第14話『弦の音色と少女の叫び』

 芹花姉さんはお昼から駅前のファミリーレストラン・ドニーズでバイトがあるので、11時半過ぎに家を出発した。それに伴い、アルバム鑑賞会は終了。そのことにほっとしている。


「お姉様は駅前のドニーズでバイトしているんだね。実はお姉様と会ったとき、どこかで見たことあるなぁって思ったんだ。その理由が分かったよ」

「大学受験のシーズンを除いて、高校1年のときからずっとバイトしているよ。母さんもドニーズでパートしてる」

「そうなんだ。……もしかしたら、ドニーズで働いている黄金色の天使と聖母ってお姉様とお母様のことかも。中学のとき、クラスメイトの男子が興奮して話していたのを思い出したよ」

「そうなのか。2人とも金髪だし、天使と聖母は姉さんと母さんのことかもな」


 家族である俺から見ても、母さんと芹花姉さんは綺麗な女性だと思う。だから、赤の他人で、しかも中学生男子だと、天使や聖母と異名を付けて興奮する気持ちも理解はできる。

 ムーンバックスの店員として、俺はお客様にどう思われているのだろう。中野先輩のような茶髪の人は何人もいるけど、金髪は俺くらいだし。最近バイトを始めた不良店員とか思われていたりして。店長に髪を染めろと言われたこともないし、むしろ綺麗だと言われるくらいなので大丈夫……だと思いたい。


「ところで……2人きりだね、悠真君」


 そう言ってはにかむ高嶺さん。

 朝起きたときは、高嶺さんがいた驚きと、勝手に家を特定された怒りで意識してなかったけど、こうして高嶺さんと2人きりでいるとドキドキしてくるな。コーヒーや紅茶だけでなく、高嶺さんの甘い匂いも感じる。


「私としたいことってある?」

「突然家に来られたから、すぐには思いつかないな。高嶺さんは俺としたいことはある?」

「そうだね……」


 高嶺さんはそう呟くと、ベッドの方をチラチラと見る。その様子で、高嶺さんが何をしたいのかおおよその見当が付いた。


「ちなみに、ベッドの中で何かするのは禁止だからな」

「……悠真君がそう言うなら分かったよ」


 つまらなそうに言う高嶺さん。やっぱり、ベッドの中で色々したいと考えていたか。


「ベッドの中での交流がダメなら……そうだ」


 高嶺さんは部屋の端にあるギターケースを指さす。


「今朝、この部屋に入ったときにあのギターケースがすぐに目が入ったの。気になっていたんだけど、これまでお姉様の部屋でお茶したり、ここでもアルバムを見たりしていたからさ。ケースの中にギターが入っているの?」

「ああ、そうだよ」


 大きなギターケースだから、やっぱり気になっていたか。

 ケースからギターを取り出すと、高嶺さんが「おおっ」と声を漏らす。それが可愛らしくて、何だか嬉しかった。


「素敵なギターだね。ギターを持つ悠真君もかっこいい。音楽を聴くのが好きなのは知っていたけれど、演奏するのも好きなの?」

「ああ。小学生の頃に、ギターが趣味の父さんから弾き方を教えてもらって。それがとても楽しくて、自分の趣味になったんだ」

「へえ、お父様から。素敵だね」

「……ちなみに、このギターは中学のときに小遣いを貯めて買ったんだ」

「そうなんだね。じゃあ、バイトをしているのは小説やラノベを買うだけじゃなくて、ギターのためでもあるんだね。ギターって、定期的にメンテナンスをしなきゃいけないって聞いたことがあるし。あとは新しいギターを買うとか」

「そ、そうだな」


 今は低変人としての収入で低変人関連のことも、趣味のことも十分に賄えている。ただ、今の人気がいつまで続くか分からないからな。それに、コーヒーや紅茶はもちろんのこと、ムーンバックスの店の雰囲気も好きだから。


「せっかくだから、高嶺さんのリクエストで弾き語りをしようか?」

「いいの? じゃあ、昨日の放課後にも話したアーティストの曲! 私の好きな『Melon』をお願いできますか?」

「『Melon』か。俺も好きな曲だよ。分かった」


 俺は勉強机の椅子に座って、高嶺さんがリクエストした『Melon』の弾き語りを始める。高嶺さんはクッションの上で正座をしてこちらを見ている。ちなみに、『Melon』は去年大ヒットしたバラード曲だ。

 そういえば、こうして弾き語りするのはいつ以来だろう。低変人として活動を始めてからは、部屋でメロディーの録音をするのが多かったから。そんなことを考えながら弾き語りをしていった。


「……こんな感じだけど、どうかな?」

「凄く良かったよ! 演奏も上手だし、いい歌声だった……」 


 高嶺さんはうっとりとした様子で俺に拍手を送ってくれる。好印象なようで良かった。ひさしぶりの弾き語りは気持ち良かったな。


「ありがとう、高嶺さん」

「とっても良かった。高校には軽音楽部があるけど、入部は考えなかったの?」

「全く考えなかったな。自分の部屋でこうして一人で弾いているのが好きだから」


 それに、マイペースだけれど低変人としての活動もあるし。今のところ、低変人の音楽も1人で制作できているからな。

 今の俺の説明に納得したのか、高嶺さんは優しげな笑みを浮かべて、


「好きな楽しみ方があるなら、それが一番いいよね」

「……そうだな。まだ時間もあるし、他に弾いてほしい曲があれば弾くけど」

「いいの? そうだなぁ。せっかくだし、他のアーティストの曲で何か……」


 う~ん、と腕を組んで考える高嶺さん。何の曲がリクエストされるのかな。高嶺さんがどんな曲が好きなのかを含めて楽しみだな。


「……うん?」


 高嶺さんのすぐ側にゴキブリが。今の時期だと、晴れていると結構暖かくなるから、活動を始めたのかな。


「高嶺さん。すぐ側にゴキブリがいるから退治するよ」

「えっ?」


 自分の近くにいるゴキブリの姿を見た瞬間、高嶺さんの表情や顔色が一変。そして、


「きゃああああっ!」


 涙を浮かべながら悲鳴を上げ、俺の後ろに素早く隠れる。そんな高嶺さんに驚いたのか、ゴキブリはベッドの方に向かって移動していく。


「悠真君! 私、ゴキブリが凄く苦手なの! そのギターでぶっ潰して!」

「ギターは使わないけど、ちゃんと退治するから安心してくれ」

「お願い!」


 ギターをベッドに置き、スリッパを持ってゆっくりとゴキブリに近づく。その間、高嶺さんが後ろからずっとしがみついている。さっきの悲鳴といい、高嶺さんは本当にゴキブリが嫌いなんだな。


「よし、今だ」

 ――バシン!


 ベッドの近くで一旦歩みを止めていたゴキブリをスリッパで思い切り叩いた。

 ゆっくりとスリッパをあげると、ゴキブリはピタリと動かなくなっていた。これで大丈夫そうだな。


「結衣ちゃん! 悠真! 悲鳴とか叩く音とかが聞こえたけど、何かあったの?」


 気付けば、母さんが部屋まで駆けつけてきてくれていた。いつもはほんわかしている雰囲気の母さんも、今はさすがに真剣な様子だった。


「ゴキブリが出たんだ。だから、スリッパで潰したんだよ。高嶺さんはゴキブリが大嫌いだから、姿を見た瞬間に悲鳴を上げて」


 そう説明して、ついさっき潰したゴキブリを指さすと、母さんはほっとした様子で胸を撫で下ろした。


「そうだったのね。悲鳴とか物騒な音が聞こえたから心配になっちゃって。安心したわ」

「お、お騒がせしました、お母様。悠真君がゴキブリを退治してくれて私も安心しています」


 そう言うと、高嶺さんは俺の背中から離れる。ゴキブリに驚いたからなのか、それとも俺にしがみついている場面を母さんに見られた照れくささなのか、高嶺さんの顔は真っ赤だ。


「ふふっ、良かったわね。そろそろ、お昼ご飯を作り始めるけれど、ざるそばでいいかしら。もちろん、結衣ちゃんの分も作るわよ」

「いいんですか?」

「もちろんよ! 結衣ちゃんが一緒だとよりお昼ご飯が美味しくなると思うの」

「……そういうことでしたら、ご厚意に甘えさせていただきます。おそばいいですね!」

「俺もざるそばがいいな」

「うん、分かった。じゃあ、お昼ご飯ができるまで待っててね」


 母さんは俺達に小さく手を振って、部屋を後にした。

 その後、部屋にあるガムテープを使って潰したゴキブリを包み、ゴミ箱に捨てた。そのことでようやく高嶺さんも安心した様子になり、再びクッションに腰を下ろした。俺もその近くにあるクッションに腰を下ろす。


「あぁ、良かった。退治してくれてありがとう」

「いえいえ。これでひとまずは安心だ。これからどんどん暖かくなっていくし、ゴキブリと出くわす頻度も増えそうだ」

「……恐怖の季節が始まるよ」

「さっきの高嶺さんを見て、本当にゴキブリが嫌いだって分かったよ。高嶺さんは高嶺の花って言われているし、ゴキブリが大丈夫そうなイメージがあったよ。嫌いでも、見つけたら冷静な対処しそうで」

「そんなことないよ! 私も人間なんだから、苦手なものはあるし、その……驚いちゃうこともあるって」


 もう、と高嶺さんはちょっと不機嫌そうな様子。


「ちなみに、自分の部屋で見つけたときはどうするんだ?」

「家族に退治してもらってる。妹も平気な方だから、妹に助けてもらうことが一番多いかな」

「そうなのか」


 そういえば、告白される直前に3歳年下の妹がいるって言っていたな。少なくとも、ゴキブリについては姉よりもしっかりしていそうだ。


「今のゴキブリの件で、悠真君のことがより好きになったよ」

「……そうかい」

「ねえ、悠真君。ゴキブリを退治してくれたことと、『Melon』の弾き語りをしてくれたことのお礼をしたいな」


 高嶺さんは俺に近づいてきて、俺の着ているワイシャツの袖を掴む。掴んでいるのはワイシャツだけど、高嶺さんの温もりが伝わっている気がして。


「さっき、ありがとうって言ってくれたからなぁ。この後、バイト先にも来てくれるし、そのときは何か飲み物やスイーツを頼んでくれればいいよ」

「……悠真君らしいかも。てっきり、自分の部屋で私と2人きりだから、頬にキスしてほしいとか、胸の中に顔を埋めたいって言うのかなって思ったんだけど」

「……それって高嶺さんのしたいことなんじゃないか?」

「ふふっ」


 高嶺さんは声に出して笑う。やっぱり、高嶺さんのしたいことだったんだな。


「さっきはありがとう、悠真君」


 そう言って、高嶺さんは俺のことを抱きしめて、俺の顔に胸を押し当ててきた。そのことで、顔には温もりと甘い匂い、そして柔らかな感触に包まれる。


「どうかな? 私の胸は」

「……わ、悪くない」


 Vネックニットという服装もあり、高嶺さんの豊満な胸の柔らかさを凄く感じる。高嶺さんの体温と甘い匂いも。

 父さんや母さんが部屋に来る可能性もあるし、今すぐに顔を離さないと。ただ、高嶺さんがしっかり抱きしめているからそれができない。


「ふふっ、気持ちいいって言えばいいのに。素直じゃないんだから。でも、そんなところが可愛くてキュンとくるよ」


 すると、頭に撫でられるような感覚が。ここまでされると、小さい頃に母さんや芹花姉さんに抱きしめられたときのことを思い出してくる。


「あぁ、悠真君の吐息が気持ちいい。悠真君さえよければ、その……私の胸に色々してくれちゃっていいんだよっ!」


 高嶺さんは俺への抱擁を強くしてくる。そのせいで、それまでは何とかなっていた呼吸ができなくなってしまう。


「んんっ!」


 高嶺さんの背中を叩いたことで、高嶺さんは抱擁を解いてくれた。


「ご、ごめんね。悠真君」

「はあっ、はあっ……危うく、高嶺さんの胸の中で窒息死するところだった」

「本当にごめん。良かった、生きてて。ちなみに、私は悠真君の胸の中で死にたいと思ってるよ」

「……高嶺さんらしいな」


 もし、俺が先に死んでしまったら、高嶺さんはどうなってしまうんだろう。

 少しでも気持ちを落ち着かせるため、俺のマグカップに残っていたコーヒーを飲み干す。すっかりと冷めていたけど、それが今の俺にとってはとても良く感じられた。

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