第8話『クールビューティーの裏』
今日が金曜日だからなのか。それとも、昨日の夜に低変人の新曲『渚』が公開されたからなのか。理由は定かではないけど、教室の空気が昨日までと比べて良くなっていた。そのためか、午前中があっという間に過ぎていった。
また、芹花姉さんからメッセージが届き、姉さんの通っている大学でも新曲が話題になっているらしい。
昼休みになると、すぐに高嶺さんと伊集院さんがランチバッグを持って俺のところにやってきた。
「悠真君、今日も一緒に食べよう!」
「今日はあたしもご一緒してもいいですか?」
「ああ、いいよ。じゃあ、近くにある席を適当に――」
「低田君」
教室後方の扉近くにいる福王寺先生は、いつも通りのクールな様子でこちらを見て、
「あなたに話したいことがあるの。今から、私と一緒に進路指導室に来なさい」
俺に対して手招きしてくる。
突然、担任教師に進路指導室へ呼び出されたからか、教室の中はざわつき始め、高嶺さんと伊集院さんは不安げな様子になる。
「悠真君、何かあったの? しちゃったの?」
「大丈夫なのですか? 杏樹先生に呼び出されるのはこれが初めてではないのです」
「私で良ければ一緒に行こうか? 何かフォローできるかもしれないし」
高嶺さんがそう言ってくれるのは嬉しい。ただ、
「心配しなくて大丈夫だよ。2人は先に食べてて。俺の席が誰かに取られたり、座られたりしないためにもここにいてくれないか?」
「分かった! 任せておいて! 姫奈ちゃんと一緒に悠真君の席を守るね!」
「いってらっしゃいなのです。早くお話が終わるといいのですね」
「ああ。行ってくるよ」
席から立ち上がり、福王寺先生のところへ向かう。
ほんと、ここで見る福王寺先生は凛としていて美しいオーラを纏っていると思う。『数学姫』と呼ぶ生徒がいるのも納得かな。中には「福王寺落としの定理を導くんだ!」と豪語する熱狂的ファンもいるけど。
「ついて来なさい」
「はい」
福王寺先生について行く形で進路指導室に向かって歩き始める。
面倒見はいいけど、クールであり厳しい一面があることでも知られている福王寺先生と歩いているからだろうか。廊下にいる生徒の多くがこちらを見てくる。
「低田の奴、何かしたのか?」
「数学姫に進路指導室へ連れられるとは」
「前にもこういう場面を見たことがあるぜ」
やっぱり、色々と言われてしまうのか。元々低い低田悠真としての評判がさらに下がりそうだ。低変人とは大違いだな。
1年2組の教室がある第2教室棟から、渡り廊下を通って進路指導室や職員室もある第1教室棟に移動する。さすがに、こちらには俺を知る生徒が全然いないからか、周りから何か言われることはなかった。
それから程なくして、進路指導室に到着する。
「低田君。この部屋に入りなさい」
「はい」
俺は福王寺先生と一緒に進路指導室の中に入った。
「先生。高嶺さんや伊集院さんと一緒に昼ご飯を食べるので、手短にお願いします」
「……うん、分かったよ」
福王寺先生は俺の方に振り返ると、普段のクールビューティーなイメージからはかけ離れたとても可愛らしい笑みを浮かべ、
「昨日公開された『渚』は最高でしたっ! さすがは低変人様!」
俺の右手をぎゅっと握りながら、普段よりもかなり高い声でそう言ってきたのだ。
「ありがとうございます。やっぱり、新曲の感想を言うための呼び出しでしたか」
「もちろんだよ! 低変人様を叱るわけがないって!」
えへへっ、と笑う福王寺先生。
そう。福王寺先生は低変人の熱狂的なファンである。2人きりのときは俺のことを『低変人様』と呼ぶ。先生曰く、3年前の新人教師時代、仕事で凄く疲れた日の夜に聴いた俺の処女作『桜吹雪』に衝撃を受け、それからずっとファンであり続けているとか。
どうして、福王寺先生が低変人は俺であると知っているのか。
きっかけは、俺の『低田』という苗字と、廊下を歩いているとき生徒が「低田は底辺」「低田は二次元にしか興味のない変人」と話しているのを聞いたところから、『低田悠真=低変人』と考えついたようだ。物凄い推理力である。
そして、今日のように、福王寺先生は俺を進路指導室に呼び出し、
『あなた、ネット上で音楽活動をしている低変人様かしら? 私、低変人様の大ファンなの』
と問いかけたのだ。
俺が低変人だと推理する人がいたと驚いたと同時に、叱られずに済んでほっとしたことを今でもよく覚えている。
自分で推理し、低変人なのかと訊いてきたのは福王寺先生が初めてだった。動画閲覧による広告収入ではあるけど、この活動でお金を稼いでいる。なので、担任教師には話しておいた方がいいと思い、先生には自分が低変人だと明かした。
福王寺先生は低変人としての活動に理解を示し、応援してくれている。それは活動の支えの一つになっている。
「曲の感想を言ってくれるのは嬉しいですけど、進路指導室に呼び出すのは勘弁してくれませんか。今回が初めてじゃないですから、悪い意味で目立ち始めています。それに、連絡先を交換しているんですから、電話やメッセージで感想を伝えてくれても……」
「せっかく正体が分かっているんだから、こうして面と向かって感想を言いたいの! 夏休みとか、『刹那』みたいに連休中の公開なら電話とメッセージで済ますけど……」
不機嫌そうな表情になり、頬を膨らませる福王寺先生。普段とは違い、子供っぽさがあって可愛らしい。
「でも、進路指導室に呼び出すのは、イメージがあまり良くないよね。他にいい方法があるかどうか考えてみるよ」
「お願いします」
一昨日から、高嶺さんや伊集院さんと一緒にいる時間が増えたからな。俺も先生に呼び出されたときの適当な理由を考えておかないと。
「それにしても、あんなにいい曲なのに、『ギターだけの演奏なんて貧乏くさい。底辺人発想』、『音痴だからフォーエバーインストゥルメンタル』、『きっとポエマーだから歌詞ありの曲を公開できないんだ』とか酷いコメントが目に入ってムカムカしたわ」
眉間には皺が寄り、先生の体から黒いオーラが発しているように見えた。今までで一番恐いかもしれない。熱狂的なファンだからこそ、そういった批判的なコメントやアンチコメントが許せないのかも。
「全員が納得できる曲なんて不可能ですし、ネガティブな方のコメントや呟きがあるのは普通だと思っています。リアルな方で小さい頃から散々言われましたから慣れてますし。一考する価値のある作品への意見や批評もありますけどね。作品を通り越して、俺に対する誹謗中傷の言葉は基本的に無視していますよ。時間がもったいないですからね」
ただ、作詞関連のコメントには頷いてしまうときもある。以前、作詞を試してみたけれど、全然上手に作れなかった。なので、フォーエバーインストゥルメンタルな活動になるんじゃないかと思う。
誹謗中傷なんて非常に愚かな行為の一つだ。もし、それしかストレスが発散や、快感を覚える術がないのであれば、その人はとても哀れだと思う。だからといって、そんな人間のために割く時間はこれっぽっちもないが。
「さすがは低変人様。強いのね」
「そんなことないですよ。ヘコむときもありますし。先生もマイナス方向のコメントが目に入ったら、そっと離れられるようになれればいいかと。あと、そういったコメントがあったと報告しなくていいです。地味に傷付くんで」
「……ごめんなさい。今のお言葉、胸に刻んでおきます」
そう言って、しっかり頷く福王寺先生。
ネット上のことだ。気に入らないコメントを見てしまっても、何も反応せずに離れれば何事もなく済む。そのスタンスでいることも、現在の活動に繋がっている一つの要因になっているだろう。
「ところで、『渚』のコメント欄にあった『色々なこと』って? やっぱり、高嶺さんに告白されて振ったこと?」
福王寺先生は真剣な様子で訊いてくる。正体を知っているだけあって、高嶺さん絡みであるとすぐに気付いたか。そう考えると、女の勘で女性関係だと言い当てた桐花さんって本当に凄いと思う。
「そうですね。高嶺さんと関わるようになってから、メロディーが色々と思い浮かんで。それが昨日公開した『渚』なんです」
「そうなのね! さすがは高嶺の花の高嶺さん。低変人様に新たなメロディーをもたらすなんて。制作秘話を聞けて嬉しいわ。ちなみに、私と出会ったり、担任教師になったり、正体を突き止められたりして、何かメロディーは浮かばなかった?」
先生、目を輝かせているぞ。
「具体的なメロディーは浮かんでいません。ただ、教室ではクールですけど、俺と話している先生はキュートですからね。そういうギャップを利用した曲をたまに作れればいいなと思ってます」
「……ふえっ」
そんな可愛らしい声を漏らすと、福王寺先生は赤くなった頬に両手を当てる。
「低変人様に可愛いって言ってもらえて嬉しいな。今が素なんだけどね。仕事だからしっかりやろうとか、生徒に舐められないようにしようって心がけると、どうしてもああいう感じになっちゃうのよね。まあ、クールビューティーとか数学姫って呼ばれるのは嫌いじゃないけど」
そう言ってニヤリと笑みを浮かべる姿は、クールビューティーとか数学姫っていう雰囲気が全然感じられない。こういう素の部分を見せたとしても、イメージは変わるだろうけど、教師としての信頼や人気はあまり変わらないと思う。
「話を戻すけど、高嶺さんと関わるようになってメロディーが浮かんだのね。今後もいい音楽活動ができるように応援しているからね。担任教師としてできることがあれば、私は低変人様のために何でもするから!」
「とりあえず、お気持ちは受け取っておきます」
「ふふっ、相変わらずね。こんなにいい曲を定期的に提供してくれるし、ちゃんとお金を払いたいわ。課金したい。投げ銭したい」
今の先生のようなコメントもいただくことがあるな。そう思ってくれている人がいるのはとても嬉しいし、自信にも繋がる。
「それもお気持ちだけ受け取っておきますね。再生回数もかなり伸びていますし、その広告収入で低変人の活動は変わらずにやっていけそうです。先生が再生してくれるおかげでもあります。ありがとうございます」
「いえいえ。あぁ、低変人様にお礼を言われちゃった。これだけで午後の仕事を頑張れそう。課金や投げ銭の代わりに、頭を撫でるね」
福王寺先生はとても柔らかい笑みを浮かべて、俺の頭を優しく撫でる。頭から伝わる先生の温もりや、ふんわりと香る甘い匂いのおかげで、午前中の授業の疲れが取れていく。
これからも、マイペースで低変人としての活動ができれば何よりだ。
「じゃあ、俺はそろそろ教室に戻りますね。高嶺さんや伊集院さんを待たせているので」
「うん。では、また後で」
「はい」
先生に軽く頭を下げて、俺は進路指導室を後にする。スマホで時刻を見ると、先生と15分くらい話していたと分かった。
教室に戻ると高嶺さんと伊集院さんが、俺の席で楽しそうにお昼ご飯を食べていた。ただ、俺が帰るのを待っていたのか、2人のお弁当はまだまだ残っている。
「ただいま」
「おかえり、悠真君」
「お疲れ様なのですよ、低田君」
「杏樹先生と進路指導室で何を話していたの?」
高嶺さんがそう訊いてくるのは当たり前だよな。さて、どう答えようか。
「えっと……数学の質問をしていたんだ。ただ、教室や職員室だと落ち着いて教えられないから、進路指導室に行ったんだよ。でも、さっきみたいな呼ばれ方だと、何か悪いことをしたって思っちゃうよな」
「そうだね」
「杏樹先生はクールですから深刻なイメージがあるのです」
「だよね。とにかく悪いことじゃなくて良かったよ。悠真君もお昼ご飯を食べよう! タコさんウィンナー作ってきたから!」
「さっき一ついただいたのですが、とても美味しいのですよ」
「そうなのか。俺もいただくか」
タッパーに入っているタコさんウィンナーを見てみると、8本よりも多く脚が生えているウィンナーもあるけど。それも可愛らしい。
その後、俺は高嶺さんと伊集院さんと一緒にお昼ご飯を食べる。
途中、高嶺さんが作ったタコさんウィンナーを食べたけど、伊集院さんの言う通りとても美味しかった。
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