25 兄希望の『フルーツバスケット』

 とん、と音がしたなと思って顔を上げたゆうみの目の前に、新が立っていた。

電気のついていない家へ帰って来たゆうみが。

玄関で靴を脱いで、居間のスイッチを押した時だった。

唐突で、白い着物に赤い帯を締めて新は腕を組んでいる。

この家の主かのように。

「えっ、いつ、帰ってきたの?」

新に何を言えばいいか分からず、ゆうみは鞄を肩から床に滑り落とす。

問いかけに答えることなく新はゆうみが自室へ向かう背に呼びかけた。

「他に言うことがあるじゃろうが、それもなしか?」

ギョッとして振り返れば、眉根を寄せる新がいて。

「えっと、おかえり」

「ただいま」

無愛想だけど、まんざらでもなさそうな新の顔を見て、ゆうみは何とも言えない気持ちになった。

新には言いたいことがたくさんある。

でも、何から言えばいいのかやっぱり分からないまま、ゆうみは着替えてくると言付けて自室の襖を開けた。

なんだろうか、もっとこう、何かあるような気がする。

鞄を置いて、もそもそと着替えながらゆうみは思った。

新は二三日うちに来なかった、学校にももちろん。

だのにこのぎこちなさは何だと言うのか。

ゆうみは、泥沼にはまっていく心地で鞄から教科書類を出すと机の上に置いた。

それから適当なズボンとシャツに袖を通して着替える。

「もうちょっと、違うのがいいかな」

ふと口を出た言葉に、ゆうみは思いっきり眉間に皺を寄せる。

違うちがう、そういうことじゃない。

思わず脱ごうとしたシャツを戻し、ゆうみは手ぐしで乱暴に髪を整えて部屋を出る。

「うわぁ、ちょーちょーふつう!!」

襖を開けてすぐ、現れた謎の人にゆうみは面食らってしまった。

身長二メートル近い人がピンクのフリフリを着て、立っていたのだから。

ふわんふわんの髪から香るシャンプーに、ゆうみは頭がクラクラしてきた。

ずっと嗅いでいたら、骨抜きにされてしまいそうなほど。

不快感はなく、むしろずっと嗅いでいたいというような中毒性があった。

可愛らしい声はアニメでしか聞いたことがないようで、顔も完璧。

百人いれば百人、振り返ってしまうほどのかわいさ。

身長が高くなければ、というおまけがくるが。

かわいさの中にある威圧感に、ゆうみはぽかんと口を開けたまま。

「土屋、急に出て行ったらびっくりするじゃろうが」

「えっ、やだぁ。もう!過保護!いまから!!きゃー!!」

意味不明な言葉を叫びながら、土屋と呼ばれた人はたったと可愛く新の元にやってくる。

「だって、あーらちゃんがきゅんきゅん、してる子でしょう?気にならないわけがない!!」

ぽーんと音がするほど新に抱きついて、頬ずりをしながら体をくねらせる土屋。

それを呆然と見ながら、ゆうみは頭痛がしてきた。

誰この人。

「こやつは俺の仲間で【土屋(つちや)】じゃ。お主を見に来たらしい」

「ハロリーン!!」

えへっ、と語尾付きで可愛く微笑まれ、ゆうみは何を言えばいいかますます分からなくなった。

「あの、新の恋人さんですか?」

ようやく、口をついて出た言葉に土屋がお腹を抱えて笑い出した。

「ちがう、ちがう。ぜんぜん、ちがう!けど、ちょっと嬉しいかなって」

ニマニマしながら、薔薇が咲いたみたいな可憐な笑顔をゆうみに見せた。

我知らず、頬を赤く染めてしまったゆうみに、土屋は珍しいもの見たとばかりに口を弓なりに撓らせた。

捕食者の笑み。

「ねぇ、これ、ほんとーに………」

「これ以上、言うでない。もう、時間切れじゃ」

踵で床を叩いて、新は米神を抑えながらため息をついた。

「えぇ、じゃあ。またね」

「!!」

意味が分からなかった。

文字通り、目の前で消えた土屋をゆうみはその場にへたり込みそうになった。

一体、何だったのだろうか。

それに、新が土屋を連れてきた理由が分からない。

「あの、土屋さんって一体。それに、なんで、えっと」

うまく言葉に出来なかったゆうみを、新は居間の椅子に腰かけた。

「お主の顔を見に来ただけじゃ。それに、時間切れと言ったのはあやつの仕事があるからじゃよ」

これ以上、頭痛の種を増やさないでくれとばかりに頭を抱える新。

ゆうみのせいじゃないんだけど。

「それだけ?てか、遅いよ!今まで、なにしてたのさ。心配したんだよ」

「そのわりには平気そうじゃったがのう」

頬杖をついて、ゆうみを見てくる新にそんなことないと否定した。

「だって相談したいときとか全然できないし、どうしたのかとか心配もした」

何となく新の顔を見られない。

ゆうみが伺うように顔を上げると、新は口元を抑えて頬を染めていて。

「お主は、直球じゃのう」

「なんでため息つくのよ!」

悪いか、と叫ぶと新は何でも無いと手をひらひらさせた。

「てかさ。新のこと、全然知らない」

ゆうみは、夕飯の準備をするために台所へ立つ。

今日の献立をどうするか、と冷蔵庫に貼ってある紙に目を向ける。

そして新のついて知っていることを考える。

四大元素の一つ風の神様。

そして四獣が住む幻想世界の長で。

幻想世界は、想像上の生き物たちの天国のような場所。

年齢は万を超えたこと。

性格は真面目でちょっといじわる。

赤と紫のオッドアイを、ゆうみは少し怖いと思う。

「俺のことを、知りたいのか?」

ゆうみが振り返ったとき、思ったよりも新が近くにいてビックリした。

息が止まる。

「のう。なにが、知りたいんじゃ?」

猫のように目を細めて、ゆうみに尋ねる。

ゆうみの後ろは冷蔵庫、前は新がいて逃げ場がない。

怖いと思った新の瞳を間近で、のぞき込む羽目になった。

血のような瞳と夜更け前の瞳が、ゆうみを試すように見つめてくる。

そこに自分が映るほど見つめてしまったゆうみは、パニックを起こしてしまった。

「えっと、その、あらっ、たの…………」

顔をこれ以上合わせていられなくて、俯く。

「ん?」

聞いてくる。

ゆうみの頭上で、新の吐息が髪にかかって、信じられないぐらい心臓が鳴っている。

息が止まる、手足が震える。

「新は、怒られたりしないの?」

きょとんとした新に、ゆうみは慌てて言葉を紡いだ。

「だって、新の大事なものをさ私が、持っちゃっているわけだし、時間もかかってるし。だから、その、怒られたりしないのかなって思って。いまさら、だけど」

もじもじと、両手をすりあわせながら聞くと、新はそうだなとなぜか、笑った。

「構わぬ。俺としては問題はほぼ解決したも同然じゃし、な?」

ちょん、と。

「!!」

「すっごい、顔をしておるぞ。おぬし」

くすくす、くすくす。

耳に新の笑い声が反響して、今されたことに何も言えなくなる。

ほっぺ、た。

「あんた、ほほ!!」

された箇所に手をあてて、訳分からない、信じられないとか弱々しく叫ぶゆうみを、新は何事もなかったように背を向ける。

そして、再起不能になったゆうみの代わりに夕食の準備を始めてしまった。

冷蔵庫の前にずるずるとしゃがみ込んでしまったゆうみは。

心底、兄が早く帰ってきてくれることを祈った。

でなければ、この沈黙と動悸に耐えられそうになかった。



※参考資料

フルーツバスケット/高屋奈月

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る