12星座ヤンデレ 4 おひつじ座~かに座

@redbluegreen

第1話

タイトル:「私の愛のプレゼント!」

星座:おひつじ座

タイプ:攻撃型ヤンデレ




(ぎゅ~~~~~っ)

「ねぇねぇ、一緒に帰ろっ!」

 私は大好きな人の耳元にこれでもかというくらいに口を近づけ、そう囁いた。

 夕方の学校。昇降口に大好きな君がいたので思わず駆け足で近付いた私。

 私と恋人同士である君。

 大大大大大大大大大大大好きな君。

 そんな君と一緒に帰ろうと思うのはごくごく自然な流れなのです。

 声をかけた私に気付いた君は、それまで話していた赤の他人のクラスメイトとの会話を切り上げ、うん、と了承してくれました。

 きゃっきゃ、やったやった!

 内心ではガッツポーズしつつ、しかしそんなはしたない女ではないので外見上はごくごく清ました顔で歩き出しました。

 もちろん大好きな人の腕をとって歩きます。

 私と君は恋人同士なのでこれも当然なのです。

 昇降口を出て、校門を抜け、桜舞う並木道を二人で歩きます。

 二人だけの世界。

 視界にはどうでもいい外野の人間もいくらかおりましたが、そんなのは関係ありません。どうでもいい人間はどうでもいいのです。

 私と君だけがいればいいのです。

「ねぇ、あのさあのさ」

 私は君に話しかけます。

 恋人同士の会話。

 とはちょっと違うかもしれませんが、今日学校で起こった事や昨日のテレビの話、デザートフェアをやってるカフェなんかの話を君に話します。

 甘い甘いロマンスあふれる密な話もいいですが、今は蜂蜜の気分なのです。どうやらハニートーストフェアをやっているらしいので。

「あ、そういえば」

 そうですそうです忘れてました。うっかりうっかりてへペロッ。

 こないだ君から何でも好きなものをおごってあげると言われていたのをすっかり忘れていました。

 いけないいけない。君との会話を忘れているなんてどうかしてるよ私。

 どうして忘れてたんだっけ?

 うーんうーん………

 ま、いっか。今思い出したんだからそれでよし。

 私はそれを君に告げます。

 君は最初ちょっとだけ渋い顔を覗かせました。

(ぎゅ~~~~~っ)

 が、しかし、私の真摯な訴えに首を縦に振ってくれました。

 それとも私が可愛いから?

 わーお、私って自意識過剰。やだやだ。まあ君からしたらそんなのはごくごく当たり前の事実なんだろうけど。

 まあまあどっちでもよしよし。

「じゃあ、早くいこいこっ!」

 私は君の手を引っ張って走り出し、そのお店へと向かいました。

 ああ、もちろん。

 今私が嬉しいのは美味しい食べ物が待っているから、というのもあるけれど、君と一緒に食べれるっていうのも私にとっては超絶幸せなのです。

 超超超超幸せなのです。最大級の幸せなのです。

 好きな人と一緒にいられる幸せ。それ以上のものなんで、この世の中で他には何一つないのです。




「ね、ここ教えてー」

 と、私はわからない問題を教えてもらうふりをしつつ、体をそっと大好きな人の隣へと寄せました。

 私の大好きな君は私が見せた教科書とにらめっこしつつ、難しい表情をしています。

 むむむ、気付いてないなこのやろー。

 まあ、でもでもいいですいいです。

 ピッタリと密着するという目標は達成できたので良しとしましょうか。

 君の家での勉強会という名のお家デート。私は君にお呼ばれしてここに来ておりました。

 初めての君のお家。

 恋人同士になってから私は初めてここに来ました。

 どういうわけか今の今まで君は私をここに連れてきてはくれませんでした。

 緊張してるのかな?

 と、そう思ったので、私の方から君に提案するよう仕向けてみました。

 ねぇ、そろそろテストだよねー。勉強しなくちゃだよねー。誰かさんの家で勉強したいなー。見たいな感じで。

 別に恋人を呼ぶのに緊張なんかしなくてもいいのにねー。

 勉強会、なんて名目はまったくもって必要ありませんでしたが、まあ君が緊張しているのなら仕方ないかな。

 あ、別に私が君のお家に行ってみたいとか、君の部屋を見てみたいなんて思ってないんだからね! ほんとのほんとにこれっぽっちも思ってないんだからね!

「~~~♪ ~~~~~♪」

 私は問題を解説する君の声を右耳から左耳へと流しつつ、君と密着している幸福感をこれでもかというくらいに堪能しました。

 間近で繰り返される君の吐息。

 ジワジワと伝わってくる君の体温。

 トクントクンと規則的に鳴る君の鼓動。

 ああ、もっと聞いていたい聞いていたい。感じていたい感じていたい。

 あれ、私ってちょっと変態的かな?

 いやいやいやいや、好きな人だもん。これくらい普通でしょう。普通普通。普通だよねだよね?

 と、解説の声が終了して君は私から距離を取ります。

 むー、ほんとにわかってなかったんだなこんにゃろー。

 私は離れた君にもう一度体を寄せます。

 さすがに今度は私の意図に気付いたようでしたが、しかしなぜか君は困った表情を浮かべました。

 え? これじゃ勉強できないでしょって?

 もう、わかってないなー。

 仕方ないので私は提案しました。

「勉強疲れちゃったー。ちょっと休憩しようよー」

 訳→勉強なんて建前だし。もっとイチャイチャしようよしようよしたいしたーい。

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 私の必死のアピールが通用したのか、私の訳を翻訳したのか、君はわかったよ、と言って教科書を閉じてくれました。

 お墨付きがでましたので、私はペンも教科書もノートもその他もろもろも投げ出し、君の胸元に飛び込みつつガシッと抱きつきます。

 君の吐息を感じました。

 君の体温が伝わりました。

 君の鼓動を聞いていました。

 君という君を、私は全身で受け取ります。

 ああ、とーっても、幸せ。

 しみじみと幸福を感受していると、君の手が私の頭に優しく触れました。

 ゆっくりと動かして、私をなでなでしてくれます。

 私の幸せが、より一層増えたのは、言うまでもないよね?

 私ってほーんとに幸せっ!

 たった今死んじゃってもいいくらい幸せー。




「はい、あーん」

 パク。モグモグ。ゴックン。

「ねえねえ、どうどう? おいしい?」

 君はすぐさまおいしい、と答えてくれました。

 やったやった! おいしいって言ってもらえたー。

 昨日の深夜から何時間もかけて作った甲斐があったあった。

 喜びをかみしめるのも数秒、私は別のおかずを箸で取ると、すぐさま君の口へと運びます。

 学校にある中庭。そこにある大半のベンチは真上からの太陽が直接降り注いでまぶしいですが、私達が座っているそこだけは、近くに生えた木の陰に入っていてまぶしくありません。

 私と君との特等席であるこのベンチ。

 私と君はいつもここでお昼を食べていました。

 食べるのはもちろん私特製の手作り弁当。

 毎日毎日腕によりをかけて作ったお弁当を二人で、毎日毎日この場所で食べています。

 ここは私達の特等席なので、先に他の知らない赤の他人の誰かが座っていても、訳を話して譲ってもらうようにしています。

 当初は譲ってもらうことが多かったのですが、最近は私達の事を皆が皆知ってか、来た時には常に空いているようになりました。

 んー、皆に私達の関係が知られちゃってる。てへてへ、恥ずかし恥ずかし。

 って、実はそんなに恥ずかしくなんてないけど。

 私達が恋人同士であることなんて、私達だけがわかっていればそれでいいもん。

 誰がなんと思おうと、私達がそう思っていれば関係ないもん。

 そ、私達の邪魔さえしなければ、それはそれで。

 って、脱線しちゃった。今は私達のランチタイムだったね。失敬失敬。

「じゃ、次はこれ食べて食べて。私特製の玉子焼きー」

 砂糖をたっぷりと使ったあまーいあまーい玉子焼き。

 一番最初に褒めてもらってから、毎度おなじみ、でも少しずつ作り方を変えておいしくなってるはずの玉子焼き。

 私の自信作。

 これには他のどのおかずよりもより一層、時間をかけて作っています。

 これのために一体何百個の卵が三角コーナーに行ったのか、今じゃ数え切れないほどになっていました。

 だからこそ、私の自信作。

「あーん」

 と、玉子焼きの乗った箸を君の口元に差し出しますが、どういうわけか君の口は開いてくれません。

 どうしたんだろ?

「あーん」

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 催促しつつもう一度それを差し出します。

 パク。

 と、今度は食べてくれました。

「おいしい?」

 私が尋ねると、君は、おいしい、と言ってくれました。が、けどという言葉が付け加えられて、

「え、もっと甘くない方がいいって?」

 私の玉子焼きの改善点を述べました。

「えー、なんでぇー、どうしてぇー?」

 前にこれが美味しいって言ってくれたじゃん。だからだからそれをもう一度作ったのに。

 どうしてそんなイジワル言うのさ。

(ぎゅ~~~~~っ)

 たまらず私が抗議の意を発信すると、君はごめんごめんこっちが悪かったと、すぐに謝罪の言葉を発しました。

 うんうん、わかればよろしい。

 私は機嫌を直すと、再び箸におかずを乗せて、君の口へと運びました。

 私は私の作ったおかずを、ご飯を、特製の飲み物を次々に運んでいきます。

 愛情を丹精こめて作った私のお弁当。

 君に食べてもらいたくて一生懸命作ったお弁当。

 食材を選びに選んで、料理法にもこだわったお弁当。

 が、なぜかどういうわけかどんな理由からか何が原因なのか、君の口がぴしゃりと閉じられてしまいました。

 いくらあーんしても、君は口を開いてくれません。

「どうしたのぉー?」と聞くと、もう食べられない。と君は言うのです。

 はぁ? 何言ってるの?

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 なんでなんでどうして。食べらない? え、どうして?

 私が一生懸命作ったお弁当じゃん。

 私が愛情こめて作ったお弁当じゃん。

 それが食べられないって何で何でどうしてどうして。

 私が作ったんだからそれを君は全部食べるのが当然じゃん。

 何で食べられないっていうの、まだ全然残ってるじゃん。

 玉子焼きだってから揚げだってハンバーグだってまだまだまだまだ五個十個二十個は残ってるじゃん。

 それが食べられない? もう食べたくない?

 そんなことないないないない。食べられるよ食べられるよ。

 だってだってだって私の作ったお弁当だもん。

 どれだけお腹一杯でも、まんぱんでも、ぱんぱんでも、食べられるよね、愛の力があれば。

 私の事愛してないの。

 え。え。え。え。え。え。え。え。

 そんなことないよね。ないないないないないないない。

 だって君は私の恋人恋人。私を愛している恋人だもん。

 だからだからだからだから食べられるよね。食べられるでしょ。食べてよ。食べてってば。食べなさいよ。食べろよ。食べろ。

 食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ。

(ぎゅ~~~~~っ)

 私が滔々と君の食べるべき理由を述べると、君はコクコクと頷き、ちゃんとわかってくれたようでした。

 君はお弁当箱を手に取ると、ガツガツとそれを口に流し込んで食べてくれました。

 ほぉら。まぁーだ、食べられるんじゃんかぁ。

 嘘つきだなぁ、君ってぇ。




 カランカラン。

 扉につけられたベルの音を背後に、私は君と一緒にカフェを後にしました。

「あー、美味しかったー」

 私は今しがた食べたものが入っているお腹をさすりつつ、それの感想を口に出しました。

 学校からの帰り道、本来は校則違反の寄り道として、閑静な住宅街に位置するカフェに足を運んでいました。

 前々から行きたい行きたいと思っていた最近オープンのオシャレなカフェ。

 私の予想したとおり、それはそれはオシャレなカフェで、出された料理もオシャレな感じで、私は大大大大満足でした。

「ありがとね、おごってくれて」

 しかも代金は君が払ってくれたのでした。

 いやいや、私はそんなにお金にがめつい女じゃないよ?

 私だってちゃんと自分の分は払っても問題なかったんだけど、君がどうしてもって言うからその意思を尊重しただけなんだからね。そこのところ勘違いしないように。

 んー、でも、君がいうところだと、何かのお詫びで私におごる約束をしてたそうなんだけど、いつそんな約束したんだっけ?

 うむむ、思い出せないー。

 まあ、いいよね。私が覚えていなくても、君が覚えていてくれたんならそれでよし。

 けど、私がした約束を、君の方ががもし万が一何かの間違いで忘れてたりなんかしたら、その時は―――――

 って、あれ?

 私はとてもとても、おかしな事に気付きます。

「ねー、私のあげたマフラー、今してないのはどうしてなのかなぁー?」

 私のあげたマフラー。

 私の手作りのそれ。

 羊毛の毛糸を毎晩毎晩せっせせっせと夜なべして作り、誕生日にプレゼントしたそれ。

 それがなぜか、今の君の首には巻かれてはいませんでした。

「ねぇ、お外にいる時は、いつもそれしてくれるってぇ、ちゃんと約束してなかったっけぇ?」

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 いやいやいやいやしたしたしたした。絶対した。必ずした。確実にした。

 私が愛情たっぷり込めて作った手作りのマフラー。私の愛と想いと、その他もろもろがたくさん詰め込まれたマフラー。

 それを渡す時、私は約束したのだ。

『いつもこれを身につけて、私の事を感じてね』って。

 なのになのになのになのになのになのになのになのになのになのに。

「ねえ何で、どうしてどうしてあのマフラーつけてないのかなぁ?」

 私が目を見開き、まっすぐ君を見て抗議すると、君は顔を青ざめさせて、あわてて鞄の中を探します。

 しかし君の手はせわしなく動きますが、一向に目的のものは取り出されません。

 君の顔はどんどんと真っ青になっていきました。

 そして、私に告げます。

 さっきの店に忘れてきた、と。

 はい? 忘れてきたとな。

 何言ってるの、君?

 どうしてどうしてなんでなんで。何で忘れてくるの。私のプレゼント私のプレゼント。

 私が君に送った世界にたった一つのプレゼント。この世に一つしかない君のために作ったプレゼント。

 それをどうしてどうして忘れるの。うっかりミスでケアレスミスで忘れてくるの。

 この世で私の次に大切なものじゃん。唯一無二のかけがえのない宝物じゃん。

 普通なら忘れるわけないじゃん。忘れるはずのないものじゃん。

 常に身につけて忘れようのないものじゃん。いつも君の意識の片隅にあるものじゃん。

 それを忘れる? それを忘れた?

 わけわかんない。意味わかんない。

 意味不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明不明。

 ん? もう四月で、つけてると暑いから?

 いやいやいやいやいやいやいやいやいや。

 そんなのいいわけになるわけないじゃん。

 暑いくらいでどうしてつけない理由になるの。私の愛情こめた一品じゃん。

 たとえ砂漠のど真ん中だろうと、燃え盛る炎の中だろうと、真っ赤な太陽の中心だろうとつけるでしょ。

 愛があれば愛があれば愛があれば愛があれば愛があれば肌身離さずつけておけるでしょ?

 ていうか約束したのはあくまでも外だけど外だけど、私からの愛のプレゼントなんだから、外だろうが内だろうが二十四時間三百六十五日その首に巻いておくっていうのが恋人として当たり前だよね? 当然だよね? 普通だよね? 常識だよね?

 何でそれがわからない何でそれがわからない何でそれがわからない。

 当たり前当たり前当たり前当たり前当たり前当たり前当たり前当たり前。

 当然当然当然当然当然当然当然当然当然当然当然当然当然当然当然当然。

 普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通普通。

 常識常識常識常識常識常識常識常識常識常識常識常識常識常識常識常識。

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

「ねぇ、そうでしょうぉー?」

 私が君にそう同意を求めると、威勢良くはい! と返事して、君は踵を返してさっきまでいたカフェへと駆け戻りました。

 数分後、意識を切らして私の元へと戻ってきた君の首には、ちゃーんと、私のプレゼントしたマフラーが巻かれていました。

 うん。いい子いい子。

 私はそんな君の頭を優しく撫でてあげました。

 聞き分けのいいえらぁーい子は、私、大好きだよぉ。




「はぁ? だって嘘付いたのはそっちじゃん! どうして私が悪い風に言うわけ? まじ信じらんないんだけど」

 それはそっちが………と、さらに追加の弁をしようとした君の台詞をさえぎって私は声を張り上げます。

「また言い訳? だからそれは聞き飽きたって言ってるじゃん!」

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 激しく抗議の意を唱える私ですが、君はまるで理解しようとしてくれませんでした。

「………はあ? 今度なにかおごるから? 何言ってんの? そんな食べ物でつってごまかせるとでも思ってるの? バカにしないでよ! そんなバカな女じゃないし!」

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 なぜ私が君と口論をしているのか。

 それは今朝の出来事へとさかのぼります。

 今日、私は君とデートする約束をしていました。

 久々のデート。最近君が忙しいからと、中々行く事のできなかったデートなのですが、私が何度も再三、繰り返し繰り返し君にいつ予定が開くのかを一日毎に粘り強く辛抱強く聞き続けた結果、ようやっと、今日のデートと相成ったのです。

 ウキウキワクワクドキドキのデート。

 前日からどこに行こう、何を着ていこうと徹夜で考えつつ迎えた今日の朝。君の方から突然、今日は行けなくなったとメールが届いたのです。

 私はあまりの衝撃にそんな文面を表示したスマホが故障したのではないかと思い、そのまま握りつぶして文字通り故障させたのですが、気を取り直して冷静に考えてみると、故障でそんな文面が表示されるわけはありません。

 彼が本当にいけなくなったんだと、私は気を落としました。消沈しました。どん底に落とされました。

 君とのデートがおじゃんになったのは、私にとってそれだけ悲しい出来事だったのです。

 私はけっして、本当の本当の本当に君の事を信じているので、それが嘘だとは毛ほども疑っていなかったのですが、たまたま、偶然、風が吹いて桶屋が儲かる奇遇で君の家の近くを通りがかった時、見てしまったのです。

 君がどこぞの誰とも知れない赤の他人であるはずの一般人で脇役の木偶の坊のクラスメイトAという記号の一人と一緒に歩いている姿を。

 私はがーんと、雷が落ちてきたような衝撃に見舞われました。

 君が嘘を吐いていた事もそうですが、君が私以外の誰かと一緒に歩いていた事にものすごく衝撃を受けたのです。

 だって、君には私がいる。恋人という私が。唯一無二、かけがえのない私が。

 私には君しかいないし。君には私しかいないはず。

 なのになのになのに。

「どうして他の子と一緒にいたのさ? ありえないありえないありえないありえないありえないありえないまじありえない!」

 どうしてどうして。君には私がいる。この私がいる。この私以外にはいない。

 私以外必要ない。私以外関係ない。私以外いらない。

 私以外はゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミ。

 どうしてそんなゴミと一緒にいるの?

 どうしてそんなゴミと歩いているの?

 どうしてそんなゴミの隣にいるの?

 ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ。

 君には必要ないよね?

 君には私以外のものは必要ないよね?

 君にはそんなもの必要ないよね?

 そうでしょそうでしょそうでしょそうだと言ってよ、ねえ!

「ねえってば!」

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 いらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないいらない。

 あんなものはいらない。あんなものは必要ない。あんなものはいてはいけない。

 私と君。

 恋人関係である私達には必要のないもの。

 そうだ。いらないいらない。

 消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ。

 今すぐ私達の前から消えちゃえ。いなくなっちゃえ。

 消えろ。消えてください。消えるべきなのです。消えないと消えないと―――おしおき。

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 こうしてぇ、私と君にとってのいらないものはぁ、ちゃーんと消えてなくなったよぉ。

 よかったよかったぁ。

 よかったよねぇー。

 ねぇー。




「ねぇねぇねぇねぇ。私ちゃーんと君に言ったよねぇ? どうして私との約束やぶるのぉ? 何とか言ってよぉ。ねぇねぇねぇねぇ」

(ぎゅ~~~~~っ)

(ぎゅ~~~~~っ)

(ぎゅ~~~~~っ)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 私は眼前にいる君になるべく優しい声音を作って幼子に言い聞かせるように尋ねますが、なぜか君はそれには答えず、ただただ恐怖の目をこちらへと向けていました。

 学校の教室。

 その中心に大の字に横たわった君を、私は馬乗りになって見下ろしています。

 遠巻きに私達を見詰めるギャラリーがおりましたが、私は一切まったく意識してはいませんでした。

 なぜなら私が想うのは君だけなのだから。

 そう、君。眼下にいる、君。

 私との大事な大事な約束を破った、君。

 最近の君はとりわけおかしくなっていました。

 情緒は不安定だし、意味不明なことは口走るし、すぐに嘘を吐くし。

 感情が高まったと思えば、頭を抱え込んで殻に閉じこもり。

 急に笑い出したら次の瞬間には涙を流していたり。

 見ているこっちがおかしくなりそうでした。

 ただ私が君を好きな事は変わりありませんでした。

 君が私を好きだと言うのも変わりあるはずがありませんでした。

 愛の力は無限大。どれだけ君がおかしくなろうともそれだけは確実。

 表面的におかしかったとしても、その内側には私への愛で満ち溢れているはずなのです。

 それが少しだけ、ほんのちょっとだけ表に出てこないだけ。

 だからそんな君を治すために、元通りにするために、ちゃんとさせるために私は君といくつかの約束をしたのです。

 『私以外の人間と話さないこと。』

 『私以外の人間と目を合わせないこと。』

 『私以外の事を考えないこと。』

 『私以外の事を思わないこと。』

 『私の事だけを常に考えていること。』

 『私の事だけを常に好きだと思うこと。』

 愛の力は無限大。私への愛が、すべてを解決してくれるはずなのです。

 ですが。ですがですが。ですがですがですが。

 君はその約束を、守ってはくれませんでした。

 私のいないちょっとした隙に、私以外の人間と話をし目を合わせていたのです。

 私以外の事を考え、思っていたのは明らかです。

「どうしてどうしてどうしてどうしてどうして。どうして守ってくれないの? 私はこんなにも君の事を想っているのに。私が一番、君の事を心配してあげてるのに」

 何でそれがわからないの何でそれがわからないの何でそれがわからないの。

 何で何で何で何で何で。どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

(ぎゅ~~~~~っ)

(ぎゅ~~~~~っ)

(ぎゅ~~~~~っ)

(ぎゅ~~~~~っ)

(ぎゅ~~~~~っ)

(ぎゅ~~~~~っ………………ぶちっ!)

「あ」

 力を入れすぎてしまったせいか、私の愛のプレゼントであるマフラーが君の首元できれいにひき千切れてしまいました。

 あー。あー。あー。あー。あー!

「君のせいじゃん君のせいじゃん君のせいじゃん!」

 君が言う事を聞かないせいで私の愛のマフラーが切れた。切れてしまった。

 これはもうおしおきだよね。おしおきだ。おしおきしかない。

 悪い君にはおしおきしなければ。

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

(ちょん、ちょん、ちょん、ちょん)

 私は手に持った包丁で何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も君を突いていく突いていく突いていく。

 おしおきおしおきおしおき。

 悪い子にはおしおき。

 言っていうことを聞かないからおしおき。

 その身を持ってわからせないといけないからおしおき。

 これは愛のムチ。愛ゆえのおしおきだ。

 君ならわかってくれるからこそのおしおき。

 おしおきおしおきおしおき。

 おしおきおしおきおしおきおしおきおしおき。

 おしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおきおしおき。

 君ならいつかわかってくれる君ならいつかわかってくれる君ならいつかわかってくれるはず。

 だから私はおしおきする。

 君が分かってくれる、その瞬間まで、おしおきする。

 ねえわかってよ。もうわかってよ。ねぇねぇねぇねぇねぇ。

 何で黙ってるのさ。何で動かないのさ。何で血を流してるのさ。

「いい加減にわかってよ、ねぇってば!」

 私はいつまでも返事をしない君に。

 私はいつまでも動かない君に。

 おしおきをし続けていました。






タイトル:果ての約束

星座:おうし座

タイプ:独占型ヤンデレ




「ずっと一緒にいようね―――。お兄ちゃん♪」

 彼が目を覚ました時、身に覚えのない見知らぬ彼女はそう言って、手錠の掛けられた彼の両手を手に取った。

 その場所は彼の知らない部屋だった。

 広さ八畳程度で扉が一つだけの窓がない部屋。今まさに引っ越してきたというような、ガランとしていて荷物はダンボールが何個か置いてある程度。

 そんな部屋の中で彼は―――手錠をされ監禁されていた。

 まるで意味がわからなかった。理解が追いつかなかった。

 ここはどこなのか。

 どうして自分はここにいるのか。

 なぜ手錠が掛けられていのか。

 ―――そして何より、目の前の彼女は一体誰なのか。

 それを尋ねると彼女はにっこりと微笑みながら答える。

「もう、この顔を忘れちゃったの? 妹だよ、妹。お兄ちゃんの妹でーす♪」

 しかしながら彼には妹なんていなかった。兄弟すらいなかった。生まれてこの方ずっと一人っ子だった。

「何言ってるの? 私はお兄ちゃんの妹。何があっても妹。どんなことがあっても妹。妹。妹。妹なんだよ?」

 違う違うと、彼は否定の言葉を繰り返しつつ、だが、頭の隅の方で引っかかるものがなくはなかったと感じていた。

 いや、両親が離婚して別れた妹だとか、生まれてすぐ離れ離れになった双子の片割れということではないのだが、彼女のその顔に、なんとなくの見覚えがあるような気がしたのだった。

 それでも現在の彼の状況においてそれに深く追求する余裕はなく、ただ君は妹ではないと彼女に言い続けた。

 何度目かの否定の言葉を彼が言った時、彼女は突如その表情を身の毛もよだつ鋭利なものへと変貌させた。

「―――だから妹だって言ってるでしょ? どうしてそれがわからないの?」

 ドライアイスを丸ごと包み込んだかのような低い重低音の声音。

 彼の口はピタリと閉じられ、ロボットのように頭を上下に振ることしか彼にはできなかった。




「ダメじゃないお兄ちゃん。こんなことしたら。メッ!」

 まるで小さな子供の悪戯を咎めるような彼女のお叱りの言葉を、彼はまったく意に介さず、ここから出すよう声を張り上げた。

 彼は絶対にここから出てやると鼻息荒く意気込んでいた。

 彼女のいない時を見計らって、どうにか脱出できないかとありとあらゆる手段を考え、行動に移した。

 食事の際に使用したスプーンをくすねて、床や壁に穴を開けられないか試した。

 部屋にあったクリップを伸ばして針金代わりにし、手錠の鍵穴を開けることができないか挑戦した。

 紙の切れ端にSOSを記して、部屋から出るゴミと一緒にさりげなく混ぜてそれを誰かが偶然見ることに賭けて助けを呼ぼうとした。

 だがしかし勿論の如く、そのような浅知恵で脱出できるほど監禁状況は甘くはなく、それらはことごとく失敗に終わり、何一つ成功に結びつくことはなかった。

 だがそれでも彼はまだ、諦めていなかった。

「どうしてそんなこと言うの、お兄ちゃん? お兄ちゃんの家はここなんだから、出ていく必要なんてないじゃない」

 彼女が彼の元へと訪れるたび、彼はここから出すように彼女に要求した。

 時には恫喝のごとく大声で。時には蛇のように凄んで。時には暴力という手段をちらつかせながら。

 だが彼がいくらそれを繰り返しても彼女はどこ吹く風で聞き流し、どころかその言葉を認識していないのか訳がわからないといった様相を振りまいていた。

 それでも彼は堪えず彼女へと再三と要求を繰り返した。

 彼女はそんな彼を、最初は我がまなな子供を見守るような温もりのある表情をしていたのだが、言葉を繰り返していくうちに段々と顔の表面の温度が急勾配を見せていき、そして、

「―――ここからは出さないって言ってるでしょ。何度も何度も何度も何度も何度も言わせないでよ」

 石ころを、虫けらを見下ろすような口調で彼女の口からそう言い放たれた。

 あまりの怒気と冷気と冷血に当てられ、彼は押し黙るほかなかった。




「お兄ちゃーん、ご飯の時間だよー」

 彼は彼女が食事の乗ったトレイを運びながら入ってきた直後、頭を床につけ情けない声にて懇願した。

 ここから出してください、と。

 彼はもはや自力での脱出を諦めていた。途方に暮れていた。悲観していた。

 ひたすらに脱出の方法を考え、試行錯誤し、右往左往を縦横無尽に繰り返し続けたが、それらのすべてが無に帰していた。

 そもそも監禁されている状態の彼は、多くの行動が制限され、取ることのできる方法も限られていた。

 ありとあらゆる方法を実行し、ダメだったら次の方法へと切り替えるそんな応酬。

 手段が思いつかない時はダメだった方法に再挑戦するという不毛な行動の連鎖。

 万策尽き果て、気力を失ってしまった彼は、自分一人での脱出は不可能だと、認めざるを得なかった。

 ここから出るには、彼女にここから出してもらうしかない。

 それが唯一の方法だと、結論付けていた。

 そのため、彼は彼女が来るたび、彼女にここから出してくださいと頭を下げて必死に訴えていた。

「今日作ったのはねー………じゃーん。オムライス~♪ 私の自信作なんだ。お兄ちゃんにおいしいって言ってもらえるように、一生懸命作ったんだよ」

 だが彼女は彼のそんな行動を、懇願を、まったく意に介さず、認識せず、素通りして誇らしげに持ってきたトレイを彼の前へと置く。

「はい、スプーン。たーくさん残さず食べてよね、お兄ちゃん♪」

 彼は恐る恐るスプーンを受け取って、それを口へと運んだ。そしておいしいという言葉を連呼した。

 彼女にここから出してもらうためには、彼女の気分を良くしなければならない。機嫌を取らなければならない。彼女にこびへつらわなければならない。

 少しでもここから出られる期待値をあげるために、可能性を高くするために、彼は目の前の食事を絶品だという絶賛を高らかに伝える。

 けれど、心にもない言葉は、性根が伴わない台詞は、

「―――あのさ。本当にそう思ってるのかな?」

 彼女の激昂を買う事態へと陥る。

 そんなことありませんそんなことありませんそんなことありません、と彼は言い訳に終始し、彼女の怒りが収まるその時まで、ひたすら額を床へとこすり続けた。




「見てみて。こっちがお兄ちゃんの寝顔の写真で、それが雨に濡れて走ってる時のお兄ちゃんなんだ」

 彼女は彼の様々なシーンを写し取った写真の数々を、一つ一つ丁寧に説明しながら彼に見せていた。

 彼はここからの脱出を諦めていた。諦観していた。

 それまでは彼はありとあらゆる方法、手段、手順でその部屋から出ることに希望を持ちながら取り組んできた。

 いつか絶対に脱出してやる。

 いつか絶対に脱出してみせる。

 いつか絶対に脱出する。

 いつか絶対に脱出しよう。

 いつか絶対に脱出したい。

 いつか絶対に脱出できればいいな。

 だがいくら意気込んでも、取り組んでも、試行錯誤してもその果てしない夢は叶う事なかった。

 努力が報われず。

 成功が得られず。

 結果が出せず。

 何をしようとも徒労に終わり、彼の映る世界は監禁時から変わらぬまま。

 どれだけ必死にその世界からの脱出を夢見ても、夢は悪夢のまま彼の現実として重くのしかかる。

 何もしなければ世界は変わらない。

 そして、何をしても世界は変わらない。

 変化しない世界。同じ世界で一日を日々繰り返す。

 いや、彼にはもう、一日や日々といった概念も失われつつあった。

 今が何時何分、何月何日かも彼にはわからない。

 時間という概念さえも失われ、彼はただそこにいるだけ。存在しているのみである。

 無機質で、がらんどうで、からっぽな無味無臭の世界。

 そんな世界の中で唯一変容するのは―――

「このお兄ちゃん可愛くない? ほっぺにご飯粒ついてるんだよー。ああでも、そっちの道路に転んだお兄ちゃんも捨てがたいなー………」

 彼女の存在だった。

 彼女はあれこれと、次々と別の写真を取り出しては、キャッキャとはしゃぎつつ楽しそうに説明を加えながら彼へと見せてきた。

 彼女に手にある数百枚単位の写真。

 そして、今持ち込んだのはそれだけだが、写真そのものは数千、数万枚単位で存在している。

 それらすべての写真には彼がフレーム内に収められている。

 彼の知らない彼の姿さえも、彼女は写真に収め、保存し、眺め、愛でている。

 一人の人間に対しそれだけの想いを、恋心を、愛情を、抱き続けている彼女。

 いつからかはわからないが、ずっとずっと長い時間、想い続けてきた彼女。

 その証明たる写真が彼の前に展開されていた。

 彼さえも見に覚えのない彼の写真。彼の一面。彼の一ページ。

 あくまでも肖像権を無視した非合法な写真が大半ではあるのだが。

 あるのだけれども、しかし。

「あ、いっけない。すっかり没頭しちゃった。そろそろ晩御飯の準備しないと」

 彼女は思い出すようにそう言って立ち上がり、その部屋唯一の扉の向こうへと消えていった。

 ―――バタン。

 彼は無意識の内に、閉じ行くその扉に向かって、手を伸ばしていた。




「お兄ちゃん着替え持ってきたよー。洗濯するからそっちの服脱いでー」

 その手に衣服を持って扉から入ってきた彼女を、彼は待っていた。望んでいた。待望していた。

 不変ともいえる彼の世界の中で、唯一関わる人間が、触れられる生物が、温もりのある生き物は彼女だけだった。

 彼に会いに来てくれるのは彼女だけ。

 彼と話をしてくれるのは彼女だけ。

 彼の世話をしてくれるのは彼女だけ。

 彼女だけが彼女だけが彼女だけが、彼が関われるたった一人の人間。

 時たま蛇のような獰猛な姿に豹変する時もあるものの、その時以外は愛くるしく姿可憐な可愛い彼女。

 近頃はあまり、怖い彼女は見なくなっていた。

 彼が彼女の事を考えるようになってから、減少していた。

 彼女がいない時は一人ぼっち、孤独に過ごしている彼。

 そんな世界の中、彼女は太陽の下花咲いた輝きを放つ存在だった。

「あ、ちゃんと畳んでくれたんだ。ありがとう、お兄ちゃん」

 彼はもっとたくさんの彼女の笑顔が見たいと思った。

 彼はもっと彼女を喜ばせたいと思った。

 彼はもっと彼女の役に立ちたいと思った。

 この時には既に、自分を監禁したのが彼女であるという事実を彼は認識していなかった。

 記憶上の出来事にはインプットされてはいたものの、監禁などというひどい仕打ちを受けたという認識が零れ落ちていた。

 彼が彼女に出会った時という記憶に摩り替わってしまっていた。

 彼女に出会った瞬間という美しくきれいな出来事に修正が施されていた。

 それ故、彼は着替えの際に外していた手錠を、自らの意思を持って、再び自分の手首へと嵌めなおした。




「ねえ、覚えてる? 昔私がいじめられた時、お兄ちゃんが助けてくれたこと」

 壁際に座った彼女は、同じく隣に座った彼の肩に頭を乗せながら、郷愁の念と共に静かに吐露していた。

 彼女の語るはるかかなたの遠い昔話は彼の記憶にはなかった。

 彼が彼女と遊んでいたという思い出。

 彼が彼女を助けていたという過去。

 彼が彼女の面倒を見ていたという日々。

 その昔、彼が遊んでいた大勢の子供達の中に、彼女の顔があった事を彼は記憶の引き出しから取り出すことができずにいた。

 だがそれでも、彼女の中にある過去は、思い出は、日々は、彼女が語れば彼にとって確固たる真実に足りえた。何の証拠がなくとも信用に値した。根拠がなくとも信頼できた。

「だからね、その時に私を助けてくれたから、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんになったんだよ」

 彼女の語ることは全てが全て本当の事実。嘘偽りのない真実。

 そんな錯覚を、錯覚と微塵も疑わずに心の隋まで錯覚し、妄信した。

 それ故彼は彼女が自分の妹などという倒錯した無理のある設定を、偽りの役職を、嘘の与太話を、偽物語を、妄言を、虚言を、戯言を、真実だと受け入れた。

 彼は彼女の兄であり。

 彼女は彼の妹である。

 彼女の語ったその当時から、否、生まれてこの方彼女の兄だと、心の底から思い込んで、決して外れることのないピースとして彼の心に嵌って、埋め込まれる。

「ふわあ………なんか今日は疲れちゃった。眠い眠いー」

 話を終えた彼女は立ち上がり、ふいーと息を長く吐いて手を頭上に伸ばして伸びをする。

 そして扉へ向かうその背中を、彼は呼び止めた。

 行かないで欲しい。もっと隣にいて欲しい。一人にしないで欲しい。

 寂しい寂しい寂しい。一人は辛い、怖い、苦しい。

 ありったけの思いを、ありのままの心情を、むき出しの感情を、彼女に伝える。

 彼にはもう、彼女がいなければ生きていけなかった。

 彼女は唯一の光だった。希望の星だった。運命の女神だった。

 彼女は必要不可欠な存在。

 彼女だけが必要で、彼女以外には何もいらない。

 彼女がいてくれるならなんでもする。

 彼女のためにならなんでもやる。

 彼の心の中身は彼女によってすべて埋め尽くされていた。

 もはや分離することのできない、一心同体といっても過言ではない彼女。

 そんな彼女がたとえ一時であっても、彼の世界から、彼の視界から、彼の前から、彼のそばから消えてしまうことが我慢ならなかった。

 我がままであろうが、迷惑だろうが、自己中でも、口にせずにはいられなかった。

 彼女はそんな彼の告白をぽかんとした表情を見せる。しかしその言葉の意味が徐々に浸透していくと、表情が次第に柔和なものへと変化していった。

 母性本能のあふれる慈しみのある笑顔。

 彼女はその表情のまま、彼の元にスタスタと近付き、膝を曲げて視線を彼のものと同じにすると、ゆっくりと穏やかに言葉をつむぐ。

「じゃあ、約束して、お兄ちゃん。

 お兄ちゃんは、ずっとここにいるって。

 お兄ちゃんは、もう絶対絶対、ここから出ようとしないって。

 お兄ちゃんは、これから一生、私と一緒に暮らしてくれるって。

 お兄ちゃんは、ずっとず―――――っと、私のそばにいてくれるって。

 お兄ちゃんは、死ぬまで私のお兄ちゃんだって。

 お兄ちゃんは、死んでからも私のお兄ちゃんなんだって。

 約束してくれる?」

 彼は頷き、それを返事とした。

 彼女の言葉の全てを理解し、受け止め、納得し、飲み込んだ上で。

 彼女は満面の笑みを浮かべて、彼に小指を出すように求める。

「じゃあ約束だよ。

 ゆーびきりげんまん、

 うそついたらはりせんぼん、

 のーます。

 ゆびきった!」

 彼女は指切りした小指を解くと、彼の頭を慈しむように丁寧な動作で優しく優しく撫でた。

 ありがとう、お兄ちゃん。と彼の耳元で囁いた台詞は、とろけるような、砂糖のように甘い甘い言葉だった。






タイトル:好きな子を○○○たくなる

星座;ふたご座

タイプ;孤立誘導型ヤンデレ





 好きな人ができました。

 それは、クラスメイトである彼。

 彼の事を思い浮かべると胸の中が熱くなり、ドキドキし、顔が赤くなってしまいます。

 気が付けば教室で彼の一挙一動を逐一目で追っていて、目が離せなくなって瞬くすらも忘れてしまいます。

 他の人間と話していてもいつしか彼の事を考えてしまって、生返事しかできなくなってしまいます。

 授業中、ふと思いついて、ノートの端っこに彼の名前を書き、口元を緩めてしまいます。

 大大大大大好きな貴方。

 世界で一番好きで、私にとっては必要不可欠な水であり空気です。

 しかし、どうして彼を好きになったのか、実の所よくわかりませんでした。

 一目惚れというわけでもなく、いつの間にか好きになっていた。

 彼は特にこれといって何かが秀でているというわけではありません。

 容姿は極々平凡。身長も高くなく平均よりも低め。

 勉強も運動もパッとせず、さりとて、社交性が高いということもなくむしろ性格は根暗な方。

 私とは、容姿端麗で頭も良くスポーツ万能であり社交性が高いこんな私とは正反対です。

 クラスの中心にいる太陽のような私と、クラスの隅っこが居場所の蟻のような彼。

 なぜかそんな彼に私は、生き別れした双子の片割れであるかのような運命を感じたのです。

 そう、運命。

 彼がどのような人間かだなんて、それほど重要ではないのです。

 彼がどのような人間であろうと、私が彼を好きだという事実には変わりありません。

 恋というのはするものではなく落ちるもの。

 私は貴方が好き。恋してる。愛してる。

 それのみが、重要かつ唯一無二のもの。

 それより他は、どうでもいいのです。




 私は彼に手作りお菓子を作って持っていきました。

 彼が嬉しそうに受け取ってくれる姿を想像しながら。

「…………………………」

 しかし彼はそれを受け取ってくれませんでした。

 私の差し出したそれにプイッと顔を背け、行ってしまいました。

 私は彼がそれを食べてもらえず悲しくなりました。


 私はいつもテストで赤点を取る彼に、勉強を教えるべく勉強会に誘いました。

 彼が私にわからない所をあれこれと聞いてくる姿を想像しながら。

「…………………………」

 しかし彼は誘いを無視して背を向けました。

 それからそのまま教室から出て行ってしまいました。

 私は彼と一緒に勉強できず悲しくなりました。


 私はお弁当を作って持って行き、彼と一緒に食べようと言いながらそれを差し出しました。

 彼がそれを美味しそうに食べる姿を想像しながら。

「…………………………」

 しかし彼はそれを黙殺し拒否しました。

 私とは反対の方を向くと、貧相な菓子パンの袋を破りました。 

 私は彼とお弁当を食べられず悲しくなりました。


 私は彼の所属する委員会の手伝いを申し出ました。

 彼の隣で一緒に作業する姿を想像しながら。

「…………………………」

 しかし彼は委員会には参加していませんでした。

 委員会をサボっていて、彼は既に帰路についていたことを後に知りました。

 私は彼と一緒になれず悲しくなりました。


 私は昔古風な便箋に自らの思いをしたため、それを彼の靴箱に入れておきました。

 彼がソワソワしながら手紙を読んでくれる姿を想像しながら。

「…………………………」

 しかし彼はそれを見つけると、封を開けることなくそれをそのままゴミ箱へと捨てました。

 彼は何事もなかったかのように、そのまま帰ってしまいました。

 私は隠れていた物陰から、そんな彼をただ呆然と見送る他ありませんでした。

 私は彼が手紙を呼んでもらえず悲しくなりました。


 あれもダメ。これもダメ。それもダメ。

 私はあれこれと、彼へとアプローチを行いましたが、それらは何一つ実を結ばず、花を咲かせる前に枯れていきました。

 私の最大限の努力を持って練った作戦は、講じた策は、何一つ成功には至りませんでした。

 どうしたら貴方は私を見てくれるのでしょう。

 どうしたら貴方は私に振り向いてくれるのでしょう。

 どうしたら貴方は私の事を想ってくれるのでしょう。

 映画やドラマなら、簡単に意中の人と想い人同士になれるというのに。

 私がダメだから、魅力がないからいけないのでしょうか。

 だがしかし、私は他の男子からは絶大な人気を、圧倒的な支持を得ているはずなのです。

 現に恐れ多くも勇気を出して告白してくる人間だって、指で数えるには足りないくらいいるというのも事実なのです。もちろんそれは、すべて断っていますが。

 私が告白しようものなら、彼以外の男子は夜空の星にも届かんばかりの高さまで飛び上がり、喜んでオーケーすることでしょう。彼へに対する以外の告白なんて、反吐を吐かんばかりの想像ではありますが。

 どうして貴方だけが、私を見てくれないのでしょう。

 どうして貴方だけが、私に振り向いてくれないのでしょう。

 どうして貴方だけが、私の事を想ってくれないのでしょう。

 どうして。どうして。

 なぜ。なぜ。なぜ。

 私は私の思い通りに、私の想い通りにいかず、苦悩すると同時に大きな杭で打たれたかのような深い深い悲しみに暮れていました。




「…………………………」

 とある日の帰路。帰宅するべく昇降口に向かっていた時、私は偶然、彼の姿を見つけました。

 彼は校舎裏に一本だけ生えている木の下で、複数人の男子生徒に囲まれているようでした。

 傍目から剣呑な様子を伺っていると、どうやら彼は、取り囲んでいる内の一人に、お金を渡すように要求されているようでした。カツアゲです。

 私は不良やいじめといったものに対してこみ上げる正義感なんてものはかけらもありませんでしたが、しかしその対象となっているのが彼ならば話は別です。

 私は彼の好感度を少しでも上げるべく、救いの手を差し伸べようとして踏み出した足を―――――

 前には出さずに、そのまま下へと下ろしました。

「…………………………」

 男子生徒たちに取り囲まれている彼の顔を見て、そのまま下へと下ろしました。

 私は貴方の顔に釘付けになっていたのです。

 何人もの人間に取り囲まれ恐怖する貴方の顔。

 男子生徒に迫られ怯える貴方の顔。

 なんとか許しを得ようと懇願する貴方の顔。

 逃げ道が何一つなく追い詰められた貴方の顔。

 直接的な暴力を受け苦痛に歪む貴方の顔。

 もうどうしようない事を悟った絶望の貴方の顔。

 顔。顔。顔。

 貴方の表情に、私は目を奪われていました。

 私の前ではいつも無表情なその顔が、今では表情豊かにころころと変化する様子を眺めていた。

 彼の感情が、まざまざとその表情に表れている。

 彼の感情を表す表情。彼の思いを反映した表情。彼の心を示した表情。

 彼の心中を駆け巡る様々な感情が、さながら仮面を付け替えるかのように、変化している。

 表情。表情。表情。

 ―――ああ、こういうことだったのね。

 私は得心と共に心の中でそうつぶやくと、いまだなお男子生徒に取り囲まれている彼から踵を返して、その場を後にしました。




 私はそれまでのアプローチの一切を取りやめ、教室内で彼を無視し始めました。

 私自身だけでなく、クラス内、学校内の生徒に彼を無視するよう誘導し、彼を孤立させました。

 クラス内、学校内で中心に位置する私が、クラス内、学校内で路傍の石と同等に位置する彼をそうするのはそんなに難しいことではなかったのです。

 そうして彼に話しかける人間はおらず、また、彼が話しかけようとしてもそれに応じる人間はいなくなりました。

 いつも無表情を貫いている彼が、わずかに動揺しているのが、手に取るようにわかりました。


 私は彼の上履きや教科書、鞄など、事あるごとに彼の持ち物を隠し、または水浸しにして使えないようにしました。

 あるいは彼の机に誹謗中傷を示す文章を、油性ペンで、はたまた彫刻刀で刻み込みました。

 それまで彼を見続けてきた私にとって、彼の目を盗んでそれら犯行を行うのは容易いことでした。

 そんな持ち物や机を見た彼が、両目を見開いて見ている様を、私はまじまじと盗み見ました。


 私は彼のいるすぐ横で、他の人間と話している振りしながら、彼の悪口を、陰口を、あることないことひっくるめて終始語り続けました。

 罵詈雑言を可能な限り負のイメージに変換し、事実無根を際限のないとばっちりへと置き換えます。

 教室内では私のそんな大声が響き渡って、教室の隅っこで彼がそれを聞いている。

 窓の外を向いてそっぽを向いた彼の体が、震えているのを私は感じ取っていました。


 私は彼を人気のない体育倉庫へと呼び出しました。

 当初はそれに応じなかった彼の首根っこを掴んで強制的に連行し、放るようにして床に投げた後、私は懐から鞭を取り出します。

 そして有無を言わさず問答無用に彼の体に繰り返し繰り返しそれを振るいました。

 倉庫内に鞭の響きが際限なく繰り返され、彼の肌にはたくさんのその痕が出来上がっていました。赤い痕がしばらくの間残り続けてました。

 鞭を当てるたびにその表情が苦悶に歪むのを、間近で私は見続けていました。


 そんな、彼に対する攻撃。

 そんな、それまでとはまったく逆の正反対のアプローチを行うことで、私の心は喜びに満ち溢れていました。

 だって、それまでまったく見ることが叶わなかった彼の表情が、感情が、心が、幾度となく顔面へと表されている。

 次々と変化する貴方の顔。様々な貴方の顔。たくさんの貴方の顔。

 顔。顔。顔。

 まったくの無反応、無関心だった彼が、それほどまでに色とりどりの感情を取り出していた。

 それを喜ばない、歓喜しない、叫喚しない理由なんてなかった。

 目論見どおりにアプローチが実を結び、狂乱する次第だった。

 さらには、こうして私が彼を攻撃することによりって、彼の頭の中は私という存在でで一杯になっているはずでした。

 私に対する恨み辛み、復讐心、敵愾心、畏怖、畏敬。どれでもいいですが、どれにしても私という存在が彼の頭の中に占めている。

 私が、彼の中で満たされている。

 ああ、なんと喜ばしいことだろう。なんと嬉しいことだろう。なんと楽しいことだろう。

 私は貴方の事を想っていて、そして貴方は私の事を想ってくれている。

 ああ、なんて素晴らしい。素晴らしきかな。




 彼との理想の関係を築きしばらくして、彼をかばう人が現れた事がありました。

 クラス委員でもあるその人は、理想に燃える正義感からか、私の行動に異を唱えてきたのです。

 クスクス。

 私はその人を、精神的身体的に徹底的に攻撃し、不登校にさせるまで追い込めてあげました。

 その人はそれ以降、学校に登校することはありませんでした。

 ああ、もちろん、その人へのいじめはそれっきりです。

 私がいじめるのは、いじめたいのは貴方だけだもの。


 彼を攻撃する人が、私以外に彼を攻撃する人が現れた事がありました。

 以前校舎裏で見かけた複数の男子生徒。私が彼から離れた隙に、ここぞとばかりに以前見かけたのと同じような行動をしていました。

 クスクスクス。

 私は彼らを、威圧し脅迫し服従させ、二度と彼に近付かないよう血判書による契約を交わしました。

 彼らはそれ以降、彼はおろか私の視界にさえ入ってくることはありませんでした。

 貴方をいじめるのは私だけ。私だけが、貴方をいじめていいの。それ以外の人間が貴方をいじめるなんて、許しません。


 彼を攻撃していた私の行為に、学校の教員が口を挟んできた事がありました。

 私を指導室なるものに呼び出し、口うるさくああだこうだと説教をし始めたのです。

 クスクスクスクス。

 私はそんな形骸的形式的な説教をする教員に対し、多額の金銭を目の前に積み上げて買収し、飼い慣らしてあげました。

 何度か対価を支払ってあげると、教員達が口を挟むことはなくなりました。

 貴方の為にお金を使う。貴方との関係の為にお金を使う。それはなんて、きれいなお金なんでしょう。きれいなお金の使い方なんでしょう。


 彼の旧友なる人物が彼の境遇を知り、ネットを利用した攻撃を私に仕掛けてきた事がありました。

 私の行動がネット上に写真や動画でアップされ、さらには個人情報までがさらされてしまいました。

 クスクスクスクスクス。

 私はその人物にハニートラップを行い、色香を使って誘惑し骨抜きにし、私のペットに仕立て上げました。

 それからペットに命令し、適当な人間を生贄にすることで、ネット内の炎上を別の新たな話題へと変換し、私に対する攻撃を消沈させました。

 当然ですが、そのペットに肌を露出したりなんかはしてはいません。

 ありのままの私の体を見せるのは、魅せたいのは、見て欲しいのは、貴方にだけ、ですから。


 彼の血を分けた家族が、私の自宅を訪ねてきて抗議しに来た事がありました。

 彼の母親が乗り込み、家族の絆とやらにおされてでしょうか、私に彼への親愛なる攻撃をやめるよう訴えてきました。

 クスクスクスクスクスクス。

 私はこれまで築いてきた対人スキルをフルに活用し、一の真実と百の嘘八百を並べ立て、猫をかぶり、相手の心を微細にコントロールし、時に涙を流しつつ、あたかも私が被害者であるかのような悲劇の優等生をその母親の前で演じきりました。

 彼の母親は最後に、自分が間違っていた、あなたのせいじゃなくて息子が悪かった、と、こちらに謝罪してから帰っていった。

 私はそれを外見では真面目くさった表情で、内心で大きく舌を出しながら見送っていました。

 演技を、仮面をかぶるのは彼以外の他人に対してだからです。

 貴方の前では、もちろんありのままの、素の私。そんな姿を見せるのは、貴方に対してだけよ。


 彼の周りからは、だいたいの人間がいなくなりました。

 彼をかばう人間もいじめる人間も助ける人間も共感する人間も同士たる人間も誰もいません。

 私以外貴方にかまってくれる人はだーれもいないのよ。

 でも、私だけが貴方にかまってあげるから。

 ずっとずっと、かまってあげるからね。

 私も、貴方以外の人をかまったりしないから、おあいこね。




 うーん………

 と、私は思考に埋没していました。黒板の前で数式の解説をする教員の言葉を右から左に流しつつ、コツコツと、ペン先で机をたたきながら、思考を巡らせています。

 頭の中で巡るのは、教員が解説している数式ではもちろんなく、彼の事です。

 今日は貴方をどんな風にいじめようか。

 今日は貴方をどんな目に合わせてあげようか。

 今日は貴方をどれだけ凄惨で悲惨な事をしてあげようか。

 頭の中で様々な試行錯誤を繰り広げては、その時に彼が表すであろう表情を想像し、口元を緩める。

 楽しい楽しい愉快な想像。

「…………………………」

 と、私のすぐ真下から言葉にならない嗚咽ような音声が聞こえました。

 どうして椅子が声を出しているんでしょう?

 パチン!

 私は制裁の意味を込めて椅子、もとい彼に向けて鞭を振るいます。

 その際椅子、もとい彼の体のバランスが崩れ私の体が落ちそうになったので、もう一度、バチン! と鞭を振るった。

「…………………………」

 またもや雑音が届いたが、先程よりは小さかったので今度は聞こえなかったふりをしておきます。椅子の役目をちゃんとはたしているようで感心です。


 私と貴方、想い想われる理想の関係。

 私は貴方だけを想い、貴方は私だけを想う。

 私の周りには誰もいない。

 貴方の周りには誰もいない。

 私と貴方の周りには、誰もいない。

 私と貴方、二人だけの関係。二人きりの世界。

 一人ぼっちではない、二人きり。

 一足す一は、二。

 二人で一つの私と貴方。

 私と貴方は、双子のように寄り添って、これから二人きりの世界を、過ごしていく。

 私は貴方がいれば寂しくない。

 貴方も、私がいれば寂しくないわよね。






タイトル:焦げたカレー鍋

星座:かに座

タイプ:他者愛型ヤンデレ



 ―――バタン。

「あっ、おかえりー。遅かったね。カレー作りながら一週間待ってたよ」

 扉が開く音が聞こえるのと同時、私は振り向きざまに、帰ってきたあの子へとそう言った。

 ただいま、と答えて入ってきたのは私の愛しい愛しいあの子。

 私はコンロの火を弱くしてパタパタとあの子に近寄り、「出張お疲れさま」とねぎらいの言葉をかけ、鞄を受け取り上着を脱がせてあげました。

 Yシャツ姿になったあの子はクンクンと鼻を利かせながら、一週間もカレーを?、と聞いてきました。

「うん。そうだよ。時間があったからちょっと凝ったものを作ろうかと思って」

 なにせカレーはあの子の大好きな大好物。一週間という時間をいかして、作り方を研究したり食材も厳選に厳選を重ねて取り揃えたりしていたのです。

 美味しそうだね、と愛くるしい笑みをこぼしてあの子は言います。

「んふふ、もちろんそうだよー。もう少しでできるから、先に着替えて待ってて。あ、それとも先にお風呂? お湯は沸かしてあるけど?」

 私の問いかけにあの子は、ご飯にするよ、美味しそうだしね、とにこやかにそう返答しました。

 まったく嬉しいことを言ってくれる。ああ、本当に可愛い子だなあ。

「じゃ、ちょっとだけ待っててね」

 鍋の方へと戻り、私は腕まくりをします。

 よーし。私、張り切っちゃうよー!


 ―――いただきます。

「はーい、どうぞどうぞ」

 あの子が両手を胸の前に合わせつつ挨拶した後、さっそく私は食卓に並べた料理を、主に主食のカレーライスをあの子の前に押し出しました。

 それからスプーンを手に取り、あの子の分のお皿からカレーを一口乗せ、フーフー、と十分に冷ましてから、「あーん」とあの子の口元に差し出します。

 パクパク、モグモグ………。

「どう?」

 スプーンを手にひとさじの不安を胸に抱えつつ、私は尋ねます。

 これまでとは違った作り方、違った食材を使ったカレー。もちろん味見はしていましたが、あの子の口に合うかどうかが心配でした。

 あの子はしばらくそれを咀嚼した後、飲み込んでから、美味しいよ、と笑みと共に言ってくれました。

 はわわ………よかったー。

 私は心配の芽が無事摘まれた胸をなでおろし、それからもう二、三度、あの子の口にカレーを運んであげました。

 その後、私はようやっと自分の分のカレーに手をつけつつ、その合間合間にあの子へと話題を投げかけます。

 あの子と会えなかった期間は一週間という長い長い時間。首を長くして待っていた寂しい寂しいそんな時間の中で話したい事は山のようにありました。

 私がカレーを食べながら次々と話しかける一方、あの子の返事は「うん」とか「ああ」とかといった実に淡白なもので、その顔色はどことなく浮かない様子です。見ると、大好物なはずのカレーなのに、手に持ったスプーンは亀のように遅々とした進みでした。

 ああ、そんな暗い顔しないで。

「どうしたの? 何か、悩んでるの?」

 私はそれまでしていた話を打ち切り、あの子の顔を覗き込みながら、そう優しく問いかけました。

 なんでもないよ、と答えるあの子でしたが、顔色は一向に明るくならず、何でもないことがないのは明白でした。

 ああ、だから、そんな顔はしないで。

「大丈夫だよ。私にならなんでも話して。ね?」

 私はあの子の手を両手で包み込むように取って、もう一度優しく声をかけました。

 あの子は私の顔を見てしばし逡巡した後、重い口を開き、ポツポツと語りました。

 先日仕事で失敗したこと。

 その失敗を上司にひどく叱られた事。

 それが後に尾を引いて、出張の間中、失敗続きになってしまった事。

 その時の辛さやら苦しさが思い返されたのか、告げたあの子の顔が段々と悲壮なものへと変化していきました。語り終えたあの子の顔は、それはもうひどい有様でした。

 ああ、そんな悲しい顔しないで。そんな苦しい顔しないで。

 目じりに涙光らせるあの子に、私はそっと言葉をつむぎます。

「ねえ、そんなに辛いんだったら、苦しいんだったら、お仕事辞めてもいいんだよ?」

 でも………、とあの子が言う言葉を遮って、私は続けます。

「君はそんなに辛い思いはしなくていいんだよ。苦しい思いもしなくていいの」

 私はあの子が辛い思いをするのは悲しくなります。苦しい思いをするのは胸が張り裂けそうになります。

 あの子がそう思う以上に、辛く、苦しいのです。

 あの子がそう思う以上に、悲しく、胸が張り裂けるのです。

 私のためにあの子ががんばってくれているのはよくわかりますが、そのせいであの子がひどい目に合うのはとても耐えられません。見ていられません。

「だから、そうしよ? ね?」

 私はあの子の目をまっすぐと見ました。

 あの子は私のそんな目を正面から受け止めた後、しばらくしてから小さな声で、うん、と言ってくれました。

 私はその返事に満足し、同意するように二度頷いてから、気分を切り替えるようにパチンと手をたたきます。そしてつとめて明るい声を出しました。

「じゃあ、この話はこれで終わり。ご飯の続きにしよっ。カレー、まだいっぱいあるから、どんどんお代わりしてね」

 私がそう言うと、あの子は再びカレーを食べ始めます。その食べっぷりは、いつものあの子へと戻っていました。




『その日食べたカレーはとても美味しかった。

 色々なスパイスが効いており、具沢山のカレー。

 一口食べるごとに、比喩でなくまさにほっぺたが落ちそうになるようなカレーだった。

 一皿食べ終えるごとにお代わりを要求し、何杯も何杯もお腹一杯になるまで食べ続けた。』



 ―――バタン。

「ただいまー。ごめんねー、遅くなっちゃって。すぐに晩御飯用意………って、あれ。このにおい、カレー………?」

 と、家に帰ってきた私が、玄関でそうつぶやいた直後、

 ―――ガッシャーン!

 家の中から大きな音がしたのです。

 私は慌てて靴を脱ぎ、一目散に音のした方、キッチンの方へとドタバタと急ぎ足で向かいます。

 扉を開いた先に広がっていた光景は、

「どど、どうしたの?」

 フローリングの床にひっくり返った鍋。そこから流れる黄土色のカレー。そしてその脇に立つカレーまみれのあの子。

 頭の上に?マークしか浮かばないもので、思わず素っ頓狂な声が私の口からとびだしました。

 それに唯一答えを持つであろうあの子は、口をもごもごさせながら、つっかえつっかえ返答します。

 どうやら、夕ご飯を作ろうとした事。

 そして、作ってる途中でお鍋をひっくり返してしまった事。

 私はひとまずあの子の行動をとやかく考える前に、

「とりあえず汚れた服を何とかしよ。別の服に着替えて………あ、いや、中まで染みちゃってるよね。じゃあお風呂だお風呂。お風呂に入ってきれいにしなくちゃ」

 と、まくし立てました。

 私は持っていた荷物を急いでその辺に適当にほっぽり出し、あの子の背を押しながらお風呂場に向かいました。


 わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ。

「目閉じててねー。泡入っちゃうと危ないからー」

 あの子にそう注意しつつ私はあの子の頭を洗います。

 とりあえず体全体をお湯で洗い流し、表面上のカレーは取れました。しかし細かい所にはまだまだ残っているはずであり、こうして丁寧に丁寧に洗ってあげなければなりません。

 私も外から帰ってきたばかりであり、汗を流したいと思っていたので、ちょうどよかったです。

 あ、もちろん、あの子の体の方が優先なのは言うまでもありませんが。

「よし。頭はオッケー。一旦洗い流すねー」

 バシャーン。

 じゃあ、次は体の方をっと。

 私は手の平にリンスを落としてから、あの子の体を上から順に洗っていきました。

 わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ。

 首、肩、腕。胴体、足。

 順に順にと手を動かしていく最中、されるがままになっているあの子に、私はそっと問いかけます。

「ね、何かあった?」

 そう言った途端、あの子の体がビクン、と震えました。

 どうやら私の読みは当たっているようでした。

 急に晩御飯を作ろうとしたあの子の行動。

 もちろんそれはそれで嬉しいですが、あの子の手料理が食べられるなんて嬉しいことこの上ないことですが、しかしそれはけっして、純粋にそうしようと思ったからそうしようとしたわけではなかったのです。

 何かあって、例えば後ろめいたいとか悪戯したとか、そういった何かがあって、あの子はあんなことをしようと思った。

 そんな私の直感は間違っていなかったようです。

「私に話してごらん。大丈夫、怒ったりなんかしないから」

 諭すようにそう言うと、あの子はゆっくりと話してくれました。

 今日、仕事の面接に行ったけれど、落ちてしまったと。

 ………なあんだ、そんなこと。

 私は心ならずも、一安心してしまいました。

 てっきりもっと大事の、例えば何か事件でも起こしたような話をしてくるのだとばかり思っていたので、取り越し苦労にも程がありました。

 ただ、私にとってはほんの些細な事でしたが、鏡越しに見えるあの子の顔はひどく落ち込んでいました。

 確か今日は、かれこれ三十回くらい目の再就職の面接だということでしたが、どうしてそんなに落ち込むのでしょう。

 落ち込んでいる顔はあの子には似合いません。似合わないです。似合うはずがないです。

 私はあの子の体を洗う手を止めると、後ろから両手を前に回して、あの子の体を全身を使って抱きしめます。

 愛しいあの子のぬくもりを、愛しいあの子の鼓動を、愛しいあの子の存在を肌で実感しつつ、耳元に口を寄せ、優しい声音で囁きます。

「君はなーんにも心配しなくていいの。私が全部ぜーんぶ、なんとかしてあげるから。君は私のそばにいてくれるだけでいいんだよ。君のお世話は私がしてあげるから。君の欲しいものは何でもあげるから。だから、大丈夫」

 だから、そんな辛そうな顔しないで。

 だから、そんな苦しそうな顔しないで。

 だから、そんな悲しそうな顔しないで。

 私はその想いを声だけでなく、体全体を使ってあの子に伝えます。

 愛しい愛しいあの子。

 私という存在はあの子のためだけにあり、あの子に尽くすのが私の存在意義。

 あの子がいつも笑顔でいられるように。

 それが、私のたった一つの願い。

 私の胸の中にいるあの子は、コクン、と小さく首を縦に振りました。

 うん。君はそれでいいんだよ。

 私は心の中でつぶやきつつ、あの子の体を洗うのを再開させました。

「じゃ、洗い終わったら晩御飯にしようね。お腹空いちゃったでしょ? すぐに君の好きなカレー、作ってあげるから」

 うん! と力強くあの子が返事するのを、私はすぐ後ろで聞いていました。




『それは、自分で作ろうとしたカレーとは何かもが違った。

 まさに世界で一番美味しいカレーだった。

 ていたらくな自分ではとてもこんなカレーは一生作ることができないと思った。

 美味しいカレーをほおばっていると、その日あった嫌なことはすべて忘れてしまっていた。』




 ―――バタン。

「………じゃあ行って来るねー。ちゃんとお留守番してるんだよー。お腹空いたら、キッチンにカレー作ってあるから………って、あ」

 今まさに出かけようかという矢先、声をかけがてらあの子の部屋をのぞいてみると、あの子は夢の国へと旅立っていました。

 部屋の真ん中でテーブルに突っ伏しつつ眠っています。その手にはゲーム機のコントローラーが握られており、目の前にあるテレビにはなにやらファンシーなキャラクターが画面の中心に突っ立っていました。

「もう、仕方ないなー………」

 と、口ではそう言いつつも、私の口元には笑みが浮かんでいます。

 ああ、なんて愛くるしいあの子の寝顔。見るだけで心洗われるそのほほえましい顔。

 私はその顔をまじまじと堪能しつつ、起こさないようそっとあの子の体を抱き上げます。

 すやすやと眠りに付くあの子の顔が間近にあります。なんという幸せ。

 が、その幸せの間にあの子が起きてしまったら下も子もありません。名残惜しい気持ちを残しつつ、私はあの子をベッドに横たえ、そっと毛布をかけてあげました。

 電気を消して、それからテレビも消し、と言いたい所ですが、以前テレビを消したらあの子の怒られてしまった事(セーブがなんとかかんとか。専門用語はさっぱり)があるので、音量を下げておくこととしておきましょう。

 そうするべくリモコンを手に取った所で、ガサゴソと布ずれの音が背後から聞こえました。

 背後を振り返ると、あの子が目をこすりながら起きるところでした。

「ああ、ごめんごめん。起こしちゃった?」

 私のその言葉とは裏腹に、あの子は、うー、とか、あー、とか要領の得ない返事を返しました。その目は明らかに寝ぼけ眼。

 どうやら意識は半分くらいしか、覚醒していないみたいです。

 無理もありません。もう夜の十時なのですから、良い子はもう寝る時間です。

 私は改めてテレビの音量を下げてから、そうっとあの子のベッドに近寄ります。そして毛布の脇から出たあの子の手を取りつつ、囁くくらいの音量で子守唄を歌います。

「ね~んね~んころ~りよ、おころ~りよ♪

 ぼ~やはよ~いこだ、ねんねしな~♪」

 大きく上下するあの子の胸の動きが、段々と小さくなっていき、呼吸も穏やかなものに変わっていきました。

 とっても可愛い寝顔。愛しの愛しのあの子の寝顔。

 それを見るだけで、エネルギーが充電されていくようです。間違いなく今の私には、力がみなぎってきました。

 いつまでもその寝顔を見ていたい。しかし、そういうわけにもいきません。

 私はあの子が完全に夢の世界に冒険に行ったことを確認すると、断腸の思いを抱きつつ音を出さないようこれでもかというくらい慎重に移動し、あの子の部屋を出ます。

 ―――バタン。


 ―――バタン。カチャ。カチャ。カチャ。

 玄関から外に出た私は、扉に何重にも厳重に鍵をかけてから、歩き出しました。

 これから私は仕事に出かけなければなりません。

 えーっと、確か次の仕事は………夜の11時か3時まで清掃のお仕事。で、そのあと新聞配達の仕事があり、それが終わったら一旦家に帰ってから家の事をやって、それからまた仕事で……………

 私は歩きながら、今後のだいたいのスケジューリングを頭の中で立てました。寝る間も惜しんで働いている成果、少々頭がぼうっとしてましたが、頭を振ってそれを振り払います。

「………あ、っとっと」

 と、よろけてころびそうになりました。

 いけないいけない。

 次の仕事は今度時間に遅れたらクビだと言われていました。割のいい仕事を探すの大変なので、気をつけなくちゃいけません。

 家計内の食費は殆どあの子に当てていて、三日三晩飲まず食わずだなんて言い訳にもできません。

 そう、先ほどあの子の寝顔を見てエネルギーを補給したばかりなんだから。

 あの子の食べたいといった物を食べさせたり、あの子の欲しい物をあげてあの子の喜んだ顔を見れば、これくらいへっちゃらなんだから。

 だから、だから、こんな所で、立ち止まってるわけには………

 ――――ドサッ。

 なぜか私の体は突然その場に倒れてしまいました。

 どうしてでしょう。なぜでしょう。

 これ以上なく、今はエネルギーが満タンであるはすなのに。

 足が動きません。手も指一本動きません。

 わかりません。わかりません。わかりません。

 と、かろうじて捉えられる視界の先で、大きな光がこちらへ向かってきていました。どうやら車のヘッドランプのようでした。

 ああ、早く立ち上がらないと。このままじゃ車が来ちゃう。

 が、私の体は動いてはくれませんでした。

 そんなこんなしているうちに、ぐんぐんと車はこちらに近付いて、近付いてきて、そして、そして―――


 最後の瞬間、私はとある心配事が、脳裏に過ぎりました。

「そういえば。カレーのお鍋の火、消したっけ?」




『おなかがすいたのでキッチンにいくと、コンロの上におなべがありました。

 ふたをあけてみると中には黒いなにかが入っていました。ついでにくさいにおいもしました。

 これはたべものじゃない。

 そう思ったので、なべをゴミばこにすてました。

 大好きなカレーが食べたい。

 とこえに出しても、それを作ってくれる人は、いませんでした。』


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