29 きっとこれから『絶愛』 04

 「朝から具合悪かったみたいでね。彼女は大丈夫っていうから行かせたんだけど、やっぱり無理だったみたいだね」

髪をバレッタで留めた保険医は、ベッドの仕切りであるカーテンを閉めながら言った。

その言葉に、美幸の教科書を握りしめるクラスメイトで名を『牧原美智子(まきはらみちこ)』は絶句していた。

その隣で立つゆうみとうさぎは、だから先生と一緒だったんだと納得していた。

「あの、牧原さん。相良さんって朝から具合、わるい、人なの?」

「ううん。ちがう、よ。美幸ちゃんは、朝悪くないし、悪いのは、わたし、の、方だよ」

胸元で組んだ手で押さえ込むようにして、美智子は叫んだ。

まるで、美幸が倒れたのは自分のせいだとばかりに、自分を責めている。

うさぎと顔を見合わせるゆうみ。

「これじゃあ、理由を聞くのは後にした方がよさそうだね」

牧原さんもあれだし、とうさぎは彼女の肩に手を回して落ち着かせている保険医を見ながら言った。

「わた、しは、大丈夫よ」

「美幸ちゃん!!」

カーテンの向こう側、美幸が起き上がる姿がカーテン越しに浮かび上がる。

薄暗い色に染められた姿絵の美幸は、声と合わせて弱々しく見えた。

「えーと、そんな状態で出るなんて言われても説得力ないからね。今日はもう、帰りなさい」

美智子をパイプ椅子に座らせると、保険医は豪快に仕切りを引いた。

顔は朝より尚青白く、口元には吐瀉物の涎が後を引く。

明らかに重病人の姿である美幸が言う大丈夫は、信じられない状態だった。

「とりあえず、帰った方がいいよ。相良さん」

顔を上げてゆうみを見た美幸の瞳に、縋るような視線を受けてゆうみはたじろいだ。

ゆうみは視線を彷徨わせてから、叫ぶように言った。

「私が、送っていきます!!」

その場の全員の視線が、ゆうみに向けられた。

恥ずかしさで、顔が真っ赤になる。

美幸やうさぎの顔さえ見られず、自分の足下ばかり見てしまい、このまま小さくなって消えてなくなりたかった。

「じゃあ、お願いしようかしら」

パン、と切り替えるよう保険医の先生が、手を叩く音でゆうみは顔を上げた。

にっこり、と音がつくほどの笑顔で、ゆうみを見返してくる保険医。

「じゃあ、御巫さんと牧原さんは二人の鞄。持ってきてくれるかな?あと、先生に伝言」

「はい」

うさぎのしっかりした声が、保健室に響く。

去り際に、彼女がゆうみの肩に手を置いて励ますように微笑んでいく。

保険医は美幸の元へ行くと、熱を測ったり腕をとって脈をとったりして、二三質問をしていった。

その間、ゆうみは手持ち無沙汰で意味も無く保健室をきょろきょろ見回してばかりいた。

視線の置き場に困る。

(こういうとき、何を話せばいいのかな?)

スカートの裾を握りしめ、俯いたままのゆうみを美幸はほっと息をついた。

「ごめんなさい。困らせちゃったみたい、だね」

「えっ、いや。そんなこと、ないし、全然!!」

慌てて顔を上げて否定するも、美幸は曖昧に笑っただけだった。

その後うさぎと美智子が持ってきた鞄を持って、四人は昇降口へ向かう。

靴音だけが響く廊下は、何にもしていないのに悪いことをしているようで、ゆうみは気が咎めた。

「うち、そんな、遠くないから」

うさぎ達に見送られて、校門を出ると美幸はそう言って指で指し示した。

自転車通学なんだけどね、と学校の自転車置き場を見やる。

「朝は親に、送ってもらったの。ちょっと遠いけど」

「気にしないよ。相良さんの楽な方でいいから」

半ば無理矢理、送っていこうとしているのはゆうみの方だ。

美幸が謝る理由はない。

力なく微笑む美幸を見て、ゆうみは彼女が朝から親に送って貰うほど体調が悪かったことを理解した。

それでも学校へ来る必要が彼女に、あったのか。

首を傾げつつ、ゆうみは美幸の少し後ろを歩いて行く。

校門を出て左へ歩き出すと、学校の側を流れる川の音が聞こえてきた。

常日頃から聞いているから気にもとめることもない、音が聞こえる。

不思議な感覚がした。

「あの、さ。朝から具合悪かったのに、どうして、来たの?休んでいた方がよかったのに」

気になって声に出してから、ゆうみは後悔した。

最初は世間話みたいなことから初めて、仲良くなってから、カケラのことについてやればよかったのに。

これでは、初美のときと何も変わらない。

「昨日の今日だから、親に心配かけたくなかったの」

焦って、ぐるぐるするゆうみをよそに、美幸は静かにはっきりと口にした。

「私もさ、具合悪くても、休むのは悪いことだなんて言われて学校来たことあるし」

「知ってる」

思わず吹き出した美幸に、ゆうみはあれっと首を傾げる。

「たしか、小学校の時だったよね?熱があったのに、来て。先生が帰れっていっても帰らなくて。迎えにきたお母さん、困ってたね」

「えぇ!」

ゆうみは美幸に追いついて、彼女の隣に並ぶ。

どうして知っているのか分からないゆうみに、美幸は恥ずかしそうに告白した。

「私は、からだ、あの頃はそんなに強くなかったらすごい根性だなって思ったの」

風が吹いてきたので、髪を手で押さえながら美幸は微笑む。

今は、大丈夫なんだよと少し前屈みになってゆうみの顔をのぞき込んだ。

「そうなんだ。ありがとう」

気恥ずかしさからそっぽを向くゆうみを、美幸は歓心した。

そんな美幸の姿にゆうみは、心根の優しい人なのだと思った。

彼女と友達になりたいと思った。

それは今まで、ゆうみが知らないうちに捨て去っていたものだった。

うさぎの時は向こうから、初美とは意識しないまま、流れでそうなったような。

「あの、相良さん」

これは止められないな、と頭の片隅で思う。

「美幸ちゃん!」

小走りにゆうみ達の方へやってきたのは、一人の男性だった。

短髪に垂れ目、パーカーにズボンという楽な格好。

美幸をちゃん付けで呼んだことから、彼女の知り合いなのだろう。

だが、ゆうみが美幸を横目で見た時の彼女の表情は強ばっていた。

まるで、お化けでも見たような。

「おじ、さん」

「朝の様子がおかしかったから心配して。そちらの子は美幸ちゃんの友達かな」

にっこり笑うと出来るえくぼが愛らしく、話を振られたゆうみは直立不動になった。

「あっ、はい、そうです!あの相良さん、具合が悪そう、だったので」

「そうだったんだ。美幸ちゃん、具合が悪いならやっぱり休んだ方がよかったんだよ」

美幸の肩に手を置いた彼は、そこでようやく彼女の様子に気がついた。

「美幸ちゃん?」

そこからは、足下が崩れるように美幸は倒れた。

彼女を抱きかかえ、家へと連れ帰る彼の姿をゆうみはただ、呆然と見送った。

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