40 待合室の『闇の末裔』
学校から帰ってきたゆうみを迎えたのは、兄のゆうただった。
先生から話を聞いたけど、えっ、どうしたの?とややテンパり気味だった、ゆうたへ説明しようとした気持ちが一気に萎えた。
何ていうか、あの時のことをゆうたへ告げる言葉が面倒くさくなったのだ。
だから、色々な気持ちを込めて告げた。
「精神病院に行こう」
「え、だれの?僕の?」
「ううん。ゆうにーちゃんじゃなくて、あたし」
「ゆうみ?」
首を傾げるゆうたに、ゆうみは力強く頷いた。
*
紹介状もなく、精神病院の来院が可能なのかと思ったがそれは問題ではなく、それ以外に問題があった。
「遠いわ」
ゆうみ達が住んでいる場所は田舎だったため、新幹線の通る県庁所在地に行くだけで一時間かかる。
しかも、目当ての病院へ行くにはそこからバスを乗り継がなければならない。
片道二時間、時短なしで、保護者必要。
ゆうみは兄を宛てにしていたが、それでは意味が無いとばっさり、先生に切って捨てられた。
しょうがなく、祖父母に連絡して、保護者になって貰うという案が出たのだが。
祖父母にゆうみの主張を聞き届けてもらうのが、大変だった。
お前は普通の子なんだよ、精神科なんて、噂にでもなったら大変だし、狭い田舎で白い眼見られたらどうするの、云々。
それをうるさい、いい加減にしろ、私が行きたいと言っているんだから、今更、白い眼で見られたからってどうかしたの。
と淡々とゆうみが言ったら、祖母はおののき、祖父は一歩後ろに下がった。
兄のゆうたの助けも借りて、今日、病院に来院することが出来たというわけだ。
「長かった………」
長すぎて、感慨まったくない。
待合室の天井を見上げたゆうみは、深くため息をつく。
兄のゆうたも受験勉強で忙しいなか、来てくれた。
祖母とゆうみだけを行かせることに、不安を感じたからだろう。
ここへ来るまでのゆうみの言い方に、一悶着あるだろうと思ったのかもしれない。
どちらにしろ、ゆうみにとってありがたいことには変わらない。
一緒に来ている祖母はゆうみのとなりで、無言で座っている。
自分も祖母と話すとケンカにしかならないので、黙っていた。
兄のゆうたは、トイレに行っていないで二人のところだけ、御通夜のようだった。
ゆうみは、ゆうたが来るまで自分の部屋の状況を思い出していた。
他に考えることはあったのだが、今のところは見ないことにしたかった。
せめて、診断結果が出るまでは。
ゆうみが担任へ会いに行く前に行った片付けは、病院へ来る前にすべて終わった。
アニメのグッズ類は一部をのぞいて、泣きながら捨てた。
持っていながら一度も眺めてはおらず、埃を被っている状態を見ていると悲しくて仕方がない。
グッズを捨てることへの悲しみと愛でなかったことの悲しみの二重苦。
本も棚一つに収まるほどにまで減らした。
あとは学校の授業で使ったプリントや教科書などしかない。
いままで、部屋を圧迫させていた棚やアクリルケースなども捨てた。
ゆうたには、まるで死ぬ準備をしているみたいだと言われてしまった。
それほどまでに無くしたのは、ゆうみ。
でも、こうやって考え込んでいるとあれ、捨てなければよかったなと思うのは止められない。
おそらく、あれ、捨てなければよかったなと思う日々は続く。
でも自分が悪いんだし、と思いながら泣く日々も続くのだろう。
あとはこれ以上、物が増えないよう気を付けていけばいいと思う。
でもほんとうに、自分にはそれが可能なのだろうか。
ここで祖母と二人、黙ったまま名を呼ばれるのを待ち続けるのは苦痛だ。
どうしようかと思って、視線を彷徨わせていると。
「あっ………」
「なんだい?」
声を上げたぐらいで返事をしないで欲しい、と思いながら何でも無いとゆうみは首を横にふる。
それで安心したのか、祖母はまた黙ってしまう。
ゆうみは祖母から離れ、視線の先にあったものの所へ行くために立ち上がった。
病院という場所には、待合室にいる人間なら誰でも読める本が置いてある。
その多くがファッション誌や今日の新聞、その中に紛れ込んだ漫画ももちろん、あった。
ゆうみが手に取ったのは青い背表紙の漫画。
「闇の末裔」
表紙に黒髪に紫の瞳を持つイケメン男性がいる。
へぇ、面白そうと思って本棚の前でしゃがみ込んで、読み始めようとすると。
「ゆうみ、呼ばれているよ」
「えぇ!!」
面白そうなのに、とぼやくゆうみに祖母は、さっさと終わらせたいとばかりに立ち上がり、彼女を置き去りにする勢いだった。
「あっ、待って!」
漫画を元の場所に戻すと、ゆうみは立ち上がって祖母のあとを追った。
ゆうみ達はエスカレーターで三階へ向かう。
その間、誰もしゃべることもない。
まるで決定的な証拠を突きつけられた犯人のようだった。
三階へ辿り着くと、地面に案内表示が書かれている。
『心療内科』
ゆうみは首を傾げた。
精神科があるかと思ったのに、そうではなく、心療内科とはこれは一体。
祖母に聞こうとするも、彼女は早く済ませたいとばかりに歩き去る。
ゆうみは舌打ちしたいのを堪えながら、心療内科と表示されている方へ歩き出した。
そこへ行くと、椅子を四つくっつけた待合室が三列あったが、誰も座っていなかった。
その前にある受付へ、名前を言うと名前を呼ぶから待っていて下さいとのこと。
ゆうみは祖母のとなりに座るのがイヤになり、彼女が一番前に座るのを見て、二つ後ろへ腰を下ろした。
兄のゆうたは、ゆうみの隣に腰を下ろす。
「ねぇ、ゆうみ。来て、よかったの?」
「なにが」
腹が立っていたゆうみは、怒ったようにゆうたを睨み付けた。
「だから、ここへ来たこと。一応、お兄ちゃんもね、ゆうみの頼みだから来たけど、ここまで来る必要あったのかなって思ったの。ゆうみはね、普通の子だよ?普通の子」
「その普通の子っていう基準はなに?」
ゆうみはゆうたの言っている意味が分からなかった。
普通、普通とみんなは、言うがその普通とやらはゆうみを救ってはくれなかった。
みんなは普通を安心のために言っているのだろうか、まるで新手の新興宗教じみている。
ゆうみもみんなと同じように、その宗教に縋っていた。
けど苦しくなるばかりで、楽になどならなかった。
「もう、疲れたの。あたしはもう、分からないもの」
「なにが分からないの?ゆうみ」
ゆうたは、身を屈めて聞く。
「まず、普通の子の基準が分からない?裏の言葉って一体なに?それはどんなものなの。話していてさ、会って間もないのになぜ、みな、私とは逆の答えを出して、納得するの?私が言っても言い訳ばっかりっていうのはなぜ?そこにそうだと言う確信はどこから来るの?それで全てを分かる普通の人って神様なの?神様ならさ、いますぐに私を普通にしてほしいんだけど?」
一息に言うと、ゆうたは口をパクパクさせた。
「そもそも言い訳って、なんでそう思い込むの?普通の人は?普通はそうだっていうけど、どこにそんな普通の本が売っているの?普通は見ればわかるって、どこなの?ねぇ、どこにあるの?普通の人は見るべきポイントが分かっているから分かるの。素人が見てもわからない芸術品と一緒。一体どこで鍛えてくるの?ねぇ、どこ」
ゆうみは少しすっきりした顔で、椅子に座り直した。
何だか胸のつかえが取れたような気がする。
前を向くと、祖母が鬼のような形相で睨んでいるのが分かったが。
もうどうでもいい。
医者にすべてをさらけ出そう、そうすればきっと、みんなのいう、普通が、分かるはずだから。
※参考資料
闇の末裔/松下容子
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