31 きっとこれから『絶愛』 06

 行きたくないだとかそういう訳ではない。

ただ、気が進まないだけ。

「そう、気分だ!」

「なにを往来で叫んでおるのだ」

放課後、担任に頼まれて新と共に美幸の家へこれから向かっていた。

うさぎと初美に言われたとおり、新と二人。

ゆうみは縋るように、茶封筒を抱きしめる。

この中には、美幸が休んだ授業のプリントやお知らせが入っていた。

終礼が終わると、牧原がゆうみのところへ持ってきたのだ。

新と美幸のところへ行くことを聞いた彼女が、今までの分もと渡された。

「先生に頼まれたんだけど、ちょっと行きにくくなっちゃって。ごめんね」

茶封筒を押しつけると、牧原は友達の元へ足早に駆けていく。

そのあとは新を待って、学校を後にした。

夕方から降り出す予報だったので、二人とも傘を忘れずに持ってきていた。

「ため息ばかりついて、陰気じゃのう」

「悪かったわね。でも当然じゃない。たいして話したこともないクラスメイトのうちに行くんだよ?緊張するじゃない」

「気にしすぎじゃよ」

何のことはないと言い切る新に、ゆうみは首を傾げる。

「おまけに、あんな噂まで出回ってるし、カケラの持ち主って、もう、どうしたらいいか分かんないよ」

「同性愛のどこが恥ずべきことなんじゃよ。人間というのはアホじゃのう」

新は、くるんと持っていた傘を回転させる。

子供のようなそれに、驚いたものの、肩の力がぬけていくのを感じた。

「同性であっても、愛しておるなら、関係ないじゃろう?」

普通の恋愛と違うところは何もないと、新は言い切る。

「でも、そう思える人ばかりじゃないよ」

気持ちが悪い、頭がおかしい、きちがいだと言う人間はいる。

新のような人がいない訳ではないが、少ないだろう。

ゆうみは、傘と茶封筒だけではない重みで、知らず知らず歩みが遅くなった。

すると新は、ゆうみの傘を自分のと纏めて持ち、空いた手を繋いだのだ。

「お主なら、大丈夫じゃよ」

耳まで赤くなった顔を新に、ゆうみは何度も首を縦に振った。



美幸の家は、曇天と相まって薄気味悪い印象を与える一軒家だった。

車が二台並んで止められる駐車場、表札に置かれた花壇。

子供がいると思えないほど整頓された庭。

ゴロゴロと鳴る空は今にも、雨が降りそうだった。

パッと手を離した新は、家の呼び鈴を鳴らす。

「えっ、心の準備は!?」

「今更してもどうにもならん。それに」

新が空へ視線を向けたので、ゆうみも空を見上げると、ぽつんと。

顔に雨粒があたり、やがてそれが増えていく。

「いらっしゃい。美幸のお友達?ありがとう」

玄関へ入って、ドアを閉めると計ったように雨が降り始める。

雨音を聞きながら、二人は美幸の母に頭を下げた。

「あの、休んでいる間のプリントとか持ってきました。えっと、大丈夫ですか?」

おろおろと言い出すゆうみに、美幸の母は苦笑する。

「よかったら、部屋にいるから会っていってください。だいぶ、よくなったのよ」

「ありがとうございます」

新が蕩かす笑みを見せると、美幸の母は頬を染めて部屋へ案内する。

気づかれないようこっそりゆうみは、ため息をついた。

案内された美幸の部屋は二階で、うさぎの家と同じだなとゆうみは思う。

「美幸。お友達が来てくれたわよ」

軽くノックをして、美幸の返事も待たずに開かれた彼女の部屋。

母親は、中に入ってて構わないからと言って下りてしまう。

「おじゃま、します」

「いらっしゃい。天月さん、三島くん」

中へ入ると、ベッドの上で体育座りしているパジャマ姿の美幸と目が合った。

来客に対して笑顔を見せる美幸の目には隈があり、袖から除く手足はやせ細っていた。

パラパラと窓に当たる雨粒、部屋の電気は付けていない。

返って際立った美幸の青白い顔に、ゆうみの足が止まる。

「これ、先生に頼まれたプリント」

「ありがとう。助かる」

直接彼女へ渡すと、ゆうみからの茶封筒を脇へ置いた。

新が断りを入れて電気を付けると、ホラー映画のような陰影を生み出す。

このまま帰ることに躊躇して、部屋をゆうみは見回した。

一般的な女子中学生の部屋といったもので、目新しいものはない。

「えっ、どうしたの?」

すると、新はゆうみ達に背を向けた。

「お母さん………」

そこには美幸の母親が紅茶のポットとカップ、お茶菓子をのせた盆を抱えて立っていた。

だがその顔はどこか、怯えているように見える。

「ごゆっくり」

押しつけるよう新へ盆を託すと、そそくさとその場を逃げていく母親。

何も言わずに新は片手で器用に持つと、部屋の戸を今度こそ閉めた。

そして、ゆうみが率先して三人分のお茶を注ぐと美幸に渡す。

新は勝手にとって、飲んでいた。

それにしても、何だったのだろうか。

彼女の母親に警戒されるような覚えはない。

「あのさ、相良さん。私、なにか、したかな」

新に習って、紅茶に口を付ける。

砂糖もミルクも入れていない紅茶は、ゆうみには少し苦かった。

入れようかと思って、砂糖に手を伸ばしたとき。

「天月さんの噂、知ってるから、なんだと思う」

「うわさ?」

繰り返すゆうみに、美幸は小さく頷いた。

カップを抱いたまま、手指の冷たさを紅茶で暖めるかのよう。

「吉田さんとのことかな?うーわー、はやすぎ」

砂糖やミルクを入れる気を無くしたゆうみは、再び紅茶に口を付けた。

「あー、相良さんは。どうしたいの?」

このことで、いちいちゆうみの自己嫌悪に陥っていては話が進まない。

考えるのは後で十分だ。

それに、カケラの持ち主である美幸の憂いを早く、取り除いてあげたかった。

状況を察したらしい新が立ち上がって、美幸にトイレの場所を聞く。

一度、ゆうみと顔を合わせたもののやはり、何も言わず部屋を出て行った。

「あのさ、学校で噂が流れてた。私が知ってるぐらいだからもう、知ってるかなって思うんだけど、どう?」

努めて明るく言うと、美幸はゆうみに紅茶のカップを渡す。

渡されたカップを、盆の上に戻した。

「うん。知ってる。みっちゃんが来たのは最初だけ。しかも、電話をしても出ないから」

「えっ、最悪。相良さん、それでいいの?」

仲のよかった友達が突然音沙汰がなければ、ゆうみだったら速攻うさぎを捕まえて理由を聞く。

それが納得できなくても、区切りぐらいは付けたい。

「よくないよ。みっちゃんは、大事な友達なの。でも、このまま行っても迷惑だもん。おじさんのことだって、そう」

美幸は、枕に縋るよう抱きしめて顔を埋めた。

「ずっと好きだった。だから、告白しようって思ったの。恋人連れてくるってそれだけでショックだったのに………相手は男で、同性愛者だって言われて。どうしたらいいか、分からなくなっちゃった」

体を小さく丸めて、嗚咽する美幸にゆうみは胸が締め付けられた。

彼女に何て言って慰めればいいのだろう。

ここへ来るまで、美幸の噂やカケラのことでぐるぐる考えていた。

でもその考えは甘かった。

自分は誰かを愛したことはないし、新との関係だって、なし崩しだ。

どれほど他人に対して、適当だったかを思い知らされる。

「でもね、おじさんを好きな気持ちは変わらないの。でも、心のどっかでおじさんを気持ち悪いって思う心があるの。私を裏切って酷いって、最低だって。だって、何よりも、ね。つらいのは…………」

顔を上げた美幸は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。

瞳を真っ直ぐゆうみへ向けて、いや向けられていないのかもしれない。

ここにはいない彼女のおじさんへの想い、相反する自分の気持ちを必死に言葉にする。

「そんなおじさんを好きだった自分が汚されたって思ったことなの。なんで、おじさんは、普通の人を好きにならなかったんだろうって。周りから白い目で、見られるのに、なんでって。お父さんもお母さんも暗い顔、しなくてもよかったのにって。思っちゃうの」

好きなんだよ、好きなのに、と譫言のように呟く。

ゆうみは、泣きたくなるのを堪える。

だって自分は彼女の想いに沿って、泣くことはできない。

それは彼女の気持ちを冒涜する。

必死になって、自分の心とおじさんへの想いを守る美幸の姿は、とても美しかった。

テレビで聞いた恋の歌が、ありありとゆうみの頭に思い起こさせる。

いるのか分からない珍獣を見つけたような、ここに本当にあったんだという感動と。

それを思ってしまう自分への嫌悪。

吐きそうになりながら、ゆうみは語る言葉を探す。

初美や祖父母に言ったような行き当たりばったりでは、ダメだ。

美幸を傷つけないことを、考えながら話さないといけない。

「あの、相良さん。おじさんもきっと同じようにすっごくすっごく考えたと思う」

外はまだ雨が降っている。

乾き切った美幸の心にも、潤いの雨が降ってほしい。

嫌気がさすばかりの雨がこの時、ゆうみにとって初めて愛おしいものとして感じられた。

「同性愛って、一般的じゃないし、相良さんがそう思うのもよく分かる。たぶん、いっぱい泣いていっぱい、悩んで、苦しんで、引き裂かれそうになるほど、頭が痛くなるほど、考えて。でも、この人を好きだって思う気持ちは、相良さんと同じだとおもう」

知らず知らずのうちに、拳を握っていたことにゆうみは気づかない。

「私は漫画や小説でしか知らないけど、みんな悩んでた。気持ち悪いって叫びながらこの人が好きなんだって言ってた」

「それは、漫画や小説だから言えることだよ。身内にしてみたら、想像つくでしょう?」

「だったら、それが何よりも分かっているおじさんは、どうして同性の恋人を連れてきたの?」

初めて、気づいたとばかりに美幸は口元を押さえた。

「お父さんとおじさんって仲がいいの?」

「うん。お父さんとおじさんはすっごく仲良くて、おじさんのお父さんとはケンカばっかりって、言ってた」

先ほどとは打って変わった穏やかな美幸の声。

恐らく、おじさんと父親が話しているところを、想像しているのだろう。

「だったら自分のお父さんに、すっごく怒られたと思う。でも、誰かに認めてほしい、分かってほしいって思ったんだよ」

ゆうみはおじさんって言う人に、一度しか会ってない。

だから想像する、きっとこうであって欲しいという願いを込めて。

「相良さんもおじさんへの想いを牧原さんに話したんだよね。自分の一番大切なお友達に。それと同じだよ」

慰めでも同情でもいいから、肯定が欲しい。

自分がこの人を好きで間違っていない証明が欲しい。

もし、言われたら自分が揺らいで、やっぱりっとなるのかもしれない。

もしならなかったら、胸を張っていられる。

誰かを愛する。

それだけで、きっとゆうみにとっては奇跡みたいにすごいことだ。

自分は美幸と同じ学校に通うただのクラスメイト。

でも、そんな自分に出来ることは、彼女の気持ちもおじさんの想いも必死になって聞いて、肯定してあげることだ。

「私は、誰かを本気で好きだって思ったことないの。三島くんとは何となく?だったから、ほんとだから!」

ゆうみは両手を突き出して、左右に振って否定する。

きょとんとする美幸に少しだけ苦笑した。

「だから、すごいと思う。相良さんもおじさんも必死に恋して、愛する人がいるって素敵なことだって思う。間違ってなんかいない。そうふうに思っちゃう気持ち、否定してほしくない。だって、それほど、おじさんを想ってるって証だから」

喉が異様に渇く。

声が枯れそうになる、今の姿を美幸はどう思って見ているのだろう。

「泣かないで、相良さん。好きでいいんだよ。おじさんを好きな気持ちを否定しないで」

虫のいいことを言っている。

「もし、出来るなら、おじさんと向かい合って気持ちを伝えてほしい。だって、今の相良さん。恋愛漫画の主人公みたいにキラキラ輝いててすっごく、素敵なんだもん!」

熱が入る、手に汗が滲む。

息が荒くなって。ここで雷でもなったら、自分は悪女みたいに見られるかもしれない。

「自分みたいに素敵で可愛い女の子振ったことを、一生後悔させようよ!」

泣いているなんて、もったいない。

美幸はこれからもっと綺麗になる。

今だって彼女は、いや。恋に恋する女の子はみんな、綺麗に素敵になっていくのだ。

自分一人を置いてけぼりにして。

新がいると思うのは、うぬぼれだし、うさぎに言われてしまった。

三島くんは優しいし、ゆうみのことを大切にしてる。

それに寄りかかってしまうのは、ゆうみ自身をダメにするから。

自分も三島くんを大切に出来るように、接しないとね。

今なら、うさぎが言ったことが何となく分かる。

誠実に、大切にしたいよね。

汚いものに包まれるんじゃなくて、とても美しいものに包んでいたい。

「美幸ちゃん、ちょっといいかな」

ドア越しに聞こえたおじさんの声。

美幸は何も言わずに、じっとドアを見つめる。

でも何か吹っ切れたように、美幸はパジャマの袖でぐしゃぐしゃになった顔を乱暴に拭く。

赤くなった顔、でも先ほどとは打って変わった彼女は輝いていた。

「うん、おじさん。入っていいよ。話したいこと、あるから」

入室を許可する美幸に、明らかにほっとしたようなおじさんの声。

「私、これで帰るね!また、学校で」

大げさなほど頭を下げて、おじさんと入れ替わりで出て行くゆうみを、美幸は呼び止めた。

「ありがとうね。天月さん」

少しだけ涙でにじむ瞳で、言われてゆうみは無言で頷いて部屋を出て行った。


**



「で、どうだった?」

「ばっちり、かな」

玄関に立つゆうみを見つけて、門のところで傘を差して立つ新は声をかけた。

入ってきた時より雨脚が、弱くなっている気がする。

「泣いた、のか?」

ゆうみの溜まった涙を拭いながら、新は聞く。

浚われた瞳に手を添えて、ゆうみは頭を振る。

「泣くのを、我慢してた。だって、私よりずっと、相良さんの方が泣きたかったはず、だから」

目元が熱い。

先ほどとは違う熱の暑さに、ゆうみは足下がおぼつかない。

倒れそうになるのを、壁に手を添えて支えて、折り畳み傘を開く。

傘の中の人となりながら、並んで歩く。

しばらく無言の時間が流れ、ゆうみは美幸の家が見えなくなってようやく、立ち止まった。

新も立ち止まる、ゆうみより頭一つ分高い位置にある視線に気づく。

制服のポケットに入れていたカケラを納める台座。

そこに、ピンク色のカケラが初美のものの隣に置かれていた。

ラメが入った星の輝き、女の子なら誰でもかわいいと言ってしまうほどに。

かわいくて、美しい美幸のカケラ。

「ねぇ、三島くんは誰かを本気で、好きになったりとかってある?」

答えなど期待してはいなかったけど。

「そなた?」

「ものすっごい嘘だってことは分かった」

そういうことじゃなくて、とゆうみは新を追い越して先を行く。

新の方を見ず、深々とため息をついた。

雨降る景色を見つめながら、ゆうみは違う気持ちで眺めている自分に気づく。

人を愛すること、それが今までよりずっと身近に感じられる。

その人を大切にすることは、恋をする相手じゃなくても、友達にだって当てはまるだろう。

大切にしたい、今までよりもずっと強く、そう思う。

もしかしたら、間違って、ケンカをしてしまうことがあるかもしれない。

でもいままでよりも、丁寧に接することができる。

うっすらと肌に纏わり付く湿気、それすらも今は、心地がいい。

きっと、今年の夏は今までよりも素敵になる。

きっと、これからの日々は、変わる。

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