃないでしょうか」

「何か急に距離ができた気がするよ! ごめんなさいっ! 好きな人だからこそ言ってしまうピンクジョークです! ブラックコーヒーは今の私にはまだ早かったよ。少しずつ慣れていくよ。なので、シロップとミルクをくれませんか?」


 涙目になり、両手に手を合わせながら高嶺さんは懇願してくる。そんな彼女の後ろで福王寺先生は「ふふっ」と笑っている。


「無理して飲むのは体に良くないと思うから、出してあげて」

「……そうですね。それに、高嶺さんにお金を出してもらって提供したコーヒーですもんね。美味しいと思って飲んでほしいですし」


 俺はシロップとミルクをトレーの上に置く。これである程度は飲みやすくなるんじゃないだろうか。


「ありがとう、悠真君。杏樹先生も」

「いえいえ。私は思ったことを伝えただけよ」

「……次からはこういうジョークを言うなよ。少なくとも、ここでは。先生のいる前なんだし」


 とは言ったけど、さっきの様子からして、福王寺先生は変態なジョークを言われても大丈夫そうな気がする。むしろ好きそう。


「分かった。約束するよ」

「頼むね、高嶺さん。では、2人ともごゆっくり」


 高嶺さんと福王寺先生に頭を下げ、俺はカウンターに戻る。


「高嶺さんと杏樹先生と色々話していたけど、何かあった?」

「高嶺さんが変なことを言ったので注意していました」

「そうだったんだ。それはご苦労様」


 ふふっ、と笑い、中野先輩は俺の背中をポンポンと叩いた。

 高嶺さんの方を見てみると、俺の渡したシロップとミルクを入れたからか、彼女は美味しそうにコーヒーを飲んでいた。いつかはブラックコーヒーも美味しく飲める日が来るんじゃないだろうか。そんなことを考えながら再び業務を始めたときだった。


「ふうん。低田、ここでバイトしてるんだ」


 その声を聞いて、思わず体がビクつく。

 カウンターの目の前には、派手派手しい服装をした茶髪の若い女性が立っていたのであった。

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