20 動揺の『テニスの王子様』 03
ゆうみにとって、それはあまりにも唐突だった。
訳が分からなかった。
それはいつものようにうさぎと一緒に、学校へ登校してきた時だった。
教室のドアを開けた瞬間。
場の空気が凍る、というのはあぁいったことを言うのだとゆうみは知った。
クラス全員の視線が、ゆうみとうさぎに注がれる。
「えっ、なに、どうしたの?」
ゆうみの後ろから顔を出したうさぎの声がいつも通りで、ちょっと怖くなった。
でもそれはゆうみにとって、かつて経験したことのある怖さ。
それはゆうみが、クラスメイトにとって不利益な何かをしてしまった結果。
「ちょっと、うさぎ!」
事態について行けないうさぎを、クラスメイト三人が彼女に駆け寄ってくる。
名前呼びするほど仲がよい友達のいることに、ゆうみは知らなかった。
知らなかったではない、気づかなかっただけ。
思い至らなかっただけ。
「ねぇ、天月さん。ちょっといいかな?」
「吉田、さん」
迷いない瞳で、ゆうみの元へやってきた初美は彼女の腕を掴んだ。
それは思いのほか強くて、反論を許さなかった。
初美に引きずられるような形でゆうみはおぼつかない足下を、確かめながらついていく。
彼女の背中から怒りのオーラが見える。
周りはそんな初美の迫力に押されたのか、道を空けていく。
その中で連れて行かれるゆうみに視線を向けると、妙に納得したような表情で顔を背ける。
何かが、自分の知らないところで起こっている。
ゆうみはそれを肌で感じてはいたが、それが何なのかは分からなかった。
やがて周りの生徒の姿も見えなくなり、初美が連れて行かれたのは職員棟の二階。
美術室や使われいない空き教室がある階。
その空き教室にゆうみは連れてこられた。
「普段はしまってるんだけど。先生から借りてあるから問題ないよ」
空き教室は閉まっているから、と言うゆうみに初美はしれっとして答える。
初美がゆうみをここへ連れてきたのは先生の承諾があってのこと。
つまり、先生の公認ということになるのだが。
事態の把握が出来ていないゆうみは、ぽけっとした顔で初美の背を見つける。
そして、彼女はゆうみの腕を乱暴に放すと。
ゆうみの頬を強か打ったのだ。
パーン、という響く音は、鈍さと重さを兼ね備えていた。
「はい?」
意味が分からない、なんで初美に頬をぶたれたのかが分からなかった。
「あんたさ、いい加減にしてくれない?本当に、迷惑なんだけど」
打った手を額に当て、うんざりとした顔で初美は盛大に肩を竦める。
「チクるなって言ったよな。あの時、なんで。それをうさぎに言うわけ?あんたさ、脳みそついてないんじゃないの?信じられない」
「えっ?」
「えっ、じゃないよ。あんた、バカ?いや、バカを通り越してただの能なし、くずよ。くず、本当、社会のゴミでしょう」
ゆうみにはさっぱり、初美が言っていることの意味が分からなかった。
そこまで彼女に言われるほどのことを、した覚えがない。
確かに初美のことをよく分からなくて昨日、うさぎには聞いた。
ただ、それだけのこと。
それ以上でもそれ以下でもないことを、初美はなぜこんなにも怒る必要があるのか。
ただ、聞いただけのことを、そんなに。
「訳が分かっていないみたいだから言ってあげるけど。あんた、クラスメイトたちから嫌われてるの知らないの?みんな、あんたと話したくなくて距離取ってんの分かってんの?なのに、ウザいほど話かけてきたりとかしてさ。迷惑。色々ちょっかい出してもひるまないし。なに?わたし、鉄の女なんです~?流行らないんだけど。つーか、気持ちが悪い。吐き気がするわ!!」
はっ、と吐き捨てて、初美は体をくの字に曲げて、叫ぶ。
「ねぇ、なんでここにいるの?この町の人間にハブられてんのに、迷惑かけてんのに。いらないのに。なのに………」
うつむき、体から発せられる熱に耐えきれず、両手で自分の体を抱きしめる初美に。
ゆうみは何も言えなかった。
何か言う気さえ起こらない。
「なんで、うさぎと仲良く話なんかしてんだよ!!!!」
「っ!!」
初美が突然ゆうみを突き飛ばした。
その場に踏みとどまることが出来なくて、ゆうみは無様に背中から地面に倒れる。
仰向けになって、起き上がろうとするゆうみを、初美の足が止めた。
「ぐっ!」
初美がゆうみの腹に上履きを履いた足を強く、踏んでいたからだ。
「なんでよ!あんたとうさぎとは全然違う存在じゃん!それなのに、なんで、あんたいみたいな存在が!いらない死んでもいいあんたが!!うさぎと一緒にいるんだよ!!」
何度も何度も、初美はゆうみの腹に足を叩きつける。
ゆうみはぐっとか、はっ、とか。
およそ言葉にならない声を上げて、怒り叫ぶ初美を見上げることしか出来ない。
一体、何が起こったというのだろうか。
初美はそれだけでは飽き足らず、ゆうみの体を足で蹴った。
こちらも言葉にならないかけ声と共に、何度も何度も蹴りながら。
「死ねば、いい。あんたなんて、死ねばいい!!!」
のろいの言葉を吐いて、吐き続けて。
「もう、そのくらいでよいじゃろう」
ガラッと空いた教室のドア。
そちらへ視線を向けることさえ、難しかったゆうみだが。
聞いた声がした気がして、顔をそちらへ向けた。
「み、しま、くん」
初美は、新に気づくと悪びれる様子は一切見せず。
「三島くん、だっけ。あんたもさ、なんでこれと付き合ってんの?やめといたら。あなたぐらいの人ならいくらでもいるし、紹介するよ」
普段の教室で話す内容と何ら変わらない口調と、態度。
ただここが、空き教室で初美の足下に散々蹴られたゆうみが転がっていなければ。
「そういうことな訳ではないし、ただの利害の一致じゃよ。吉田殿」
「ふっ、ふぅん。なら、終わったら声、かけてよ」
最後のそれは負け惜しみのような感じで、初美は最後にゆうみの腹を一蹴りして去って行く。
新に対しても、何の口止めもしないまま。
「そうだ。三島くん、鍵、代わりに返しておいて。お願いね」
はい、これ。
っと初美は新に鍵を彼の手のひらに置くと、先ほどとは打って変わった笑顔で。
ひらひらと手を振った。
新は、初美が教室を出て行き、姿が見えなくなるまで見送った。
その間、ゆうみは体を丸めて襲ってきた痛みに耐えていた。
痺れるような、堅さと骨の当たる感触がして、ゆうみは呻く。
吐き出す呼吸も乱れる。
腹の底から空気を吸って吐いての繰り返しなのに、臓器が痛い。
痣になっているかもしれない。
目尻に浮かぶ涙と共に、ゆうみは手を握りしめる。
初美の怒り、うさぎと仲良くすることがそれほど、彼女の逆鱗に触れたのだろう。
でもだからと言って、殴られてもいい理由にはならない。
ゆうみは初美に、怒りは沸いてこなかった。
それに対して、ひたすらに疑問がゆうみの頭の中で乱舞する。
初美は、新と一緒に探しているカケラの持ち主で。
あまり話したこともない彼女に、暴力を振るわれてしまったことへの困惑。
あと、体の純粋な痛み。
「わけ、わからん」
痛みも落ち着いてきて、ゆうみが言えたのはそれだった。
「マジで意味がわからないんだけど!」
体を起こすと、目の前で新が片膝をついて王子様のように、手を差し伸べてきた。
「大丈夫か?」
「あぁ、ありがとう」
手を取って、ゆうみは生まれたての子鹿のように、立ち上がった。
「というか、三島くん。これって、どういうこと?」
「怒りよりも前に、お主はそれか」
若干呆れたような声に、新はゆうみを部屋の隅に置いてあったとおぼしき椅子へ座らせた。
ゆうみがうずくまっている間に、用意してくれたのだろう。
「まぁ、見たところ。それほどでもないようじゃし、湿布でも貼っておけば大丈夫じゃろう」
「保健室に行けば処置してくれるから、大丈夫」
へらへらと笑うゆうみに、新はそれはまだ後と言葉を濁した。
手間がかかると、存外に言われたゆうみは頬を膨らませることしかできない。
「お主は叩かれた理由は分かっておるのか?」
無言で首を振るゆうみに、新はぽりぽりと頬をかいた。
しばし、思案した後。
「お主は生まれも育ちもここであろう。だとしたら、気づいておるのではないか?」
「なにが、よ」
息を吸ったとき、痛くなって言葉に詰まる。
「つまりな。筒抜けってことじゃよ。お主の行動が過去から現在に至るまでここに住む人間すべてに、バレておるというわけじゃ」
「はい?」
一瞬、新が何を言ったのか分からなかった。
「どういった服装をして、何を買ったか、何を食べていたか、どんなことを言って、誰の悪口を言っていたかということまで、全て。しゃぶり尽くされておるのじゃよ。というか、むしろ、され尽くされて骨も残っておらんほどにな」
一旦そこで、新は言葉を切るとゆうみの様子をできるだけ見ないようにした。
「骨も残らず、影も残さず、荒らされまくったお主に残っておるのが、今の現状じゃよ。初美の行った行為は、言葉は乱暴じゃが、正当性のあるものなんじゃよ」
その結果が、ここに住む人間すべてに嫌われて、存在すらも否定されるということか。
「死ねって、えっ、うそ」
何かの冗談でもなく、初美の本心であったということ。
「私のなにが、いけなかったの?」
「人は自分と違う人間には敵意を露わにする。お主はあまりにも、違いすぎた」
いじめられた人は普通、泣くか喚くか、学校に来なくなるのが普通だ。
しかしゆうみは、罵倒されても泣いても、学校へ来なくなることはなかった。
むしろ、病気以外で休むことはなかったほどに。
教科書やゆうみの私物を破られても、彼女はセロテープで貼って治したり、縫ったりして使用してきた。
悪口を言ってきた人に対しても、強気とも言える態度で返す。
本人にその気がなくても、相手はそう受け取る。
意味が分からない、考えていることが分からない未知の存在。
嫌われて当然だった。
もう少し、ゆうみに謙虚な心があったならば、違っていただろう。
それが欠けていたことで、泣き叫んでも通い続けるゆうみに、周りの人間は恐怖を感じてもおかしくはない。
誰も話しかけることはしない、そうすれば去ってくれるはずだった。
アニメや漫画の主人公が、ヒーローとされるのは周りの人間が頑張りを、評価していたからだ。
それに合う、努力もしているから。
だが、ゆうみにはそれがない。
要領が悪く、人付き合いも悪い、無意味に人を苛つかせる。
両親が亡くなって、かわいそうなんて思わない。
むしろ当然の報いだと思われているゆうみだった。
兄のゆうたに対して、周りの人間は彼女ほど思うことはなく、むしろ。
同情的だった。
あんな妹をもってかわいそうに、やりたいこともやれなくて。
祖父母がゆうみを引き取りたかったのは、病院へ入れるか、閉じ込めるかするため。
ということを、ゆうみは一切を知らない。
「………あ、はははっ」
その真実を、新から聞いたゆうみは笑った。
もう、笑うしかなかった。
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