34 もういいねの『AIR』 01
窓を開け放った教室で、自分の机でゆうみは頭を抱えていた。
机の上に主張するようなB5の紙が置かれている。
『進路希望調査』と書かれた紙は、中学三年の夏休みを目前としたこの時期となる最後の意志。
それを前にゆうみのシャーペンは、ぴくりとも動かなかった。
他のクラスメイトが走らせるシャーペンの音がうるさい。
いつもはうるさいぐらいの蝉の声が、空気を読んだかのように止んでしまっているのも、癪だった。
どうするも、何もゆうみの進路は決まっている。
この学校の隣に立っている公立高校に通う、それ以外にない、はず。
あとはバカ高と揶揄されているどこにあるのかも分からないそこと。
『○○女子校にしたの』
あの時、うさぎの言葉がゆうみの頭の中でリフレインする。
一緒の高校へ行くものとばかり思っていたのに、視線を逸らしてうさぎの方を見る。
踵に届くほど長かった彼女の髪、夏の風に重たげに揺れる姿が蜃気楼となった消えた。
あとに残ったのは、項が見えるほど短くしたうさぎの髪。
それで登校した日は、クラスでゆうみと同じような腫れ物扱いだったのに、今じゃ誰も気にしない。
むしろ、歓迎ムード。
自分一人だけが、動揺してうさぎにも心配される始末で、初美には鼻で笑われるしで、最悪で。
おまけに夜中まで勉強していた兄が、放心状態だったこと。
どうやら勉強の息抜きで見た深夜アニメが、兄の心のど真ん中を貫いたらしく。
(なぜだ、なぜ、僕は見てしまったんだ。あぁ、でじこ………)
今まで聞いたことがないぐらい熱のこもった声で、ゆうみは一歩後ろに下がった。
顔も性格もいいと思うゆうみとしては、なぜ兄が恋人の一人もいない現実に首を傾げるばかりだったが、これが原因かと思ったりもする。
いや、両親が亡くなって妹とこうして二人で暮らしてバイトもしているからだろう。
だめだ、完全な現実逃避。
チャイムが鳴る、先生の声が遠くて、周りの声さえも壁一枚隔てたように思えた。
*
夏という季節で、おまけにクーラーのない教室にはいられなくて、ゆうみは一人でとぼとぼと校舎内を歩いていた。
涼しい場所を求めて、あとは自分の考えを一人で考えたかった。
「ちょっと、あんた。大丈夫、なわけないか」
ゆうみは、工具棟と呼ばれる職員棟の離れにいた。
教室からだいぶ距離を空いたその一階の隅で、膝を抱えていると初美が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「うさぎのこと、そんなにショック?っていうか、それだけじゃないみたいだけど?」
よかったら相談に乗るよ、と初美らしからぬ発言に、ゆうみはぽけっと顔を上げた。
「あんた顔色悪すぎ。だからよ、体、悪い?」
そういうわけじゃないと言ったところで、初美は信じることはなかった。
ゆうみとしては普通に発した言葉が、初美からしてみればあまりにも怠そうに聞こえた。
生暖かい風が吹いて、二人に纏わり付いて離れない。
まるで置いていかないでと泣く子供のように、目の前で膝を抱えて丸くなるゆうみの姿と重なる。
「うさぎのことはショック、だった。相談もなかったし、でもそれよりも、何よりも………」
うさぎのことを素直に喜べない自分が悲しいだけ。
この先の、展望を何も描けていない自分がつらいだけ。
結局最後は自分のことしか考えていない自分が情けないだけ。
「そういうもんよ。自分のことしか考えられない時期だもん。あんただけじゃない」
そっぽを向いて、照りつける芝生を睨み付けながら初美は髪をかき上げた。
そう、中学最後のこの時期に自分のことであたふたする人間は決して、ゆうみだけではなく、皆、平等。
意味もなく、苛ついて、当たることだってある。
現に初美はそれをゆうみにした。
「そんなふうに割り切れない。割り切れないし、分かりたくもない」
「ゆうみ?」
うさぎの声に、顔を上げるゆうみの視線の先に彼女は立っていた。
短くなった髪の毛が、風に流されることはない。
残像が、これまでうさぎとの間にあったそれらが、幻のように消えていく気がした。
「ゆうみ。あのね、わたし、ずっと………」
こういうのを今更、言わないでほしいとゆうみは思った。
もう、言わなくていいよ。
このままで、いることがなぜ行けないのか。
このまま、中学、高校へ行って平穏に過ごせないのか。
なぜ、区切りを付けて行ってしまうのか。
「あなたのこと、嫌いだった」
走り去るうさぎの後ろ姿に、ゆうみはあの鈴の音を聞いた。
歯を食いしばっても漏れる嗚咽は、惨めで愚かに思えた。
もうずっと前から知っていた。
ずっと前から、気づいていた。
※参考資料
AIR/ Key &Visual Art's
デ・ジ・キャラット/こげどんぼ
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