03 転校生は『カードキャプターさくら』

教室に設置されたスピーカーから、チャイムが鳴る。

ひび割れて、籠もるような音なのに、声量だけはあった。

ここは、この町唯一乙女坂中学校だ。

他では珍しい、小・中・高の校舎が並んで建っている。

その中学校の三年二組の教室で、ゆうみはうさぎ相手に愚痴っていた。

チャイムが鳴っている中で、ままならなさが仕方ないのは、分かっている。

しかしそれでも、親友の彼女に聞いて欲しかった。

「で、その子を追いかけて一晩泊めてあげて、朝食も食べさせたのに、お兄さんは覚えてないと?」

うさぎに、無言でゆうみは頷く。

一緒に朝、うさぎと登校しながら少年との経緯を説明した。

話していて気づいたが、うさぎは昨日、ゆうみが少年を追ったことを忘れていた。

昨日、ゆうみと二人して放課後に残っていたことまでは覚えている。

しかし彼女が帰ろうとしたときに、自分が変なことを叫びながら帰ったと。

うさぎだって、少年をあの時見ている。

それなのに覚えていない、なんて。

「これ、夢、なのかな?」

「その少年が使っていた食器も元から使ってなかったみたいになってたんでしょう?」

ゆうみは何度も首を縦に振って肯定する。

「ゆうみ、とりあえず、前、向きな」

釈然としない心持ちのまま、ゆうみは促されて前を向く。

彼女の席は、窓際でゆうみの後ろ。

いつの間にか静かになっていた教室は、誰もが文庫本を開いていた。

読書の時間だったことを思い出し、ゆうみは持ってきていた本を取り出す。

ゆうみの通う学校では、週に三日ほど読書の時間を設けている。

ぱらぱらと、栞が挟んであるページを開く。

でも。

目は文字を追っているのに、内容が頭に入ってこない。

何度も同じところを読んでしまう。

もう無理だと悟ったゆうみは、窓の向こうに視線を向けた。

コンクリート製の段差でぐるりと囲んだ校庭と、その後ろに壁のような建物。

空は、雲が流れて、春らしい陽気が眠気を誘う。

あれは、夢だったのだろうか。

考えれば考えるほど、そう思えてきてゆうみは泣きそうな気持ちになる。

少年と話したことは多くはない。

それでも泊めてあげたのに、突然、目の前で消えるなんて。

一言ぐらい、言ってくれてもよかったのに。

バカ。

少年がいたら怒ってやりたい気持ちが芽生えて、ゆうみは口をへの字に曲げた。

ゆうみの中でも黒い炎が燃え始めている。

殴りたいほどではない。

うさぎは信じただろうか。

矛先を変えて、ゆうみはようやく落ち着く。

信じてはいない様子だったが、自分を変に思っただろうか。

変なことを言って叫んで帰ったのは事実だから、否定しようがない。

でも今思うと、結構恥ずかしい、かも。

一喜一憂している間に、再びチャイムが鳴った。

ため息と伸びをする生徒たちの中、ゆうみは本を閉じて天井を見上げた。

こんなに長く感じた読書の時間は、初めてだ。

間を置かずに、担当の手塚先生が入ってくる。

短く刈り込んだ黒髪に、スーツ姿。

サッカー部の顧問で数学を受け持ち、三十代半ば、既婚者で子供が二人いる。

「おはよう、諸君」

籠もるような低い声には張りがなく、陰険さが漂う。

ゆうみはどうもこの先生が好きになれなかった。

数学は未だによく分からないし、あまり親身になってくれないからだ。

頬杖をつきながら、先生を見ていると。

「あっ………」

先生の後ろから学ランに身を包んだ少年が歩いてくる。

黒い短い髪に、赤と紫のオッドアイ。

見間違えるはずがない、ゆうみの家にいたあの少年だった。

なんで、どうして、とパニックになる中を少年は先生の隣に立つ。

教室が俄にざわつき始める。

中学最後のこの時期に、転校生は珍しかった。

特にこの町は都心から離れており、田舎だ。

他の女の子が話し出すのをゆうみは、どうしたらいいのか焦っていると。

「ねぇ、朝。ゆうみが言っていた少年ってあの子?」

肩を叩かれて振り向いて、うさぎにぎこちなく頷く。

「かわいい子だね。ゆうみと身長、同じくらいかな」

「わかん、ない」

訳が分からなすぎて、混乱するゆうみに転校してきた少年は視線を向けた。

「転校生の三島新くんだ。みんな、仲良くするように」

先生のお決まりの言葉を、右から左へ聞き流す。

ゆうみはまじまじと少年を見つめ返した。

学ランに身を包んでいると、普通の男の子みたい。

でも。

「天月さん。あの転校生さんと知り合い?」

「そんなこと、ないと、思うけど」

前の席に座る相良美幸が振り返って訪ねてくる。

確かに彼は、他の子に言われるほどにゆうみばかり見てくる。

黒髪のボブに、花のピンを指し、困ったような視線に、ゆうみはたじろぐ。

美幸とは用事があるときぐらいしか話したことがないが、思い込みが激しいことで有名だった。

ゆうみ達がアニメやマンガの話をしていると、すっぱりと。

「そういうのは小学生で卒業するものじゃないの?」

っと、悪びれることなく言うほど彼女は無邪気さがある。

悪い子ではないんだけど、ゆうみは苦手だった。

「わたし、なんにもしてない」

彼女に言われて気づいたけど、確かに見つめられ続けるのは恥ずかしい。

どうしたらいいのか、分からないまま、ゆうみは下を向いた。

「席は鴨川の後ろが空いているな。そこな」

先生がうさぎの隣の席を指さす。

鴨川は、ゆうみの隣の子だった。

つまり彼は、自分の斜め後ろの席へ座る。

全身の血の気が引いていく想いに、ゆうみは晒された。

生きた心地がしないとはこのことだろう。

そして、この時ほどうさぎの隣が空席だったことを呪った。

けど。

「あれ?」

顔をその席へ向けようとしたとき、彼、新と目が合った。

そしてすれ違う様に、小さくゆうみだけに聞こえる声で。

「あとで、話がある」

っと。

訳が分からない。

ゆうみは怒りと悲しみでスカートの裾を両手で握りしめた。



**



 ゆうみが新に声をかけられたのは、お昼休みだった。

クラスメイトの大半が校庭へと向かい、二分の一が他のクラスや図書室などへ行くなか。

残っていたゆうみと二人で話をしていたところへ、声をかけられたとき。

周りはとても静かだったのを覚えている。

「ちょっといいか?」

振り向いて、無言で頷いてゆうみは立ち上がった。

朝礼以後、彼はクラスメイトに質問攻めにあったが、丁寧で紳士的な態度は好感を呼び。

他のクラスからも生徒が教室へ押しかけ、二年、一年と学校全体まで広がった。

大人で優しくて、笑顔が素敵で。

そんな噂が一人歩きし、全体を包み込む中をゆうみは、ただ唖然とした。

彼のコミュ力にも驚いたが、何よりも瞳のことを問題視する人がいなかった、と。

うさぎも、新の目は両目とも黒だと言ったときのゆうみの顔が忘れられない。

信じられない、と。

時季外れの転校生でも有名な彼を捕まえることは、近すぎるあまりに難しく。

授業中ですら彼への手紙はとまらないし、ゆうみも何度もそれをやったおかげで。

午前中はさっぱり頭に入らなかったほどに。

疑問を口にすることも出来ず、かといって自分に言っても首を傾げるだけだから。

この時、新に声をかけられたことが純粋にうれしかったのだろう。

「ごめん。ちょっと、行ってくる」

不自然なほど周りが、新を自分が連れて行くことに誰も疑問を持たなかった。

ゆうみが、新と二人で出て行くのをうさぎは、小さくため息をつきながら見送る。

朝から様子のおかしかったゆうみが、嬉しそうに教室を出て行く。

「天月さんて、三島くんの知り合いなのかな?」

残り組の美幸が、二人の姿が見えなくなると早速聞いてくる。

彼が来てからずっと、自分たちに彼女が話をしたがっているのを気づいていた。

気づいていながら無視して。

ゆうみは最後まで気づかなかったけど。

「大丈夫かな、ゆうみ」

打ち解けた相手ならば、気軽に話すことも出来るゆうみだったが。

初対面で、しかも異性の彼と、話がちゃんと出来るのか心配だった。

朝聞いた話のなかで登場した彼が、新ならば不安に思って当然だ。

でも出て行くときのゆうみは嬉しそうだった。

彼女も彼女で彼に聞いてみたいことがあったことは、分かっていたから。

正直、うさぎはやりきれない気持ちでいっぱいだった。

ゆうみをとられたようで、癪だった。

「御巫(みかなぎ)さんは、天月さんから何か聞いてる?」

「聞いてないよ。昨日だってゆうみ一人で勝手に帰っちゃうし。私、置いてきぼりだよ」

美幸の質問を軽口で返し、うさぎは腕を組む。

「でも天月さんなら、あとで何か言ってくるんじゃないの」

「朝登校してきてすぐ、謝られたよ。だけど」

だけど、納得がいってない。

うさぎの心の整理がついていないだけで、ゆうみに当たるのは筋違いだった。

でも美幸にも僻みとして受け取られたようで。

「なにかあったら言ってね。協力するから」

「あぁ。ありがとう」

何をどう協力するのか、口には出さないにしろうさぎは受け流す。

「なんか、知世(ともよ)ちゃんってすごいな」

「えっ?」

美幸の追求から逃れるように、うさぎは教室を出て行く。

二人とは逆の方向へ足を向ける。

うさぎ達の教室は三階にあり、この先は六組の教室で行き止まりだ。

三年生は七クラス、七組だけが二階の階。

そこまで歩こうとうさぎは決めた。

とあるアニメでこんなシーンがあった中国から来た転校生に主人公が誘われて、二人で教室を出て行く。

その後ろ姿は書かれていないし、他のクラスの子たちの描写もないまま。

主人公とその子の話は展開していく。

知世ちゃんとは、主人公の親友の子の名前だ。

お金持ちで頭がよくて優しくて綺麗で、本当にマンガみたいな子。

あの子は大人で、主人公のことを無二の親友だと思っていて、しかも恋愛という意味でも彼女を慕っている。

まるで菩薩みたいな子だと、今なら思う。

親友が訳も分からないものに巻き込まれて不安な描写はなく、一貫して大人な対応をとっている。

あれで小学生とかあり得ない。

うさぎには絶対に無理だ。

やがてたどり着いた七組の教室、用もないまま、うさぎは近くにある水飲み場へ向かう。

蛇口をひねって、水を出しながら。

自分にはあの子のようにはなれない。

知らない面があるだけで、裏切られたような気持ちになる自分がいやで。

うさぎは泣くのを必死に堪えていた。







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*参考資料

カードキャプターさくら/CLAMP

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