13 きっかけは『封神演義』

 四月三十日。

うさぎたちが通う中学校の徒歩圏内にある、周りが昔ながらの家が立ち並ぶ中に。

どでん、と建った場違いにオシャレな一軒家。

その一軒家の二階が、うさぎの部屋だった。

普通の女子中学生の部屋と違うのは、壁に三つ並んだ、天井まで届く本棚。

そこに詰められたのは、大量のマンガや小説は、彼女の両親の私物だ。

うさぎが産まれた時から、この一家は本で溢れている。

家族が出来るからというよりも、両親の膨大なコレクションを保管する家が欲しかったと言われた方がしっくりくるほどの量。

実際に、家はそれらで埋め尽くされている。

それでもまだ増える品を、倉庫まで借りて保管する有様。

ここまで行くといっそ、金を取って見せるべきだと思うほどだが。

両親に言わせれば、そこまでの物はない、とのことで。

「………」

そんな部屋に、一人、ぽつんと。

うさぎは、机に頬杖をついて座っていた。

じっと机のある一点を見詰めたまま、思案を巡らせていた。

音はなく、部屋はしんとしている。

他の家族が立てる音も、機密性の高いこの家では鳴ることもない。

しん、と耳鳴りがするほど静かな部屋で。

うさぎは、何度目かになるため息をついた。

去年の今頃であれば、友達のゆうみとゴールデンウィークの予定についてあれこれ話していた時期。

それが今年はない。

受験ということがあっても、一切ゆうみとの約束がないのはおかしかった。

おかしい、と感じるほどまで近しい仲になったゆうみ。

その原因を作ったのは、うさぎ本人。

ゆうみの両親が亡くなった頃に置かれた、机の上に花。

本来であれば、死んだ人間に飾られる花。

それを生きている人間に、飾った悪質ないじめだ。

「すみませーん!」

体が震えた。

立ち上がった拍子に、椅子が蹴倒されて、けたたましい音が鳴る。

突如聞こえた声に、胸元を握りしめ、浅い呼吸を繰り返しながら。

うさぎは体を震わせた。

ゆうみの声だった。

いつものように、うさぎの家へ来るときの声。

何でもないゆうみの声、それなのに。

親しい親友の声が、今は恐ろしい怪物の声に聞こえる。

どんな顔をしてゆうみに会えばいいか分からない。

だが、このまま離れていくにはうさぎとゆうみは近すぎた。

うさぎは思い知らされる。

自分が、クラスの中で孤立していたゆうみに声をかけたのがきっかけ。

誰一人声をかけることのない、ゆうみを哀れんだ。

かわいそうに思って、自分が、と上から目線で。

恥ずかしかった、情けなかった。

自分がゆうみに対して、知ろうとしなかった深層に接しただけで。

こうして逃げてきた自分が、恥ずかしかった。

友達なら、ゆうみのそう言った感覚を諭すべきだったのだ。

離れてしまっただけで、ゆうみに会うのが恐ろしく思うことが、情けなかった。

「うさぎー、ゆうみちゃんよ?」

「!」

短い悲鳴が自分の口から出て、うさぎは今や全身を震わせてその場にしゃがみ込んだ。

自室のドアの向こうからの母の声。

それが、死刑を宣告する者のようで怖かった。

どうしよう、どうしよう。

うさぎは、辺りを見回す。

そこにあるのは、大量のマンガや小説が詰め込まれた本棚とそれらのグッズ。

うさぎは縋るように、本棚に飛びついた。

それから、無我夢中で本棚に置かれているマンガのタイトルを浚っていく。

なにか、何かないか。

マンガを読んでいて気づかなかったと、言い訳するために。

母の返答に答える、小道具として用いるために、探す。

やがて一冊の漫画本をひったくるように引き出した。

「なーに、お母さん」

さも、今気づいたとばかりに返事をする。

その空々しさに、うさぎは背筋が寒くなった。

ドアを開けると母の呆れた顔と、出会って、作り笑いをする。

そして、見つけたマンガのタイトルに目線を向けながら下へ降りて行く。

『封神演義』



うさぎは、靴を履いて家を出る。

そこに立つゆうみの姿に、息を飲む。

髪はぼさぼさで、ハーフパンツに長袖のパーカー姿。

この季節、蚊が出て食われまくるから、外に出るときは必ずズボンの彼女がハーフ。

それだけで、慌ててゆうみが自分の家に来たのが分かる。

けどその場で、足を小刻みに動かしているのを見ると気持ちが、半減した。

「あっ、うさぎ!」

ゆうみが気づいてこちらへ、走りよってくる。

「あっ、ひさし、ぶり。ゆうみ」

ぎこちなく、手を上げるうさぎに、ゆうみは手を後ろに回してはにかんだ。

一瞬、沈黙が降りる。

お互いが次に何を言えばいいか分からなくて、捜している。

きっかけを捜しているのが分かる。

「あっ、それ。封神演義」

ゆうみに首を傾げて、うさぎが持っている漫画本に目を向ける。

「あっ、うん。これ、面白いよね。ギャグ要素も入っているし、史実交えてだからさ。本物の封神演義も似てる。けど、こっちの方が好きかな」

「へぇ、そうなんだ」

うさぎの思いついたままの言葉を、ゆうみは疑うことなく感嘆の瞳で見詰める。

そして、唐突にゆうみは堰を切ったようにしゃべり出した。

「ごめんなさい!!私、無神経だったよね!?うさぎの気持ちとか全然考えていなかったし、私にとってのいじめってあんな感じだったし。嫌われないようにしてもさ、どうしても嫌われて…………。どうしようとか思っててたら時間ばかり過ぎさ!だから、ね!だからね!」

支離滅裂なゆうみの言葉と勢いに押され、うさぎは何も言わず黙って見詰め返していた。

「うさぎと友達でいたい。これからも友達として仲良くしていきたい!三島くんの涙探しも一緒にしてほしい。一緒がいい!うさぎが一緒がいい!!」

「!!」

子供じみた主張だった。

でも、近所の人たちに聞こえるかもしれないという危ぶみさえもゆうみには、届かない。

顔を真っ赤にして、叫ぶゆうみを。

うさぎは、苦しい気持ちで見ていた。

自分が自分のことでいっぱいいっぱいになって、ぐるぐるしていた時。

ゆうみも同じようにぐるぐるしていたこと。

でもそれは差違だったのかもしれない。

きっとこの違いが今、目の前にいるゆうみなのだと、うさぎは分かった。

「うん、うん、うん」

うさぎは、何度も頷く。

頬を涙が幾筋も伝って、地面に吸われて行く光景が、嘘みたいで。

でも喉も心も痛くて仕方なくて、ゆうみの顔をまともに見られなかった。

泡のように湧き上がる想いがある。

よかった、よかった、失わなくてよかった。

間に合ってよかった、と。

後悔しなくてよかった、と。

「えっと、ごめんね。うさぎ、ごめんね」

分からなくて、ゆうみがうさぎの両肩に手を置いて何度も謝る。

顔をのぞき込んで、いつも。

それをやるのは、うさぎの役割だったのに、これでは逆だ。

落ち着く中で見返したゆうみも、自分と同じか、それ以上に不細工な顔で。

顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

落ち着いたら二人で、封神演義を読もう。

そして話をして、去年と同じようにゴールデンウィークの予定を考えよう。

きっと楽しいに違いない。



*参考資料

封神演義/藤崎竜


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