第1話 慌ただしい一日が終わりました

「あれまぁ!どうしたの?」


 驚きつつも面白いものを見たように笑う先生。

 この人が、我らが書道部顧問の寺下 玉美先生だ。通称マスコット先生。

 寺下先生は、廊下ですれ違う生徒や他の先生によくお菓子を配るのだ。ちなみに俺も貰ったことがある。

 その姿が、某テーマパークのマスコットキャラにそっくりだということから、マスコット先生と呼ばれるようになったのだ。

 今時、養護教諭よりも人気のある先生というのは珍しいのではないだろうか?


「珍しいね。松下君がそんなミスするなんてね」

「本当ですよ。なにやってんだか……」


 俺は普段こんなミスはしない。やはり、あの半紙は少なからず精神に影響を与えているようだ。

 それから寺下先生と少し話していると、部活終了を告げるチャイムが鳴った。


「あぁ。今日は終わりね。帰ってゆっくり休んだら?」

「ですね。そうしますよ」


 先生に挨拶してから、職員室を出る。そういえば、硯については特にお咎め無しだったな。

 そんなことを考えながら書道室に戻ると、ちょうど遥と桜が帰るところだった。


「おお松下!こってり怒られた?」

「全然。てか、なんでそんなに楽しそうなんだよ?」

「いやー、やっぱり松下が怒られてるところを想像したら……ぷふっ!」

「やめなって遥ー。それ以上は……ぷっ!」


 俺は喧嘩を売られているのかな?相手が女子でもやるぞ?こっちは。

 笑いながら駐輪場へ向かう二人を微笑ましく(自己基準)見送ってから、俺も荷物を取りに書道室に入る。

 一年生組は今終わったようで、筆を洗うなど片付けをしていた。

 机の上には、一年生四人が書いた作品、〔森羅万象〕と書かれた半紙が四枚。それと、謎のキャラクターたちが踊っている謎の絵があった。


「あいつら……お絵描きだけして帰りやがったな……」


 ここは美術部かと言いかけてしまうが、ギリギリ心にとどめておく。それに、言い出したらきりがなかった。

 そんな俺の様子を気にしたのか、有紗が遥たちのフォローを始める。


「でも、先輩たち楽しそうでしたよ。ちなみに、これが松下先輩らしいです」


 有紗が指を指したのは、メガネが誇張された男子生徒のイラスト。

 ……なぜだろう?とてもイラッときてしまった。とりあえず、あいつらには明日仕返ししよう。

 重い鞄を背負い、お弁当箱を入れた手提げを持って、書道室の入り口まで移動する。


「さよならー」

「「「「さようならー」」」」


 こうして入り口で挨拶をするのが、癖になってしまっていた。一年生の子たちも、わざわざ返してくれなくていいのに。

 少しほっこりした気分で駐輪場へ向かう。

 俺の自転車にまたがって、ポケットから折り畳んだ例の半紙を取り出す。

 やっぱり、見間違いではないようだ。


「……誰かに相談に乗ってもらうか……」


 俺は、携帯を取り出してTwitterを開く。こういうときは、ネットで意見を求めるのも……。


「待った。自慢に聞こえるかな?」


 何が炎上に繋がるか分からないご時世なのだ。ホイホイとツイートするのはやめておこう。

 となると、相談に乗ってくれそうなのは……。


「よしっ!姉ちゃんならいいだろう!」


 俺は、半紙を丁寧に折り畳んでポケットに入れる。そして、家まで自転車三十分の帰路についた。

 ……家に着いたら、間違えて半紙もろとも洗濯しないように気を付けないと……。




 堤防を越え、いくつもの信号に引っ掛かり、蚊のような虫の襲撃を受けながら、ようやく家に帰ってきた。

 思うのだが、夕方に帰るときは苦労するのではないだろうか?

 もしかして俺だけなのかな?蚊のような虫に襲われるのは。

 虫除けスプレーを全身に噴射してから下校しようかと本気で考えながら玄関の扉を開ける。

 家の中からは、香ばしい香りが漂ってくる。夕食を作ってくれているようだ。


「ただまー」

「お帰り兄ちゃん。ご飯もうすぐだからー」

「お!お帰りー。もっと早くてもいいんだよ?」


 ソファーに寝そべってスマホを弄っているのが、姉の松下 水葉。大学二年生だ。

 そして、キッチンに立って夕食を作っているのが、弟の松下 拓己。今は中学三年生だ。

 俺のうちは、両親が遅くまで働いているから夕食は姉ちゃんと弟の三人でよく食べる。

 料理が絶望的で、弟に丸投げしてゲームをしている姉ちゃんを見ていると、駐輪場での決意はどこかへ飛んでいってしまった。


「やっぱり、姉ちゃんはダメだな」

「ちょっと!?いきなり何よ!?」

「口論してないでお皿だして。できたからー」


 姉ちゃんの抗議を聞き流し、拓己の前に皿を並べる。今日の夕食は、豚のロースをにんにくで焼いた料理だった。

 席について、一口食べてみる。


「……美味しい」

「へ……へぇ。拓己もやるじゃん!」


 ジャイ●ンシチューと瓜二つのビーフシチューを作ったことがあるくせになに言ってんだと姉ちゃんに視線を向けるも、俺の視線に気づいた姉ちゃんは明後日の方向を向いた。

 その後も、拓己の絶品料理に舌鼓をうち、あっという間に完食した。


「ふぅ……ごちそうさん」

「はい、お粗末様でした」


 食後に、風呂に入って一日の疲れを洗い流す。それから、歯磨きを済ませて俺の部屋に戻った。

 ベッドの上に寝転がり、LINEを開く。時間はまだ十時。ギリギリ非常識ではない時間帯だ。

 トーク画面から、お目当ての人物を探す。見つけると、すぐにメッセージを打ち込んだ。


『明日の昼休み暇だろ?ちょっと相談のって』


 送信を押して約五秒後。すぐに既読がついた。……ホントに暇なんだな……。

 既読がついてからすぐに返信が来た。


『いいよ。相談料はポッキーで手を打つ!』


 ちゃっかりしてやがる。ポッキーは……購買で百円だったな。

 お財布の小銭入れを確認して、制服のポケットからあの半紙を取り出す。

 思えば、放課後からこの半紙にえらく振り回された気がする。


「でも……俺にようやく彼女が…!」


 これで悪戯とかだったらいい笑い者だが、今からそんなことを気にしても仕方がない。俺に好意を持ってくれている女子からの告白と前向きに受け取っておこう。

 それから半紙を鞄に丁寧に仕舞って、ゲームでもしようかとスマホを開いたが、疲労に勝つことはできずにそのまま眠りに落ちていった。

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