第3話 部活動はオアシスでした

 遥に銀の弾丸を握られ、桜にまあまあ痛い一撃を受けて悲しんでいる俺は、沈んだ気持ちで書道室に入った。

 まだ誰も来ておらず、部屋は静かだった。

 鞄と体操服入れを机の横に放り出し、作品を書くため準備をする。

 半紙の束を持ってきて机に置き、筆と文鎮を持ってくる。

 硯に水を入れて、墨を手にしたら準備完了。墨を刷って墨液を作ってから書くことにする。

――ゴリッゴリッ!

 今日は間違えない。二度も同じ失敗をする俺ではないのだ。……ごめんなさい。たまにミスります。

 墨が石の硯と擦れ合う音が、静かな書道室に響く。この時間が、精神を鎮めて落ち着くための大切な時間。

 出来た墨液の濃さを確かめ、ちょうどよい黒色になったときに、書道室の扉が開いた。

 毎度おなじみの一年生ズだ。


「こんにちはー」

「こんにちは!」

「先輩!後で少しいいですか?」


 有紗が遠慮がちに尋ねてくる。また現代文の解き方だろうか?

 教えてあげたいが、今はせっかくの落ち着いた状態だ。一枚書き終わるまで待ってもらおう。

 「後でね」と返事をしてから、筆に墨液を馴染ませる。

 穂先から徐々に黒く染まっていく筆。先端の形を整えて、半紙に押し当てる。

 第一画は縦線。俺は行書体を得意としているので、軽いうったてからのスピード感を感じさせるしっかりした線をおろす。返す筆で縦線の上に太短い横線。

 流れるように縦線の横側に細短い横線を二本引き、繋げるようにその下に長めの線。その上をなぞって折り返し、残りの三画を書く。

 次は右下の字。上半分に小さく(白)を書き、素早い筆遣いで左右を埋める。下半分には、横長の線を書き、本来なら三画の文字を、速度をあげて一画で書ききる。

 左上。草冠を書いたあと、細長く(日)を入れる。この際、(日)の一画めを細い書き出しにすることがポイント。

 流れる筆で書き進め、最後の一字。

 軽めに反らして書き出しのちょいしたに戻してくる一画め。漢字の(二)を書くような感覚で間に一つ点を入れ、下の線を長く引き伸ばす。

 終筆から最後の一画を繋げ、真っ直ぐと下に線をおろした。

 〔長楽萬年〕。我ながらいい出来だと思う。


「す……すごいです!」

「ありがとう。それで、何か用事だっけ?」


 俺の作品を見て誉めてくれる有紗。悪い気はしない。

 有紗は、俺の言葉で思い出したのか、現代文のノートを突き出した。


「実は、今日の授業で難しい内容があって……」


 それは教師に聞くべきでは?……と思ったそこの君!残念ながら俺の高校の現代文の先生である中村先生は恐いのだ。

 二年目となると意外とお茶目な先生だと分かるのだが、一年生の子が質問にいくのは厳しいだろう。

 というわけで、有紗は俺に質問を持ってくるのだ。


「これなんですけど……」

「ああ!【K】が【私】の部屋の襖を開けた理由ね!」


 どうやら彼女たちは今、夏目漱石の[こころ]をやっているようだ。

 気になったのは、そのうちの一シーン。【K】が深夜【私】の部屋を訪ねてくるシーンだ。


「これは、【K】が心の繋がりを確認しようとしたんだよ。襖は、二人の隔たり……みたいなものかな?それを表している」

「めんどくさくないですか?はっきりと言っちゃえばいいのに」

「ま……まぁ、そうなんだけどね……」


 これが昔の文豪のすごいところ……と、説明しても分かってもらえるだろうか?

 少し噛み砕いて説明してみる。彼女は、合点がいったかのように表情を明るくした。


「なるほど!そういうこと!」

「そう。まぁ、漱石は奥さんに宛てた手紙も暗号みたいだったし(笑)」

「あっ!……じゃあ……」


 有紗が少しうつむいた。

 なんだろう?何か失敗しちゃったのか?

 不安になっていると、有紗が顔をあげて頬を少し赤らめて尋ねてくる。


「月が綺麗ですね……も、何か特別な意味が?」

「月が綺麗ですね?あぁ!確か……」

「いや、いいですいいです!先輩!ありがとうございました!」


 まだ顔を赤くしたまま、有紗が他の一年生の子たちの元に戻っていった。

 ……何だったのだろう?まっ!いいか。無事に理解できたようだしひと安心。

 そう思った俺は、再び筆を取って続きを書き始める。

 無心で書いていき、成功二枚の失敗十四枚を書いたところで、少し休憩。

 今日は遥たちも休みのようで、書道室には俺と一年生の子たちの五人だけだった。

 一年生の子たちは、静かに集中して書いている。だが、有紗だけは少し身が入っていないようだ。

 あまり偉そうなことを言えたもんではないが、若干線がふらついてる気がする。


「まあ、本人の気分だしな」

「え?何か言いました?」

「ごめんごめん。気にしないで」


 穂希が耳聡く俺の発言を聞いていた。聴覚すごいな。

 続きを書こうかと机に向き直る。

 少しだけTwitterをチェックした後、大筆を手に取る。そして、墨液を馴染ませて半紙と睨みあった。

 それは、しばらくして寺下先生が書道室に入ってくるまで続いた。

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