第三章 三つ目のナミダ

24 まだ名前のない『彼氏彼女の事情』

 成人男性の頭より、大きな水晶玉がある。

表面は鏡のようで、映し出されているのは中学生の少女だった。

肩口で揺れる黒髪、これといった特徴もない普通としかいいようのない子。

照れたように笑う姿で映像が終わる。

両手を水晶玉から外すと、新は上半身を背もたれに預けた。

目頭を手で押しながら頬杖をつく。

緩慢に椅子から立ち上がると、部屋を閉め切っていたカーテンをひいた。

目に飛び込んでくる光に目を細め、そのまま寄りかかる。

ここは新の執務室だった。

執務机の上には、先ほどのぞき込んでいた水晶玉が鎮座している。

それ以外は来客用のテーブルセット、本棚。

押し花の額が、壁に飾られている部屋。

あまり物がなく、整理整頓された空間は新の性格を現すようだった。

几帳面で、真面目。

それを新が嫌っていることは、彼の側近しか知らない。

型にはまった合理的な判断を下すことを憂う気持ちなど。

「我が君」

声量を落とした声とノックに、新は扉の方を振り返る。

入室を許可すると新は、戸を開け放つ。

髪が風に浚われて、室内の淀んだ空気が外へと解放されていく。

「なにか、用かのう」

後ろを振り返ることなく尋ねた新を、入室してきた者は不快に思うことなく、口を開いた。

「我が君が落とされました玉につきましては大方、話がつきました」

主語を省かれ、要件のみ伝える者。

青年から大人へ差し掛かる中ほど、そっと諭すような優しさを含む。

その者自身が誰かを諭すつもりなど全くなくとも、錯覚を起こさせるそれ。

眉根を寄せて、新は振り返った。

そこに立っていたのは、背の高い男性。

尻ほどまで届く長い白髪を三つ編みし、白と赤を組み合わせた太極拳服。

白い耳と黒と白の縞の尻尾の獣人であった。

「そうか。ご苦労じゃったな」

形どおりの労いを彼にかけると、新は興味を無くしたように体を壁へ寄りかからせた。

水晶玉のある椅子に座る気には、なれなかった。

仕事をしなければならない。

自分はそのために帰ってきたのだし、不在の間は目の前にいる彼が代行を務めていた。

新に忠誠を誓う彼と彼らの仲間たちが。

「我が君………」

要件は終わったのに、立ち去ればいいものを。

そう思っても彼は退出せず、聞きたそうな顔と声をしたまま、そこに立っている。

「なんじゃ、はよ、言え」

しびれを切らした新がそう言うと、彼は渋々と態度を崩さずに答えた。

「あの者は我が君に合わないと思います。正直いって、不釣り合いです」

拗ねた子供のような言葉に、新は苦笑する。

彼の上司であり、敬愛してやまない新に対してあまりにも素直な言葉。

素直さを愛する新は、彼を注意することはない。

それは彼に限らず、全員が思っていることだから。

「それは百も承知じゃ。あれは、普通とは違う。じゃから、面白い」

笑いを堪えるよう、口元に手を添える新に彼は眉根を寄せた。

「彼女は、潰れます」

「潰れるな」

間髪入れずに返答した新を、彼は驚いた顔で見返してくる。

それを分かった上でなぜという態度に、新は答えるのもあほらしいと身を翻した。

「我が君!」

彼の横をさっさと通り過ぎ、部屋を出て行く。

ふわりと、新が動くたびに着物の袖が裾が翻る。

新の視界を暗鬱とした部屋から、さなぎが蝶へ変化するほどの光景が広がった。

朽ち果てることのない永遠の桜。

それが庭のみならず、新の城というべき場所を覆いつくさんばかりに植えられている。

桜以外の草花は、隅に追いやられた場所へ植えられていた。

それでも、広さは十二分にあるのだから、問題はない。

これは新の仕えるお方が、許容範囲を超えた量を下賜したもの。

それ故に【桜花城(おうかじょう)】と呼ばれる新の居城。

あのお方の寵愛と隷属を。

「反吐が出るのう」

「我が君!」

追いつき、彼は腰に手を当てると髪を手ぐしで直した。

「とりあえず、私が言いたいのは………」

「もう、なになに。痴話ケンカ?」

にゅっと、彼と新の間に突如現れた、人がいた。

ふわふわの茶色い髪をツインテールにし、ピンク色のフリルがある所謂ロリータ―ファッションをした者。

声は砂糖菓子のように甘く、指先から蕩けるよう。

瞳はアーモンド型で、頬は健康的なピンク色に染まる。

しかしそれが、二メートルを越す身長がなければ可愛いと評される姿。

その上から身を思いっきり屈まれてはシュールすぎた。

頬杖をついて、二人を見てくる。

気持ち悪いと可愛いを、なんとも言えぬ雰囲気を持つ者だった。

「そうではない。こやつが心配性なだけじゃよ」

「えぇ、それを痴話げんかって言うんだよ。あーらちゃん」

両頬に手をあてて、体をくねらせる者。

「土屋(つちや)さま。何かご用ですか?」

「用っていうか、あーらちゃんのおきにの子を見たくなっちゃったのよ!」

土屋と呼ばれた者は、親指をビシッと天へ向けた。

「はい?」

「だから、一緒に行こうよ」

カラオケへ行くみたいな気軽さで、土屋は新の肩を抱いて歩き出す。

「ちょ、我が君!土屋さま!!!」

彼の叫びを一切無視して、土屋は新を連れて去って行く。

その隙間を縫うよう新の怒号が鳴り響いた。


これは、ゆうみの知らない世界でのお話。

そして彼女もゆくゆくは知るであろう世界の話。

でも今は、地上へと目を戻してゆうみの物語を再開しよう。



※参考資料

彼氏彼女の事情/津田雅美

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