33 夏本番の『姫ちゃんのリボン』

 汗がむき出しの腕を伝う。

足に纏わり付く制服のスカートが気持ち悪い。

整えた髪型や顔も、汗を拭うたびに台無しになった。

「であるから、こうなるわけです」

漫画でよくある教師の言葉も、この暑さの前では蝉の声にかき消されてしまう。

頭がぼんやりする。

ゆうみは席について、教師の声に耳を傾けていたが、偏頭痛がしてきた。

暑さで体も頭もつらい。

生理痛に匹敵するほどの怠さに、集中しなければと思えば思うほど意識は四散していく。

体に熱を持ったような心地、目の前がぼやける。

やばいな、なんて思ったときには意識を手放していた。



目を開けて、全身に嫌な汗をかく。

いま、自分は何があったと思い出そうとするも、パニックを起こす頭はちっとも冷静にならない。

息が出来なくなって、起き上がった体をそのまま後ろへ倒れそうになった。

「ゆうみ!」

うさぎの声がして、彼女が倒れるゆうみを支えてくれる。

声も出せず、うさぎがゆっくりと自分をベッドに寝かせるのを助けてくれるのを眺めた。

「もう少し、横になってな。びっくりしたよ、授業中に倒れるんだもん」

生理?と聞かれて、首を左右に振って否定する。

朝から調子が悪かったと聞かれても、否定した。

違う、いつもの、いつもの体調の悪さ、と口では言ったものの、うさぎは少しも信用してはいなかった。

「うちら三年で重要なときなんだからね、体は大切にしないと」

パイプ椅子に座り直して、うさぎはお母さんみたいなことを言う。

いない両親を思ってゆうみは泣きたいような気持ちになった。

「ゆうみ以外と体弱いもんね。相良さんとは逆になっちゃったね」

「そうだ、ね」

相良美幸はあの日以来、不調を訴えることもなく、見た目は元気そうだった。

牧原とも仲直りしたらしく、そのことをゆうみ達に直接言いにきてくれた。

何だかくすぐったいような気持ちで、牧原もゆうみにお礼を言ったのだ。

ありがとう、助かったよ、なんて言われて。

お礼を言いたいのはこっちだよ、と言ったら美幸は、とても綺麗な笑顔で笑うからドキッとしてしまったりして。

そんなこんなで始まった七月だったのに、暑くなった途端、倒れるとは。

「三島くんとケンカでもした?」

「してないよ。ただ、最近、あまり、話してない、かも」

「あぁ。三島くん、一匹狼のわりになんか忙しそうだよね」

新は、他のクラスメイトとも世間話ぐらいなら、話しているのを何度か見かけた。

ただ基本的には一人でいることが多く、視線を外すと姿が見えないなんてことも多々。

ゆうみに、新の行動を制限する権限は持っていないため、忙しいのかなと思っていたけれども。

新が以前教えてくれた話以外を、自分は何もしらない事実を兄に、突きつけられたのがこの倒れの原因の一端を担っているのは本当だった。

「三島くん、モテるからな。ゆうみもウカウカしていると取られちゃうよ?」

「えっ!モテるの??」

あんな無愛想で、何考えているか分からないのにと聞くと、うさぎは断言した。

「あぁいうミステリアスなところがモテる理由よ。中学最後だからってことで、告白ラッシュよ。今、夏休みが始まる前に区切りつけたい子が結構おおいのよ?」

ふふふん、と鼻を鳴らして胸を張るうさぎに、ゆうみはそっかとため息をつく。

取られることへの怖さというより、新が誰かに受け入れられることが嬉しかったのだ。

何となく新には、手を伸ばしても容易に掴ませてはくれない何かがあると思うから。

それが言い訳なのは分かってる。

けど、踏み出せない自分にイライラしているのも本当。

「ねぇ、ゆうみ。今日さ、“ちゃちゃ”寄ってこう」

「ちゃちゃ?うん、いいけど」

“ちゃちゃ”は、ゆうみ達の通う中学から徒歩十分にあるところの店の略名だ。

正しくは『おもちゃのちゃちゃ』。

文具用品や女性向けの装飾品、お菓子におもちゃ、おでんと扱う商品は多岐に渡る。

唯一の店であるが故に増えた商品は、さながらメリーゴーランドのようだった。

「で、なに買うの?」

「まぁ、ちょっとね。時間はかからないよ」

「ふーん。あっ、そういえば、今何時?」

ゆうみが起き上がろうとするが、うさぎに止められる。

「四時間目が始まったところ。ゆうみ、三時間目の最初で倒れたから、授業は中止になったけど。ちょっとブーブー言う子はいたかな」

「悪いこと、したな」

この時期、ピリピリしない子はいないだろうと内心でため息をつく。

悪いと思いながら、ゆうみは額を抑えた。


**


放課後。

あのまま、帰っていいと先生に言われたものの、うさぎとの約束があったために辞退した。

それに家へ帰っても、看病してくれる両親もいない。

兄に連絡する手段はないし、学校へ直接かけるほどでもなかった。

ゆうみはうさぎと約束したとおり、ちゃちゃに来ていた。

自動ドアを潜ると、冷房の効いた店内にゆうみはほっとした。

「まだ、具合、悪いんじゃないの?」

「平気、ちょっとクラクラしただけだし。今はもう大丈夫だよ」

店内へ目を向けると、ゆうみと同じ中学に通う生徒や隣の高校に通う制服の生徒で混雑していた。

夏休みが近いこともあって、勉強に使う可愛いノートやマーカーを買いにきたのだろう。

ゆうみもうさぎは、それを買うために来たのだと思った。

華やいだ声の雰囲気に辟易しながら、うさぎが向かったのはラッピング用のリボンなどが置いてある一角だった。

「リボン?」

「そう、どの色がいいかな」

リボン、しかも包装用に使うものを、うさぎは一つ一つ手に取って自身の髪に当てていく。

「やっぱり、うさぎには赤かな」

「そう?自分でも思うんだけど、これ」

そう言って、うさぎが持ち上げたのは黄色のリボンだった。

驚くゆうみにうさぎは訳ありの笑みで、そのリボンを持ってレジへ向かっていく。

いつもうさぎは、赤を選んでいた。

彼女自身が好きな色だったし、身につける物も赤を選んでいた。

好みの色がコロコロ変わるゆうみとは違って、うさぎの色が変わることはなかったのに。

その疑問は、次の日の朝に理解した。

「うさぎ?」

あの日、うさぎとちゃちゃの店前で別れた後、ゆうみはそのまま帰った。

だから会ってもいないし、電話もしていない。

それは珍しいことだったけど、たまにはいいと思っていたのが間違いというのか。

「ゆうみ、どうかな。夏だし、気分転換」

うさぎのお団子をしてもまだ長い髪が、首筋が見えるほど短くなっていた。

ただ唯一の名残という、片方の横毛だけ肩に付くほど長いままという不思議な髪型。

そこに昨日買った黄色いリボンが結ばれていて。

「あのね、ゆうみ。学校へ行く前に伝えたいことがあるの」

「えっ、なに」

聞きたくない。この先をどうしても、聞きたくない。

心に反して、体は動かなかった。

逃げられない。

「私ね、○○女子高等学校に行くことにした。だから、同じ高校へは行けない」

この言葉はゆうみにとって死刑宣告も同じだった。





※参考資料

姫ちゃんのリボン/水沢めぐみ

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