39 普通になりたい『美少女戦士セーラームーン』

 目覚ましの音で、目が覚めたゆうみは見なれた天井に違う点を見つけて首を傾げた。

ゆうみは目が覚めると、いつも天井にアニメのポスターが貼られていた。

だが、今日、ゆうみが目覚めるとそのポスターがない。

昨日、自分がそれを外したことを思いだして、案外これでよかったかもと思った自分に驚いた。

体を起こして、ベッドから立ち上がる。

いつもより部屋が広く感じた。

圧迫感さえ感じていたのに、いらないものを手放したことでこれほど変わるのかと思った。

それでもまだ、途中であることを示すように押し入れの戸は外されている。

開け放たれた押し入れは、半分以上ものが無くなり、使わなくなった収納ケースが紐で縛られていた。

机の上にもまだ物が乗ったままになっているが、帰ってきてからやることにする。

ぺたぺたと片付け途中のものを脇に積んで、道を作った所を通ってカーテンを開けた。

見えたのは、家の庭、草がぼうぼうで、まさに荒れた庭。

「草、刈らないとなぁ」

そうは思っても、自分の部屋さえ途中で、草むしりなど出来るはずがなかった。

でも、やらなければ、この光景をきっと今までもこれからも嫌な想いで見ることになる。

「終わったらやろう、うん」

自分を鼓舞するように、力強く頷いてゆうみは洗面所へ向かった。

顔を洗い、化粧水と乳液などが一緒になったクリームを顔に塗りたくり、それから髪を整える。

部屋に戻って、夏服の制服に袖を通して、台所へ向かう。

それだけで汗が噴き出してくるのを拭いながら、扇風機を付ける。

部屋の戸、すべてを開け放ちたい気持ちになるが、堪えた。

台所で、目玉焼きを造り、ソーセージを添えて、テーブルに置く。

それから、牛乳をコップに注ぐと、自分の席へついた。

壁掛け時計に目をやると、時間は八時を指している。

食べ終わってから行けば担任の先生はいるだろう。

昨日、学校へ電話したら担任はいるとのことだったし、夏期勉強の授業が終わってからでも十分間に合う。

担任が忘れて帰っていなければ、だが、それはないだろう。

ゆうみは、寝ているだろうゆうたの部屋へ向けてため息をついた。

彼も受験で大変なときに、ゆうみの片付けを手伝わせてしまった。

ゆうたもゆうたで、なし崩し的に片付けをさせてしまったのを思うと申し訳なく思う。

ゆうみは、頭を振って牛乳を一気に飲みし、ソーセージと目玉焼きを食す。

「ごちそうさま」

言い終わると同時に、立ち上がると使った食器を台所へ持って行き、その流れで洗って、食器おけにおいていく。

それから、自室へ戻って今日、学校で使うものを取りに行く。

忘れがちなノートとペンのセットを、首から提げる。

通学リュックを手に持って、部屋を出ると、台所の椅子に置いて、歯を磨いて、身支度を調えた。

それから、水筒を取り出して、中へ麦茶と氷を放り込んで、蓋を閉めると、リュックの中へ入れる。

「いってきます」

起こさないようにそう告げると、ゆうみは家を出た。



***



炎天下のなか、歩いて学校へ辿り着いたゆうみは汗だくになりながら、指定された教室へ向かう。

そこで行われるのは、学校主催の夏期講習二時間、社会の勉強を行う。

初日に来た生徒はゆうみと他の四人ほどだった。

社会の先生は、窓を全開にして扇風機を回すなか、授業が行われる。

真新しいノートに黒板で書いた文字をそのまま書き写していく。

内容が頭に入ってこないのを、暑さのせいにして、ゆうみはため息をついた。

これなら、来なければよかったと思うものの、他に勉強方法が見当たらない。

いや、それ以上に自分の勉強状況を考えれば、そうも言ってられなかった。

そんななか、授業が終わり、他の生徒が退出していく中を、ゆうみも片付けをして、立ち上がって教室を出る。

そして、担任の先生がいる職員室へ向かった。

ドアを開けた瞬間、クーラーの効いた冷たい空気が流れ込んできて、汗が一気に飛ぶ。

涼しいと思った気持ちはすぐに、寒さに切り替わった。

むき出しの二の腕に鳥肌が立つのを、ゆうみは摩ることで制する。

担任の方が先にゆうみを見つけて再び、職員室を出ることになった。

中でもよかったのにと想いはすれど、職員室で立って話をする内容でもないことを思い直す。

担任が案内した夏休みで使われることのないゆうみたちの教室へ向かう。

「暑い、な」

担任がゆうみの机そばの窓を開け、ゆうみは椅子に腰を下ろした。

「天月から電話が来たときはびっくりしたよ。今までそんなことなかっただろう?」

「そう、ですね」

汗がだらだらとゆうみの体から流れ出る。

スカートのポケットからタオルを取り出して、拭く。

担任がゆうみの前の席を合わせて、対面に座った。

「進路のことで、お話がしたくて。あと、自分自身のことも」

「天月は公立だったか、お前の今の成績だと難しいが、頑張れば大丈夫な範囲だぞ?」

どこを安心するべきところがあるんだと、突っ込みたい気持ちを喉まで出かかって、ゆうみはグッと堪える。

「で、お前のことはって?」

ゆうみの中で、この人に話すのはやめようかと思った。

この軽い調子に嫌気がさしてきたのだが、もう他に話せる相手がいなかった。

自業自得。

「先生は、私を、普通だと思いますか?」

「なんだ、藪から棒に………」

担任の言葉が濁った。

これでは肯定しているようなものだ。

「先生は私を普通だとは思っていなんですね」

「そんなことはない。お前は普通だ!」

「普通の人間は自分が普通かなんて、担任には聞かないし、疑問にもしません」

強い語気でゆうみが断言すれば、担任は驚くほど言葉に詰まった。

「先生。私はもう、先生がなにを言っているか分からない。相手がなにを求めて、なにをどう返答してほしいのかも分からない。今の私は平常です。しかしこれがいつ、壊れて頭が真っ白になり、何も考えられない状態になって、文字も読めなくなり、意味も分からなくなるのか分からない」

そこまでを一気に言うと、担任はこれから先のことを思ったのか、慌てて待ったをかけた。

「まって、まて。意味が分からない。どうして、天月!!」

「どうしたもこうしたもない。先生、私はもう訳分からなくなりたくない」

恐らく、担任にはゆうみが得体の知れない化物に見えたことだろう。

「先生。私はもう、いやなんです」

このよく分からない世界から、ゆうみは出たかった。



***




「ゆうみ?」

名を呼ばれたとき、ゆうみはうさぎが声をかけてきたのかと思った。

自分のことを名前で呼ぶクラスメイトは、うさぎだけだったから。

でも振り返って見た姿は、初美だった。

期待を裏切られた感ありありの顔だったゆうみを、初美はニヤッと笑った。

「なによ。うさぎがよかった?」

「そんな、ことない」

否定はすれど、初美は信じていない様子。

ゆうみは初美の姿に、首を傾げた。

初美は体操着を着ていて、テニス用ラケットを持っていた。

「引退したの?」

「まだだこんちくしょー」

「あいてっ」

ラケットでゆうみの頭を軽く小突いた。

「とりあえず、大会終わるまで引退はしないわ。あなたこそ、うさぎとさよならしたって聞いたけど、案外平気そうね」

「そうでもないよ」

そうでもなかったし、荒れる心は未だ平静にならない。

だからの部屋の片付けだったし、先生の直談判だった。

「初美は?」

言ってからしまった、とゆうみは思った。

今までずっと彼女のことを名字呼びしていたからだ。

怒るかなと思って見た初美は、きょとんとしたものの、意地の悪そうな顔をしながら、腰に手を当てた。

「悪くないわ。存分に呼びなさい」

「女王さまかよ」

思わず突っ込みと、ゆうみと初美、どちらからか笑い声が響いた。

「まぁ、何にせよ。うさぎを返してくれてありがとう。大切にしてあげるから」

「ありがとうございます」

ぶっきらぼうに言いながら、ゆうみは歩き出した。

すると、初美は声をかける。

最初に彼女を呼び止めた理由を、思い出すかのように。

「やっぱり、あんたは訳分からないわ」

「私もそう思うし、好きで外れてるわけじゃないよ」

そう、誰も好き好んで誰かに嫌われようとか思ったわけではない。

ただ自分が不思議だな、おかしいなって思うことを行動してきたら、結果としてそうなっただけ。

「私はね、初美」

そこでようやく、ゆうみは初美の方へ立ち止まって振り返った。

「普通になりたかった」

世間一般で言うところの普通の人。

ゆうみには特別な超能力があるわけでもなく、身体能力が高いわけでもない。

何にもない。

両親もいないし、他の普通の人と違って兄妹だけで暮らしている。

兄にはたくさん、ゆうみの知らないところで迷惑しかかけてこなかった。

「普通がどんななのかも分からないけど、初美やうさぎが言うみたいにいいモノみたいだったから、そうなりたかった。同じようにしているのに、違うからこれも違う、あれも違うみたいにやってただけなんだけどね」

普通を探していた。

自分が他とは違うことをどうにかして、見つけたくて打開策を見つけたくて、あれこれやったら、全部ダメなことでしたって。

笑うにも笑えない。

「間違えないで普通に、なりたかった」

「てかそもそも、そう言っている時点でアウトでしょう」

冷酷と言っていいほどの初美の言い方に、ムッとしたゆうみは再び歩き出した。

担任の先生に言いたいことは言ったから、あとはこのよく分からないモヤモヤを形にして。

新に告白する。




※参考資料

美少女戦士セーラームーン/武内直子

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