21 動揺の『テニスの王子様』 04
田舎というのは、総じて娯楽が少ない。
山と畑ばかりで何もなく、子供でなければ大人は当然のように暇を持て余す。
人が流行り物に飛びついて、テレビで騒がれるのと同じように。
その対象が近所の人間に向かう。
口が軽くなり、そのために噂は音速を越えて人の耳に届く。
たとえ、その人を知らなかったとしても、昔から知っている人のように、他人は語る。
自分の知らない人間までが、知っているというのは当たり前。
田舎の秘密は秘密にはならず、全て開示される。
たとえそれがクラスメイトであっても、仲のいい友達であっても例外はない。
尾ひれも胸びれもついてくることは、ままある。
新人なんて格好の餌、皆が目の色を変えて飛びつく。
服を裂かれ、皮膚を食い破り、骨までしゃぶり尽くされる。
それに嫌気がさして、逃げる都会の人の多いこと。
彼らにとって都会の人間は、排除すべき人間であり、相応しいかの品定めをする。
いじめをいじめと、認識する都会の人間の言葉はここでは、あまりにも弱い。
ひたすら彼らの気分を殺がないように、息を潜めて、粛々とせねばならない。
気を抜いてもならない。
自分の身を自分で守れないような人間に、田舎はとてもじゃないが住める場所ではない。
いや。
独自のルールを貫いて暮らす人々が住まう国といっても、間違いはないのかもしれない。
しかしそれが、田舎だけに限らないことを忘れてはならない。
都会に生活する人間も例外はない。
子供の母親同士の関係、あるいは会社の同僚や部下、または上司。
取引先との接待や会食、女子会などなど。
学校、社会、人が生きるために必要なコミニティの場所、全てに上記のことが適応されるからだ。
*
ゆうみは一人、台所に立っていた。
時刻はどこの家でも夕飯の準備を始めるであろう、夕刻。
その例に漏れることなく、ゆうみは台所に立っていた。
ゆうみは一人、物思いに耽っていた。
初美に蹴られたあと、新の手を借りて保健室で手当をし終わって、教室へ連れ立って戻った。
教室のドアを開けたとき、ゆうみは戻らなければよかったと後悔した。
クラスメイトの視線が新と自分に降り注ぐ。
それは針で突かれたような痛みと酸素が薄くなったような雰囲気。
全てに飲み込まれたゆうみは、教室のドアの前で立ち尽くした。
新に背中を押されなければきっと、逃げ出していた。
あぁ、分かる。
何を今更、というようなクラスメイトの冷ややかな笑み。
気づいてしまうと、顔を上げることすら出来なかった。
今までの自分をゆうみは、ぶん殴りたくなった。
「………ゆうみ?」
ゆうみの耳にやかんの鳴る甲高い音が響いていた。
慌ててスイッチを止め、ポットへと注ぐ。
「学校で、なんかあった?」
「いや。なんでもない」
珍しく早く帰ってきたゆうたに、心配をかけたくはなかった。
でもそれと同時に、すでにかけている迷惑のことを考えると憂鬱な気持ちになってしまう。
頭を振って、夕食の準備の続きをしようとした。
でも。
「あれ?」
忘れてしまった。
自分がこれから何を作るつもりだったのか、綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
どうしよう、どうしようと混乱するゆうみの横からゆうたは置いてあった包丁を持った。
「今日はお兄ちゃんがやるよ」
「でも、わた、しが作る、番だし」
いいからいいから、と手をひらひらさせてゆうみと変わるとゆうたは、その続きを難なく再開してしまった。
所在なさげに俯きながら、どうすることもできず、ゆうみは台所のテーブルに腰かけた。
そこには、自分が飲むつもりで用意してあったカップがある。
カップには温かいお茶が注がれており、いつの間にかゆうたが用意してくれたようだった。
見透かされている。
今更ながら、と今日何度も思うこの言葉にゆうみは内心辟易していた。
両手でカップを包み込むと、お茶を冷ましながら飲み始める。
ここで思考停止になっているわけにはいかないし、これからどうするという宛てもない。
初美に相当嫌われてしまったゆうみだが、これ以上彼女に関わらないわけにはいかない。
カケラの持ち主である彼女の憂いを、解く必要があった。
でも、その原因は恐らく自分にある。
自分にどうすればいいのか、さっぱり分からなかった。
頼みの綱の新はここにはいない。
用事で今日はこれないとのこと、忙しい彼にこれ以上甘えていたくはなかった。
自分一人でなんとかできればよかったのだが、それも今はままならない。
混乱し続ける頭は、今なお思考停止中で。
何の役にも立ってはくれなかった。
「あのさ、ゆうにーちゃん」
考えのまとまらない頭で、何を言うつもりだったのか分からないまま、ゆうみは兄に声をかけた。
「私は………そんなつもり、なかった。なんで、気づかなかったんだろう」
吐きそうなほど混乱するなかで、ゆうみは思った。
一体どこを見ればよかったのだろう。
見ていれば気づくと言われている、それを相手をまじまじと見るわけにはいかない。
だからといって、気づかなければこうなることは分かった。
一体どこを。なにを。一緒にいるからといって、同じ教室だからといって。
「ゆうみ。気づかなかったのはゆうみが鈍感ってこともあるけど」
ゆうたは、ゆうみの背中を優しく摩りながら、彼女の名を優しく呼んだ。
安心させるように、ゆうみが壊れてしまわないよう、真綿にくるんで暖めるように。
「一個気づいたなら、次の一個も気づける。分からないなら、めんどくさいかもしれないけど、書いてみたらいい」
「書いてみたって分からないよ!!気づいたのだって、こうなってようやくだもん!!みんな、影でこそこそ言って、面と向かって言わないとわからないじゃない!」
ゆうみは、立ち上がって叫んだ。
本人に分からないまま、周知は本人を捨てて理解して、離れていく。
「だって、皆はそこまでその子に入れ込む必要がないし、やるのはめんどくさい。周りであの子、こうなんだって言って騒いでいた方が楽だし、みんなと指さしていた方が楽しい」
「なにそれ、ばけものみたい」
俯いて体を震わせて、ゆうみは奥歯を噛みしめた。
知らなかったし、気づきもしなかった自分へ大してそれは、納得できる。
でも、周りの人間が言いもしないで自分を笑うのだけは許せなかった。
「真正面から行く人間はいないよ。厄介事にみんな、関わりたくないから。対岸の火事みたいにね」
清廉潔白、正義感あふれた人間を漫画や小説ではなく、現実で見つけるのは難しい。
いないから、そこで展開されるファンタジーは面白いのだ。
それが自分に降りかかることを彼らは望んではいない。
チートで無双していくのは、好きらしいが。
「じゃあ、気づくことも理解することも難しいよ」
「でもだからといって、このままでいることはできない」
ゆうたは、ゆうみの頭を撫でながら椅子に座らせた。
渋々、座ったゆうみはカップを手に取ると中身を飲み干した。
冷めていてよかった。
「でもどうすれば、いいのさ」
それでもゆうみは、ふてくされたまま呟く。
何の思い浮かばないこの状況を、ゆうたはどうしようというのだろうか。
「それはもう、気を付けるしかない。そのつど、わかって気を付ける。あとは、壁に貼ってこれだけは頑張る、みたいな」
指を立てて、向かい側に座ったゆうたにゆうみは胡乱げな眼差しを向けた。
ゆうたはやっぱりみたいな感じで、小さく吹き出す。
「でもさ、結局のところそれに尽きるね。僕もゆうみに言いたいことは言うつもり」
ゆうたは、顎の下で手を組む。
ゆったりと構える姿勢と笑み、ゆうみへ向ける眼差しは柔らかい。
一旦、俯いたゆうみだがそれでも、言わなければならない一言があった。
そう思ったのは、一人では無理だという確信があったからだ。
ほの暗いゆうみの心から、なぜ一人では出来ないんだとささやく声がする。
自分でもそれはそうだと思ったが、一人でするには難しいと思った。
疑問が疑問を呼び込み、ゆうみは結局それ以外の言葉を思いつかなかった。
「いっしょ、に、やってくれる?」
伺うように言ったゆうみを、ゆうたは頷く。
「もちろん。ゆうみ一人じゃ、無理だからね」
「無理とか言うな」
すぐさま噛みつくゆうみに、ゆうたは始終穏やかにあしらい続けた。
それが上から目線というわけはなく、優しく、辛抱強く話を聞いてくれたから。
正直、ゆうたとの話しはゆうみにとって、決定的なものにはならなかった。
むしろ余計、分からなくなったというべきだろう。
「ありがとう、ゆうにーちゃん」
素直に感謝の言葉を口にした。
もし、このまま頑張っていくことが出来るのならば。
自分の中にある意味不明な感情に名を付けることができるだろうか。
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