第12話『目覚めたら。』

 5月11日、土曜日。

 目を覚ますと、部屋の中がうっすらと明るくなっていた。もう朝か。

 枕の側に置いてあるスマホで時刻を確認すると……午前9時過ぎか。結構寝たな。今日が土曜日で、バイトも昼過ぎからで良かった。


「おはよう、悠真君」


 ベッドの側には、長袖の黒いVネックニット姿の高嶺さんがいた。胸元が大きめに開いているのもあり、制服姿よりも大人っぽい印象だ。高嶺さんはパソコンデスクの椅子に座り、優しげな笑顔で俺を見つめている。


「おはよう、高嶺さん」

「ぐっすり寝てたね、悠真君。寝顔可愛かったよ」

「寝顔の感想を言われると何か恥ずかしいな。とりあえず、お手洗いに行かせてくれ」

「うんっ」


 ナイトテーブルに置いてあるメガネをかけ、俺はベッドから出る。ゴールデンウィーク明けにもなると、朝にベッドから出ても寒さをあまり感じないな。

 お手洗いに行くため、ドアノブに手をかけたとき……ようやく、今の状況のおかしさに気付いた。


「……高嶺さん。どうしてここにいるんだ?」

「えっ? ええと……」

「もしかして、これって夢か? 俺、高嶺さんに家の場所なんて教えてないし……」


 俺がそう言うと、高嶺さんははっとした様子になる。ただ、すぐに笑顔になり、俺の目の前に立つ。そのことで、高嶺さんの甘い匂いがふんわりと香ってくる。


「そうだよ。これは夢なんだよ。私達は恋人同士になったんだよ! だから、私におはようのキスをしなきゃいけないんだよ!!」

「……へえ」


 俺は両手を高嶺さんの頬に添える。

 すると、高嶺さんの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。それに伴って頬が熱くなる。高嶺さんは恥ずかしそうな様子に。


「高嶺さん」

「……い、いいよ。悠真君、キスして?」


 はにかみながら言うと、高嶺さんはゆっくりと目を瞑る。

 俺はそんな高嶺さんの――。


「い、痛いよ……悠真君」


 両頬を軽くつねって、縦横無尽に動かす。あぁ、よく伸びるなぁ。


「夢じゃないってことはとっくに分かってるぞ。頬に触れたときの柔らかい感触や強い熱、高嶺さんの甘い匂いでこれが現実だと確信した」

「か、かなりリアルな夢かもしれないよ?」

「じゃあ、そこのベランダから、ぴょーんって飛んで大空に向かって羽ばたいてみてくれ。夢ならそのくらいできるだろう。俺は大空に羽ばたく人間を見てみたいんだ」

「ごめんなさい。これは現実です。夢だと嘘を付きました」


 嘘だと認めてくれたので、高嶺さんの頬から手を離した。

 俺につねられたのが痛かったのか、高嶺さんは両頬に手を当てている。そんな姿が可愛らしく思えた。

 昨日、放課後デートの終わりに、俺のバイトの時間を訊いてきたのは、バイトをする俺の姿を見に行くだけじゃなくて、俺の家に突撃するためでもあったんだな。


「もう、悠真君ったら。女の子の頬をつねって」

「それについては謝るよ。ごめん。あと、お手洗いから戻ってきたら、色々と話を聞かせてもらうからね」

「じゃあ、それまでは、悠真君の温もりと残り香のあるベッドの中で……」

「床で正座しなさい」

「はい」


 高嶺さんはベッドの近くで正座をする。それを確認し、俺は部屋の外に出る。

 まったく、今日は両親や芹花姉さんもいるのに。高嶺さんのことだから、上手いこと言って家に上がり、俺の部屋まで案内されたんだろうな。


「ユウちゃん」


 マグカップを持った芹花姉さんが、階段から上がってきた。マグカップに入っている紅茶の香りで気持ちが落ち着く。


「15分くらい前に結衣ちゃんが来たの。ユウちゃん、あの子にかなり好かれているんだね。もしかして、水曜日に疲れていた理由は彼女絡み?」

「ああ。告白されたけど振ったんだよ。友達として付き合うことにはなったけど、あのときに色々とあってさ。どうして、高嶺さんを家に上げたんだ?」

「『悠真君の友人でありクラスメイトでもあり、悠真君が大好きなので会いに来ちゃいました!』って可愛らしい笑顔で言われたから。お母さんもお父さんも気に入って。ユウちゃんに友達ができたのが嬉しそうだった」


 芹花姉さんは友達がたくさんいて、家に連れてくることが数え切れないほどにあったけど、俺にはそういった経験が全然なかったからな。両親が喜ぶのも分かるかな。あと、今の高嶺さんの真似、上手だったな。


「あの素敵な笑顔を見せられたら、私も結衣ちゃんが嘘をついていないって思えたからね」

「……なるほど」


 それで、高嶺さんを家に上げたわけか。芹花姉さんの考えも理解できるけど、高嶺さんの場合、本当に俺が好きだからこそ、危険な要素があるのだ。

 ただ、俺のいない場で俺のことが大好きだと家族に言えてしまうところが凄いし、高嶺さんらしいと思った。


「分かった。教えてくれてありがとう」

「いえいえ。高校でいい出会いがあったじゃない。ユウちゃんへの愛情が重そうだけど」

「そ、そうだな」


 そこに気付くとは。さすがは芹花姉さん。昔の姉さんからの愛情もなかなか重かったけど。


「じゃあ、また後でね」


 そう言って、芹花姉さんは自分の部屋に入っていった。

 俺はお手洗いで用を足し、高嶺さんの待つ俺の部屋に戻る。すると、高嶺さんは依然としてベッドの側で正座をしていた。


「お待たせ、高嶺さん」

「おかえり。お姉様と話していたんだね。声が聞こえたよ」

「ああ。両親と芹花姉さんにはちゃんと挨拶したそうだな。3人とも高嶺さんに好印象みたいだし、それはよしとしよう。一番知りたいのは、高嶺さんはどうして俺の家の場所を知っていたのかってことだ」


 俺がそう問いかけると、高嶺さんは気まずそうな表情をし、視線をちらつかせる。


「……ゴ、ゴールデンウィーク中にバイト帰りの悠真君の後をついて行って、家の場所を知りました」

「……なるほど。高嶺さん、それは俗に言うストーカーだぞ」

「……ごめんなさい」


 申し訳なさそうな様子で謝罪の言葉を述べると、高嶺さんは深く頭を下げた。家の場所以外にも俺絡みのことを調べていそうだけど、そこを追究すると恐ろしくなってきそうなので今は止めておこう。


「家の場所を知った経緯を正直に話してくれたから、今すぐ帰れとは言わない。ただ、次からは家に来たいときは、事前に俺から承諾をもらうこと。それができないと、さすがに距離を置きたくなる。約束できるか?」

「もちろんです!」

「……いい返事だね。約束だぞ。それで、今日は家に突撃して俺を驚かせたかったと」

「そうだよ。もし、悠真君がゆっくり起きるタイプなら、悠真君の寝顔を見られると思ったし。運が良かったよ。悠真君の可愛らしい笑顔を見られたんだもん! 写真も撮ることができたからもう幸せで」


 それが本当であると証明するように、高嶺さんはとても幸せそうな表情を浮かべる。まったく、眠っている間に写真を撮ったのか。どんどん罪を重ねていっているぞ。


「寝顔の写真、友達にばらまいたりネット上に上げたりするなよ」

「了解であります!」


 敬礼のポーズを取り、意気揚々とした様子で返事をする高嶺さん。


「あと、俺が寝ている間にしたのは写真を撮っただけか? 高嶺さんのことだし、俺の頬にキスしたり、ベッドの中に入って添い寝したりしていそうな気がするんだけど」

「夜這いならぬ朝這いもありかと思ったけど、そこまでの勇気は出なかったよ。でも、ベッドの匂いは嗅いだよ。とてもいい匂いだった」

「……そ、そうか。これから着替えるから、高嶺さんは一旦外に……」

「私のことはお構いなく。むしろ見たいくらい!」


 ワクワクしながら言う高嶺さん。

 小さい頃は芹花姉さんの前で着替えたこともあったし、高嶺さんが見たいと言っているからそれでいいか。裸になるわけではないし。


「それに、脚が痺れてきて外まで動けるかどうか分からない」

「……長い間、正座させちゃったもんな。それについては申し訳ない」

「気にしないで。悠真君さえ良ければ、ベッドの中に入ってもいいかな?」

「高嶺さんなら言うと思ったよ。ただ、髪や服に俺の匂いが付かないか?」

「えっ? 全然嫌だと思わないよ? むしろご褒美だよ」


 真顔でそう言えてしまうのが恐い。


「高嶺さんがそう言うならベッドに入っていい。ただ、脚が痺れている状態でベッドに入れるのか?」

「すぐ近くにあるから、大丈夫だと思う」

「そうか。無理はするなよ」


 てっきり、お姫様抱っこしてベッドに運んでほしいって言うと思ったんだけど。

 高嶺さんは正座のままベッドのある背後に振り返り、両手を使ってベッドの中に入った。高嶺さんは掛け布団を被る。


「あぁ……まだあったかい。悠真君の残り香もあって。本当に幸せ……」


 高嶺さんが横になっていると分かっていても、ベッドから「ふふっ……」と笑い声が聞こえてくると恐いな。

 高嶺さんがベッドに入っている横で、俺は着替え始める。


「幸せだな。悠真君のベッドで横になりながら、悠真君のお着替えを見る。こうしていると、悠真君と同棲しているようだよ。それか、お泊まりに来て、夜中はずっと色々なことをして、そのまま朝を迎えちゃったとか」

「……まったく。想像力が豊かだな、高嶺さんは」


 妄想力と言う方が正しいだろうか。

 ベッドをチラッと見ると、顔だけ出した高嶺さんが楽しそうにこちらを見ている。ここまで楽しそうにされると全然恥ずかしくないな。そう思いながら着替えるのであった。

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