第7話『もう一つの顔-後編-』
5月10日、金曜日。
今日はよく晴れている。雲一つない快晴だ。立夏の時期だから、朝でも陽差しが熱いと思うようになってきた。あと3週間ほどで季節が夏になるのも頷ける。
金井高校に到着すると、今日も昇降口の前で高嶺さんが告白されていた。高嶺さんの近くには伊集院さんがいる。
今日のお相手は背の高いイケメン男子生徒。彼の告白によると、俺にフラれても好意を持ち続けているのは知っているけど、それでも諦められず気持ちを伝えたという。しかし、
「ごめんなさい。気持ちは嬉しいですけど、あなたと付き合うことはできません。例の彼のことが大好きですから」
「……そうか。俺の気持ちを聞いてくれてありがとう。応援してるよ」
イケメン男子生徒は軽く頭を下げると、フラれたショックか高嶺さんの元から走り去っていった。お疲れ様でした。
高嶺さんは伊集院さんと一緒に校舎の中へ入っていく。
俺との話が学校中に流れても、高嶺さんが告白されるのは変わらないのか。俺と付き合い始めたわけじゃないから、それは普通なのかな。今日も注目を集める中で告白され、振ったことにお疲れさん。
俺も昇降口へ向かい、上履きに履き替える。
「今日も告白されてたな」
「ああ。それで、高嶺さんが振るっていうお決まりの光景だったな。それにしても、高嶺さんからの告白を断る奴がいるなんて。頭どうかしてるよな」
「まったくだ。断った男子って……確か、クラスメイトの低田っていう奴だったっけ」
その頭どうかしている低田がここにいますが。ただ、俺が低田だと明かしたところで、時間をムダに消費するだけなので止めておこう。最悪、痛い目に遭ってしまいそうだし。俺が憎まれてしまうほど、高嶺さんは凄い人気なのだと思っておこう。
ただ、高嶺さん絡みの話は昇降口の近くだけ。教室に向かって歩き始めるとすぐに、
「ねえ、低変人の『渚』はもう聴いた? 昨日の夜にアップされてたよ!」
「あたし、昨日は早く寝ちゃったからね。でも、朝起きたときにTubutterとYuTubuの通知で、新曲をアップしたって知った瞬間に眠気が吹っ飛んだよ! 爽やかでいいよね」
「だよねっ!」
「アコギだけの曲でも惹き込まれるよなぁ」
「聴き入っちゃうよな。低変人さん、連休明けに色々あったってコメントしていたけど、そこからあの曲を思い浮かべるのはさすがだわ。俺だったら、疲れて寝るだけだろうし」
「それ分かる」
などと、低変人としてアップした新曲『渚』についての話がたくさん聞こえてくる。耳に入ってくる限りでは好意的な感想が多い。低変人本人として嬉しい限りである。
1年2組の教室に入っても、『低変人』や『渚』という言葉を耳にする。『渚』の音色が聞こえたのでその方を向いてみると、男女数名のグループが机に置かれたスマホを囲んで聴いていた。その中には昨日絡んできた高橋もいた。盛り上がっているなぁ。
自分の席に辿り着くと、高嶺さんと伊集院さんが俺のところに向かってやってきた。
「おはよう、悠真君!」
「おはようなのです、低田君」
「おはよう、高嶺さん、伊集院さん」
俺が登校してきたからか、高嶺さんはとても元気そうだ。そんな彼女を伊集院さんは微笑ましそうに見ている。
「2人とも、昨日はムーンバックスに来てくれてありがとう。2人のおかげで、昨日はバイトが終わってもいつもより疲れなかった」
「いえいえ」
「元気を与えられたのは良かったのです。カフェラテとバームクーヘン美味しかったのです」
「アイスティーとチョコドーナツも美味しかったな。……話が変わるんだけど、悠真君って低変人さんって知ってる?」
「えっ?」
高嶺さんがワクワクとした様子で低変人の名前を言ったことに驚いて、変な声が出てしまった。そんな俺の反応が意外だったのか、高嶺さんは目をまん丸くさせた。
「悠真君は低変人さんの名前を聞くのは初めてかな。低変人さんって3年前から、ネット上で活動している作曲家さんでね。最初は音楽好きの人や、音楽業界の間で話題になっていた人なんだ。でも、今は若い世代を中心に凄く人気でカリスマ的存在なの!」
高嶺さんは目を輝かせながら低変人の説明をする。
そう、低変人として活動を始めたときは、音楽好きの人や、音楽業界の関係者の間で話題となる程度だった。
ただ、作品を定期的に公開することで、どんどんリスナーが増えていき、低変人のファンだとメディアの前で公言したり、作品の感想を動画のURL付きでSNSにアップする有名人も出てきた。俳優、女優、アイドル、小説家、漫画家、評論家など多様だ。
俺が大好きな漫画やラノベの作者が、Tubutterで好きだとか休憩中に聴いているという呟きを見たときは嬉しかったな。
有名人の影響力は大きく、現在は中高生から30代までを中心に大人気らしい。ネットでエゴサーチしてみると、高嶺さんが言ったように「カリスマ」と称する記事や呟きも見かける。
「前に昼休みにMVを観るって言っていたから、悠真君も低変人さんの名前くらいは知っていると思ったんだけど……」
「低変人は知っているよ。ただ、急に高嶺さんからその名前が出たことに驚いて」
「そうなんだ。聴いていないイメージだったのかな」
ふふっ、高嶺さんは上品に笑う。
中学時代から、学校で低変人という名前を耳にしない日は数えるほど。新曲をアップした翌日は今回のように学校中で話題になる。
また、ネットでも、Tubutterのトレンドに新曲のタイトルや『低変人さん』という言葉が入るのが恒例となった。
あと、これまで何度か芸能事務所から商業的な活動をしないかとオファーが来たけど、現在の活動で満足しているので全て断っている。有り難いことに、動画の広告収入でそれなりのお金を得ているから。
「結衣、2年くらい前から、低変人さんのファンなのですよ。あたしも結衣ほどではありませんが、好きな曲はいくつかあるのです」
「へえ、そうなのか」
高嶺さんは低変人の大ファンなのか。
思い返してみれば、連休が明けた火曜日、高嶺さんはとても興奮した様子で伊集院さんと話していたな。ゴールデンウィークの終盤に、連休中に制作した『刹那』という曲をアップしていた。もしかしたら、その曲について話していたのかもしれない。
「悠真君は昨日の夜にアップされた『渚』っていう曲はもう聴いた?」
「あ、ああ。聴いたよ」
「そうなんだ! 爽やかな雰囲気でいいよね。目を瞑ると、波が穏やかな日の渚に立っている気分になるの」
「分かる気がするのですよ。アコースティックギターのみの曲ですから、落ち着いた印象を抱いたのです」
「それは言えてるね」
高嶺さんと伊集院さん、『渚』の感想で盛り上がっているな。
自分の目の前に低変人がいるって知ったら、高嶺さんや伊集院さんはどんな反応をするんだろう。
ちなみに、俺が低変人であると生徒に公言したことはない。低変人が俺であると分かったら、プライベートを追われ、今まで通りの生活ができなくなる恐れもあるし。自意識過剰かもしれないけど。なので、とても親しい人や信頼できる人ではない限りは、自分が低変人だと明かすことはしないと思う。そんな人に言っても信じてもらえない可能性もあるけど。
そんなことを考えていると『渚』の音色が聞こえてくる。
気付けば、高嶺さんのスマートフォンが机に置かれていた。画面にはYuTubuでの『渚』のページが表示されていた。動画を公開してから10時間くらいだけど、再生回数は100万回を突破していた。
「悠真君と姫奈ちゃんと一緒に聴きたくて」
「再生回数がもう100万回を突破しているのですね。凄いのですね、低変人さんは」
「そうだね。まあ、私のように何度も再生している人もいるだろうけど」
「熱狂的なファンがいるのですからね。それでも、昨日の夜からの公開で100万回は凄いと思うのです」
「プロのアーティストでもそうそういないもんね。それにしてもいい曲だなぁ。悠真君もそう思わない?」
「……そ、そうだな」
いい感じに弾けたと思って公開したけど、自分の作った曲をいいと誰かに言うのは気恥ずかしいな。
「やっぱり、うちのクラスでも低変人の新曲を流している人がいるのね。まったく、あの作曲家は……」
スーツ姿の福王寺先生が教室の中に入ってくる。先生は教卓の前に立つと、いつものクールな様子で教室の中を見渡し、小さくため息をついた。
「盛り上がるのはいいけど、予鈴が鳴ったら自分の席に座りなさいね。もちろん、そのときには再生も止めるように」
『はーい』
高嶺さんや伊集院さんを含め教室にいる多くの生徒がそう返事した。すると、福王寺先生がこちらをチラッと見た気がしたのであった。
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